世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.5

駒繁神社例大祭

蛇崩川沿いの小高い丘の上にある神社で行われるこぢんまりとした祭り。夜には神楽殿で地元の民舞会による民舞の奉納が行われます。

鎮座地 : 下馬4-27-26   氏子地域 : 下馬1~6丁目
御祭神 : 大国主命 <別名:子の神大物主命>   社格 : 無格社
例祭日 : 九月第三日曜日、前日は宵宮
神輿渡御 : 町会神輿 (不定期で宮神輿が運行される。)
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納演芸(民舞)が行われます。

*** 駒繁神社の写真 ***

駒繁神社の写真
蛇崩川緑道に掛かる神橋

暗渠となっても昔の雰囲気があります。

駒繁神社の写真
鳥居と参道

結構きつい坂になります。

駒繁神社の写真
狛犬と社殿

まだ新しい建物です。

駒繁神社の写真
夏の盆踊り大会

そこそこ賑わいます。

駒繁神社の写真
夏の盆踊り大会

揃いの浴衣の方が多いです。

* 旧下馬村と駒繁神社について *

駒繁神社は下馬の蛇崩川沿いの高台にある神社です。読み方は「こまつなぎ」です。神社の名前が駒繋で、付近の氏子地域の住所が下馬、近くには上馬、あるいは駒沢と馬にまつわる地名が多くあります。これはこの付近一帯が馬の産地だったというわけではなく、ちょっとした源氏伝説にまつわるものです。

天喜四年(1056年)の前九年の役の際、源頼義、義家親子が奥州に進軍する途中にこの地を訪れました。そして土地の者たちによって出雲大社の分霊を勧請して祀っていたといわれている「子の神」があると知り、ここで戦勝を祈願しました。こう地元では言い伝えられてきました。

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その後、文治五年(1189年)には源頼朝が奥州征伐へ向かう途中にこの地を通り、同じように祖先の義家にならって戦勝を祈願したと伝えられています。その時に頼朝は愛馬芦毛から降りて「馬(駒)を松に繋いで参拝した」という故事から、明治以後に駒繁神社と名が改められたそうです。

また、参拝の際に周辺がぬかるんでいたため、頼朝一行は下馬して神社へと参拝したことから駒繁神社一帯を「下馬(しもうま)」と呼び、乗馬した地を「上馬(かみうま)」と呼ぶようになったとかなんとか。ちなみに駒沢は新しい地名で下馬、上馬の「馬」と深沢、野沢の「沢」を当ててつけられた合成地名です。

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現在、神社は蛇崩川緑道沿いの高台に立地しています。世田谷の川は耕地整理の際にほとんどが真っ直ぐな川筋に改修されてしまったので、川を埋めて作られた緑道もあまり昔の川の面影が残っていない場合が多いです。そんな中でこの付近は緑道が神社の敷地に沿ってきれいな弧を描いていて、かつて川だった雰囲気がよく残っています。その暗渠となった蛇崩川緑道上に朱色の神橋が掛けられていて、これが神社らしい雰囲気を醸し出しています。

この神橋が神社への入り口となります。橋を渡ると鳥居があり、その先は階段と急な坂が待っています。一見男坂が階段の方で、女坂が坂道といった感じを受けますが、実際に登ってみると坂の方がきつい感じがします。それを登ると本殿、神楽殿、御輿舎、境内社などの建物がある広場にたどり着きます。現在の社殿は新しいもので、昭和38年に完成した鉄筋コンクリート製です。それまで使用されていた明治31年に建てられた旧社殿は本殿に納められているそうです。

*** 秋祭りの様子 ***

駒繋神社秋祭りの様子を写した写真
例大祭が行われている拝殿

大祭日の昼間に行われます。

駒繋神社秋祭りの様子を写した写真
夜の拝殿

時間帯によっては参拝客の列ができます。

駒繋神社秋祭りの様子を写した写真
昼間の神楽殿前広場

夜は人で埋まりますが、昼間は閑散とした感じです。

駒繋神社秋祭りの様子を写した写真
神楽殿での民舞

プロの地方巡業っぽい感じです。

駒繋神社秋祭りの様子を写した写真
昼間の境内の様子

もう少し賑わうといいのですが

駒繋神社秋祭りの様子を写した写真
夜の上側の参道

夜になると人が多くなります。

* 駒繁神社の秋祭りについて *

駒繁神社の秋祭り(例大祭)が行われるのは9月の第三日曜日とその前日です。二日間とも夜に神楽殿で奉納演芸として各町民舞会による民舞が奉納されます。これが結構凝っていて寸劇のような出し物だったり、舞踏だったりと色々と趣向を凝らしている感じでした。

神楽殿には「かがやきの会」「おもと会」「花沢会」・・・といった民舞会の提灯が沢山ぶら下がっていたので、毎年それぞれの会がこの日のために演技に磨きを掛けて頑張っているのでしょう。雰囲気的には、ちょっと大げさに言うなら歌舞伎とかの地方巡業っぽい感じでしょうか。そのため縁日っぽい感じが強烈にしていいのですが、ただ・・・、訪れたときは見ている人はあまり多くありませんでした。哀愁漂う縁日っぽくてこれまたいい感じなのですが・・・。

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土曜日の夜に宵宮祭、日曜日の14時から例大祭が拝殿で行われます。参加者はそこまで多くなく、ひっそりと行われるといった感じでした。神輿に関しては、神輿舎に立派な御神輿が飾ってあるのですが、その神輿が担がれることは滅多にありません。せっかく神輿があるのだから時々担げばいいのにと思ってしまうのですが、担ぎ手が集まらないからだとかで本当に滅多に担がれないのです。恐らく世田谷で一番稀少価値の高い神輿渡御になるはずです。

神社の宮神輿は担がれませんが、普段は町会神輿が渡御していまするようですが、やはり小さな子供神輿ばかりとなるようです。

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神社の御神輿は担ぎ手がいなくて運行されないし、奉納演芸も見ている人が少ないし、例大祭の参加者も少ないしと、あまり盛り上がらない秋祭りといった印象を持ってしまいますが、露店の数はなかなか多かったりします。本殿前の広場だけではなく、上側の参道、神橋付近、そして蛇崩川緑道のところにも少し出ます。神社の横が大きな公園になっていることから露店で食べ物を買って、公園で遊んでいる子供も多く見受けられました。

昼間は閑散としていても夜になるとどこともなく人が集まってきて境内が混み合うといった感じでしょうか。境内がそこまで広くないので結構賑わった感じになります。

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また近年では稚児行列が復活したと聞きました。駒繋神社の祭礼で伝統行事として受け継がれてきたのが「お稚児さん行列」となるようです。これまでは式年祭などの記念年に行われていましたが、平成23年(2011年)より4年に一度の恒例行事として執り行われる事となったそうです。

稚児行列は日曜日の10時に駒留中学校から出発し、神社に向かいます。行列は神社の旗、雅楽の演奏、神職、そしてお稚児さんと続き、神社に到着すると、社殿で子供達の健やかなる成長と下馬の町の繁栄をお祈りします。次回は平成27年に実施予定です。

*** 駒繋神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

駒繋神社の神輿舎の写真
神輿舎

毎年神輿舎の中に飾られています。

駒繋神社の宮神輿の写真
駒繋神社の宮神輿

金梨地の唐破風軒屋根は世田谷では珍しいです。

宵宮の日に神社を訪れると、神輿舎に御神輿がライトアップして飾られていました。駒繁神社の御神輿は昭和11年に浅草の宮本重義によって建造されたもので、台座が二尺八寸、金梨地の唐破風軒屋根、勾欄造りで、吹き返しの彫金が見事なのが特徴です。

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そばのテントにいた方に「何時に御神輿は出発するのですか?」と聞くと、「残念ながらこの御神輿は出ないのですよ。」と返ってきました。なんでも担ぐ人がいないとか。でも何年か前に式年祭を行った際に担いだから、また何年かしたら出るかもよとの事でした。帰ってからちょっと調べてみると、平成19年に鎮座950年式年大祭が執り行われ、25年ぶりに宮神輿が運行されたとなっていました。そのときは神幸祭といった形で神主さんは馬上の人となるような大がかりに執り行い、結構盛り上がったみたいです。

ってことは、次は鎮座975年にあたる2033年になるのでしょうか・・・。2012年の秋祭りの際に氏子さんに尋ねてみると、「2013年に氏子の間で運行しようかといった話があるんですよ。」といった前向きな感じだったのですが、残念ながら翌年訪れてみると立ち消えに。またしばらく運行されないような感じでした。2015年に稚児行列が行われるのでその時に・・・と少し期待しているのですが、どうでしょう。

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普段は日曜日に町会神輿が運行されています。各町会が神輿を運行しているのですが、やはりここも人手不足で子供神輿が中心だそうです。町会神輿は昼頃から渡御が行われ、順次宮入をしてきます。ネットで調べてもあまり情報がなくてよくわかりませんが、中には神輿をレンタルして運行している町会もあるとか何とか。そこまでするなら神社の御神輿をと思ってしまうのですが・・・。せめて5年に1度といった頻度でも定期的に宮神輿が運行されてくれると見物人としてもありがたいところですが、なかなかそうもいっていられない事情があるようです。

* 感想など *

駒繁神社の秋祭りはいまいち盛り上がりに欠けるかなといった印象を持ちました。担ぎ手がいなくて宮神輿の運行ができないのもありますし、境内の賑わいもそれほどでもなかったからです。下馬という町域は世田谷の端に位置しています。下馬は6丁目まであるほど大きな町域にも関わらず鉄道の駅がない地域で、大きな町域故に最寄り駅も拡散している状態です。

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区内では最寄は三軒茶屋駅が大半ですが、世田谷の端に位置していることから目黒区の祐天寺駅や学芸大学駅の方が便利のいい人も多くいます。そういった事情から人々のベクトルは四方八方に向いてしまうし、地域の中心となるような大きな商店街がないしと、こういったイベント的なものに関してはスポンサー不足だったり、団結が薄いのかもしれません。

あるいは距離的に最寄り駅で行われる他の神社の秋祭りの方に関心がいってしまうのかもしれません。ただ2012年に改めて訪れてみると、境内がビックリするほどの子供たちで賑わっていました。年によって極端に波があるのでしょうか。夏祭りの盆踊り大会も訪れてみたのですが、あまり盛り上がっている感じは受けませんでしたので、やっぱり小規模でのんびりした雰囲気という印象の方が私の中では強いのかもしれません。

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そういったわけで大きな町域の割にはとっても地味でこぢんまりとしたお祭りになっている感じがします。でも人が無駄に多く集まればいいというものでもないし、あまりガチャガチャしていない雰囲気で行われるお祭りもいいものです。ただ神輿が数年に1度運行できるぐらいの活気は欲しいところですし、せっかく各町の民舞会の方々が熱演しているのだからそれを盛り上げるような試みがあってもいいような気もします。

近くの世田谷観音で毎月一回行われている朝市の盛り上がりなどを考えると、もうちょっと何とかなるのではなどと考えてしまいますが、やはり伝統的な風習に関心が少なくなってきているこのご時世では取り仕切るのも大変でしょうし、資金を集めたりするのも難しいのかもしれません。

<世田谷の秋祭り File.5 駒繁神社例大祭 2012年8月初稿 - 2015年10月更新>