世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.2

三宿神社例大祭

かつては養老の滝にちなんだタヌキ囃子が上演される事で知られていた祭り。小ぶりながら関東大震災、戦災と二度の厄を免れた縁起のいい神輿が渡御します。

鎮座地 : 三宿2-27-6  氏子地域 : 三宿1、2丁目
御祭神 : 倉稲魂神  社格 : 無格社
例祭日 : 本祭 9月23日(*毎年固定)、前日に宵宮
神輿渡御 : 宮神輿、子ども神輿、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 25店程度
その他 : 奉納演芸(カラオケ大会)が行われます。

*** 三宿神社の写真 ***

三宿神社の写真
神社の入り口

毘沙門天の石柱があるのがここの特徴です。

三宿神社の写真
参道

隣は幼稚園ですが、それなりに雰囲気があります。

三宿神社の写真
神楽殿のある広場

晩秋にはイチョウの落ち葉で絨毯ができます。

三宿神社の写真
社殿前の階段

急な階段を上ると社殿があります。

三宿神社の写真
社殿

左は境内社の稲荷神社。

三宿神社の写真
武者小路実篤の筆による石碑

物置の横に無造作に置かれています

* 旧三宿村と三宿神社について *

三宿といえば、オシャレなカフェが建ち並ぶエリアとして全国的にも知られています。その象徴的なのが国道246号線の三宿交差点から南北に延びる道沿いで、ここにはオシャレなお店が多く並んでいますが、住所が三宿という店はそんなに多くなく、大部分が池尻、そして太子堂も少し含まれています。

町域としての三宿は池尻と三軒茶屋(太子堂)の間にある小さなエリアで、三宿1丁目と二丁目で構成されています。三宿の名は隣が三軒茶屋というのもあって、三軒の宿があった町といった印象を持ってしまいますが、「水が宿る」が訛って三宿となったというのが有力な説のようです。三宿神社もかつては井戸から水が出ていたようですが、隣の幼稚園を建てたら水が出なくなってしまったとか聞きました。

line

三宿神社は明治18年に創建された比較的新しい神社です。江戸時代には三宿村に神社がありませんでした。明治時代になり、国家神道政策、神道国教化政策によって多聞寺が廃寺となり、その跡地や毘沙門堂を利用して神社に改めたのが三宿神社の始まりです。そのときは毘沙門堂がそのまま本殿となり、堂内に安置されていた毘沙門天像もそのまま祭神として崇めていましたが、神仏分離の原則に従って大物主命に改め、更には現在の倉稲魂命に改められました。

このご神体だった毘沙門天像は、昭和20年のアメリカ軍の爆撃にも焼け残り、現在も神社に安置されています。そのため現在でも神社の前に毘沙門天の名が刻まれている門柱が建っていたり、祭礼の際に「毘沙門天」の幟が立てられたりと、地元の人にはお稲荷様でありながら「毘沙門さま」でもあり続けているようです。

line

烏山川緑道に面して三宿神社の入り口があります。隣は幼稚園で参道を入っていくと、少し上り坂となり、神楽殿のある広場に至ります。神楽殿は空襲の際に焼け残った建物の一つで、新しい神社ではありますが一応この神社で一番古い建物となります。

この広場の隅っこには、ひっそりと武者小路実篤の筆による石碑が建っています。これは昭和31年に太田道灌の江戸築城五百年を記念したもので、かなり字が薄くなっていますが、江戸城の石垣に使われた石に「過去五百年之進歩道灌不知、未来五百年之進歩我等不知、石又沈黙」と刻まれています。またこの広場にはイチョウの木が多く、晩秋になると広場一面が黄色い絨毯を敷き詰めたようになります。

line

神楽殿のある広場からさらに登ると拝殿と本殿、そして境内社の稲荷社があります。本殿は多聞寺の毘沙門堂を利用したものが最初に使われ、昭和7年には新しく建て直されました。しかしながら昭和20年の空襲で焼けてしまい、現在の本殿は昭和24年に郊外の軍需工場にあった神社の建物を譲り受け、移築したものだそうです。拝殿は昭和42年に新築したものなので、まだ新しい感じがします。

この社殿のある広場の東側はフェンスを隔てて墓地があります。これは多聞寺だった名残で、当時の墓地がそのまま残されています。現在どういう扱いになっているのかわかりませんが、神社に隣接して墓地だけが残っているのはそういった歴史的経緯があります。

line

神社の後ろ側は三宿の森公園となっています。かつて法務省の研修所などに使われてきた土地で、住民運動によって再開発を免れ、公園として整備されました。本殿のある付近は木々が茂って入れないようになっているので、鎮守の森のような雰囲気を少し感じることができます。

そのほかでは、昭和60年に社務所を新築、平成12年に稲荷社の移設、平成13年に神輿庫の新築、平成16年に神楽殿の屋根の葺き替えなど境内の整備が行われ、平成18年には境内入口に玉垣を新設し、毘沙門天の標柱を建立したりと、少しずつ整備が行われています。

*** 三宿神社の秋祭りの様子 ***

三宿神社の秋祭りの様子
秋祭りのときの入り口

やはり屋台があると賑やかな感じがします。

三宿神社の秋祭りの様子
お参りする人の列

多くの人がお参りしていました。

三宿神社の秋祭りの様子
神楽殿での奉納演芸

神楽や神前舞、奉納演芸がおこなわれます。

三宿神社の秋祭りの様子
神楽殿のある広場

結構多くの人が奉納芸能を楽しんでいました。

三宿神社の秋祭りの様子
烏山川緑道に並ぶ屋台

神社の外も賑やかです。

* 三宿神社の秋祭りについて *

三宿神社の秋祭り(例大祭)が行われるのは毎年9月22、23日で、22日が宵宮、23日が本祭となっています。宵宮は夕方から奉納演芸が行われ、本祭の日は10時から大祭式、12時から神輿渡御が行われます。かつてすぐお隣である池尻の祭礼が20、21日に行われていた事を考えると、続けて行うのが色々と便が良く、このような祭礼日にしたのかなと推測するのですが、どうなのでしょう。

23日は秋分の日として休日になる場合が多いのですが、秋分の日が23日でなかった年も日曜日だったからなのか同じ日程で行われていたので、特に秋分の日にはこだわっていない感じです。ただ今後は休日に重ならない場合は祭礼日を移動したり、22日に神輿が運行されたりするかもしれません。

line

ここのお祭りの特徴は夜に神楽殿で「狸囃子(たぬきまつり)」という神楽が奉納されることでした。過去形になってしまっているのは、神楽師(大森の池田社中)の老齢化によって平成13年(平成11年かも)を最後に現在途絶えてしまっているからです。この「狸囃子(たぬきまつり)」の神楽は、養老の滝の孝子が狸を助けたという伝説に基づいてつくられたもので、狸が登場していろいろと活躍するといったお話だそうです。

この神楽に因んで狸が三宿のシンボル的な動物として描かれることが多くなっていて、緑道や公園などに狸のオブジェをよく見かけます。今後狸囃子が復活する見込みは少なそうですが、地元小学生による狸囃子的な演技や演目などでも行われれば地域性が出ていいし、また祭りが盛り上がりそうな気もします。ちなみに現在夜の神楽殿では神楽は行われていなく、奉納演芸、もっぱらカラオケ大会が行われています。あまりこういうのは見る人が多くないものですが、ここでは結構多くの人が観覧していて盛り上がっていました。

line

ここのお祭りは神社や祭りの規模が大きくないものの、露店の数だけは多く出ます。ちゃんとは数えていませんが、25店ぐらいでしょうか。露店は境内だけではなく、目の前の烏山川緑道にも並び、夜にもなると多くの人で賑わいます。すぐ隣が幼稚園だし、小学校もすぐ近くにあるし、狭い町域だし、あまり季節的な風物詩を感じることのない地域だしと、なんやかんやと祭りの日が住民に周知され、情緒を求めて繰り出してくるといった感じでしょうか。奉納演芸のカラオケにしても意外と盛り上がっているし、お参りする人の行列もできるし、普段の静かな境内からは想像もできない盛況ぶりでした。

*** 三宿神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

三宿神社の神輿渡御
御霊移しの儀

神様を神輿に移す神事です。

三宿神社の神輿渡御
神輿の移動

境内の中はただ運んでいるだけです。

三宿神社の神輿渡御
出発前の子供神輿

多くの子供が参加し、多くの保護者が見守ります。

三宿神社の神輿渡御
大人御輿の集発

集まった担ぎ手は・・・少ないです。

三宿神社の神輿渡御
子供御輿の渡御

慣れないながらも元気よく進んでいました。

三宿神社の神輿渡御
大人御輿の渡御

人が少ないのもあって静かな渡御でした。

三宿神社の神輿渡御
太鼓車の先頭

狭い道を大挙してくる感じです。

三宿神社の神輿渡御
太鼓車の行列

とても長い行列となっていました。

三宿神社では毎年本祭の23日に宮神輿の渡御が行われます。ここの宮神輿は延軒屋根、勾欄造りで、台座は2尺と少し小振りです。建造は大正12年です。大正12年といえば関東大震災の年。なんでも浅草の神輿店に注文し、9月23日の祭礼に間に合うように神輿店が納めてくれることになっていたそうですが、完成したとの連絡を受けると待ちきれないとばかりにわざわざ自分たちで引き取りに出向いたため、9月1日の関東大震災の被害に遭わずに済んだそうです。その後も昭和20年の空襲の時、本殿は焼失したものの、神輿舎や神楽殿は何とか消失を免れたという経緯もあり、二度の災難を免れた縁起の良い神輿として三宿の自慢となっています。

line

本祭当日は10時に大祭式。12時から御霊を移す儀式が拝殿前で行われ、その後神輿渡御が行われます。神輿渡御はそのまま拝殿前から行われるのではなく、いったん神輿を神社から降ろし、神社横のスペースに移動させ、そこからのスタートとなります。渡御するのは太鼓車、子供神輿2基、そして大人神輿となります。

line

ビックリするのが太鼓車を引く子供の数。さすが隣が幼稚園だけあるなと感心するぐらい長い列となります。とはいえ三宿地域は狭い路地が多い地域です。長い列が進むのはなかなか大変で、曲がり角ではロープや子供達が角に引っかからないようにするのが大変そうでした。もちろんすれ違う通行人も大変です。

line

2基の子供神輿は太鼓車の後を元気よく進み、そして一番最後が大人神輿となるのですが・・・、担ぎ手があまりいなく、年配の方々が少数精鋭で頑張っているといった感じでした。ちょっと威勢の良さに欠けますが、オシャレな町三宿といったイメージで考えるなら、野暮ったさがなくて三宿らしいのかもしれません。その他の特徴としてはちゃんと確認していませんが、手締めが「十締め」で少し早いようです。

* 感想など *

三宿地域は世田谷でもあまり名誉ではない称号を持っています。それは区内で緑が一番少ない地域という称号です。三宿神社の付近は三宿の中でも緑が集中している地域で、神社に前には烏山川緑道、後ろには三宿の森公園があり、神社の木々と合わせると緑豊かな印象を受けてしまいます。しかしながら実際に神輿について歩くと、ひたすら住宅地、そして商店街と無機質な風景が続きます。そしてやっぱり緑が少ないんだといった事実を実感しました。

line

戦前は池尻に大きな兵隊の駐屯地があり、三宿地域には工場があったそうです。そして戦時中に空襲を受け、三宿も大きな被害を受けました。戦後は池尻とともに都心に近いこともあって、区内で最も早く宅地化が進んだ地域であります。無秩序な宅地化の結果、緑が少なくなり、路地は細く入り組みといったように少々住みにくい事になってしまいました。

line

宅地化が早く進んだことで伝統的な風習や芸能が廃れるのも早かったと想像できるのですが、平成13年まで三宿神社の特徴であった「たぬき囃子」が秋祭りで行われていたのはちょっと驚きです。しかしながら現在ではそれも行われなくなり、収穫を感謝するような農業関係者はいなく、露店ばかりが多いといったごくありふれた都会の秋祭りになってしまったなといった感想を持ちました。

<世田谷の秋祭り File.2 三宿神社例大祭 2012年8月初稿 - 2015年10月更新>