* 太子堂・三宿付近の烏山川緑道について *
かつて農業用水として区内を流れていた小規模な河川のほとんどは、周辺の地域の宅地化、都市化の影響で水量が少なくなり、川の流れが維持できなくなってしまいました。これは雨水が地面にしみ込まなくなったことで源泉となる地下水や湧き水の水量が減少し、また下水道の普及で生活用水だけではなく、雨水も流れ込んでこなくなったからです。
こういった河川は地下に流れを変える暗渠化をされ、この地下の流れの多くは下水用に転用されています。地上部は建物等を建てるわけにいかなく、緑道などに利用されています。緑道部分の活用は様々で、同じ川でも地域によってせせらぎが設置されていたり、桜並木になっていたり、特徴的な植物が植えられていたり、散策がしやすいような遊歩道になっていたりと個性や変化があり、かつての川に沿って歩くというのも楽しいです。
区内を流れていた都市河川の一つ烏山川は、二級河川で、寺町にある鴨池、正式には高源院の弁財天堂のある弁財天池が源流の1つになっていました。
烏山からは粕谷、八幡山を通り、船橋、経堂、そして世田谷の中心部付近にある世田谷城址公園、世田谷八幡神社、豪徳寺、松陰神社、太子堂円泉寺など歴史にゆかりのある寺社の近くを流れ、三宿付近で北沢川と合流して目黒川となり、最終的には東京湾に注いでいました。
1970年代以降暗渠化の工事が行われ、地下の水路は下水用となり、かつて川だった流路のほとんどが「烏山川緑道」として整備され、川としての存在はなくなりました。
緑道といえば、すぐ近くを流れる北沢川の方が区民には馴染みがあるのではないでしょうか。北沢川は烏山川に並行するような形で流れ、同じようにほぼすべての流路が緑道となっています。同じような感じの川なのですが、北沢川の方はせたがや百景や地域風景資産に多く登録されていて、烏山川は今回が初めてになります。この差は流域に住む住民の考え方の違いとかなのでしょうか。ちょっと不思議に感じます。
烏山川緑道といえば・・・、あまり馴染みがないかもしれませんが、八幡山ではじゃぶじゃぶ池があったり、船橋では桜小路といった美しい桜並木になっていたり、経堂でも桜並木になっていたり、この他にもいい風景が沢山あります。
この項目にでてくる烏山緑道は三軒茶屋と下北沢を結ぶ茶沢通りからもっと東、太子堂の下の谷の辺りから三宿にかけてになります。
ここの特徴は3つあり、一つは緑道沿いに絵陶板が埋め込まれていることです。この絵陶板は子供が描いたもので、動物や昆虫だったり、自分だったりと色とりどりの可愛らしい絵が、柱型の電灯や緑道沿いの壁などに埋め込まれています。
さすがにじっくり一つ一つ見て歩く人はほとんどいないかと思いますが、緑道のいいアクセントになっていて、この付近の緑道は楽しそうな雰囲気に感じられます。
二つ目はせせらぎが設けられていることです。せせらぎ自体は多くの緑道や公園に設置されているのでそう珍しいものではありませんが、ここのせせらぎは派手さはないけど、せせらぎの途中に高級感ある石のオブジェが設置されていて、それが緑道全体と一体感があり、とても雰囲気がいいものとなっています。
他のサイトなどの写真を見ると、夏などには水遊びをしている子供が多いようですね。三宿幼稚園なども近くにあり、子どもを連れたお母さんとよくすれ違います。いつもの緑道でといった感じで、水遊びさせているのでしょうか。
最後の一つは花壇が多いことです。しかも大きな花壇もあります。紹介文の説明に、「地域の町会、自治会、市民団体が自主管理を続けている他、小中学校の生徒による花壇づくりや清掃も行われている」とあるようにとてもきれいに管理されています。
こういった活動によって地域の憩いの場ができ、活動を通じて地域の人々の交流の場ができ、子供たちも地域活動の意義、社会貢献などを学べる場となっているようです。
現在では歩きやすく、雰囲気のいい緑道になっていますが、整備される前は舗装されていない緑道に水溜りができ、ごみの投棄も多かったようです。こういった環境を是正するために住民から整備案が出されたのですが、最初はせせらぎの設置に関しては緑道に面する居住者などから昔の汚い川の思い出がよみがえるとか、子供の声が増えて騒がしくなるなどの理由から反発があり、反対署名運動があったそうです。何事もなかなかすんなりといかないのが都会、いや今の日本でしょうか。
でも話し合いを重ねていくうちに賛成する人が多くなり、実現に至りました。そういった努力や議論の過程も結果として雰囲気がいい緑道になった一端を担っているのかもしれません。ちなみにせせらぎの水は太子堂中学校のプールの水と循環によってまかなわれているそうです。