世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.51

東玉川神社例大祭

等々力村の飛び地から東玉川町として独立し、高級住宅街として生まれ変った地域で行われる秋祭り。残念ながら訪れる人もまばらなちょっと寂しい感じの祭礼となっています。

鎮座地 : 東玉川1-32-9  氏子地域 : 東玉川1、2丁目
御祭神 : 建御名方命、大山咋尊  社格 :ーーー
例祭日 : 8月22日近くの日曜日(要確認)
神輿渡御 : なし
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 数店
その他 : 奉納演芸が行われます。

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*** 東玉川と東玉川神社 ***

東玉川神社の写真
神社の入り口

お隣は交番です。

東玉川神社の写真
社殿

渋谷氷川神社の旧社殿で400年前の建物だとか。

東玉川神社の写真
火焔龍神像

賽銭箱の上でにらんでいます。

* 東玉川と東玉川神社について *

等々力と聞くと等々力渓谷を思い浮かべると思いますが、等々力渓谷を含む等々力1~8丁目までの大きな町域を持った地域で、近年は閑静な住宅街、高級マンションが建ち並ぶ地域として知られています。かつて等々力村と呼ばれていた頃は今よりも広大な村域を持っていて、多摩川沿いの玉堤も等々力村の村域でした。更には多摩川の流路変更で取り残されてしまった川向こうの川崎にある等々力も村域に含まれていました。これだけではなく飛び地もあり、現在の玉川田園調布1丁目は等々力村六本松、そして東玉川1、2丁目は等々力村諏訪分(大平分)でした。今でも広い町域と感じますが、とんでもなく大きな村だったようです。

これが明治45年に多摩川の向こう岸は神奈川県に移され、昭和7年の世田谷区成立の際に飛び地の整理が行われ、玉川田園調布町と東玉川町が新たにつくられました。東玉川町は玉川村の東端ということで名付けられ、玉川田園調布の方はすぐお隣の田園調布の宅地開発の成功に味を占めた東急が付近の土地を買いあさり、土地開発を行い、ブランド価値のある名前という事で付けられたようです。昭和28年に隣接する町と町域変更が行われ、昭和45年に新住所表記が行われ、その際に丸子川以南の地が玉堤町として分離され現在に至ります。

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このように東玉川町は元々は等々力村の飛び地で、世田谷のほぼ最南端に位置し、北側は世田谷の奥沢本村に接しているものの、残りは下沼部村、雪ヶ谷村といった他の地域に囲まれているといった世田谷の辺境の地といった立地となっています。

元の字は諏訪分。この呼び名はこの地に諏訪社という神社があったから付けられたと言われていますが、別に大平分という呼び方も残っています。奥沢城を守っていた大平出羽守が天文二十年(1551年)に世田谷城主の吉良頼康からこの地を開発するように命が下り、開墾され、砦がここにあった名残だと言われています。それはやはり世田谷の一番の外れといった立地を考えれば納得してしまいます。

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諏訪分は、明治以前は民家が10戸程の小さな村だったようです。それでも村には諏訪社があり、この地域の鎮守となっていました。新編武蔵風土記稿によると、「勧請年月を詳にせず。社2間に9尺、同村西光寺の持なり。」とあります。小さな堂宇が江戸時代からあったのは確かなようです。

明治22年に等々力村を含む8ヶ村が合併して玉川村が作られ、この地は荏原郡玉川村大字等々力字諏訪分となります。そして明治42年には政府の合祀令によって本村の熊野神社(現在の玉川神社)に合祀されることとなります。大正12年には目蒲線、池上線が開通し、移住者が増えていきます。

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昭和4年頃には住民が増え、諏訪社再興の声が起こります。ちょうどこの頃、玉川全円耕地整理も始まり、諏訪社の跡地を境内地としてまず確保しました。昭和7年には世田谷区に所属した事で、等々力村から独立し、東玉川町となります。昭和14年には前年に社殿を新築した渋谷氷川神社の旧拝殿を、翌年には旧本殿を譲り受けることとなります。この社殿は約400年前の寛永年間(1624~44)に建てられた建造物です。

しかし府庁の許可が下りなかったため、やむなく府庁と協議の上、昭和16、17年に上野毛、或いは野毛の日枝神社を移転遷座するという形をとり、新しい地名に因んで東玉川神社と改称しました。この日枝神社は寛永年間(1624~44)井伊直孝が近江国の日吉大社より勧請したものだとか言われていますが、詳細は不明です。というよりそんな立派ないわれがある神社があるならその地域の村社になっているような気もするのですが、どうなのでしょう。

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現在の神社は閑静な住宅街の中に埋まっています。時代は流れて付近は昔では想像もできないような高級住宅街となってしまいました。おかげで多くの人が暮らす町域になったものの、神社が賑わっているかというと、あまりそういった雰囲気は感じません。何度か訪れたものの、神社の掲示板にはいつも駐車場募集の張り紙が貼ってある始末で、社殿の横の敷地にある神楽殿前は駐車する車で埋まっているといった廃れた状態です。色々と内情が大変な事になっているのかもしれません。

社殿は平成21年に世田谷区の有形文化財に指定されています。社殿自体立派なのですが、拝殿の向拝の天井、要は賽銭箱の真上に見事な火焔龍神像が水墨で描かれている事もここの特徴となっています。これは弘化二年(1845年)に萬遷によって描かれたもので、あたりを祓う高位尊厳と、龍気のすざましさが火焔となって立ち昇り、邪悪を祓う御姿となっています。きっとこの迫力ある龍ににらまれたら賽銭泥棒は逃げて行くに違いありません。というより、そもそも神社のお隣が交番なのでそういう心配はないのかもしれません。

*** 東玉川神社の秋祭りの様子 ***

東玉川神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの様子

小さな子供のための縁日といった感じです。

東玉川神社の秋祭りの写真
社務所内での奉納演芸

あまり混雑していませんでした。

東玉川神社の秋祭りの写真
野澤松也さんの演奏

重要無形文化財保持者です。

* 東玉川神社の秋祭りについて *

東玉川神社の例大祭は8月22日に行われてきましたが、現在では週末に移され、8月22日前後の日曜日になっています。8月の第三日曜日、もしくは第四日曜日といった感じです。祭礼に関してはほとんど情報がないのでよく分かりませんが、例大祭は毎年11時から社殿で行われているようです。

その他、神輿はなく、境内に露店はなく、地域の人が子供のために金魚すくいなどの店を出しているといった感じです。後は奉納演芸となるのですが、これは年によってまちまちのようです。2013年は16時から落語、18時から怪談話が行われていたようです。2010年には歌舞伎の舞台で義太夫三味線方を務め、重要無形文化財保持者である義太夫三味線奏者、野澤松也氏の実演が行われるというので見てきましたが、素晴らしい演奏でした。混雑していないし、距離も近いし個人的にはえらく満足したのですが、子供たちには難しかったかもしれません。でも、ある意味なかなか豪華な奉納演芸ということになりますね。

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少し過去の事を調べてみると、2006年の祭礼では神楽殿を使って19時からライブの演奏を行っていたり、境内には露店も出ていたりと、ちょっと賑やかな感じの祭りとなっていました。参拝客が少なくなってしまったのか、資金繰りが厳しくなったのか、近隣からの苦情がきたのか、氏子の間で色々と揉めたのか分かりませんが、現在では子供会といった感じでひっそりと行われる祭りとなってしまい、ちょっと寂しい状態です。

* 感想など *

とても小さなお祭りだな。町域が住宅街ばかりだからしょうがないのかな・・・といった感想でした。東玉川は新しい町です。そして宅地開発のために生まれた町でもあります。東玉川神社は古くからあった諏訪神社の生まれ変わりとなるのでしょうが、町自体が等々力村から独立し、新しく生まれ変っているので、古くからの独自の文化といったものはほとんどありません。そういった町の事情を考えると、秋祭りが小さな縁日状態になっているのはしょうがないことなのかなと思えます。

でも奉納演芸の内容は落語だったり、歌舞伎の三味線だったりとなかなか渋いです。子供たちに古くからの伝統文化を知ってもらおうといった神主さん考えのようですが、こういった人たちを当り前のように呼べるというのは神主さんの人脈だったり、人柄だったりするんだろうなとお話を聞いて思った次第です。

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東玉川神社の祭礼を見て思った事を少し書くと、世田谷の高級住宅街といえば成城をまず思い浮かべる人が多いかと思いますが、成城は世田谷区に編入した昭和11年に喜多見村と祖師谷村から分けられて新しく作られた町です。成城地域にはもともと神社がなく、旧町域の神社が氏子地域となり、成城内では秋祭りは行われていません。旧町域となる喜多見や祖師谷の神輿も今では少し成城に入る程度です。そういった事情を見ているとかつては秋祭りをもって村民が心を一つにしていたものですが、新興高級住宅街では秋祭りがなくても困っていないというのが正直なところかもしれません。

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かといって暮らす住民の関係が全くつながりのないというわけではなく、自治会として町の景観やルール作り、防犯などといった話し合いは盛んに行われています。神頼みや酒盛りよりも現実的な話し合いが町の為、強いては自分の暮らす環境のためになるというのが、新しく作られた新興住宅街の事情のようです。

かつて秋祭りは収穫を祝う祭りでした。そして対になるように春先に豊作を願う神事や予祝行事が行われてきました。自然災害にあまり影響されなく、農業をしない都会の住民にとっては秋祭りは雰囲気を楽しむイベントでしかありません。そういった住民が増えている世田谷区内では、全ての神社ではありませんが、多くの祭りで徐々に規模が縮小しているのというのが実際です。東玉川神社の祭礼はそういった新興住宅街の典型的な例になるのではないでしょうか。

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<世田谷の秋祭り File.51 東玉川神社例大祭 2013年10月初稿 - 2015年10月更新>