世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.34

石井戸祭り

大蔵村村社に合祀された石井戸地区の神様が1年に1度地元に戻ってくる祭り。

鎮座地 : 大蔵6-6-7(大蔵氷川神社境内)  
祭礼地 : 大蔵5-18-19(石井戸公会堂)  氏子地域 : 大蔵5丁目
御祭神 : 火産霊神  社格 : ーーー
例祭日 : 9月最終日曜と前日
神輿渡御 : 宮神輿、太鼓車、トラック山車
祭りの規模 : 小規模  露店数 :数店
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 石井戸と愛宕神社 ***

愛宕橋と愛宕山の写真
愛宕橋と愛宕山

手前を流れるのは仙川です。

弁財天の鳥居の写真
弁財天の鳥居

鳥居の奥に弁財天、更に奥に御嶽神社があります。

御嶽神社の写真
御嶽神社

かつてはここに愛宕神社があったはず

愛宕神社の写真
氷川神社の境内社

左が愛宕社で右は7つ宮。

* 石井戸と愛宕神社について *

かつて大蔵村はとても広く、北部の砧、そして南部の鎌田や玉川の一部を含む地域でした。世田谷村に匹敵するぐらいの広さを持っていたとも言えます。その大蔵村で古くから栄えていた地域は二カ所あり、一つは大蔵村の中心部であり、大蔵氷川神社や永安寺を中心とする本村。そしてもう一カ所が石井戸です。石井戸は石井土とも書かれ、本村の北側、仙川を中心にした水田谷地域で、だいたい現在の大蔵5丁目になります。地元の人に聞くと高速の北とか南といった言い方をすることが多く、東名高速道路の高架がこの地の現実的な境界線となっているようです。

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石井戸は世田谷城主の吉良氏に属する平家系統の石井兼実が吉良氏と共に関東にやってきて代々この地に暮らしたからその名が付いたという説と、「江戸名所図会」では、仁治元年(1240年)に石井石見守兼周が鎌倉幕府より武州石井郷を賜って移り住んだとあり、この石井郷は明暦年間(1655~57年)の頃、大蔵邑と共に多摩郡の内に加えられ、大蔵村の小名となったと書かれています。どちらが本当なのか分かりませんが、どちらにせよ古くから中心となる人物がいてそれなりの集落を形成していたことが伺えます。

これだけなら「石井」といった地名になったはずですが、石井戸と付いているのは、この付近は仙川が大地をえぐるように流れていて、両岸とも国分寺崖線のように急な斜面になっています。その斜面の下には随所に泉が湧き出て、仙川に流れていました。そういった土地柄を表し、石井と井戸をかけて石井戸になったようです。

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面白い逸話も残っていて、「大蔵の名水青病をなおす」といった話で、江戸時代、世田谷で青病が流行し、各村の名主たちが代官の屋敷に集まって解決法を相談してもいい知恵は浮かびませんでした。しかし不思議なことに大蔵村の石井の井戸水(湧き水)を飲むと青病にかからないと言うではないか。この話が噂となり、石井の井戸水を飲むと青病にかからない、不治の青病が治るというので近くの村から人々が桶や、とっくりを持って石井戸の水を貰いに来たそうです。しかも大蔵や石井戸の人々は訪れる人たちにお粥などを気前よく振る舞ったとか。大蔵、石井戸は水が豊かで、人々は気前がいいといった村民性を表す話となるようです。

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こういった水が豊かな石井戸には大蔵の本村とは別に氏神を持っていました。それは愛宕さんを祀る愛宕神社です。歴史についてはよく分かりませんが、大蔵氷川神社に残っている棟札の中に永禄八年(1565年)もので、「武蔵国荏原郡石井土郷大蔵村氷川大明神四ノ宮」と記されているのがあります。

昔は氷川神社を祀っていたようです。これが愛宕神社の前身なのか、新たに勧請し直したのかは分かりませんが、明治41年には合祀令により大蔵氷川神社に移されました。仙川に架かる愛宕橋がその名残りとなります。愛宕神社があったのは仙川の東側の斜面で、この付近は茅刈り場となっていたそうです。現在でも大蔵3丁目公園などから湧き出る水が流れる小川が流れ、とても静かな場所です。

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合祀後には御嶽講も盛んな地域だったので御嶽神社よりミタケサンを勧請し、祠に祀られています。合祀以前にもこの場所には小さいミタケサンの祠があったようですが、愛宕神社の境内社といった感じだったのでしょうか。資料がないのでわかりません。

このほかにも石井戸には五穀豊穣を祈る神社として石井神社がありました。これは現在の世田谷通りの北側の団地内の斜面に跡地の碑が建てられています。妙法寺境内にも地域内にあった稲荷社が移され、初午祭が今でも執り行われていたりと、大きな神社はないものの、人々の心には神様がいて、素朴な神事や風習が守られている地域であります。

*** 石井戸祭りの様子 ***

石井戸祭りの写真
秋祭りのときの公会堂

舞台が設置されて、いちおう賑やかな感じです。

石井戸祭りの写真
石井戸囃子の獅子舞

子供たちも興味津々といった感じでした。

石井戸祭りの写真
人形劇の上演

とてもいい雰囲気に包まれていました。

石井戸祭りの写真
人形劇

手作りのものです。

* 石井戸祭りについて *

石井戸祭りが行われるのは9月の最終日曜日とその前日です。本村の大蔵氷川神社が10月第一日曜日に神輿渡御が行われるので、その一週間前といった設定になっているようです。かつては広大な大蔵村の一部として本村の氷川神社と一緒に祭礼を行っていましたが、砧に三峯神社ができたことで砧の氏子が脱退し、横根も新たに神社を勧請し、鎌田との町域変更で南部地域を失いと大蔵の本村の祭礼は規模が縮小していきました。

石井戸は他とは違って神社自体はまだ大蔵氷川神社の境内にあるので、わざわざ独自に祭礼を行うこともないとも言えますが、やはり自分たちの神様で祭礼を行うのがいいと、お囃子が設立された昭和35年頃に石井戸祭りを始めたそうです。

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石井戸には神社がないので石井戸公会堂を仮屋として行われます。突っ込んではいけないのでしょうが、公会堂と名が付いていますが、平屋建ての小さな集会所です。まるで山間にある小さな集落で行われているかのような雰囲気です。ここでは夏にも盆踊りが行われていて、石井戸地域のコミュニティーの場となっています。

祭りは宵宮と本祭と二日間行われ、土曜の宵宮は夕刻にお囃子の演奏が行われます。日曜の本祭は午前中に祭礼が行われ、12時半にお神輿が出発し、16時過ぎぐらいに戻った後、18時くらいから奉納演芸が行われます。例年、人形劇とお囃子となり、空くじなしの福引きも行われます。

人形劇はいいです。とても懐かしいというか、暖かい雰囲気に公会堂が包まれます。聞きそびれてしまったのですが、たぶん地元の婦人会によるものだと思います。使用している人形や舞台道具は手製のもので、上演が終わると触らせてもらえます。祭礼以外でも児童館などで上演を行っているそうです。なんていうか、これぞ昔ながらの奉納演芸といった雰囲気で、たまりません。

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宵宮や本祭での囃子や、神輿渡御の先導を努めているのは大蔵石井戸囃子保存会です。大蔵石井戸囃子保存会は、昭和36年8月大蔵囃子の長老である石井倉蔵氏を師匠とし、発足した囃子会です。平成23年に訪れたときにはちょうど50周年を迎えたようで、50周年を祝う文字があちこちに書かれ、お囃子の方も盛り上がっていました。結構子供たちにも人気で、楽しんで見ているようでした。こういう様子を見ると更に地方っぽく感じてしまいます。

大蔵石井戸囃子は地元の祭礼や区の郷土芸能大会以外にも代田八幡神社の祭礼でも活躍しています。代田の囃子は戦後途絶えてしまったのですが、なんでも太平洋戦争中に代田と大蔵の祭礼関係者が同じ部隊だったそうです。そういった縁で代田のお囃子を努めることとなり、ずっとその絆がつづいているそうです。また、砧小学校3年生にお囃子の指導もしているようです。

*** 石井戸祭りの神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

石井戸祭りの神輿渡御の写真
出発式

出発前の挨拶など

石井戸祭りの神輿渡御の写真
いざ出発

 

石井戸祭りの神輿渡御の写真
宮出し

素朴感満点です。

石井戸祭りの神輿渡御の写真
太鼓車

のんびりと町域を散歩といった感じです。

石井戸祭りの神輿渡御の写真
神輿渡御

狭い地域とは言え坂が多いので大変です。

石井戸祭りの神輿渡御の写真
坂を登る

石井戸最高地点を目指して登ります。

石井戸祭りの神輿渡御の写真
神輿渡御

とても楽しそうに担いでいました。

石井戸祭りの神輿渡御の写真
神輿

古めかしい感じのものです。

石井戸祭りでは神輿が運行されます。神社がないので宮神輿ではなく、町会神輿といった区分になるのか、はたまた大蔵氷川神社所有の宮神輿といった区分になるのかはよく分かりませんが、一応仮屋から宮出しされて、仮屋に宮入するので宮神輿なのかなといった扱いです。

神輿は小振りの年季の入ったもので、駒札は大蔵石井戸が掲げられていました。尋ねると何度か買い換えているからそんなに古くはないとのことです。ちょうど訪れた年は本村(氷川神社)から担ぎ棒をもらったので、大勢で担げるようになったと喜んでいました。

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神輿渡御は12時半に石井戸公会堂を出発します。石井戸囃子を乗せたトラック山車、子供たちが引っ張る太鼓車、そしてお神輿の順で練り歩きます。氏子町域が大蔵5丁目と 4丁目のごく一部なので、そこまで気合を入れて歩き回る必要はないものの、結構坂が多いので大変です。担ぎ手はそんなに多くなく、本村からの応援も多いようでした。

この付近の神社のどこでもそうですが、担ぎ手が少ないのでお互い様といった感じで、相互に応援に行ったり来たりし、のんびりと楽しく担いでいるといった感じです。石井戸の祭りを見る限りでは、本村とはお囃子も共有しているし、担ぎ棒などももらっているし、応援の担ぎ手も多いし、普段から懇意な関係を保っているのが伺えます。宮入は16時過ぎぐらいでしょうか。田舎と一緒でだいたいといった感じでスケジュールが進みます。

* 感想など *

とても小規模な祭礼で、付近の住民や子供たちが集まってくるといった感じです。しかも平屋の集会所で行われるものだから、どこかの地方、それもかなり小規模な集落で行われているような感覚になってしまいます。更には人形劇なんて上演されてしまうと、時代錯誤に陥ってしまうことも。独特の雰囲気と味わいがあっていいのですが、正直言ってあまりにも小規模過ぎて部外者には長居しにくいというか、ちょっと居づらい部分もあります。

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石井戸祭りの日は地元の人たちにとっては年に1度石井戸に神様が戻ってくる日でもあります。他の人間から見ると同じ大蔵ではないか。すぐ目と鼻の先ではないか。氷川神社の神輿が石井戸を回れば同じ事ではないかと思ってしまいますが、やっぱり自分のところで神様を独占できるのはうれしいし、きちんとした形で神様が石井戸に戻ってくる事がやっぱり地元の人にとってうれしいのです。

元々どこの地域でも祭礼自体が特別な日になるのですが、ここでは更に特別な日となるようで、自然と人々から笑みが漏れてくるといった感じでした。そういった目に見えない何かしらの特別な力が神様の力なのかもしれません。そしてその力は石井戸地域の絆を結び、結束を強めているのも確かなようです。神様が戻ってくるからこそできる祭礼であり、生まれる地域の絆。やっぱり神様は地域をまとめる鎮守といった存在なんだなとと思えるような祭礼であり、何か特別な人間と神様の関係を感じられたような気がしました。

<世田谷の秋祭り File.34 石井戸祭り 2013年9月初稿 - 2015年10月更新>