世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.31

船橋神明神社例大祭

常に多くの子供の声が響いているような明るい雰囲気で行われる祭り。船橋で生まれた船橋流の囃子は有名です。

鎮座地 : 船橋4-40-17  氏子地域 : 船橋1~7丁目など
御祭神 : 天照皇大神、倉稲魂命・天児屋根命(相殿)  社格 : 旧船橋村村社
例祭日 : 9月最終日曜と前日
神輿渡御 : 宮神輿、太鼓車、子供神輿、山車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 旧船橋村と船橋神明神社 ***

船橋神明神社の写真
神社の入り口

緑が多い境内です。

船橋神明神社の写真
参道

並木になっています。

船橋神明神社の写真
社殿

平成4年に建て直されたのでまだ新しいです。

船橋神明神社の写真
末社の六つ宮

こちらも社殿と同じで新しいです。

* 旧船橋村と船橋神明神社について *

船橋は小田急線の千歳船橋駅から北側に広がり、西を環八、北を旧滝坂道に囲まれた地域です。船橋といえば、言葉の意味として川や湾に船(筏)を何艘も繋げて人が渡れるようにした浮橋のことを差します。しかし海や船が行き来する川がある場所ならともかく、そういったものがない内陸の地に船橋という地名があるのも変な感じがします。

地名の由来について調べてみると、はっきりとしたことは分かっていませんが、幾つか説があり、昔は烏山川周辺は船橋池を含む広い湿地帯で、そこを渡るために船橋が架けられていたという説や、佐野景綱という豪族の子の船橋春綱という人が下野の国に住んでいて、その子孫にあたる船橋吉綱の一族が移り住んだので船橋と呼ぶようになったという説もあります。

その他にも説がありますが、烏山川周辺が湿地帯だったのは事実であり、その他の説の信憑性も微妙なところなので、湿地帯に筏を繋げたような浮き橋がかかっていたというのが一番しっくりくる気がします。ちなみに船橋と聞けば千葉にある船橋がまず思い浮かぶかと思います。駅名は同じ駅名はなるべく使わないので、後から開通した小田急線の駅名はかつて千歳村船橋だった名残で千歳船橋になっています。

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最初に船橋の名前が出てくるのは、天文二十二年(1553年)に吉良頼康が家臣の大平精九郎に与えた土地の文章に「施沢(廻沢)之内船橋谷」といった文字があります。その頃は現在の千歳台は廻沢村という名で、船橋や粕谷、八幡山は廻沢村に含まれていたと考えられています。

この後、村としての整備されたのか、文禄元年(1592年)に吉良氏がこの地を去った後、この地を治めるようになった徳川家康から旗本山本与次左衛門に船橋領72石が知行されています。享保14年(1729年)には山本氏の子孫が不祥事を行い、領地は没収され、以後幕末まで天領となります。

明治になると廻沢など周辺の村と共に千歳村に所属し、昭和2年には小田急線が開通します。小田急線の開通で駅前の人口が少し増えますが、烏山川流域の田と畑、そして雑木林がほとんどの農村のままでした。本格的に住宅街となるのは戦後になってからです。品川用水が埋められ、湿地帯や水田となっていた烏山川が整備され、田や畑、雑木林の宅地化がどんどん進みます。環八が開通した後の昭和44~46年にかけて大きく町域変更が行われ、環八より西は千歳台に編入されました。

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船橋村の氏神は船橋神明社です。創建年代や由緒は不詳ですが、先に書いたように文禄元年(1592年)に旗本山本与次左衛門が船橋を知行されていますが、その時にこの地に移り住み、神明社と隣の宝性寺を建立したのではないかと推測されています。

境内にあるものでは天保十年(1839年)建立の石鳥居が一番古いものとなるようです。明治6年に村社に指定され、大正15年(1926)には社殿の改築を行い、昭和40年に社殿の屋根を銅板葺にするなど修理され、その時に社務所、神楽殿が建設されました。

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平成2年には放火によって全焼。神社に備え付けられている案内板によると、過激派ゲリラの時限発火装置によって放火されたとあり、その物騒さに驚いてしまいます。平成の年号になったばかりの頃なので、天皇制反対といった類のゲリラなのでしょうか。

平成4年には氏子などの多くの奉賛により鉄筋コンクリート神明造、銅板葺の新社殿が建設されました。現在の社殿です。平成19年には古い石鳥居に変わって現在神社の入り口にある大鳥居が建設されました。社殿横の末社、六つ宮には稲荷社、天神社、厳島社、津島天神社、三峯社、御嶽社が祀られています。

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現在の神明社は放火があったなんて思い浮かばないような落ち着いた雰囲気の神社です。特に鳥居をくぐってから社殿までの参道に植えられている松などの木々が重厚な感じを醸しだし、社殿の横にあるイチョウなどの木々も秋になると彩りを加えてくれます。

神社のすぐ隣は船橋不動、宝性寺で緑豊かで落ち着いた一角となっているのですが、船橋小学校の隣でもあるので、普段の平日は子供の声が常に聞こえてくるような賑やかな感じなのかもしれません。

*** 船橋神明神社の秋祭りの様子 ***

船橋神明神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの入り口

入り口に出店や提灯がないのはちょっと寂しいです。

船橋神明神社の秋祭りの写真
社殿

人で埋まっていました・・・

船橋神明神社の秋祭りの写真
賑わう参道

夕方になるとかなり混雑します。

船橋神明神社の秋祭りの写真
境内の様子

露店が並んで賑やかな感じです。

船橋神明神社の秋祭りの写真
手作りの出店

綿菓子が50円です♪

船橋神明神社の秋祭りの写真
船橋囃子保存会

特設舞台での演奏です。

船橋神明神社の秋祭りの写真
奉納演芸のマジック

プロによる演目です。

船橋神明神社の秋祭りの写真
神楽殿での奉納演芸

青年会のコント?だったはず

* 船橋神明神社の秋祭りについて *

船橋神明社の祭礼はかつて10月5日に行われていましたが、今では9月最終日曜日に本祭、前日の土曜日に宵宮が行われています。あまり祭礼日に最終週末といった表現は使わないのですが、年によっては9月は第五週末まであるので、10月1週に行われる行事の兼ね合いとかで最終週末といった設定をしているところはたまにあります。

祭礼は宵宮の日は18時よりビンゴゲームが行われたり、お囃子が演奏されたりします。大祭の日は朝からお神輿が町内を回り、神社では祭事や余興が行われます。余興は年によって違うようで、昼間に1部、夜に2部といった時もあれば、夜だけの時もあります。内容は歌や舞踊、マジックなどが中心のようですが、巫女舞などが行われることもあるようです。

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ここの祭礼で驚くのは、境内に子供が多いことです。いや子供だらけといった方がいいかもしれません。神社のお隣が小学校だけはあるなといった感じです。子供たちのお目当ては神輿やお囃子・・・、ではなく、境内に多く並んでいる露店です。どれも地元の自治会とかボーイスカウト、PTA、小学校の関係の団体のものなので、値段が異常に安く、安心して食べたり、遊んだりできます。そのため、昼間は神社の祭りと小学校のイベントが重なったかのような雰囲気に感じる事があります。

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船橋の祭りと聞けば、囃子を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。区内の祭礼を巡っていても船橋のお囃子に対して強い印象を受けることはないのですが、府中など東京の西部の祭礼を見学すると、お囃子が乗った山車に掲げられている提灯に船橋流と書かれていることがあります。

この船橋流はここ船橋の囃子の流れを汲むものです。例えば府中囃子では、目黒流と船橋流の二つの流派があり、大國魂神社の西側が目黒流、東側が船橋流といった具合に分かれています。このように各地で船橋流を受け継いでいるお囃子が活躍しているので、船橋といえば船橋流のお囃子とか、お囃子が盛んな地域といった印象を持つ人もいるかと思います。

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なぜ船橋流がそんなに有名なのか。世田谷の囃子は、江戸時代後期の文化年間(1804~17)に世田谷八幡宮の宮司であった大場増五郎が、当時流行っていた神田囃子を世田谷村に広めたのが一つの流れで、もう一つは大井に伝わる大井囃子が多摩川流域から伝わり、等々力、瀬田、岡本、喜多見などに広まりました。

お囃子は各地域で熟成されていき、そして江戸末期から明治初期頃に船橋村に内海軍次郎という当時関東一のお囃子の名人と言われる人物が現れます。内海氏は大場直伝の囃子をさらに改良して船橋流を興し、各地で船橋流の囃子を指導しました。そして府中や調布で指導した弟子が今度は立川や八王子に指導してと船橋流がどんどんと西へ伝播していったのです。

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あまり詳しくは知りませんが、現在では昔のような周辺にその名が轟くようなお囃子が行われているといった事はないようです。というより、内海氏が別格で、船橋流というより内海流と呼ぶべきものだったのかもしれません。

現在、祭礼では境内に設けられた特設ステージでお囃子が演奏されるのですが、高い舞台で演奏する様子はなかなか格好いいです。そういったシチュエーションがいいのか、演奏がうまいのか分かりませんが、足を止めて聞いている人が多いように感じました。ここでは船橋囃子保存会の他にも、たまに合同練習をしている廻沢や烏山のお囃子も応援でやってきて演奏を行うこともあるようです。

*** 船橋神明神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

船橋神明神社の神輿渡御の写真
運行前

子供が多いです。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
出発前の式典

挨拶や半纏合わせが行われます。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
太鼓の演奏

宮出しに華を添えます

船橋神明神社の神輿渡御の写真
御太鼓

なかなか大きな太鼓です。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
子供神輿の出発

元気よく担いでいました。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
大人神輿の出発

子供たちがいなくなった後での出発です。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
参道を進む高張りと神輿

 

船橋神明神社の神輿渡御の写真
お囃子のトラック山車

船橋囃子保存会が努めます。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
渡御の様子

お囃子山車、弊、高張り、神輿と続きます。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
台車で移動中

遠くから見ると分からなかったりします。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
宮入してきた神輿

夜の参道は混み合っていて大変です。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
お囃子

宮入を盛り上げます。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
お囃子へ向かう神輿

境内を三周します。

船橋神明神社の神輿渡御の写真
最後の収め

担ぎ足らないのかなかなか収まりませんでした。

船橋神明社では毎年神輿渡御が行われています。年によって違うかもしれませんが、10時半に宮出しが行われ、夕刻の18時に宮入します。ただ私が訪れたときは張り切りすぎているようで、19時の宮入となっていたりと、例年18時半から19時ぐらいになる感じのようです。神輿渡御はお囃子を載せたトラック山車、昭和6年製作の御太鼓、子供神輿に高張り提灯と昭和30年頃に建造された大人神輿です。境内に子供の姿が多いので、子供神輿や太鼓引きも盛況でした。

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神輿渡御は朝10半頃に社殿前で挨拶や注意事項等の説明があり、応援の方々の半纏合わせが行われます。応援は周辺の神社の睦会が大半です。宵宮でも子供だらけだなと感じたのですが、この場でも子供が多く、式の最中も走り回っていたりします。

乾杯の後、太鼓車と子供神輿が出発していきます。その後、広く、静かになった境内で大人神輿が出発します。軽く揉んだだけで参道に向かいます。この時、境内では太鼓の演奏が行われ、宮出しの華を添えます。宮出した後は太鼓と子供神輿、お囃子と大人神輿で分かれていたので、所々別々に渡御するのかもしれません。

結構長い時間の渡御となり、船橋も意外と広い地域なので、場所によっては台車を使って移動します。台車を使うと楽ちんなので、担ぐまねをして笑顔でかけ声をかけていました。隣で見ていた子供連れの若いお母さんは、「○○ちゃん、お神輿が来るよ。」 で、近づくと、「え~、お神輿が車に乗ってるよ・・・」と絶句していて、吹き出しそうになってしまいました。知らない人にはかなりショックな光景だったようです。

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夕方18時半頃、宮入が行われます。子供神輿と太鼓は先に戻っているので、大人神輿だけです。この頃になると朝に比べて担ぎ手が増え、境内も家族連れや友人連れの参拝客で溢れ、熱気あふれる中で宮入が行われます。ここで厄介なのは子供が多いことです。警備というか、担当の人はチョロチョロと境内を走り回る子供を制御するのにてんてこ舞いです。

それでもここの神社は社殿前に広いスペースがあるのでロープでガチガチに規制するほどでもありません。参道から入ってきた神輿は社殿前の広場を社殿、お囃子車、神楽殿、手水舎の順で3度回り、最後に社殿前で収めます。やはりある程度広いスペースがあると担ぎ手たちも楽しそうですし、見ている方も楽しいです。

* 感想など *

過激派による放火に遭うなど悲しい過去を持つ神社ですが、今ではそういった事を感じさせないような雰囲気のいい神社に復興しています。秋祭りもとても明るい雰囲気で行われていました。やっぱりそう思えるのは子供が多いからでしょう。子供が多いと雰囲気がガチャガチャした感じとなり、境内を歩いていても落ち着かない感じも受けます。でもそういった子供たちの様子を暖かく寛容に見守る役員の姿などがほほえましく、全体的な雰囲気として明るく感じるのかもしれません。

それに子供だけではなく、若い人も元気です。若い人は下っ端だから言われたことをやればいいやというよりも、子供たちから見ればお兄さんお姉さんであるから、積極的にお祭りに参加している印象を受けます。役員の人も神輿の宮入の写真を撮っていたら神輿よりも俺の写真を撮れよ。と言ってくるような明るい人たちで、お祭りのことは若い者に任せて年寄りはそれを見守るのを肴にして酒を飲んでいればいいといったおおらかな雰囲気がここの祭りにはありました。

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船橋と聞くとお囃子を思い浮かべる人もいるかと思います。演奏を行っているときの聞き手の多さや近くのお囃子団体が来て演奏していく様子など、今でもここの祭りの特徴となっているのは確かですが、今ではお囃子の音よりも大きく子供たちの元気のいい声が響いているのが船橋の祭りの特徴です。

少子化が進み、こういった祭りなどに参加する子供が減っている中、これだけ多くの子供が参加する祭りは船橋の誇りであり、この地域を開拓した際に名付けられた希望ヶ丘の名のように未来に希望の持てる祭りなのかなと感じました。

<世田谷の秋祭り File.31 船橋神明神社例大祭 2013年8月初稿 - 2015年10月更新>