世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.29

祖師谷神明社例大祭

おひねりが飛び交う中、ウルトラマン商店街を古式に則った神輿が渡御する様子はとても賑やかで興味深いものです。人情味があり、どことなく昭和の時代を思い出させてくれる神輿渡御や祭りです。

鎮座地 : 祖師谷5-1-7  氏子地域 : 祖師谷1~6丁目、成城7~9丁目など
御祭神 : 天照皇大神  社格 : 旧下祖師谷村村社
例祭日 : 10月第二日曜と前日
神輿渡御 : 宮神輿、太鼓、山車
祭りの規模 : 中規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納神楽、奉納演芸が行われます。

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*** 旧祖師谷村と祖師谷神明社 ***

祖師谷神明社の写真
神社の入り口

祖師谷通りから大石橋へ向かう道沿いにあります。

祖師谷神明社の写真
石灯籠と参道

近年整備されたのできれいです。

祖師谷神明社の写真
社殿

古い感じのする建物です。

祖師谷神明社の写真
境内にある祖霊社

昭和23年に建てられたものです。

祖師谷神明社の写真
稲荷森稲荷神社

社殿の左にあります。

祖師谷神明社の写真
三峯神社と稲荷社

社殿の右側にあります。

祖師谷神明社の写真
三社宮神前燈籠

古い灯ろうです。

祖師谷神明社の写真
庚申塔と水盤

微妙な屋根が取り付けられています。

祖師谷神明社の写真
庚申塔と旧熊野神社敷地

釣鐘池付近にあります。

祖師谷神明社の盆踊り大会の写真
盆踊り大会

商店街主催の盆踊り大会です。

祖師谷神明社の盆踊り大会の写真
盆踊り大会の時の参道

露店が並び賑やかです。

* 旧祖師谷村と祖師谷神明社について *

小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅から北側に広がっているのが祖師谷です。祖師谷はかつて下祖師谷村だった地域で、更に北側にある上祖師谷とは一つの大きな祖師谷村を形成していました。祖師谷村が上下に分かれたのは元禄八年(1695年)の検地の時で、元禄十一年以降は幕末まで両祖師谷とも天領でした。祖師谷の名前は、昔この地に地福寺があり、この寺に祖師堂があった事に因んでいるのではと言われています。

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祖師谷村の氏神様は明治6年には村社に指定された祖師谷神明社です。祖師ヶ谷大蔵の駅から北に続いている商店街通り(祖師谷通り)を延々1km程歩いた村の外れ的な場所にあり、なんて不便な場所にあるんだろうと感じる人が多いようです。

しかしこれは小田急線が昭和2年に開通してから駅に近い南側、祖師谷村で言うなら南端が急速に発展していったのでそう感じるだけで、それまではこの神明社の西側、或いは北側が祖師谷村の中心地でした。それは農業を行う上で重要な水利に恵まれていたからです。北側には湧き水が豊富な釣り鐘池、そして神明社の西側を流れる仙川、そして仙川にかかる大石橋付近は田に適した平地だったので、この付近に人家が集まり、村の中心となっていました。

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祖師谷が発展していくのは戦後になってからで、急速に宅地化が進んでいきます。田畑がどんどんと宅地や集合住宅に変わっていき、人口の増加に比例して駅前はどんどんと商店が並んで賑やかになっていきました。

昭和31年に誕生した公社祖師谷住宅はその象徴とも呼べるものです。昭和45~46年にかけて大規模な区画整理が行われます。その際に仙川から西の地(今の成城7~9丁目辺り)が祖師谷から新たに設立された成城町に変わります。千歳台2丁目付近も祖師谷から変更され、祖師谷は以前よりも小さな地域となってしまいました。

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昔の下祖師谷村には小字の何カ所かに地域の氏神様がありました。明治10年の神社調書には「神明社、八幡社、稲荷社を合わせて三社宮とする」とあり、現在神明社の参道にある嘉永二年(1849年)の灯籠にも三社宮神前燈籠の文字が入っています。社殿も真ん中に神明社の天照皇大神、左に稲荷社の倉稲魂命、右に八幡社の仁徳天皇が祀られています。

明治43年には合祀令により熊野神社が合祀され、本殿内右側に祠、左側に八相殿の祠が祀られています。更には境内には向かって社殿の左側に熊野神社に合祀されていた稲荷森稲荷、右側に村内にあった三峯神社と稲荷社の祠が祀られているといった祖師谷中の神様が集まった神社というか、神様だらけの境内となっています。

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神明社の創建年代や由緒は不詳ですが、口碑によると南北朝時代の正平年間(1346~69年)に新田義興・義宗兄弟等が足利尊氏討伐の挙兵をした際に、この地を通り、小祠の祭神が天照皇大神だと知り、新田兄弟は「吾が憩いたるは皇祖の吾を助くるものなり」として戦勝を祈願し甲冑一式を献じ、兵を励まして出発したと伝承されているとか。

その真偽はさておき、記録では社殿は安政時代初めに改築され、現在のものは明治29年に新築されたものです。昭和39年に屋根が銅板葺きに改築されるなど大修理が行われていますが、結構年季が入った建物です。その他境内では、昭和23年に祖霊社、昭和38年に神楽殿と社務所が建設され、平成に入ってから参道など境内が整備されているので、建物は古いけど全体的には整っている感じのする境内です。

また境内には多くの神社が合祀されているだけあって、祠だけではなく、灯籠や狛犬も多くあり、一番古い延享元年(1744年)の銘がある石灯籠は旧熊野神社のものと言われています。この熊野神社は釣り鐘池の近くにあったもので、今もまだ敷地は神明社の社地となっていて、広い空き地のようになっています。

*** 祖師谷神明社の秋祭りの様子 ***

祖師谷神明社の秋祭りの写真
社殿

国旗は交差して掲揚されます。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
社殿内

三社宮として三柱祀られています。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
参道を参進する様子

一旦外に出てから入ってきます。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
祖霊社での神事

境内社もきちんと飾られます。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
御霊移し

鯨幕に包まれて移動します。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
御霊移しの神事

御霊を移した後に祝詞を奏上します。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
お囃子

宵宮は朝夕と活躍します。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
詩吟

地味な演目です。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
神楽が行われているときの境内の様子

もう少し賑わうといいのですが

祖師谷神明社の秋祭りの写真
神楽

杉並上高井戸の「斉藤社中」による里神楽

祖師谷神明社の秋祭りの写真
神社入り口

参道には露店が並び、多くの人で賑わいます。

祖師谷神明社の秋祭りの写真
露店が並び賑わう参道

夕刻になると混雑します。

* 祖師谷神明社の秋祭りについて *

熊野神社が合祀される明治43年以前の祖師谷の祭りは、一年おきに神明社と熊野神社で交互に行われていたそうです。その後は神明社で行われるのですが、祭礼日は10月9日が宵宮、10日が大祭でした。近年では体育の日が第二月曜日に移されたのと、氏子などの都合によって祭礼日が週末に移され、10月の第二週末に祭礼が行われています。

祭礼の内容に関しては今も昔もさほど変わらないようで、宵宮の日、午前10時から祭礼の式典が行われます。式典は社務所前で列を作り、神楽殿の横の脇参道から一度外に出て、表の参道を進み、手水舎で清めを行い、社殿に向かいます。社殿内での神事が終わると再び列を作り、祖霊社に向かい、祖霊社の前で神事を行います。

それが終わると御霊移しの神事が行われます。御霊移しは鯨幕を使用し、厳粛に行われます。ただ、ここの場合は社殿から御輿舎まで少し離れているので、鯨幕に囲まれたまま宮司さんが移動するのはちょっと大変そうでした。御霊移しが終わると社務所内で直来が行われます。式典は古式に則ってとても興味深いものでしたが、宵宮の午前中とあって境内は露天商の準備が慌ただしく、神事の最中もトラックがバックする音や露天商の大声などが聞こえてきてせっかくの雰囲気が台無しでした。

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宵宮の夜は17時から宵宮祭が行われ、囃子会主催でお囃子や詩吟、舞踊などの余興が奉納されます。ちょっと変っているのが詩吟。奉納演芸ではあまり見ないものですが、子供たちや一般の人が見てて面白いかといわれるとちょっと微妙かもしれません。

本祭の日は神輿が町内を練り歩きますが、神輿に関しても幾つか世田谷区内でも特異な風習が残っていて興味深いです。神輿が出ている間、神社では神楽が奉納されたりします。神楽は杉並上高井戸の「斉藤社中」によるものでした。相模流神楽を伝承し、杉並や周辺の調布、世田谷等の祭礼において里神楽を奉納している団体です。奉納演芸は舞会による日本舞踊や詩吟だったりと渋い内容となっています。ある意味古風というか、通好みな奉納演芸となっていますが、間に子供が喜びそうな演目もあればもっと盛り上がるのではと思ったりもします。

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境内にある建物は古いものが多く、昔と境内の雰囲気も、祭りの雰囲気や神事の内容も変わらないのがここの祭りです。ただ明らかに違うのは境内の活気でしょうか。かつては境内だけではなく、路上にも露店が並び、その数が50以上もあったそうですが、今では参道を中心に境内のみの出店で、20店程度。

神楽などの余興を楽しむ人も少なくなり、昔の賑わいには遠く及びません。それでも商店街の延長上という立地と、商店街の盆踊りなどのイベントが行われたり、隣が幼稚園ということもあって、子供の姿は多いです。

*** 祖師谷神明社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿 ***

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
運行前の式典

神輿がないと変な感じです。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
白い装束に黒い得帽子の警護の人

背中には神の文字が書かれています。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
出発

境内の中は人が少なめです。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
宮出し

鳥居をくぐるのが大変です。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
太鼓車

おじさんたちの散歩といった感じです。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
お囃子を乗せた山車

 

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
神輿渡御の様子

担ぎ初めなのでゆっくり担いでいました。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
駅前でのお囃子

結構盛り上がっていました。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
商店街を進む宮入道中

神職、役員が先頭を進みます。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
提灯を掲げる警護の人たち

出番到来とばかりに張り切っていました。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
商店街を進む神輿

休憩なしで神社まで向かいます。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
おひねりを持って神輿を待つ人たち

祖師谷独特の文化です。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
飛び交うおひねりの中を進む神輿1

なかなか景気のいい光景です。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
飛び交うおひねりの中を進む神輿2

実はお金なので痛いです。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
宮入してきた神輿

もう既にバテバテでした。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
社殿前での収め

崩れまくって何とか収めたといった感じでした。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
御霊戻しの神事

御霊を本殿に帰します。

祖師谷神明社の神輿渡御の写真
屋根に溜まったおひねり

どっさりと溜まっていました。

祖師谷神明社の神輿渡御は本祭の日曜日に行われます。年によって違うかもしれませんが、12時頃に出発式が始まり、その後宮出しが行われ、19時頃に神社に戻ってきます。ここの神輿渡御は古式の独特なスタイルが踏襲されていてとても興味深いです。

まず最初に行われる式典ですが、これは他と一緒なのですが、御神酒を飲んで式典が終了するまで神輿は御輿舎の中です。式典が終わると初めて社殿の前に運び、用意ができ次第出発します。こういった手順はそれぞれなのでしょうが、神輿の前で行うのが一般的で、区内では他にないスタイルかと思います。

神輿への御霊入れは前日の祭事が行われた後に行われます。これも厳粛に鯨幕を使用し、御霊を運ぶといったものです。社殿から御輿舎まで少し距離があるので、宮司さんは鯨幕に囲まれ少し歩かなければなりません。

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神輿渡御にあたっては、黒の烏帽子に白丁装束姿の神輿を警護する輿守が付きます。彼らは烏帽子の上から手ぬぐいを鉢巻きのように巻き、白丁装束の背中には「神」の大きな字が染め抜かれ、手には大黒様と福の字が描かれている赤い団扇を持っているといった独特のスタイルです。これは古くからの風習のようで、熊野神社と交互に祭礼を行っていたときからこういった風習があったみたいです。

実際のところ警護するといっても、混雑する最後の商店街ぐらいしか役目がないので、先頭で弊を持った人以外は宮出しや道中はぞろぞろと神輿の後ろを歩いていたりします。ここに限らず世田谷の神輿渡御はどこでものんびりとしたものなので、神輿を見守りながら散歩といった感じでお年寄りの方々は楽しそうでした。

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神輿は戦前の昭和3年に浅草の平川商店で製作されたもので、延軒屋根の勾欄造り、台座の長さは二尺四寸(80cm)です。神輿の巡行経路は駅から続く商店街通りを中心に祖師谷1丁目から6丁目、そして昭和45年頃まで祖師谷の町域だった成城7~9丁目の7丁目を中心に回るようになっています。

祖師谷には驚くことに大通りがありません。環八横断といったような事は夢のまた夢。2車線道路すらなかなか見かけない地域なのです。ひたすら狭い道を進むので、渡御のハイライトはウルトラマンの立像がある祖師ヶ谷大蔵駅前とか、駅前から続く商店街となります。

駅前の広場では最後の休憩が行われ、その時に囃子が演奏され、観客を魅了します。そして観客のテンションが上がったところで神輿が祖師谷通りのウルトラマン商店街を進んでいきます。地元の商店街なので歓声も多く、狭い通りなので観客との距離も近く、担ぎ手のテンションも上がりますが、それに輪をかけているのが「おひねり」を神輿に投げるといった変わった風習です。

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おひねりを神輿に投げると言った風習は、見慣れていないととても奇妙な習慣に感じます。おひねりとはお金を白い紙で包んだもので、よく舞台に投げ込まれるやつです。そもそも神輿にものを投げたら罰が当たるし、お金を投げてもいいの?なんて思ったりする人も多いのではないでしょうか。

神輿におひねりを投げるといった風習は、世田谷ではここだけですが、全国的にみると珍しいというわけではありません。お賽銭を投げると言った行為の延長上と考えれば納得できるのではないでしょうか。ただ祖師谷の場合は全国的にみてもその規模が大きく、ちゃんと調べていませんがここまで派手に行われているのは他にないかもしれません。

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祖師谷のおひねりは商店街で行われます。宮入前に最後の休憩を駅前の広場で行いますが、その前からおひねりが飛んでくるようになります。おひねりを投げるのは商店街の店の人がほとんどで、白い紙に包んだおひねりをお盆や籠に載せて店の前でお神輿がやってくるのを待ち、神輿がやってくると屋根にめがけて投げるといったものです。

神輿の少し前を歩く警護の人たちがおひねりの盆を持った店の前で提灯を上げて神輿を誘導します。沢山おひねりが飛んでくると神輿の向きを変えて神輿を揺らしたりもします。こういった事が長い商店街の渡御中にずっと続くので、とても賑やかな渡御になります。担ぎ手にしてもお神輿がくるのを待ってくれている人がいて、おひねりが飛び交う中を渡御するのは楽しいものです。

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ただ担ぎ手にとっては楽しいだけではなく、ちょっと問題もあります。紙で巻いているとはいえ、やっぱり金属で出来たお金です。大量に振ってくれば痛いですし、遠くから勢いよく投げられると溜まりません。投げる方もなるべく屋根に載せるような感じで投げていますが、勢い余って反対側に飛んでいってしまうこともあったりと、運が悪いとたんこぶが出来てしまうそうです。

おひねりは屋根にのっかることもありますが、ほとんどは地面に落ちてしまいます。落ちたものは後ろを歩いている関係者が拾っていきます。聞くと、一般の人も拾っていいそうです。多くのおひねりを用意するのも大変そうですが、それを拾って回収するのもまた重労働のようで、年配の関係者が腰が痛そうに拾っていました。

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なぜこういった風習があるのか。気になって聞いてみたのですが、ここの関係者にとっては古くから当り前に行われてきたことなので、あまり深く意識したことはないといった感じでした。始まりはどうだったのか分からないけど、商店街の付き合いでこういった風習が大きくなっていったようです。実際に見学するまでは何でこういった文化があるのだろうと疑問だったのですが、行われている様子を見るとその理由は何となく理解できました。店の前などで投げている人がとても楽しそうだったからです。

夏には各地で神輿に水をかける水掛祭りとか、温泉地ではお湯かけ祭りといったものがあります。ある意味それと同じです。実際にそういったものをかけることで、見ている側も祭りに参加している気になり、一体感が生まれます。古くからの商店街の付き合いといっていたのはその部分であり、自分の家族が担ぎ手、或いは輿守として参加していたり、商店街の仲間が頑張っているといった場合、神輿が通るときに盛り上げよう。担がない方も何かして盛り上げようといった事が根底にあり、このような派手なおひねりを投げるといった文化になっていたんだと思います。言うなればおひねりでの歓待といったところでしょうか。

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全国的にこういった風習が流行らないのはおひねりを用意するのが大変ですし、拾って回収するのも大変です。実際のところ小さなお金を包んでいるのでそんなにお金がかかるわけではありません。手間がかかるだけです。千円を封筒に包んで渡してもらう方がよほど効率的です。それに担ぎ手が痛い思いをするので離れた場所からは投げられません。

祖師谷のように狭い商店街でないとなかなか出来ないことです。それにお金が溝に落ちてしまうような場所ではやりにくいだろうし、ましてや草むらがある場所ではもっと駄目です。そういった事を考えるとやはり回収する手間を考えると一般的にやりにくい行事で、境内のみで小規模に行われたりするのも納得で、ここが特殊なんだなと感じます。

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長い、長い商店街でのおひねりの歓待が終わると、最後は宮入です。が、しかし、長い商店街の間ずっと担ぎっぱなしだし、店の前で揉んだりもするので、商店街が終わる頃には担ぎ手の脚がふらふらの状態です。途中で崩れることもあります。

宮入は宮出しと同じように参道を進みます。境内に入ると神輿を回します。ただでさえ足が立たない状態なので、すぐに崩れていました。そして最後に社殿前で収めます。あまりにもふらふらな状態だったからなのか、すぐに収めていました。神輿が降ろされるとすぐに御霊戻しの神事が行われ、鯨幕を利用し、御霊が本殿に戻されます。そして社殿内で神事が行われ神輿渡御と例大祭が終了します。

* 感想など *

祖師谷と言えば経堂に似て道が狭く、一歩通行が多い地域です。更に驚くのが大通りが全くないことです。まともな二車線道路がない土地もここぐらいではないでしょうか。世田谷で一番車に不便をする地域かもしれません。そんな祖師谷の真ん中を貫き、背骨となっているのが、祖師ヶ谷大蔵の駅から神明社の方へ続く祖師谷通りで、下町風情のある賑やかな商店街となっています。

賑やかな商店街通りなのですが、道が狭い上に、一方通行ながら車は通るし、自転車の通行も多いし、歩くにしても自転車にしてもバイクにしても通行するのが大変です。そういったごちゃごちゃした雰囲気の中に古い豆腐屋や八百屋などが並んでいる様子が昭和っぽく感じるのですが、更に輪を掛けて昭和のヒーローであるウルトラマンが商店街のマスコットとなっていて、ウルトラマン商店街と名付けられていたりします。街灯などにさりげなくウルトラマンの形がかたどられていたりするのも面白い趣向です。

そういった昭和風情がよく残っている商店街の先にあるのが神明社であり、神社も古い雰囲気があり、神輿渡御を含めた祭りの風景も古風な感じがします。まあ私の勝手な印象ですが、ここの祭りは昭和風情が漂う古き良きお祭りかなといった感じです。

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祭り自体も古式に則って、神楽が奉納されたり、伝統的な出で立ちの警護が神輿を守っていたと独特な風習が多くて興味深いです。中でも一番興味深く、祖師谷を象徴しているのが「おひねり」の文化です。商店街の付き合いから育まれた文化で、おひねりが投げられることでとても華やかな神輿渡御となるだけではなく、商店街に一体感が生まれます。その様子を見ていると人情とか、お互い様だとかいった古き良き言葉が思い浮かんできます。

そういった文化が根付いたのには車の便が不便なのもあるかもしれません。車が不便なら車を利用せずに地元の商店街で買い物をしようといった事にもなり、商店街が活性化し、地域力も上がります。それに道が狭いので、お互い譲り合ってといった場面も多い事でしょう。

そういった気持ちを日常から持って暮らしていれば、町が、商店街が暖かみのある人情味溢れた雰囲気になるものです。ここの商店街が賑やかで、懐かしく、魅力的に感じるのは都会にありながらそういった不便さが根底にあるのかなと思ったりしました。そして祖師谷神明社の祭礼はそういった祖師谷らしさが存分に感じられる素晴らしい祭礼です。是非一度ご覧あれ。

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<世田谷の秋祭り File.29 祖師谷神明社例大祭 2013年8月初稿 - 2015年10月更新>