世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.26

烏山神社例大祭

旧甲州街道の間の宿として栄えた烏山では、上町、中町、下町の三町会の神輿が旧甲州街道を連合で練り歩きます。

鎮座地 : 南烏山2-21-1  氏子地域 : 南烏山1~6丁目、北烏山1~9丁目
御祭神 : 白山比咩大神、御嶽大神(相殿)、他三神(合祀) 社格 : 旧烏山村村社
例祭日 : 9月23日(宵宮)、24日(本祭)
神輿渡御 : 町会神輿3基、お囃子
祭りの規模 : 大規模  露店数 : 境内30店ほど、区民センター広場10店ほど
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 旧烏山村と烏山神社 ***

烏山神社の写真
神社の入り口

鳥居の扁額は脇に置かれています。

烏山神社の写真
社殿

大正七年改築のどっしりとした感じの建物です。

烏山神社の写真
境内社の稲荷社

境内には色々と碑や庚申塔が置かれています

烏山神社の写真
招魂社

社殿横にあります。

烏山神社の写真
神輿庫

三町の神輿が収められています。

烏山神社の写真
昔の社標

社殿後ろにあります。

* 旧烏山村と烏山神社について *

世田谷の北西部に位置するのが烏山です。この地には古くから人が住んでいたようで、先土器時代(1万8千年前)や縄文時代(1万2千年前)の遺跡が幾つか見つかっています。現在の住所表記では北烏山1~9丁目、南烏山1~6丁目に分かれていますが、かつては大きな烏山村でした。

烏山という地名は鎌倉時代の文献に見ることができますが、そのままの意味でこの地に大森林があってカラスが群生していたという説や、この地がカラスのような黒い黒土で覆われているからとか、烏山神社付近に烏山某と言われる人の館跡があったといった説などがありますが、その由来はよく分かっていないそうです。

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烏山が発展するのは甲州街道が整備された江戸時代になってからで、東の高井戸宿、西の布田宿(調布)の中間に位置している事から間の宿として街道沿いを中心に家が建ち並び、世田谷では珍しく農業ではなく商いで生計を立てる人が多かったようです。

街道沿いはだいたい今の南烏山六丁目を上宿、四丁目を中宿、三丁目を下宿と区分されていました。江戸時代は京都を中心に上中下となり、昭和時代の住所表示では東京を中心に123と住所の付け方が変るので、住所の数字の若さと上中下が逆になっているのが面白いところです。

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烏山と言えば寺町を思い浮かべる人も多いかと思います。せたがや百景にも選ばれて現在の烏山の特徴の一つとなっていますが、この寺町は古くからある寺町ではなく、震災後の新興寺町となります。大正12年の関東大震災以降は世田谷に移住してくる者が多かったのですが、ここではお寺まで引っ越してきて寺町を形成したのです。大正15年までに6寺、昭和4年までに16寺、昭和30年までに4寺と全部で26寺で構成されています。

当時の北烏山地域は養蚕業の衰退で荒れた状態でした。そのため土地が安かったのもこの地が選ばれた一因だったようです。お寺が団体で引っ越してこれるような閑散とした土地だったので、その後は土地開発が進み、大きな団地やマンションがどんどんと建設されていきます。旧甲州街道沿いはそうでもありませんが、少し中に入ると集合住宅だらけというのが現在の烏山です。

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烏山村の氏神様は烏山神社です。詳しい由緒は分かっていませんが、境内にある手水鉢に元文元年(1736年)とあるのでその頃に創建されたのではと推測されています。創建当時は白山比咩大神を祀る白山権現社でしたが、その頃の烏山村の鎮守は御嶽大神を祀る御嶽神社だったとされています。

天保三年(1832年)には大風で社殿が倒壊したために改築され、嘉永三年(1850年)に御嶽神社を白山権現社に遷宮合祀したという記録があります。明治六年には村社に指定されます。大正七年には社殿の大改築や境内の整備が行われ、昭和7年に白山御嶽神社の社号が許可されています。拝殿前に掲げられている扁額に白山宮、御嶽宮と書かれているのはその名残で、社殿の後ろには昔の社標が残されています。

昭和10年に神楽殿を増築。昭和37年には烏山各地にあった天神社、神明社、稲荷社が合祀され、神社の名称も烏山神社と改称されました。昭和39年に神楽殿を増改築、40年に招魂碑を建立し、社務所を新築。昭和57年に神輿庫を新築し、境内を整備しています。現在でも境内は広々とした感じで、木々も多く、神社としてはいい雰囲気が残っています。ただ、神社周辺に関しては、烏山らしく付近に大きな団地が建ち並び、神社がポツンとある感じで宮元としての雰囲気はあまりありません。

*** 烏山神社の秋祭りの様子 ***

烏山神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの入り口(脇参道)

駅側になるのでこの入り口が一番賑やかです。

烏山神社の秋祭りの写真
拝殿前

大行列ができるほど混雑はしないようです。

烏山神社の秋祭りの写真
宵宮祭

神輿渡御前の式典です。

烏山神社の秋祭りの写真
昼間の境内

昼間でも結構人がいます。

烏山神社の秋祭りの写真
お囃子の奉納

神輿が出た後行われます。

烏山神社の秋祭りの写真
夜の境内と奉納演芸

夜の境内はかなり混み合います。

烏山神社の秋祭りの写真
区民センター前の広場

上町の御酒所となっていて屋台も出ます。

烏山神社の秋祭りの写真
上町御酒所での獅子舞

烏山ではおなじみの給田こども囃子です。

* 烏山神社の秋祭りについて *

烏山神社の祭礼は毎年固定日で、9月23日に宵宮、翌24日に本祭となっています。23日は秋分の日で祝日になる場合が多いのですが、24日は平日の事がほとんどで、このご時世に平日に祭礼が固定され、神輿渡御が行われるのは区内でも中町とここだけと珍しいです。

昔の記録を見ると、9月12日が祭礼日で、祭りも天候など自然現象に左右され、豊作の時は舞台が設置されてお芝居が行われるぐらい盛大に行われましたが、不作の場合はお酒を飲むだけのとっくり祭で我慢したという話です。

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旧甲州街道が幹線道路として機能していた頃、烏山は東の高井戸宿、西の布田宿(調布)の中間に位置していることから、間の宿として栄えていました。村も街道沿いに区分され、上宿が今の南烏山六丁目、中宿が四丁目、下宿が三丁目と三つに分かれていました。その名残が祭礼での町会区分です。普段中宿といった呼び方はあまり目にすることはないかと思いますが、一応旧道沿いのバス停名に残っています。

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現在の町会区分は街道沿いの部分的な宿ではなく、もっと範囲が広がっています。大まかに書くと、烏山上町会が北烏山5丁目と北烏山6丁目の一部、北烏山7~9丁目、南烏山4丁目と5丁目の一部、南烏山6丁目、烏山中町会が北烏山2~4丁目、北烏山5丁目と北烏山6丁目の一部、南烏山2丁目と4丁目の大部分と5丁目の一部、烏山下町会が南烏山1丁目、南烏山3丁目、北烏山1丁目となっています。

烏山は大規模な集合住宅が多く、そういった団地や寺町、一部の町会は独自の自治体を形成しています。地図で見ると分かると思いますが、烏山は南北合わせるとかなり広いです。それが大まかに三つにしか分かれていないので一つの町会の規模は恐ろしく大きいです。

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この上・中・下の三つの町会が協力して行うのが烏山神社の祭礼です。上町は区民センター前の広場が御酒所となり、お囃子の舞台も設置されます。ここでは夏に烏山夏祭りが行われ、ダンスなどの舞台やら盆踊りで賑わいますが、秋祭りの時にも10店ちょっと出店が出て広場が賑わいます。さすがに夏祭りほどの賑わいにはなりませんが、三町のお神輿がやってくる23日の昼過ぎはかなり混雑します。

中町は旧甲州街道沿いのりんれい広場に御酒所が設置されます。ここでも夏にお笑い夏祭りが行われてとても賑やかになりますが、さすがに秋祭りの時は神社と駅(区民センター広場)の間ということで、出店などは出ません。三町の連合の神輿渡御の時には広いスペースを利用して休憩所となります。

下町は芦花公園駅南口のロータリー付近に御酒所が設置されます。ここでも夏にはロータリーで盆踊りが行われたり、秋には下町祭りが世田谷文学館前で行われたりしています。そう考えるとそれぞれの町会が普段から精力的に活動していて、地元に密着している事が分かります。

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祭礼の流れは、宵宮の日に三町による神輿の連合渡御が旧甲州街道を練り歩きます。祭りのハイライトと呼べるような賑やかな神輿渡御です。この神輿渡御は神社を出て、下町の御酒所に集合し、中町の御酒所で休憩し、上町の御酒所で解散するといった三町の御酒所を巡るといった渡御でもあります。

本祭の日は各町会ごとに御酒所から町内へ神輿渡御が行われます。両日共に夜には奉納演芸が行われ、大祭式は24日に行われます。境内が比較的広いので、多くの出店が所狭しと並びます。近くに大きな団地が多いせいか、小さな子ども連れのお母さんが昼間に散歩がてらやってきているといった感じで、結構昼間から人がいるなといった印象を受けました。

もちろん夜になると大混雑です。この賑わいは今も昔も変わらないようです。神社の他にも区民センター前広場にも多くの人が訪れるので、合わせると結構な盛り上がりとなります。

*** 烏山神社の神輿渡御 ***

*** 町会神輿 ***

烏山神社の神輿渡御の写真
三町の神輿が準備される境内

朝9時頃から準備が行われます。

烏山神社の神輿渡御の写真
御霊入れ

上町から行われます。

烏山神社の神輿渡御の写真
宮出し

下町から出て行きます。

烏山神社の神輿渡御の写真
上町の差し上げ

境内を出る前に拝殿にさしあげます。

烏山神社の神輿渡御の写真
上町の神輿
烏山神社の神輿渡御の写真
上町のお囃子車
烏山神社の神輿渡御の写真
中町の神輿
烏山神社の神輿渡御の写真
中町のお囃子車
烏山神社の神輿渡御の写真
下町の神輿
烏山神社の神輿渡御の写真
下町のお囃子車
烏山神社の神輿渡御の写真
旧甲州街道を渡御する様子

結構長い列になります。

烏山神社の神輿渡御の写真
休憩所でのお囃子

子供のお囃子が迎えてくれました。

烏山神社の神輿渡御の写真
ずらっと並んだ警官

ちょっと異様な光景です。

烏山神社の神輿渡御の写真
駅前商店街を進む様子

まもなく御酒所です。

烏山神社の神輿渡御の写真
御酒所入りしてきた神輿

周囲に人が多いので誇らしげです。

烏山神社の神輿渡御の写真
最後の収め

連合渡御の終了です。

烏山神社の境内には神輿舎があり、そこには上町、中町、下町の神輿が置かれています。これは先に書いた祭礼を協力して行っている三町会で、神社所有の宮神輿ではなく、この三町会の神輿が担がれます。神輿渡御は宵宮、本祭と2日間行われますが、宵宮の23日には三町会による連合渡御、24日の本祭には各町会ごとの町会渡御と異なっています。

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宵宮の旧甲州街道を三町の神輿や山車が華やかに練り歩く連合渡御は、祭りのハイライトであり、2013年で35回を数える連合渡御になると言っていましたので、もう烏山の秋の風物詩と呼べる行事になっているようです。

年によって違うかもしれませんが、当日は11時前から拝殿で式典が行われ、その後に御魂入れ、そして宮出しが行われます。宮出し後はバラバラに芦花公園駅を目指します。昼食休憩を挟み、13時に下町の御酒所である芦花公園駅前から連合渡御が行われ、14時頃に中町の御酒所であるりんれい広場で休憩をし、15時頃上町の御酒所となっている区民センターに到着し、16時前に解散式が行われ、その後は各町会に戻っていくといった流れです。

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世田谷区内では他にも町会神輿による連合渡御が行われていますが、神社の手前に集合し、連合で宮入するといった渡御ばかりで、その距離は短いです。ここのように一駅分の長い距離を連合で渡御しているところは他にはありません。それに一見、旧甲州街道をパレードしているようにも見えますが、各町会の御酒所を連合で順に回っていく渡御なのです。こういった形の渡御は他の祭りでも珍しいのではないでしょうか。

町会同士は仲が悪かったり、町会内部で色々と問題があったりとなかなか付き合いが難しいものですが、35年間もこういった渡御が行われているのは町会同士が仲がいいのか、もしくは付き合い方がうまいのでしょうね。雰囲気の悪い渡御には人が集まりにくいものですが、ここでは結構な数の担ぎ手が集まり、楽しそうに担いでいたのが印象的でした。しかも半纏を見ると、結構色んな地域から応援といった形で渡御に参加しているようでした。

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三町会の渡御は御酒所の町会が先頭で入り、最後に出るといった形のようで、神社の宮出しが下、中、上で、りんれい広場までが中、上、下の順番で、区民センターまでが上、下、中の順番になるようです。神輿の前にはそれぞれの町会のお囃子を載せたトラック山車が先導します。それぞれの町域のお囃子担当の人もいれば、給田小学校のお囃子も参加していて、お囃子も神輿に負けないぐらい元気です。また給田六所神社の大太鼓も特別な年には加わる事もあるようです。

全体的な感想では芦花公園駅からりんれい広場までは落ち着いた感じの旧甲州街道らしい雰囲気のある渡御で、りんれい広場から区民センター広場までは商店街が続き、旧甲州街道部分は交通量も多いので、現代的な賑やかな感じの渡御かなといった感じです。

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2013年に久しぶりに訪れてみたのですが、警備する警官や警備員の数に驚きました。環八とか、環七とかを横断したりするわけではないのですが、ビックリするぐらいの数の警官が交通整理をしていました。確かに旧道なので道が狭く、交通量も少なくないのですが、近年何かトラブルがあったのでしょうか。連合渡御の長さが世田谷一なのですが、警官の動員数も世田谷一となっていたりして・・・・。

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翌日は町内渡御となるのですが、これは町会ごとによってスケジュールが違うようで、朝から、或いは昼から夕方まで各町会を練り歩きます。平日に当たることが多いので、昼間は担ぎ手が揃い、ちゃんと渡御が行われているのか、少人数で細々と行われているのか、妥協して台車を使っているのかなど、実際に訪れていないので分かりません。

担ぎ手の人の話では連合渡御は大勢の人がいて楽だし、楽しいし、色々と盛り上がっていいけど、御酒所では飲み物しか出ないのがちょっとね。24日の場合は少人数で担ぐのが辛いけど休憩所では食べ物がどっさり出るからその点はいいとか。飲み物だけで楽をするか、しっかり担いでお腹いっぱいになるかってな違いだとか。まあこれは個人的な感想ですが、なんとなくわかりやすい例えに感じます。

* 感想など *

烏山といえば寺町。寺町といえば古くて地味な町。烏山から離れた場所に住んでいるとそんなイメージを持ってしまうのですが、団地が多く建設され、駅前の商店街はモダンな感じで活気があり、近年では住みやすい街ランキング1位に烏山が選ばれたとか。これはテレビ番組での1位なので鵜呑みにすべきではありませんが、駅前に商店街が形成され、旧甲州街道があり、寺町もあり、町を挙げてのイベントが行われと、新旧がうまく融合している烏山なら納得できます。

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そんな烏山で行われる烏山神社の祭礼ですが、約一駅分の旧甲州街道を三町の神輿が賑やかに渡御する様子はとても感動的です。世田谷では下北沢を筆頭に幾つかの神社で町会神輿の連合渡御が行われていますが、それは神社近くに集まって一緒に神社に向かうといったものです。華やかな宮入をより華やかにといった感じで、見る方も担ぐ方も盛り上がるのですが、各町会が協力してといった雰囲気は余りありません。個々で盛り上がっているだけです。

烏山ではそういった華やかな宮入を行う連合渡御ではなく、三町のそれぞれの御酒所を訪れる連合渡御です。上町の御酒所である区民センター前の広場はそれなりに人が多くて神社なみに盛り上がりますが、やはり全体的には距離も長いし、どちらかというと地味な感じの渡御でしょうか。

それでも楽しく渡御できるのは単独での渡御ではなく、三町で連合しているからであり、3つの自治会が協力して行っているからというのもあるでしょう。御酒所では三町の神輿が揃わないと飲み物に手を付けてはいけないといった決まり事があったりします。35年間続いているだけあって渡御の雰囲気もよく、見ていて美しい渡御だと感じました。

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でも町全体で盛り上がっているかというと、これが微妙なところでしょうか。神輿渡御も外部からの応援が多いと聞きます。同じように旧甲州街道を利用して行われる芦花祭りや、烏山駅前で行われる烏山夏祭りなど市民参加型のイベントに比べると神輿好きな人だけが楽しんでいるのかなといった印象も強く受けました。そのへんはやはり町域は大きくても団地が多かったり、新しく移住して町会活動とか、地元の氏神様に興味を感じない人も多いのかなと感じます。

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それに烏山だけのことではありませんが、神社の祭礼が行われる事で商店街全体の売り上げが上がるわけではないというのが実際のところです。新しい商店街ほど売り上げ増が期待できる家族で参加できるような、例えば烏山夏祭りなどといったイベントに協力的で、神社の祭りには冷めた感情を持っていたりします。

まあ神社関係は決まりがうるさかったり、年配の方の文句が多かったり、神輿渡御にしても色々とトラブルが多いので新たに関わるのは面倒くさいといったことも多分にあるようです。でもこれだけの神輿渡御が行われているのなら下北沢のようにもっと町全体で盛り上がってもいいのでは・・・。そんなことをちょっと思ってしまいました。

<世田谷の秋祭り File.26 烏山神社例大祭 2013年8月初稿 - 2015年10月更新>