世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.22

勝利八幡神社例大祭

スポーツ関係者に受けの良さそうな社号が付いている神社は、純農村地域だった上北沢村の村社でした。かつては盛大に行われていた秋祭りも急激な宅地化と共にその規模が縮小しているようです。

鎮座地 : 桜上水3-21-6  氏子地域 : 桜上水1~5丁目、上北沢1~5丁目
御祭神 : 誉田別命(応神天皇)、宇迦之御魂神  社格 : 旧上北沢村村社
例祭日 : 10月、体育の日の前日の日曜とその前日に宵宮
神輿渡御 : なし
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 10店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 上北沢、桜上水と勝利八幡神社 ***

勝利八幡神社の写真
神社の入り口

勝利八幡と山谷稲荷が書かれた石柱が立っています。

勝利八幡神社の写真
社殿

現在の社殿は昭和43年に建てられたものです。

勝利八幡神社の写真
旧本殿

区内で一番古い本殿で有形文化財に指定されています。

勝利八幡神社の写真
天祖神社(左)と稲荷社(右)

旧本殿の横にあります。

* 旧上北沢村と勝利八幡神社について *

昔の上北沢村は現在の上北沢と桜上水を合わせた地域でした。桜上水というのなかなか響きのいい地名ですが、その歴史は浅く、昭和になって生まれた地名です。地名の由来はこの辺りを流れる玉川上水・・・といっても杉並区になるのですが、その土手(堤)に続く桜並木が見事だったので地元の人が桜上水と呼び、それが昭和12年にできた京王線の駅名となり、そして昭和41年の新住居表示の際に上北沢が分割され、その東半分が桜上水と名付けられました。

具体的には現在の桜上水1~4丁目が旧上北沢一丁目、桜上水5丁目と上北沢1丁目が旧上北沢二丁目、上北沢2~5丁目が旧上北沢三丁目になります。ちなみにお隣の赤堤は室町時代頃に赤土の防塁とか、堤があったからそう名付けられたと言われています。桜上水が桜堤にならなかったのは時代によるセンスの違いかもしれません。

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また、上北沢と聞けば下北沢を連想してしまいますが、両者はとても距離があります。かつては沢の多い世田谷の北側にある沢ということで北沢という地名ができ、そして上北沢と下北沢と分けられ、いつしか赤堤、代田などの村が独立してしまい、現在のように離ればなれな状態になってしまったのではといわれています。

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上北沢村は台地上の土地ながら湧き水が多く、縄文時代から人が暮らしているような土地でした。そういった湧き水が集まって北沢川となり、上北沢はもちろん下流地域の生活用水にもなっていました。

江戸時代、寛永十五年(1638年)には幕府代官伊奈半左衛門の統治する天領となりました。1654年には村の北を流れる玉川上水が完成し、1658年には飲料水としての分水が許可され、1670年以降には玉川上水の拡張工事に伴って北沢川に北沢用水として田畑に引く水も分水されるようになりました。元禄年間(1700年頃)の記録では石高が430石余りと区内でも比較的生産の高い地域となっています。

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また村の北には甲州街道が横切り、しかも村は大きな繁華街である上高井戸宿と下高井戸宿の間に挟まれているといった土地柄でした。甲州街道沿いには幾つか家が建ち並ぶものの、繁華街に農産物を供給する農村地帯として村は発展していったようで、明治9年の地目でも田畑が90%以上、宅地が2%といった純農村地帯だったようです。

その他上北沢はちょっと変わった経歴を持っていて、1713年には天領から増上寺の寺領となり、そのまま幕末まで増上寺の管理下に置かれます。村全体が寺領となっていたのは世田谷ではここだけになります。

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その上北沢村の村社が勝利八幡神社ですが、正式には八幡社で、勝利八幡というのは通称になるようです。現在の鎮座している場所は桜上水ですが、最初に書いたように桜上水は元々上北沢村なので、現在の住所でいうお隣の上北沢の村社でもあります。

神社の歴史は古く、万寿三年(1026年)に京都の石清水八幡神社より応神天皇を勧請して創建されたとされています。区内にある多くの八幡神社が吉良氏の時代に鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請されていることを考えると、少し特異な存在となるでしょうか。

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それよりも気になるのは上北沢八幡神社ではなく、なぜ勝利八幡神社と呼ばれているのか。それは調べてみると名前そのままのようで、地元の人が戦争の度に勝利を祈願するためにお参りしたからそう名付けられたとか、日露戦争へ出征した氏子が無事帰ったことから勝利八幡神社と呼ばれるようになったとか言われています。八幡神社なので当たり前と言えば当たり前なのですが・・・、もっと面白い逸話があるかと思っていたので少々期待はずれな感じでした。

創建に関しては別の言い伝えもあり、初めは天から降って出てきた「お伊勢さま」のお札を御神体として祀っていたそうですが、甲斐の武田氏と小田原の北条氏の合戦の後に北条氏の武将鈴木氏一族が上北沢に移り住み、八幡社をまつるようになったとか。真偽は定かではありませんが、鈴木氏の居宅があったのがすぐ隣の緑丘中学校だったことなどを考えると、こちらの方が現実的かもしれません。

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現在の勝利八幡神社は、昭和43年に本殿が建てられ、境内が整備されているので新しい感じのする神社になっています。それ以前の勝利八幡神社は境内の中央に築山が築かれ、その上に本殿が納められている覆屋が建てられていました。古い写真を見るとまるで山間にある古いお寺の山門のようであり、これが勝利八幡なの?とあまりの変わりように驚きます。

古い記述によると享保十四年(1729年)10月におよそ330人余りの人夫によって土が盛られ、20日余りの期間で仕上げたとか。設置された石段は15段だったようです。昭和43年に新本殿を建設した際にこの築山は崩され、旧本殿は参道脇の建物の中に移されました。

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この旧本殿には八幡宮宝殿再建の棟札が残っていて、天明八年(1788年)10月に高橋宇八らの手によって再建が行われたと記されています。建物は小さな一間社で、全面が唐破風付向拝で本格的な社殿建築となっています。世田谷区内に残る本殿(神社建築)では一番古いもので、建築技法や納まりは高い力量を持った宮大工の技術であり、建築史上貴重な遺構という事で平成四年には区の有形文化財に指定されています。

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その他境内には境内社として天祖神社、豊受稲荷神社が旧本殿と並んで配置されていて、鳥居前の石柱には合祀されている山谷稲荷神社が併記されています。ちなみに勝利八幡という社号にあやかってか、必勝祈願や勝運向上に霊験があるのではとスポーツ関係者の参拝が多いといった記載をよく見かけますが、実際はどうなのでしょう。駒沢オリンピック公園の周辺にあれば試合前などに参拝する人が多そうですが・・・。

*** 勝利八幡神社の秋祭りの様子 ***

勝利八幡神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの境内

境内が明るく灯され、賑やかな感じになります。

勝利八幡神社の秋祭りの写真
境内の様子

露店も出て、時間帯によっては混雑します。

勝利八幡神社の秋祭りの写真
社殿前

朝早かったのでほとんど人がいませんでした。

勝利八幡神社の秋祭りの写真
太鼓山車

今では運行されていないようです。

勝利八幡神社の秋祭りの写真
神楽殿と奉納演芸

宵宮は素人奉納演芸になります。

勝利八幡神社の秋祭りの写真
巫女神楽

一通りの巫女舞が行われます。

* 勝利八幡神社の秋祭りについて *

昔の上北沢村では9月1日に台風の被害に遭わないように祈る風祭りが行われ、9月17、18日に勝利八幡神社の祭礼が行われ、それが終わると稲刈りが本格的に始まっていたようです。少し前までは勝利八幡らしく体育の日に祭礼が行われていましたが、今では体育の日前後の日曜日というのが正式かもしれませんが、体育の日が10月10日から第二月曜日になったので、体育の日の前の日曜日に本宮祭、その前日の土曜日に宵宮祭が行われているのが実際のようです。

なので、おおむね10月の第二週末が祭礼日という事になりますが、何年かに一度10月が月曜日から始まる時には第一週末になるはずです。合祀されている山谷稲荷ですが、現在も山谷町(八幡山駅近く)に仮屋の祠が設置されていて、同じ日にそちらでは神輿の渡御が行われます。

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勝利八幡神社の祭礼は基本的には山谷稲荷神社と同時進行といった形を取ります。役員の人も共通ですし、関係者の着ている半纏にも両方の神社の名が入っているし、奉納演芸も桜上水、上北沢各地の有志によって行われています。

ただ、山谷稲荷の方では神輿が出ますが、こちらでは神輿渡御が行われていなく、奉納演芸はこちらでは行われていますが、山谷の方では行われていません。両方が合わさって一つの神社で行えば盛り上がるのでは、と思うのは外部の人間の発想で、役員の人はともかく、一般の氏子などはこっちはこっち、あっちはあっちといった感じのようです。

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という訳で、お祭りの華である神輿渡御はこの神社から行われていなく、旧上北沢村でみても、山谷地域と上北沢駅前のみの渡御となっています。話を聞くと、少し前までは商店街が神輿を持っていて、神輿渡御も行われていたそうなのですが、徐々に担ぎ手も減ってきたし、神輿を商店街の倉庫に置いていたそうなのですが、維持費等もかかるわけで倉庫を処分する際に神輿も処分してしまったそうです。

境内には太鼓山車が置かれていましたが、それも一切運行していないとか。社号(神社名)がいいので、話題性を求める人などが担ぎに来そうな感じもするのですが、なかなかそうもいってはいられない事情もあるようです。いっそのこと元旦に神輿を運行させれば、今年は勝負の年だ!などといった人が集まってきて、神社としても話題性が上がり、参拝客も増え、いいように感じますが、どうなのでしょう。

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神輿渡御が行われていない分、奉納演芸には凝っていて・・・、という程ではありませんが、奉納演芸はきちんと行われています。宵宮の日は18時から上北沢、桜上水の関係団体などによる素人奉納演芸が行われ、演目はカラオケが中心で舞も少しあるようでした。

本祭の日は17時半から一時間ほど巫女神楽、いわゆる巫女舞が行われます。この巫女舞は悠久の舞、朝日の舞と続き、幾つかの舞を挟んで最後に浦安の舞と確か6つの舞で構成されているといった本格的なものです(もらったプログラムを落としてしまったので不確かですが)。

なんでも宮司さんの奥さんが巫女神楽の指導をして、ここのところずっと行われているとか。ってお隣の経堂と同じですね。もしかしたら同じ宮司さんが兼任しているのかもしれませんが、確認していないので不確かです。巫女舞の後はバンド演奏です。これは毎年行われているもので、結構人気となっているそうです。

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かつては地元のお囃子などもあったり、芝居や神楽が行われたりと賑わった祭りですが、今では全体的にこじんまりとした感じの祭りで、露店も境内の中に10店ちょっと並びます。すぐ隣が公園になっているので、買った食べ物を公園に持っていって食べている子供たちも多く、境内が必要以上に混み合うことはありません。お参りに来る人は行列ができる程ではありませんが断続的にいるといった感じでした。寂れているというよりは程よく賑わっているといった印象が強かったです。

* 感想など *

かつては広大な面積だった上北沢村。純農村地域だったので、人々の生活は農業を中心に回り、年中行事も農業を中心に行われてきました。その中心となっていたのが村社である勝利八幡神社で、日照りが続けば境内で雨乞いを行ったり、台風の被害が出ないように祈る風祭りが行われたりと、いつも村の生活の中心にあり、人々の精神的支えとなってきました。

秋祭りも盛大に行われ、地元のお囃子が祭り囃子を奏で、景気のいいときには芝居や神楽が行われる事もあったそうです。もちろん神輿も運行されていました。そういった上北沢の歴史を考えると、現在の祭りは祭りの華である神輿の渡御が行われないなどちょっと規模が小さくて寂しく感じます。

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純農村地帯だったのでもっと盛大に収穫を祝うような秋祭りの名残が残っていてもよさそうな気もしますが、急速な宅地化で失われた田畑、そして町域が桜上水と上北沢に分かれた事と相成って縮小の方向へ向かっていったようです。人の少ない農村地帯に農業をしない人々が大量に住むようになり、秋祭りの意義が薄れていってしまったのはしょうがないことかもしれません。

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今では村社の祭りというより、小さな集落の秋祭りといった感じです。それでも秋祭りの雰囲気は悪くなく、お参りする人がもの凄く少ないというわけでもありません。境内を歩いていると、あっ久しぶり~なんて声も度々聞こえてきました。地域に暮らす人には一年に1度の恒例行事となっているのは確かで、今なおこの地域の鎮守様であるのはよく分かりました。

身の丈といった事を考えるとこれがちょうどいいといった感じで、役員の人も神輿渡御が行われないというのはちょっと寂しいけど、小規模でもお祭りが行われていればそれでいいといった感じで、現状にそう不満があるわけでもなさそうでした。

でも、やっぱり・・・、せっかく勝利八幡という縁起のいい社号が付いているので、もっと何か盛大に、或いは特徴的にといった事を外部の人間、特に同じ区民としては期待してしまいます。

<世田谷の秋祭り File.22 勝利八幡神社例大祭 2012年11月初稿 - 2015年10月更新>