世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.21

赤堤六所神社例大祭

木漏れ日がよく似合う六所の森で行われるお祭り。落ち着いた雰囲気の境内では園児による浦安の舞や神楽が奉納されます。

鎮座地 : 赤堤2-25-2  氏子地域 : 赤堤1~5丁目
御祭神 : 大国魂命(おおくにたまのみこと)  社格 : 旧赤堤村村社
例祭日 : 9月23日、或いは秋分の日に本祭、前日に宵宮
神輿渡御 : 町会神輿1基、子供神輿と太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 25店程度
その他 : 奉納神楽、奉納演芸が行われます。

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*** 旧赤堤村と赤堤六所神社 ***

赤堤六所神社の写真
神社入り口

緑豊かな一角です。

赤堤六所神社の写真
参道

結構木々が生い茂った感じです。

赤堤六所神社の写真
社殿

緑に朱色が映える感じです。

赤堤六所神社の写真
厳島神社

参道の脇にひっそりとあります。

* 旧赤堤村と赤堤六所神社について *

世田谷の北部の真ん中付近にあるのが赤堤です。駅でいうなら京王線の下高井戸の南から小田急線の豪徳寺、経堂の北側にあたる地域で、東は松原、西は桜上水(かつての上北沢村)に接しています。赤堤の地名は北沢川沿いの赤土の高台に防塁があったから付けられたとか(善性寺の裏手付近)、台地が赤土なので北沢川沿いが赤土の堤になっていたからだとか言われていますが、そう呼ばれるようになった時代などはっきりしたことは分かっていません。

赤堤はかつての赤堤村になるのですが、古くは東の松原も含む広い地域でした。江戸時代、元禄十年から十六年の間(1697~1703年)に豪徳寺の滝坂道沿いに設置されていた松原宿の人々が赤堤の東部を開墾し、松原村として独立したとされています。独立に際して特に争いがあったといった記述は見つかりませんでした。松原地域はあまり水に恵まれない台地上の土地で、雑木林が生い茂り、ほとんど人が住んでいなかった土地だったようなので、平和的に譲ったのでしょうか。その他、代田の方に飛び地があるなど、かなり大きな村だったようです。

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赤堤が歴史的に登場するようになるのは吉良氏が世田谷城を築いてからです。世田谷城の北に位置するこの土地には赤堤砦が築かれたといわれています。砦の場所は六所神社だったとか、赤堤山善性寺だったとか言われていますが、はっきりと分かっていません。平城だった世田谷城の北側は北沢川付近まで竹林などを設置して防御を固めていたと言われているので、北沢川の向こう側にあたるこの砦は防御的にはあまり機能しなく、見張り台的な小さな砦だったと思われます。

吉良氏が世田谷から去った後、関東は徳川家康の支配下となり、天正十九年(1591年)頃に赤堤は家康配下の服部貞信所領の旗本領となります。この服部氏は服部半蔵に連なる一族になるようです。天正10年(1582)の本能寺の変の際に、堺で窮地に陥っていた徳川家康を服部半蔵が護衛して伊賀越えを行って無事に本拠地の三河へたどり着いていますが、服部貞信もこの伊賀越えに手勢を率いて家康の案内を務めました。その功により旗本に登用され、家康の関東入りに従って赤堤村などを所領する事となりました。その後元禄10年(1697年)に服部氏は領地替えになり、以後赤堤は幕府の天領となります。

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赤堤村の村社は六所神社になります。由緒書きによると「天正12年(1584年)12月、平貞盛の数世の孫、服部貞殷が府中の六所宮(現大国魂神社)を勧請して赤堤の総鎮守と定め、服部家の祈願所として奉斎したのが創祀です。」とあります。ただこれには幾つか疑問があります。

まず服部貞殷というのは何者であるのか。平貞盛の数世の孫とあるけど、平貞盛が他界したのが989年と言われているので、死後600年も経っていてはあまり説得力がありません。服部貞信の家系で見ると5代目領主に貞殷の名がありますが、天正12年では影も形もありません。それに天正12年という年号にしても、その頃はまだ世田谷城の吉良氏も勢力として存在していて、外部勢力が世田谷城の目と鼻の先に神社を建てる余裕などないし、第一服部氏は家康と共に関東にやってきています。といった事から少しこの由緒には疑問があります。

ちなみに天正12年12月といえば、後に六所神社を別当に持ち、服部氏の菩提寺となる西福寺が開基した年でもあります。どこかで混同してしまったのかもしれません。勝手な推測ですが、恐らく天正19年(1591年)以降に旗本である服部貞信が勧請、或いは別の場所から移動してきて服部家の祈願所とし、それが地元の人々の信仰対象となっていき、村の鎮守となっていったのではないでしょうか。

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現在の六所神社は約1,000㎡の社叢林があり、うっそうとした鎮守の森の雰囲気が感じられる神社となっています。敷地の東側、かつては神社の入り口が東側にあったそうですが、今では赤堤幼稚園があり、平日は元気な子供達の遊び場になっているはずです。

本殿や社務所などの建物は比較的新しく、よく整備されています。境内に置かれている神社復興の石碑を見ると、昭和32年に赤堤幼稚園の設立、昭和35年に参道や鳥居が整備され、昭和44年に本殿を再建、神楽殿を新築、昭和54年に社務所再建、昭和59年に境内が整備されています。恐らく近年にも建物の修理や補修が行われていると思われます。

その他境内には境内社として松沢稲荷神社や小さな池が造られている厳島神社(弁財天社)などもあります。赤の社殿が周囲の緑に良く映え、晴れた日に訪れると木漏れ日が美しく感じる神社です。

*** 赤堤六所神社の秋祭りの様子 ***

赤堤六所神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの神社入り口

普段と違ってとても賑やかな感じがします。

赤堤六所神社の秋祭りの写真
並ぶ屋台

白いテントの屋台が並びます。

赤堤六所神社の秋祭りの写真
拝殿

時間帯によっては混雑します。

赤堤六所神社の秋祭りの写真
奉納神楽

見ている人が少ないのが寂しいところ。

赤堤六所神社の秋祭りの写真
園児による浦安の舞

撮影するお父さんお母さんで一杯でした。

赤堤六所神社の秋祭りの写真
プロのコンサート

出演者によるのでしょうが、あまり混雑はしません。

* 赤堤六所神社の秋祭りについて *

赤堤六所神社の例大祭(秋祭り)は神社の由緒書きによると9月23日となっていて、年間行事を見ると別に秋分祭も行われるようです。よって通常は22日が宵宮祭で23日が本宮祭になります。ただ、とてもまれなケースですが平成24年は秋分の日が22日でした。その時には宵宮が21日(金)、本宮が22日(土)に行われていました。もしかしたら秋分の日に本祭、前日に宵宮となっているのかもしれません。

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祭礼では、宵宮の夕方から赤堤幼稚園児による浦安の舞が奉納され、その後舞踊、そしてプロによる奉納演芸が行われます。舞踊は近年では琉球舞踊が定番で行われているようで、鮮やかな衣装で回れる独特の踊りはとても楽しいです。プロによる奉納演芸は演歌などの歌手による舞台が多いようです。

本宮の日は11時から例大祭が行われ、昼にはお神輿がやってきて、午後は神楽が奉納されます。神楽は斉藤大夫里神楽になります。少人数で行われる舞で、観客の方も少人数とちょっと寂しい感じでした。夕方には再び赤堤幼稚園児による浦安の舞が奉納されます。昨日舞った子供がもう一度行うのか、それとも別の子供が舞うのでしょうか。その辺の事情はわかりませんが、この時間は小さい子供連れのお母さん方とカメラを構えた父兄で賑わいます。確か交代で何組か舞っていたはずです。

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境内には多くの露店が出ます。ちゃんと数えていませんが、20~30店ぐらいだったかと思います。神社の敷地自体がそこそこ広く、参道を中心にずらっと並ぶといった感じで、本殿の裏手にある入り口付近にも並んでいました。境内の露店は共通の白いテントで出店しています。これはどうなのでしょう。プロではなく一般の出店という事なのでしょうか。それとも他に理由があるのでしょうか。よく分かりませんが、白いテントの出店が並ぶ様子は他の神社の秋祭りとはちょっと雰囲気が異なります。

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昼間は神輿がやってくるとき以外はあまり人が多くありませんが、夜になると結構賑やかになります。といってもやはり大混雑というほどではなく、神楽殿での奉納演芸もそこまで大勢の人が見ている感じではありませんでした。

祭礼の2週間後ぐらいの10月初めには同じく神楽殿で「六所の森コンサート」が行われます。開演は夕方5時からで、篝火がたかれたりと演出効果もなかなかのもの。この時には境内を埋め尽くすほどの多くの人が訪れます。それを知っていると、幾分物足りなさを感じてしまいます。でも、コンサートと秋祭りは違うので比較にはなりませんが、秋祭りの演目としては浦安の舞に、神楽、そして琉球舞にプロのコンサートと頑張っている方ではないのでしょうか。

*** 赤堤六所神社の神輿渡御 ***

*** 町会神輿 ***

赤堤六所神社の神輿渡御の写真
宮入してきた神輿

拝殿前までは狭いのでゆっくり運びます。

赤堤六所神社の神輿渡御の写真
神事

宮司にお祓いなどを受けます。

赤堤六所神社の神輿渡御の写真
宮出し

木漏れ日が差し込んでいい感じでした。

赤堤六所神社の神輿渡御の写真
神社から町へ向っていく様子

いろいろな半纏があってカラフルです。

赤堤六所神社の神輿渡御の写真
商店街を進む神輿

徐々に盛り上がっていくといった感じです。

赤堤六所神社の神輿渡御の写真
商店街を進む神輿2

だんだんと熱が入っていきます。

赤堤六所神社の神輿渡御の写真
鏡開き

境内で行われていました。

赤堤六所神社の神輿の写真
宮神輿

担がれる事はないとのことです。

赤堤六所神社の神輿の写真
子供神輿

旧一丁目は子供神輿2基と太鼓車が運行されます。

赤堤六所神社の太鼓車の写真
太鼓車

一丁目睦の名が記されています。

赤堤六所神社では神社の宮神輿ではなく、町会神輿、いわゆる町神輿が運行されます。現在の赤堤1~3丁目はかつての旧赤堤一丁目、現在の4、5丁目が旧赤堤二丁目になり、話を聞くとだいたいですが旧一丁目を子供神輿と太鼓車が渡御し、旧二丁目を大人神輿が渡御するといった感じになるようです。

大人神輿は比較的新しい神輿で、下高井戸駅から日大文理学部へ続く商店街に御神酒所が設置され、ここから出発します。ちなみに宮神輿もあります。社殿内の隅っこに置いてありました。延軒屋根 勾欄造り、屋根の装飾に特徴のある神輿のようです。「担がれることはないのですか?」と関係者の人に尋ねてみたのですが、「ない」と即答されてしまいました。

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大人神輿の出発は朝10時です。まずは御酒所から神社に向って南下していき、12時頃に宮入します。宮入すると、お祓いを受けたりと神事を行います。その後昼食休憩となるのですが、訪れたときは振る舞い酒が用意されていて、樽酒の鏡開きを行っていました。毎年ならお酒好きにはうれしいですね。

休憩後は13時から再び再開します。今度は北上していき、松原駅前の赤堤商店街を通り下高井戸駅を目指します。夕方頃には下高井戸駅から日大へ続く通り沿いの商店街を通り下高井戸駅前で折り返し、御酒所に戻るのは19時半頃になります。

ハイライトは昼頃に神社に宮入、宮出しするところと、夕方に下高井戸の商店街を往復するところでしょうか。特に夕方の商店街往復はクライマックスとなり、担ぎ手も増え活気が出ます。とはいうものの練り歩く様子は荒々しさや派手さはなく、どこかのんびりとしていて、楽しげといった感じで、なかなか雰囲気のいい渡御に感じました。

* 感想など *

赤堤は世田谷区の中央付近にありながらあまり知名度のある地域ではありません。特に何があるというわけもなく、周辺に住む人以外はどこにあるのか正確に分かる人は多くないのではないでしょうか。私も赤堤はよく知らない土地でした。秋祭りをきっかけに六所神社を訪れ、世田谷にもこんな雰囲気のいい神社がまだあったんだと驚きました。

参道は比較的長く、そして木々がうっそうとして、晴れた日に訪れると木漏れ日があちこちから差し込んでいるような神社です。また社殿の朱色が緑に良く映えていて、訪れる時間にもよりますが、とても幻想的に感じることもあります。地元の人が六所の森と呼ぶのもなるほどと納得しました。

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そういった雰囲気のいい神社での秋祭りですが、秋祭り自体の活気や盛り上がりの方はいまいちかなといった感じです。といってもやはり落ち着いた雰囲気の神社にはのんびりとした秋祭りが似合うもので、ガチャガチャとした雰囲気や大混雑といったものはなく、赤堤らしい秋祭りとなるのでしょうか。

神輿も町神輿でありながら激しさよりも楽しさを感じる担ぎ方で、見ているとやはりどこかのんびりとした雰囲気を感じます。赤堤自体が六所の森のように落ち着いた感じで、のんびりとした土地柄なのかなと秋祭りを見て感じたのですが、どうなのでしょう。

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<世田谷の秋祭り File.21 赤堤六所神社例大祭 2012年11月初稿 - 2015年10月更新>