世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.19

杓子稲荷神社例大祭

古道、滝坂街道から少し入った住宅街の中に、今尚地元の人々の信仰を得ている杓子稲荷がひっそりとあります。この神社では年に1度小さいながらほのぼのとした例大祭が行われます。

鎮座地 : 梅丘1-60-7  氏子地域 : 梅丘周辺
御祭神 : 倉稲魂神(うかのみたまのみこと)  社格 : 無格社
例祭日 : 10月17日近くの日曜
神輿渡御 : なし
祭りの規模 : 超小規模  露店数 : 数店
その他 : 式典のみの例大祭です。

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*** 杓子稲荷神社 ***

杓子稲荷神社の写真
神社の全景

とても小さな神社です。

杓子稲荷神社の写真
古い庚申塔

大切にされていました。

* 杓子稲荷神社について *

古道、滝坂道から少し住宅街の中に入ったところに杓子稲荷神社があります。とても小さな神社で、住宅街の中にひっそりとあるというか、埋もれているというか、儚い感じで存在しています。今はとても小さい神社ですが、実はなかなか由緒のある神社だったりします。

備え付けられている由緒書などによると、室町時代、足利管領の下で権勢を響かせていた吉良氏がこの地を治めることとなり、世田谷城を築きました。その際に鬼門鎮護としてこの地に伏見稲荷を勧請したのがこの神社の始まりだそうです。その後は吉良氏のもとで手厚い保護を受けていましたが、戦国末期に吉良氏の滅亡とともに神社は廃れていったそうです。後年、近くの松原宿の住民などによって再興され、今日に至るまで地元の人々に信仰され続けています。

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やはり気になるのは「杓子」という名前です。これは吉良氏の子供が病弱だったため、その乳母が「杓子の能くもろもろの飲食物をすくいて餘さざるが如く、若君を救いて強壮ならしめえ」と、毎日この神社に杓子を捧げて祈願したことから「杓子様」「杓子稲荷様」と呼ばれるようになったと伝えられているみたいです。

なぜ杓子なのか。それは神社の由緒書に「杓子の食物を掬うは救うに通じ、全ての病難・災難を祓い、福徳円満、長寿開運、万福招来の象徴であります。」と書かれていました。そのほか昭和の記述などを読むと、この稲荷神社は地元の人から「おしゃもじ稲荷」とも呼ばれていて、百日咳にかかったときに稲荷様へお参りし、おしゃもじでご飯を食べたそうです。いわゆる咳の神「おしゃもじ様」という信仰があったようです。

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なぜしゃもじが咳の神に通じるのか。それはおしゃもじ様は元々は石神であり、日本人得意の語呂合わせで、「石神」→「せきしん」→「せきのかみ」→「咳の神」となり、また「石神」→「しゃくじん」→「しゃくし(杓子)」→「しゃもじ」といった言葉の変化で御利益があると信じられていたようです。杓子といえば安産祈願に使われたり、底を抜いて海運の安全祈願に使われたり、咳の病気を治したり、果てには全ての病難・災難から救ってくれたりと、身近にありながらなかなか奥の深い道具かもしれません。

*** 杓子稲荷神社の秋祭りの様子 ***

杓子稲荷神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの神社

幟が立ち少し賑わいます。

杓子稲荷神社の秋祭りの写真
拝殿内で行われる式典

大きな提灯といいお寺の法要のよう

杓子稲荷神社の秋祭りの写真
境内で焼きそばなどを作る様子

餅つきも行われていました。

杓子稲荷神社の秋祭りの写真
境内の外の青空市

とてものどかです。

* 杓子稲荷神社の秋祭りについて *

杓子稲荷神社の秋祭り(例大祭)が行われるのは10月17日と案内板などに書かれていますが、現在ではそれに近い日曜日に変更されているようです。小さな神社なので神輿が出ることもなければ、露店がずらっと並ぶこともありません。訪れる人も少なく、境内では氏子関係者が焼きそばなどを作ったり、餅つきを行ったりしていました。また神社周辺では近所の人がちょっとした出店を自分の敷地内に出してお祭りを盛り上げているといった感じです。

大祭式は11時に拝殿内で行われます。参加者は少なく、座布団に正座して行われる神事はまるでお寺で行われる法要のような感じでした。その様子はとってものどかで、神様に対しても親近感がわいてきそうです。そういった気さくな雰囲気がとても心地よく感じました。

* 感想など *

世田谷の秋祭りを見て回ろうと東へ西へ奔走していた時、滝坂街道を通ると掲示板に杓子稲荷神社例大祭のポスターが貼ってあるのを偶然見つけました。この案内を見なければ祭りをやっていることに気がつかなかったかもしれません。とはいえ、小規模だろうし、神輿も出ないようだし、他の神社を回ったほうが・・・、と思いつつも変わった名前や由来を持つ神社の縁日ということで訪問してみました。

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訪れてみると、やはりとっても小さな縁日でした。この付近は旧郷社である世田谷八幡神社の氏子地域でもあります。神輿が担がれたりするのはそちらの神社なので、ここが小さな縁日となるのもしょうがありません。でも式典や縁日の様子を見ていると、とてものどかではありますが、守っている地元の人々の結束の強さというか、愛着の強さを感じました。

昔の文献を読むと、子どもの頃に百日咳や風邪を引いた時に親に連れられてきたといった記述を時々見かけるのですが、それは梅ヶ丘だけではなく、若林だったり、代田だったりとこの付近ではよく知られる神社だったようです。そういった体験を子どもの時にした人などは、やはりこの神社に愛着を感じるのでしょう。こういった地元の人々の愛情によって守られているような小さな神社がまだ世田谷に残っている事に少々感動すら感じてしまいました。

また、古き良き風習は残っているのだろうかと、さりげなく杓子などを奉納するような習慣があるのかなと捜してみましたが、見つけることはできませんでした。

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<世田谷の秋祭り File.19 杓子稲荷神社例大祭 2012年9月初稿 - 2015年10月更新>