世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.11

弦巻神社例大祭

地域の人々が揃いの半纏を着て担ぐ神輿からは氏子の団結力を感じ、小規模のお祭りながらとても雰囲気の良い祭りとなっています。

鎮座地 : 弦巻3-18-22  氏子地域 : 弦巻1~5丁目
御祭神 : 宇迦之御魂神、応神天皇、菅原道真公  社格 : 無格社
例祭日 : 10月第三日曜日に本祭、前日に宵宮
神輿渡御 : 宮神輿、子供神輿、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 10店弱
その他 : プロによる奉納演芸が行われます。

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*** 旧弦巻村と弦巻神社 ***

弦巻神社の写真
神社のある敷地

神社の敷地は緑が多いです。

弦巻神社の写真
鳥居と参道

小さいながら二の鳥居まである参道です。

弦巻神社の写真
社殿

小さめの拝殿で、すぐ横は神楽殿です

弦巻神社の写真
小さな祠

幾つか境内にあります。

弦巻神社の写真
ゴルフの練習場

すぐお隣は打ちっ放しです。

* 旧弦巻村と弦巻神社について *

桜新町駅の北側、そしてボロ市通りの南側に広がる地域が弦巻です。変わった地名ですが、その由来には幾つか説があります。一つ目は牧場だったという説で、「つる」は古代朝鮮語の野原の意味で、「まき」は牧場を表していて、かつてこの地で馬の産出を行い、関東武士団の形成を助けたのではないかと考えられています。

二つ目は弓矢の弦を意味しているという説で、かつて源義家が奥州征伐の時にこの地で弓の弦を巻いたとも、外したとも言われていたり、武士がこの地で降伏し恭順に意味を込めて弦を外したなどとも語り継がれています。

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三つ目は水流(つる)が渦巻く場所という説で、弦巻の地は村の西方の水源から流れ始める蛇崩川が村を横切っていて、この蛇崩川は普段は水量が多くないものの、大雨となると一気に水量が増し、弦巻村に大水害の被害をもたらすほどでした。そういった川の様子から水流巻(絃巻)となったとも言われていますが、どれもはっきりとした決め手がないようです。

ちなみに蛇崩川も変わった名前ですが、これは川の流れが蛇行していて、川の両岸が小砂利混じりの赤土の地層で崩れているように見えたから蛇崩川と名が付いたとか、実際に大蛇が出たという話しから名が付いたとか言われています。

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弦巻という名が歴史に初めて登場するのは永和2年(1376年)で、初代世田谷城主となった吉良治家が鎌倉鶴岡八幡宮に「上絃巻の半分を寄進する」という寄進状(鎌倉鶴岡八幡宮蔵)を送っています。吉良氏の統治時代には弦巻神社付近に砦が設置されていたとされています。吉良氏がこの地から放逐された後、徳川家康に許された吉良氏朝が世田谷に戻ってきて実相院を開基し、隠遁生活を送ったのが弦巻の地で、現在もここに葬られていたりします。

江戸時代になると世田谷の15村は彦根藩の井伊家の所領となるのですが、代官屋敷やボロ市通りにほど近い弦巻村もその中に含まれていました。大正時代には時代の最先端の技術で駒沢給水塔が造られたりもしましたが、弦巻が急激に発展していくのは戦後になってからで、世田谷でも開発が遅かった地域でもあります。

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弦巻の氏神として地元の人々の信仰を集めてきたのが弦巻神社です。この神社は明治41年の小社合祀の令により、村内にあった稲荷社(現在地)、向天神社(弦巻一丁目)、八幡社(弦巻四丁目)の三社が合祀され、地名を採って弦巻神社と名付けられたのが始まりとなり、大正五年に遷座祭が行われています。どの神社も創建された時期などは明らかではなく、それぞれが村民の管理している小さな祠だったようです。

現在の神社はこんもりとした緑に囲まれた丘の上に立地しています。雰囲気的には桜丘にある宇山稲荷神社に似ているでしょうか。一の鳥居、二の鳥居と少し登っていくと正面に小さめの拝殿があり、右手には神楽殿があります。何時建てられたのか分かりませんが、2009年に訪れると拝殿や神楽殿、社務所が補修されて部分的に新しくなっていました。小さいながらも全体的には雰囲気がいいと感じる神社です。ただ、すぐ隣がゴルフの打ちっぱなしの練習場なので、境内を歩いているとカン、カンとゴルフの球を打つ甲高い音が聞こえてくるのが残念なところです。

*** 弦巻神社の秋祭りの様子 ***

弦巻神社の秋祭りの写真
提灯が灯される参道

秋祭りの時は神社入り口まで提灯が灯されます。

弦巻神社の秋祭りの写真
屋台など

今では境内の隅に数店だけ出店しています。

弦巻神社の秋祭りの写真
神楽殿での素人奉納演芸

太鼓や舞踊などが行われます。

弦巻神社の秋祭りの写真
プロの奉納演芸

土曜の宵宮はプロによるステージになります。

弦巻神社の秋祭りの写真
投げ餅

両日とも最後に投げ餅が行われます。

弦巻神社の秋祭りの写真
御輿舎の神輿

祭礼日には御輿舎が造られ、丁重に飾られます。

* 弦巻神社の秋祭りについて *

弦巻神社の例大祭(秋祭り)は昭和35年頃まで10月8日の固定日に行われていましたが、今では10月第三日曜日に本宮祭、その前日の土曜日に宵宮祭が行われています。区内の祭りでは松陰神社を除くと最後になる場合が多いです。かつては賑やかに行われる事もあったようですが、今では氏子と地域の人々によって細々と行われているといった感じの秋祭りになっています。

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宵宮では14時から太鼓車が運行され、呼び太鼓を鳴らしながら町内を巡行します。夕方からは神楽殿にて奉納演芸が行われます。宵宮の日はプロによるステージになりますが、最初は地域の松丘こども太鼓などの演奏で、プロの演奏などは19時くらいからになります。だいたい二組ぐらいになるでしょうか。

そして演奏が終わるとお囃子が演奏され、最後に投げ餅が行われます。演芸にしても見ている人が少なく、投げ餅でもそんなに人がいないので、あまり競争率が高くありません。しかも投げられるお餅がつきたての柔らかい餅です(土曜日だけかもしれませんが)。こういうのは関係者の思いやりがこもっているようで、もらう方はうれしいものです。

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本宮祭では朝10時から拝殿にて例大祭が行われ、その後御神輿の前でも祭事が行われます。それが終わると子供神輿が出発していき、1時間ほどで戻ってきます。大人の神輿は13時半の宮出しで、18時頃神社に戻ってきます。

本宮の夜は19時から奉納舞踊が行われ、宵宮と同じく最後に投げ餅が行われます。境内はあまり活気があるとは言えなく、訪れる人もまばらでした。境内に出店していた屋台は6店ぐらいだったでしょうか。奉納演芸にしても地元小学校の太鼓の演奏などはそこそこ人が訪れますが、それ以外では観客はまばらなのがちょっと寂しいところです。

*** 弦巻神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

弦巻神社の神輿渡御の写真
神輿前での神事

御霊移しになるのでしょうか。

弦巻囃子連中の写真
弦巻囃子連中

宮入、宮出しなどに演奏されます。

弦巻神社の子供神輿渡御の写真
子供神輿の渡御

子供達も揃いの半纏です。

弦巻神社の子供神輿渡御の写真
蛇崩川緑道を進む子供神輿

水道管のオブジェがたくさんあります。

弦巻神社の神輿渡御の写真
御神輿と弦衆

渡御前の記念撮影です。

弦巻神社の神輿渡御の写真
神社から出てきた神輿

揃いの半纏が凛々しく感じます。

弦巻神社の神輿渡御の写真
マンションと御神輿

弦巻らしく感じてしまう図です。

弦巻神社の神輿渡御の写真
夕暮れの神輿

宮入が近くなってくると熱も入るようです。

弦巻神社の神輿渡御の写真
宮入りしてきた神輿

一番の盛り上がりとなるでしょうか。

弦巻神社の神輿渡御の写真
境内でのもみ合い

余韻を楽しむように交代で担ぎ合っていました。

弦巻神社の御神輿は、伝統的に揃いの半纏で担がれます。担いでいるのは弦巻神社神輿会「弦衆(げんしゅう)」です。名前からすると、「弦衆、前へ~」「お~!」と勇ましい弓隊でも登場してきそうな感じですが、地元のおやじの会、PTA、DIVAスポーツクラブ、学校の先生など地域に携わっている普通の人の集まりになります。

最初は人数が少なかったそうですが、少しずつメンバーが増えていき、今では100人近いメンバーが在籍しているとか。担いでいる様子を見てもいわゆる担ぎ屋さんが担いでいるのとは少し雰囲気が違い、神輿同好会の人が楽しく担いでいるといった感じの渡御でしたし、渡御前にはメンバーで集まって写真を撮っていたり、宮入後も裏方の人が入って境内で何度も担いでいたりと普段から付き合いもあるからでしょうが、仲がいいというか、団結している感じを受けました。

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神輿渡御は本祭の日曜日のみとなり、宵宮の日には寄せ太鼓として子供による曳き太鼓が町内を巡回します。日曜日の午前中に例大祭が行われ、引き続いて神輿の前で祭事が行われます。それが終わると子供神輿が出発していきます。

子供神輿はいかにも子供神輿という小さな神輿ではなく、他では女神輿に使ってもおかしくないような大きさです。担ぐ子供達にとっては大きくて大変ですが、渡御時間は1時間と短く、あっという間に戻ってくるといった感じです。きっと神輿の重さを直に感じる事ができ、いい経験になったことでしょう。渡御の最後に水道管のオブジェが並ぶ蛇崩川緑道を通るのですが、水道管をよけながら進む渡御は見ていてちょっと面白かったです。

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大人神輿は13時半頃に出発します。神事は午前中に終わっているので、簡単な挨拶と乾杯のみ行われ担がれます。境内でも激しく揉むことはなく、そのまま神社の外へ向かっています。宮出し、宮入は鳥居のある参道ではなく、横にある坂道から行っていました。ここのお神輿の特徴は屋根まで金ピカという事です。晴れていると太陽の光が屋根に反射してまぶしいです。区民祭りの神輿パレードにもすぐ近くということで参加していますが、神輿自体は大きくないけど金ピカの神輿は夏の激しい日差しの中では一際目立っていたりします。

渡御コースは年によって違うようで、今年は1丁目、或いは4丁目といった感じでそのエリアを重点的に回るようです。渡御時間は5時間程度とあまり長くなく、18時半前後には宮入となります。境内に戻ってくると代わりばんこに担いでといった感じで、和気藹々と楽しそうに担いでいるのが印象的でした。

* 感想など *

弦巻は昔の世田谷の中心であった代官屋敷の南側に広がっているという地域なので、地理上では世田谷区の中央部付近に立地していることになります。しかしながら現在の交通事情においては鉄道の駅がなく、交通の便があまり良くありません。そのため中央部にありながら比較的開発が遅かった地域です。開発が遅かった分、広い土地が簡単に手に入り易かったのか、マンションやアパート、社宅などが多く、人口も面積や繁華街がない割には多く、区内の2.6%が暮らしています。

また桜新町の駅を挟んで北側が弦巻、南側は深沢になるのですが、深沢にはお屋敷や億ションが並んでいる高級エリアで、弦巻の方は普通のマンションや住宅が並んでいるといったいわゆる庶民的エリアになるようです。暮らしている人の話しでは駅周辺で小学校学区が異なるようで、通っている生徒の親を見るとそれぞれの文化圏が違うのを感じるとか、なんとか。

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お祭りは庶民が楽しむもの。そして住民が多ければお祭りも盛り上がるもの・・・というのは昔の話で、土地に古くから住んでいる人が少なく、他所から移り住んできた住民が多くても参加する人が多くなければ祭りは盛り上がりません。昭和の初めの頃は住んでいる人が少なく、氏子がなんとか神社を守って、祭礼を行ってきたようですが、畑がなくなり、マンションが建ち並んで人口が増えた今でも、やはり細々と氏子達が神社や祭礼を守っているのが弦巻神社の祭礼です。

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ただ、その分というか、村祭りといった雰囲気が残っていて、世田谷の中でも古き良き秋祭りの面影が残っているお祭りとも言えるかもしれません。神輿も盛大さや派手さなどはないかもしれませんが、普段から関わり合いのある地域の人々が揃いの半纏で和気藹々と担いでいる様子は氏子の団結力を感じますし、投げ餅にしても手間の掛かるつきたてのものを配るのは関係者の地域への愛情があるからかもしれません。

とはいえ奉納演芸などの観客の少なさはちょっと寂しいものがあります。後、神社のすぐ横がゴルフの打ちっ放しになっているのもちょっと落ち着かない感じというか、球を打つ乾いたカン、カンという音が響いてくるのが微妙なところです。

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<世田谷の秋祭り File.11 弦巻神社例大祭 2012年11月初稿 - 2015年10月更新>