世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.10

上町天祖神社例大祭

ボロ市通りにある天祖神社は上町が氏子地域の小さな神社です。地元小学生が奉納演芸を行ったり、神輿を担いだりと小規模ながら楽しそうに行われる祭りです。

鎮座地 : 世田谷1-23-5  氏子地域 : 世田谷1、2丁目など
御祭神 : 天照大御神、倉稲魂神  社格 : 無格社
例祭日 : 9月14日近くの週末、土曜日に宵宮、日曜日に本宮
神輿渡御 : 子供神輿、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 数店
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 上町と上町天祖神社 ***

上町天祖神社の写真
ボロ市通りから始まる参道

建物の間にあるといった感じです。

上町天祖神社の写真
桜の時期の神社

広場にぽつんと神社があるといった感じです。

上町天祖神社の写真
社殿

普段は柵の中には入れません。

上町天祖神社の写真
境内

狛犬や境内屋がありました。

ホタルと鷺草市の時の写真
盆踊りの時の参道

提灯が灯って賑やかです。

ホタルと鷺草市の時の写真
鷺草市

植木市が建ちます。

ホタルと鷺草市の時の写真
盆踊りの櫓

鳥居前に設置されます。

ボロ市の時の写真
ボロ市の時の植木市

昼間は賑わいますが、夕刻以降は静かです。

* 上町と上町天祖神社について *

現在の世田谷の行政の中心は区役所のある世田谷4丁目になります。時代をさかのぼっていくと江戸時代は代官屋敷のある世田谷1丁目、その前は世田谷城のある豪徳寺2丁目となり、これらはいずれも1キロ以内にあるので、今も昔もこの付近が世田谷の中心ということになります。

この三カ所は全く関係のない場所ではなく、世田谷城が造られた頃、区役所のある付近を鎌倉道が通っていてちょっとした宿場になっていました。古い字でも元宿と付けられています。またこの付近は高台になっているので見晴らしが良く、後には武家屋敷が並ぶようになったとか。

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時代が進むと、鎌倉道よりも厚木方面に抜ける大山道(矢倉沢往還)が重視されるようになり、新たに新宿が設けられました。それが代官屋敷のあるボロ市通りになり、昔は上宿、下宿と分かれていました。ボロ市通りを含む上宿は後に字の上町となり、現在の世田谷1丁目のボロ市通り付近と世田谷2丁目になります。下宿の方は下町と名付けられ、駒沢公園通りから東側になります。

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かつての世田谷のメインストリート、そして現在での冬の風物詩として全国的に地名度のあるボロ市が開催されるのがボロ市通りです。ボロ市通りの中心は代々代官職を努めてきた大場家の屋敷を利用した世田谷代官屋敷で、現在でも現存していて、一般に公開されています(内部は土間だけ)。

同じ敷地内には世田谷郷土資料館が建てられていて、世田谷の歴史やボロ市の歴史などを知ることができます。この代官屋敷と通りを挟んであるのが、世田谷信用金庫や上町まちづくりセンターで、その間に挟まれるような形で天祖神社の参道があり、奥まったところに社殿があります。

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この上町天祖神社は稲荷社が相殿となっていて、天照大御神と倉稲魂神が祀られています。創建年代や由緒は不明ですが、中宮として保存されている本殿の沓石に刻まれている文字によると「此の祠は昔伊勢森にあった。その始めは不詳、今嘉永己酉夏予小吏郷民に命じて新しく祠を字上町に造らしめた」とあり、恐らく横根の伊勢森にあった稲荷社の祠をこの地へ移して相殿とし、嘉永己酉(1849年)に新たに祠を創ったという事のようです。

この旧社殿は昭和55年に区に寄贈され、郷土資料館に展示されているのですが、造りは向唐破風屋根の宮殿造りと稲荷社の社殿造りとは建築様式が異なっているので、言い伝えとは別の曰くがあるのかもしれません。

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この天祖神社は上町の鎮守として人々の信仰を集めていましたが、村の守り神としての村社ではなく、字の守り神といった位置づけになるので、明治41年の政府による小社合祀の令の一村一社の原則に従って明治42年6月に世田谷村の鎮守世田谷八幡宮に合祀され、神社が一度廃止されたという歴史を持っています。

しかし上町の人々の要望によって昭和6年に本殿を建て直して再建されました。昭和7年になると世田谷区の誕生と共に上町は旧世田谷一丁目に組み込まれました。終戦を迎えると寺社は政府の管轄から離れ、小社合祀の令も守らなくてもよくなり、昭和29年には設立登記し、社殿ならびに社務所を建設して神社としての形式が整えられました。

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昭和41年には大規模な町域変更が行われ、旧世田谷1丁目は現在の世田谷1~4丁目という住所となり、上町の旧町域にあたる世田谷1、2丁目の鎮守となりました。それと同じくして天祖神社も改築を行い、現在の配置になったようです。それまでの天祖神社は今の鳥居のところに社殿があり、社務所はその裏にあったようです。

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現在の天祖神社は広々とした境内を持っているようにみえますが、区立公園である世田谷天祖神社広場も含まれているので見た目よりもずっと狭いはずです。神社も社殿のすぐ前に鳥居があるといった変わった配置で、しかも社殿は建物に近づけないように柵で覆われています。多分この柵で覆われている部分だけが神社の敷地となるはずです。広々としているようで、とても窮屈にも見える神社です。

普段は広場で遊ぶ子供達や通行人がいるぐらいですが、冬のボロ市、夏の鷺草市と盆踊りの時はとても混雑します。特にボロ市は何十万という人手があるので境内も一日中大混雑です。そういった様子を見ると、神社が柵で覆われているのも分かる気がします。

*** 上町天祖神社の秋祭りの様子 ***

上町天祖神社の秋祭りの写真
例大祭の様子

とっても簡素に行われていました。

上町天祖神社の秋祭りの写真
本殿

拝殿内にすっぽりと本殿が収められています。

上町天祖神社の秋祭りの写真
参道の出店

ポツンとあるのでより暗く感じます。

上町天祖神社の秋祭りの写真
宵宮の境内

子供たちの舞台が続くので早い時間は混雑します。

* 上町天祖神社の秋祭りについて *

上町天祖神社の祭日は9月14日でしたが、現在では諸事情により週末に行われるようになりました。14日近くの週末というのが正式かと思いますが、氏子地域が被る世田谷八幡が第3土曜日と翌日だと考えると、宮司さんや氏子の都合上被らない第二土曜日と翌日曜日、というより世田谷八幡宮の一週前に行われるというのが実際のところです。

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祭礼は土曜日に宵宮が行われ、夕方5時より奉納演芸が行われます。宵宮の奉納演芸では桜小学校や松丘小学校の生徒による太鼓などの演奏が行われたり、民謡民舞やカラオケなどが行われます。

日曜日の大祭では午前10時に祭典が行われます。本来なら建物の内部で行われるのでしょうが、本殿が収められているだけでちゃんとした拝殿のない造りをしているので、階段の上の狭いスペースで神事が行われていました。神社の前には大きな桜の木があるので、桜の時期に同じ事が行われていたらかなり絵になることでしょう。

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午後2時から神輿と太鼓車が運行されますが、残念ながら子供神輿だけです。大人の神輿は売ってしまったのでないそうです。夕方6時頃からは奉納演芸が行われます。手品や寄席など宵宮とは少し違った演目になりますが、小学生が出演する宵宮の方がその保護者や友人などが集まり、盛り上がるようです。そして両日とも最後に紅白餅まきが舞台より行われます。奉納演芸は両日とも8時過ぎぐらいには終わってしまいます。

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露店は年によって違うようで、参道の入り口付近と社殿の前あたりに出るだけとかなり寂しい感じの時もあれば、もう少し多いときもあります。特に参道にポツンと屋台が出ている様子は、暗い路地裏にある赤提灯の屋台のようで余計に寂しく感じてしまいます。せめて提灯や行灯などが明々と灯されていればいいのですが、それも部分的でしかなく、全体的に暗く、寂しい感じのするお祭りです。

もっともボロ市や鷺草市の時の境内の賑やかさを知っているので、寂しい光景といった印象がより強くなっているのかもしれません。区が主催、或いは後援をしているイベントと、地域のイベント、しかも氏子地域が限定される狭いエリアでのイベントを比較してもしょうがないことですが・・・。

*** 上町天祖神社の神輿渡御 ***

*** 子供神輿 ***

並べられた神輿など

ずらっと並んだ様子はなかなかのものです。

子供神輿など

虫干しも兼ねているような感じです。

太鼓車を引く子供たち

楽しそうに引っ張っていました。

代官屋敷前を行く子供神輿

 

子供御輿の渡御

ボロ市通りを進んでいきます。

上町天祖神社には子供神輿用の小神輿は多くありますが、大人の担ぐ大神輿はありません。話を聞くと、以前は所有していて、祭りの時には若者が威勢よく担ぎ盛り上がっていたそうですが、担ぎ手も集まらなくなり、売ってしまったとか。まあ理由はそれだけではないのかもしれませんが、氏子地域の小さい神社では色々と苦労があるということなのでしょう。

その分というか、小さな子供神輿が三基に太鼓車は四台あります。祭礼日になると長テントの下にずらっと並べられるのですが、その様子はなかなかのものです。神輿は古めのものが多く、戦後に造られたものだとか。太鼓が昭和24年から30年代にかけて建造されているので、神輿もそういった時期に造られたもののようです。

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神輿が運行されるのは日曜日の午後2時からです。その時にはボロ市通りに神輿や太鼓が並べられます。全部運行されるのかと思ったのですが、どうやら集まった子供の数に応じて必要な分だけ運行しているようでした。氏子地域は旧上町なので世田谷1丁目の駒沢公園通りより西側と世田谷2丁目付近となります。詳しいルートまで聞きませんでしたが、神輿や太鼓はそういった地域を回るそうです。昔はお隣の桜の方からも参加していたとか聞きますが今ではどうなのでしょう。

* 感想など *

ボロ市通りは江戸時代の世田谷のメインストリートと呼べるような通りでもあります。そこに立地している上町天祖神社は繁華街にあった神社と言えるかもしれません。現在でも年に四日行われるボロ市の時には境内は多いに賑わい、夏の鷺草市の時には植木市がたったり、盆踊りの櫓が組まれたりとかつて繁華街にあったという面影を感じる時があります。

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そういった賑やかな時しか知らないで秋祭りを訪れると、あれっといった気持ちになってしまうかもしれません。特に夜に訪れると盆踊りの時のような賑わいはなく、何でこんなに暗いの・・・とビックリするかと思います。

よくよく考えると、賑やかなイベントは区が主催したり、後援するようなイベントなのです。それが地域限定の地域のためのイベントとなるとこのように寂しい感じになってしまうものです。やっぱり地域限定の小さな氏子地域の小さな神社であり、これが本来のあるべき姿なんだなと改めて認識した次第です。

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上町天祖神社は住所は世田谷になっていますが、世田谷の鎮守や村社ではなく、世田谷の中でも氏子地域は上町限定となります。ボロ市商店街を歩くと、店のウインドーなどに上町天祖神社と世田谷八幡宮の祭礼のポスターが仲良く並んで張られている事が多いのが実際です。

区内で旧字といった小さな町域での秋祭りは他でも幾つか行われていますが、やはりどこも小規模な祭りとなっています。その中ではここの祭りは商店街としてイベントを行い慣れている分、舞台の出し物が多いなど賑わっている方だといえます。

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ただ今後もこの規模を維持できるかというと、どうなのでしょう。もっと上町に住む人の上町愛が必要かもしれません。それがないと世田谷八幡宮の祭りで楽しめばいいんじゃないのってなことになってしまいかねません。やっぱり祭礼にはお金と手間が掛かるものですから。ボロ市通りにあり、ボロ市や鷺草市を訪れた人が立ち寄ったりと区民にも比較的親しまれている神社なので、今後とも頑張って秋祭りを維持してもらいたい神社でもあります。

<世田谷の秋祭り File.10 上町天祖神社例大祭 2012年12月初稿 - 2015年10月更新>