世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.7

若林稲荷神社例大祭
(若林鎮守三社例大祭)

昔は村内に鎮座している三社で順送りに秋祭りが行われてきましたが、今では若林鎮守三社祭という風習を守りながら若林稲荷神社で毎年盛大に行われてます。

鎮座地 : 若林2-18-1  氏子地域 : 若林1~5丁目
御祭神 : 倉稲魂神、天照大御神  社格 : 旧若林村村社
例祭日 : 9月第二日曜と前日
神輿渡御 : 宮神輿、お囃子
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 若林鎮守三社の写真 ***

若林稲荷神社の写真
若林稲荷神社の入り口

住宅地の中に普通な感じで入り口があります。

若林稲荷神社の写真
参道

階段を登らないといけません。

若林稲荷神社の写真
社殿

昭和59年に建てられた新しい建物です。

若林稲荷神社の写真
拝殿の額

稲荷神社と天祖神社が並んで書かれています。

若林稲荷神社の写真
社殿右側の招魂社

天祖神社もこんな感じだったのでしょうか。

若林稲荷神社の写真
社殿左側の大黒様

昔は弁財天などもあったようです。

北野天満宮の写真
環七沿いにある北野天満宮(北野神社)

ひっそりとした感じで存在感がほとんどありません。

北野天満宮の写真
北野天満宮の拝殿

敷地内は狭く、めぼしいものはありません。

* 旧若林村と若林稲荷神社などについて *

若林はかつての若林村だった地域で、北は代田、東に三軒茶屋や太子堂、南に上馬、西に区役所などのある世田谷に面している縦横およそ1000mの正方形に近い地域です。地域の中央を縦に環七が通り、中央付近を世田谷線や烏山川が横切っていて、北端を旧滝坂道が通り、南端を世田谷通り(旧大山道)が通っているといった交通の要所であり、大きな繁華街はないものの立地的には世田谷の中心部にある地域です。

line

若林村は吉良氏が14世紀半ば頃に世田谷にやってきてから発展していきました。地名についてははっきりしたことはわかっていなく、新田、新町といった類の新たに造成された土地に植林された若い木々といった事を意味しているのではといわれているそうです。

吉良氏が滅びた後の徳川時代には旗本領、幕府の鷹場となりました。また村の西方の丘には長州藩の毛利家の抱え屋敷も建てられました。このため幕末にはのどかだった村が時代の波にさらされることになります。

line

若林村には古くから若林鎮守三社といわれる福寿稲荷神社、北野天満宮、天祖神社があり、明治になってからは長州藩の毛利家の抱え屋敷内にある吉田松陰の墓にちなんで松陰神社が創られるなど、神様に縁深い地域です。松陰神社は新しい神社なので別として、古くからある3つの神社では1年ごとに交代でお祭りが行われてきました。

現在では天祖神社は福寿稲荷神社に合祀され、若林稲荷神社と称されています。お祭りも若林鎮守三社祭として若林稲荷神社で毎年行われています。

line

若林鎮守三社の中で一番古く、由緒があるのは北野天満宮です。別名、北野神社、石天神、牛天神とも言うようで、資料ごと名称が違うので困ってしまいます。この神社は応永八年(1401年)武蔵国深大寺の僧、 花光坊長弁が世田谷若林石天神で連歌の法楽を奉納したと「長弁私案抄」に記録が残っているので、それ以前からこの地に祀られていたとされています。

天神様なので祭神は学問の神の菅原道真公となりますが、古くは霊石をご神体としてお祀りしていたので石天神と呼ばれていました。江戸時代になると牛天神と呼ばれるようになります。牛は菅原道真公の乗り物として天神様には欠かせないものです。駄洒落が多い天神様信仰のこと、石(いし)と牛(うし)の読みが似ていることから牛天神ともいわれるようになったようです。それに因んで戦前まではご神体の牛が置かれていましたが、戦後のどさくさで紛失してしまったとか。平成22年には60年ぶりにご神体の牛が復活したそうです。

line

かつてはお参りすると「虫歯によく効く」と言われていたり、結婚式が行われたりと付近の住民がことあるごとにお参りし、そしてお礼参りに持ってくる梅の盆栽が境内に所狭しと並んでいたといった記録が残っていますが、今ではそういった賑やかな様子はありません。環七沿いにある神社は環七が通されるときに大きく土地を削られ、今では狭い敷地内に社殿があるぐらいで特に何もなく、ちょっと寂れた感じのする神社となっています。

line

若林稲荷神社は烏山川緑道の北側にある小さな稲荷神社で、福寿稲荷神社に天祖神社(神明社)が合祀されたものです。福寿稲荷神社の創建年代は不詳ですが、明和6年(1769年)に地頭より社領を奉納されていて、また元禄5年(1692年)の手水鉢が残されていることから、江戸時代初期から中期ぐらいの間に創建したと推測されています。

昔は末社として弁財天、大黒天、毘沙門天が本殿の横に祀られていて、弁財天を祀る池も境内にあったと言われていますが、現在では大黒天が本殿の左側に祀られているだけです。合祀された天祖神社はかつて代田村に所属していた時期もある常林寺の内宮で、寺門の右側に祀られていたそうです。明治10年(1877年)に常林寺が焼失し、廃寺となってしまったために稲荷社に移されました。最初は本殿の右側に祀られていましたが、後に本殿に合祀されました。

line

現在の若林稲荷神社は住宅地の中に埋まっているといった感じで立地しています。鳥居から入って階段を上ると社殿のある広場に出ます。正面には立派な朱塗りの新しい社殿があります。これは昭和59年に氏子の努力によって再建されたものです。それ以前のものは昭和20年の空襲で焼失してしまい、その後は他の神社から買い取ったお宮を移設して使用していたそうです。拝殿の額には稲荷神社と合祀された天祖神社の名が仲良く並んで書かれています。

変わっているのが振り返ると神楽殿があることです。階段を上るときに横に建物があったのが、上に登ってみると神楽殿になっているとはビックリ。省スペースで効率的ですが、拝殿と向き合っている神楽殿というのは神楽の盛んな地域ではたまに見かけますが、普通の神社ではちょっと違和感があります。

line

烏山川緑道の北側の丘に位置している神社といえばすぐ近くの太子堂八幡神社など緑の多い印象がありますが、ここでは樹木は少なめです。昔の記録では樹木がうっそうと茂り、大木に囲まれた神社だったそうですが、これも戦災の影響で樹木が焼失してしまったそうです。

神社や村が空襲に遭ったことから本殿向かって右には招魂社が建てられていて、戦争で戦死した人々の霊が祀られています。この社は移設された天祖神社のものを使用しているのかはわかりませんが、かつてはここに天祖神社の社が置かれていました。全体的には昭和59年に整備されただけあって新しい感じのする神社です。

*** 秋祭りの様子 ***

若林鎮守三社の様子を写した写真
秋祭りのときの社殿

提灯があると賑やかな感じがします。

若林鎮守三社の様子を写した写真
社殿から見た神楽殿など

神楽殿は斜面を利用した変わった造りをしています。

若林鎮守三社の様子を写した写真
宵宮の投げ餅

景気づけに祭りの初めに行われます。

若林鎮守三社の様子を写した写真
神社の前の通り

路上に屋台が並んで神社周辺が賑わいます。

若林鎮守三社の様子を写した写真
鳥居前

夕方にもなると人が増え、賑やかになります。

* 若林鎮守三社祭について *

若林村には古くから若林鎮守三社といわれる福寿稲荷神社、北野天満宮、天祖神社があり、3つの神社で毎年順送りでお祭りが行われてきました。現在では北野天満宮は神社の規模が縮小され、天祖神社は福寿稲荷神社に合祀されて若林稲荷神社となり、昔のようなきちんとした三社ではなくなってしまいましたが、お祭りはかつての若林鎮守三社祭という形式を残しながら若林稲荷神社で毎年行われています。

line

昔は9月21、22日が若林の祭礼日でした。その前日の20、21日は池尻村の池尻稲荷神社の祭礼にあたるのですが、池尻では蛇の祟りによって祭りの日は必ず雨に祟られていたようです。そのとばっちりなのかわかりませんが、若林でも祭礼に雨が降ることが多かったそうです。現在では氏子などの都合によって9月第二日曜日と前日に行われるようになりました。祭礼日が変わって雨の呪縛からは解き放たれたのかどうかは分かりませんが、訪れたときはとてもいい天気でした。

かつてはお囃子が盛んだったようで、祭りのはじめには三番叟を踊り、蛇殺し(おろち退治)でしめくくったとのことです。今でもお囃子連はありますが、こぢんまりとした感じで活動しているようです。

line

祭礼は土曜日に宵宮祭、日曜日に本宮祭となります。ちょっと変わっているのは宵宮の始まりに投げ餅が行われることです。役員などが祭りの開始の宣言と挨拶を行い、その後に景気づけとして行われます。寄せ太鼓ならず寄せ餅といったところでしょうか。ちゃんと確認していませんが、日曜日の本祭の最後にも投げ餅が行われるはずです。宵宮ではカラオケ中心にフラダンスやよさこいなどの奉納演芸が行われます。

line

本宮祭は10時半頃から宮神輿の発輿祭が行われ、町域に出て行きます。その後11時から例祭が行われます。夕方には神輿が戻ってきて境内は賑わいます。露店の多くは神社の前の通りに並びます。普通の住宅街に露店が並ぶというのは近年あまり見られなくなったので、ある意味懐かしくもあり、珍しくもある祭り風景となっています。

昼間はひっそりとしているのですが、夕方ぐらいから人が増え始め、夜にもなるとかなり混雑し、お祭りらしい雰囲気になります。今後ともこういった雰囲気が続いてほしいのですが、路上で行っている以上周辺住民とのトラブルが起きてしまうと急に屋台が出なくなってしまうかもしれません。

*** 若林鎮守三社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
発輿式

出発前の儀式です。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
三社の紋が入った神輿

三社祭らしい神輿です。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
担ぎ始め

境内でひともみしてから神社を出ます。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
宮出し

狭い階段に鳥居くぐりとちょっと大変です。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
先頭するお囃子

ここでは機動性が高い小型トラックです。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
神輿の渡御の様子

お囃子、杖、高張りが先導します。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
狭い道を進む神輿

担ぎ手で道があふれています。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
接待所へ到着

若林らしく狭いです。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
北野天神への差し上げ

環七を一時的に封鎖して行われます。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
宮入の様子

提灯が並ぶ境内なので雰囲気がいいです。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
最後の締め

宮入の締めくくりです。

若林稲荷神社の神輿渡御の写真
雨宮入り

雨の中でも頑張っていました。

本祭の日に宮神輿が運行されます。年によって違うかもしれませんが、朝10時半頃から発輿祭が行われ、45分頃に宮出しが行われます。宮出しは狭い階段を下って鳥居をくぐらなければならないのでちょっと大変です。

宮出しされた神輿は若林1~5丁目を反時計回りに一回りして、夕方17時15分頃に宮入します。若林の町域は正方形に近い形をしているので、同じ場所を行き来するのではなく、ぐるっと一回りできます。世田谷の中心付近なので特に何の変哲のない住宅街や商業地を回るだけの単調な神輿渡御になりそうな感じがしますが、ここの町域はなかなか特徴的です。

line

若林といえばカーナビの試験に使われるとかいわれるほど狭い道がごちゃごちゃしている町域です。それに町域の真ん中を縦に東京の大動脈である環七、横に世田谷線が通っています。狭い路地を進んだり、踏切を何度も横切ったり、下町的な雰囲気のある商店街を進んだり、大通りを練り歩いたりと、担ぐ人には色々と風景が変わって面白いかもしれません。ただ町域の真ん中を横切っている烏山川、現在の烏山川緑道が低地なのに対してその南北が高台になっているので、それなりにアップダウンがあります。

line

ここの渡御のハイライトは環七を進んで三社の一つ北野天満宮の前での差し上げるところです。渡御自体は一車線で行いますが、差し上げるときは2車線使わないとできないので、ちょっとの間環七が封鎖されます。分からない人にはいきなり何やっているんだといった光景かもしれません。その後世田谷線との若林交差点で環七をUターンしますが、ここは信号に従い、さっさと移動するといった感じです。

また先導する高張り提灯には若林三社神社祭禮と書かれ、その左右に天神様の梅紋と稲荷社の稲紋が描かれていたり、お神輿の屋根に三つの神社の紋が仲良く取り付けられていたり、狭い道が多いからなのか、先導するお囃子が小型トラックの荷台に太鼓だけ座り、笛は歩きながらだったりと、他ではあまり見ない形態で行われていたりするのもここの特徴です。

* 感想など *

かつて若林村には大きな地主がいなかったという話です。だから村は比較的平等な環境で平和的にお互いが助け合って暮らしていたとか。俗に「若林の人々は豪徳寺の鐘の聞こえない所へは行かない」といわれ、村の字の中の者同士で親密に付き合い、互いに助け合う習慣が長い間受け継がれてきたそうです。

現在でもそういった習慣は受け継がれていて、町は生活しにくいごちゃごちゃした路地が多い反面、人間的には下町的で親しみやすいといった事も耳にします。お祭りもやはり平等とか、協力といった言葉がふさわしく、村にある三社で順送りに行われ、それぞれの当番が交代で祭りを行ってきた歴史があります。

line

現在では若林稲荷神社一社でのお祭りとなってしまいましたが、こういった若林独特の地域性が今でもよく表れて・・・、と言いたいところですが、こういう内部の運営事情のようなことは外部の人間がちょこっと見学しただけではわかりません。お祭り自体はとてもいい雰囲気だったので、きっと今でもそういった風習が残っている事でしょう。そういった事を思いながら細い路地や商店街を進む神輿渡御の様子などを観察していると、どことなく若林の町に親近感がわいてくるかもしれません。

<世田谷の秋祭り File.7 若林稲荷神社(若林鎮守三社例大祭) 2012年10月初稿 - 2015年10月更新>