せたがや百景 No.91-100の紹介
昭和59年に世田谷区と区民によって選定された「せたがや百景」のNo.91-100の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。
No.91 上野毛五島美術館一帯

実業家として知られている故五島慶太氏が50年にわたり収集した古美術品が収蔵展示されている。美術館の建物は美しい和風建築で、崖線の斜面に広がる自然のままの庭園に野仏を配している。美術鑑賞のあとの散策に四季それぞれの趣を見つけることができる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:上野毛3-9-25 備考:ーーー


五島慶太氏(1882-1959)といえば、言わずと知れた東急グループ(東急電鉄)の事実上の創業者であり、偉大な財界人であり、一時期は政治家でもありました。
その五島氏が収集した日本と東洋を中心にした古美術を展示しているのが、上野毛の国分寺崖線上にある五島美術館です。美術館の設計は、文化勲章を受賞した吉田五十八氏。収蔵品以前に、まず建物からして一流思考だったりします。
収蔵品は絵画、書画、茶道具などを中心に陶磁、考古、刀剣、文房具など多岐な分野にわたっています。とりわけ有名なのが、国宝「源氏物語絵巻」と、国宝「紫式部日記絵巻」です。五島氏が美術館設立を決意してから、展示品の目玉として旧大名家から購入した逸品です。

五島美術館には、国分寺崖線の斜面を利用した庭園が造られています。見晴らしのいい崖上は、眺めを活かした庭園風広場や茶室を配置し、庭園に不向きな斜面は国分寺崖線の自然をそのままに残し、崖下部分は趣味の石仏を配置した庭園になっています。
以前は都の天然記念物のコブシの大木があり、3月に花を咲かせていましたが、残念ながら2019年に枯れてしまいました。
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- ・上野毛五島美術館一帯(百景91)
No.92 上野毛自然公園

崖線の斜面を利用した公園で、木々の間を縫うように階段が上へ伸びている。斜面をおおう深い緑は野趣に富んでおり、大地から多摩川沿いの低地にかけてできた崖の植物相を観察できる。階段を登りきると桜の林が広がっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:上野毛2-17 備考:ーーー


上野毛駅前から多摩川方面、現在では二子玉川公園の方へ下っていく坂沿いに上野毛自然公園があります。
崖地を利用した公園で、自然公園の名の通り斜面は木々が生い茂るだけの雑木林で、その中に無機質な感じで階段が取り付けられています。

ただ、崖上と崖下に少しスペースがあり、崖上では桜が植えられている広場になっていて、桜の時期はお花見客でにぎわいます。
崖下のスペースは狭いのもあって、花壇やビオトープなどに使用されています。
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- ・上野毛自然公園(百景92)
No.93 玉川野毛町公園

公園内に直径66メートル、高さ9メートルの野毛大塚古墳がある。小高い丘とも見えるこの円墳は現在都の史跡に指定されている。プール、野球場、テニスコート、遊び場などが設けられ、スポーツと憩いの場となっている公園だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:野毛1-25 備考:ーーー



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- ・玉川野毛町公園(百景93)
No.94 野毛の善養寺と六所神社

善養寺の境内には、都の天然記念物に指定されている高さ22.6メートル、幹回り5.25メートル、樹齢六百年を越えるカヤの巨木が株を広げている。雄株で一年おきに実を結び、実のたわわな枝を手にとれる。巨木そのものが風景になっているといってよい。六所神社では夏の大祭に、みこしを多摩川の中にかつぎ入れ、水神祭りを繰りひろげる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:野毛2-7-11(善養寺)、野毛2-14-2(六所神社) 備考:水神祭は式典のみ



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- ・野毛の善養寺(百景94-1)
- ・野毛の六所神社(百景94-2)
No.95 等々力渓谷と等々力不動

境内からは、児童公園などに植えられた二百本もの桜が見下ろせる。本堂横の石段を降りていくと、途中に小さな祠があり、役の行者が祭られている。石段の上には、不動の滝が落ちており、等々力の地名はこの滝の音の轟くところから起こったともいわれる。こんもりと木々の茂るこのあたりは等々力渓谷と呼ばれ、都内とは思えぬ自然の景観を持っている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:等々力1丁目22番、2丁目37~38番外、等々力1-21-39(等々力不動) 備考:ーーー




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- ・等々力渓谷(百景95-1)
- ・等々力不動(百景95-2)
No.96 等々力の満願寺

吉良氏によって創建された寺で、等々力不動はこの寺の別院である。境内の建物は新しいが、整った荘厳さを持っており、身がひきしまる。柳沢吉保に仕えた学者細井広沢の墓があり、国の史跡に指定されている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:等々力3-15-1 備考:ーーー



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- ・等々力の満願寺(百景96)
No.97 等々力の玉川神社とその周辺

吉良頼康の創建と伝えられ、玉川村の鎮守として付近の人々に親しまれてきた。境内には昭和初期に着手された耕地整理の記念碑とその功労者の碑が建てられている。玉川地区の現在のような整然とした道路と宅地ができあがったのは。この耕地整理事業による。昭和19年に整地工事は完成した。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:等々力3-27-7 備考:ーーー



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- ・等々力の玉川神社とその周辺(百景97)
No.98 お面かぶりの九品仏と参道

九品仏浄真寺といわれるのは、阿弥陀仏如来像を三体ずつ三つのお堂に納めた三仏堂からきている。三年ごとの「お面かぶり」は都の郷土芸能に区内唯一指定されている。長い参道の向こうに見える茅造り総門、常盤伝説に由来するさぎ草園など見所が多い。奥沢城址に建てられた寺で寺域に土塁が残っている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:奥沢7-41-3 備考:ーーー






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- ・九品仏の参道(百景98-1)
- ・お面かぶりと九品仏(百景98-2)
No.99 田園調布のいちょう並木

田園調布駅に至るイチョウ並木はがっしりとたくましく、繁雑なバスの往来をものともしない。戦前の田園調布開発に際して植えられたものが成長した並木だが、良好な住宅地を形成するには長期的な計画が欠かせないことの一つの証左になっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:玉川田園調布一丁目から大田区の田園調布駅にかけて 備考:ーーー


田園調布・・・。あれ、世田谷だったけ・・・。いやいや、大田区を代表する超高級住宅地です。ただ、町並みの一部に「玉川田園調布」という住所が含まれていて、その部分は世田谷区になります。
本当は田園調布として売りたかったようですが、区が違うので、苦肉の策といった感じで、玉川田園調布と名が付けられたようです。
田園調布の町は、欧州の田園都市計画を参考に開発され、駅を中心に放射線状に道が伸びる町並みを持っています。その中心となる放射状に延びる三本の道沿いにイチョウが植えられ、イチョウ並木を形成しています。
イチョウ並木は素晴らしいのですが、先に書いたように田園調布は大田区の町。イチョウ並木部分に少しだけ世田谷区が含まれていますが、世田谷の百景に含めていいのだろうか・・・と、ちょっと複雑に感じてしまいます。
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- ・田園調布のいちょう並木(百景99)
No.100 奥沢駅前の広場

目蒲線奥沢駅は区内で最も整備された駅前広場を持つ。緑と噴水は乗降客を慰めるばかりではなく、まちの人々の憩いの場ともなる。区内には多数の私鉄駅があるが駅前はその町の玄関、ゆとりを作る工夫がほしい。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:奥沢3-47 備考:ーーー


戦後の復興期、そして、その後に続く高度成長期、日本の経済は著しく成長を遂げました。町の開発は息をつく間もなく進められ、どんどんと建物が建てられていきました。
豊かさや便利さと引き換えに失ったもの。それは多くありますが、その中の一つに町並みのゆとりというのが挙げられるはずです。
特に駅前は、商売をやるのに一等地。開発すれば必ず儲かる時代だったので、どんどんとビルが建てられていきました。駅前に建物がずらっと並んでいる様子は、とても窮屈で、場合によっては圧迫感を感じてしまいます。
そういった社会に一石を投じたのが、奥沢駅前の広場です。やはり駅前に憩いの広場があると、駅から出たときに一息落ち着くことができます。
とはいえ、百景に選ばれているので、すごい広場があるのだろう・・・と期待して訪れると、さほど広くないので、ガッカリしてしまうことでしょう。この時代だと、これが限界だったのかもしれません。
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- ・奥沢駅前の広場(百景100)