せたがや百景 No.61-70の紹介
昭和59年に世田谷区と区民によって選定された「せたがや百景」のNo.61-70の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。
No.61 宇奈根氷川神社

農村風景をそこかしこにとどめる宇奈根。氷川神社の境内には子ども達の遊ぶ姿を見かけることも多い。村の鎮守様は健在だ。都市化の波でつぎつぎに失われていった村の鎮守の原像を見る思いがする。秋祭りには地区の人総出で大いに賑わう。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:宇奈根2-13-19 備考:ーーー



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- ・宇奈根氷川神社(百景61)
No.62 砧小学校の桜

小学校の校庭に咲く春の桜は誰にとっても懐かしい思い出のあるものだ。砧小学校の桜の老木には地区の子ども達の入学と卒業を何十年にもわたって見守りつづけてきた。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:喜多見6-9-1 備考:ーーー


世田谷通りから東宝スタジオや成城駅の方へ道が分かれている交差点の名は、砧小学校交差点。その交差点の南側の高台に世田谷区立砧小学校があります。
タイトルの通り桜が有名ですが、それよりもまず、敷地の外側に設置されている玉石垣の美しさに目がいくことでしょう。なんでも小学校が建てられた時に住民が積み上げて造ったとか。美しさの秘訣は、地域の愛情となるようです。

桜の方は校庭にあり、残念ながら外からは見ることができません。許可を得るか、解放日に訪れるしかありません。
砧小学校がこの地に建てられたのが、明治40年(1907年)。その時に合併する朝陽学校からこの桜が移植されました。かれこれ百年以上経っている事になります。生徒たちからは百年桜と呼ばれ、親しまれているとか。普段はどっしりとしたたたずまいで、校庭で遊ぶ子供たちを見守っていることでしょう。
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- ・砧小学校の桜(百景62)
No.63 大蔵団地と桜

今を盛りと咲き誇る桜。いちばん盛んな樹齢に達した桜が団地と世田谷通りを飾る。シックな団地の壁面と見事なコントラストを作りあげる。住民の皆さんの自慢の春の眺め。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵3丁目 備考:ーーー



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- ・大蔵団地と桜(百景63)
No.64 大蔵の五尺藤

大蔵の和田さん宅にある藤は、その名どおり房の長さは1メートルを越え、房の数は6千以上にもなる。5月の初旬、紫の花が満開になるころは見物に訪れる人も多く、まちの名所の一つになっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵1-9-3 備考:ーーー


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- ・大蔵の五尺藤(百景64)
No.65 大蔵の総合運動場

都立砧公園と道を挟んで作られた運動公園で、門を入ると正面に近代的な体育館と噴水が目に入る。他に野球場、陸上競技場、テニスコート、洋弓場、プールなどのスポーツ施設が完備され、さわやかな汗を流すスポーツ・ゾーンとなっている。フィールド・アスレチックコースは子どもたちに人気が高い。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵4-6-1 備考:ーーー



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- ・大蔵の総合運動場(百景65)
No.66 砧ファミリーパーク

日比谷公園の約2倍の園内には一面緑の芝生が敷きつめられている。ゆるやかな起伏と木々が公園の景観にほどよい変化を与えている。家族連れやグループでのんびり一日楽しむには絶好の場所で、遠近各地から訪れる人々が多い。園内にオープンした区立世田谷美術館も人気を呼んでいる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:砧公園1−1 備考:ーーー




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- ・砧ファミリーパーク(百景66-1)
- ・世田谷美術館(百景66-2)
No.67 東名高速の橋

大蔵総合運動場と砧公園の脇を東名高速が走っている。高速道路を跨ぐ公園橋から見た疾走する自動車群は圧巻だ。夕闇が訪れればヘッドライトの光の奔流が走る。日夜鼓動する日本の大動脈の一端を見る思いがする。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:砧公園と大蔵総合運動公園の間の通り 備考:ーーー



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- ・東名高速の橋(百景67)
No.68 大蔵の永安寺

山門を入ると樹齢数百年といわれる大イチョウがある。永安寺は室町時代鎌倉の大蔵谷に建てられたものが、地形も地名も似たここに再建されたと伝えられている。本堂右側には江戸幕府のころ書物奉行を務めていた石井一族の墓がある。六代目兼重(かねしげ)は、世田谷地域での図書館の始まりとなった「玉川文庫」を創ったので知られている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵6-4-1 備考:ーーー



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- ・大蔵の永安寺(百景68)
No.69 岡本玉川幼稚園と水神橋

*せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用
岡本幼稚園の建物は二・二六事件で暗殺された蔵相高橋是清の別邸だったもので、山荘風の構えがよく幼稚園にマッチしている。風光明媚な国分寺崖線には戦前多くの高官や財界人の別荘別邸が立てられ、現在の良好な住宅街に引き継がれてきた。水神橋あたりには当時別荘から眺められた田園風景の面影がそこはかとなく残っている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:岡本3-35-10(玉川幼稚園) 備考:高橋是清の別邸は取り壊されました


大正から昭和初期にかけては首相、蔵相をつとめたのが、高橋是清です。功績を挙げればきりがないのですが、1936年に起きた二・二六事件で、陸軍の青年将校の凶弾に倒れ、83歳でこの世を去りました。
高橋是清の別邸が岡本にあり、亡くなった後に幼稚園として使われてきましたが、建物が古くなったのもあり、取り壊されてしまいました。現存していません。
高橋是清の別邸があった場所のすぐそばの仙川に水神橋がかかっています。橋の名は、近くにある水神様の祠にちなんでつけられたものだと推測されます。
水神橋は1960年代の仙川の治水工事で架けられたもので、かつてこの付近には一面田畑が広がっていました。しかし、この界隈にも宅地化の波が押し寄せ、今では住宅の方が多くなりました。
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- ・岡本玉川幼稚園と水神橋(百景69)
No.70 岡本三丁目の坂道

国分寺崖線には多摩川沿いに下る坂道が何本も通っている。岡本3丁目の坂道はなかでも勾配が強く、急な坂をたどるとき国分寺崖線の斜面を実感する。坂上からは丹沢の山々も眺望できる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:岡本3-33付近 備考:ーーー


岡本の国分寺崖線に「岡本三丁目の坂道」と呼ばれる急坂があります。ただの急坂ではなく、一直線の急坂なので、とてもインパクトがあります。
そのインパクトさゆえに、ドラマなどで使われたり、バラエティー番組で紹介されたりしていて、世田谷区外の人にも名が知られています。
勾配の表示がないので、正確にはわかりませんが、恐らく20~21%(11.5度)ぐらいだと推測できます。かなり急になるので、自転車や車などで下ると、ジェットコースターのような感覚になります。

また、この坂が有名になっているのは、坂の正面付近に富士山が見えることです。国土交通省の富士見100景にも選ばれています。
ただ、この坂道には電線が多いし、朝の時間帯は坂が影になるしと、感動するような風景かというと、そうでもないような気がします・・・。
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- ・岡本三丁目の坂道(百景70)