* 五島美術館と五島慶太 *
五島慶太氏(1882-1959)といえば、言わずと知れた東急グループ(東急電鉄)の事実上の創業者です。
現在の東急線といえば、東横線、田園都市線、目蒲線、大井町線、池上線、世田谷線と、目黒、世田谷を中心に神奈川県まで延びています。かなり広い範囲を網羅している大電鉄会社といった感じなのですが、かつての東急は、現在の小田急線、京王線、京浜急行線までもが傘下だったというから驚きです。
東京の西南部が東急一社が牛耳る地帯だった事になるからそれはそれで恐ろしい気がします。
しかもそこまで拡大したのは五島慶太氏の手腕に拠るもので、強引な買収、乗っ取りは当たり前のように行っていたとか。そのために「強盗慶太」といった異名を持っています。
普通なら乗っ取り王とか買収王五島ぐらいが妥当なのですが、強盗って・・・よほど強引だったのでしょうか。それとも単に五島(ごとう)と強盗(ごうとう)との語呂合わせが面白いから使っていたのでしょうか。
彼や東急について書いていくと、とんでもなく長くなってしまうので、興味のある方はインターネットで検索すれば色々と強盗ぶり・・・、いや五島慶太という人物について出てくるのでそういったサイトをご覧になってください。
上野毛の国分寺崖線上の高台に五島美術館があります。眺めのいい事で知られる国分寺崖線上には高級住宅が並んでいます。
こんな一等地に美術館があるのは五島家の敷地内に美術館を造ったからで、現在は財団管理となり、五島家の邸宅は美術館の隣にあるようです。
美術館のすぐ横は切り通しになっていて、大井町線が走っています。敷地の横を東急線が走っているのも・・・、自分の庭に線路を引くような感覚だったのでしょうか。そうだとしたら恐れ入りました・・・・といった感じです。
この五島美術館ですが、先に挙げた五島慶太氏が収集した日本と東洋を中心にした古美術を展示している私立の美術館です。
開館は五島氏が他界した翌年の昭和35年(1960年)との事で、五島氏を偲んで造られたものかと思っていたのですが、そうではなく、喜寿を記念して造り始めたものの美術館の完成を見ずして他界してしまわれたようです。
美術館の設計は文化勲章を受賞した吉田五十八氏。収蔵品以前にまず建物からして一流思考だったりします。吉田氏は歌舞伎座や明治座、成田山新勝寺を手がけた方で、区内では等々力の満願寺本堂や成城の猪俣邸も手がけています。
美術館のホームページによると、現在では約5000件の美術品を所蔵しているようです。
収蔵品の方は絵画、書画、茶道具などを中心に陶磁、考古、刀剣、文房具など多岐な分野にわたっています。
ここの凄いのは、収蔵品の中に国宝が5点、重要文化財が50点もあることです。
とりわけ有名なのが、美術館設立を決意してから収蔵品の目玉品として購入した、国宝「源氏物語絵巻」と、国宝「紫式部日記絵巻」です。
源氏物語絵巻はご存知の通り平安時代に紫式部によって書かれた「源氏物語」を絵画化した絵巻物です。製作されたのは、物語が成立してから約150年後の12世紀で、現存する日本の絵巻の中で最も古い作品といわれています。
源氏物語は54帖の話で、現存しているのは全体の約4分の1程度、巻数にすると約4巻分です。ここ五島美術館に収蔵されているのは1巻弱。残りは名古屋にある尾張徳川美術館(こちらも私立美術館)が収蔵しています。
ちなみに前所有者は阿波蜂須賀家で、それを五島氏が財に物を言わせ買い上げたというわけです。大名の宝を簡単に買い上げてしまう五島財閥恐るべしといった感じです。
残念ながら五島美術館は展示室が1部屋しかない為、展覧会毎に展示品が変わり、国宝「源氏物語絵巻」は毎年春(ゴールデンウィーク頃)に、国宝「紫式部日記絵巻」は秋に、それぞれ1週間程度の公開しかしていません。
訪れる際には現在何を展示しているのかなど、美術館のホームページを確認した方がいいと思います。
また入り口に案内板があるように大東急記念文庫も併設されています。
大東急記念文庫は昭和23年に当時のマンモス会社であった東急電鉄が小田急、京浜急行、京王、そして東横百貨店と5社に分社するに当たっての記念事業として企画され、翌年に設立しました。
開庫にあたっては五島慶太が一括購入した「久原文庫」と「井上文庫」が収蔵品の中心となり、昭和35年に五島美術館が開館するに当たって、こちらの敷地に移転しました。
現在の収蔵品は国書、漢籍、仏書、古文書、芸術資料、歌学資料などの貴重書が約2万5千点もあり、そのうち国宝が3点、重要文化財が32点あります。なかなか充実した文庫でありますが、研究者のみが閲覧可能で、一般には公開されていません。
* 五島美術館の庭園 *
五島美術館には国分寺崖線の斜面を利用した庭園が造られています。
もともと上野毛一帯、そしてこの付近の上野毛稲荷神社や上野毛自然公園などの崖線は上野毛の名主田中家の土地でした。
この五島美術館の敷地は大正の頃は大臣などが住んでいて、その後五島氏の住居となり、崖や崖下が庭園として整備されました。
この庭園の特徴は崖という高低差のある場所に存在していることです。
見晴らしのいい崖上は眺めを活かした庭園風広場や茶室を配置し、庭園に不向きな斜面は国分寺崖線の自然をそのままに残し、崖下部分は趣味の石仏を配置した庭園としています。
五島氏がこの土地を購入した頃は背の高いビルが二子玉川になかったので、崖上からの眺めは素晴らしく、抜群の眺望を誇っていました。
平成16年時点でもすぐ横の大井町線に架かる橋からの富士山の眺望は関東の富士見100百景に選ばれました。現在では二子玉川に多くの高層ビルが建ってしまったので、どうなのでしょう。好き嫌いがはっきり分かれるような景色になっていそうです。
この庭園には古くからのものもそのまま残されています。
崖上には稲荷丸北古墳があり、野毛大塚古墳を中心としたこの付近に点在する野毛古墳群の一つになります。かつて社を祀ってあったのか、石灯篭が古墳のところに設置されていました。
湧水もそのまま利用されていて、小さな池も作られています。ここの湧水はかつては湧き出る水の量も多く、上野毛の人々にとって貴重な洗い場となっていたようです。
また季節の花や木も多く植わっているので、それぞれの季節で散策を楽しむこともができます。
とりわけ3月の中旬から下旬にかけては都の天然記念物に指定されている樹齢250年とも言われているコブシが見頃を迎えます。それを目当てで見に来る人も多くいます。
その他には、春には枝垂れ桜、そしてツツジ、また秋になるとモミジを中心とした紅葉が美しいです。
庭園内に「冨士見亭」「古経楼」といった茶室がある事もお茶をする人には知られています。一般の見学者には内部は非公開ですが、お茶会の利用に関しては有料で貸し出されています。
都会ではこういった落ち着いた庭園を持つ茶室でのお茶会というのは難しいものです。そういった意味では貴重な存在であり、また人気があるようです。
その他、庭園内にはやたらと石仏や石灯籠が置いてあります。
石灯籠に関しては巨大なものから、変った形のものまでコレクションにしていたとしか思えないほどの充実ぶりです。五島氏は石灯籠マニアだったのでしょうか。
石仏の方は大仏様、菩薩様、観音様、密教系と様々な種類のものが置かれています。これは伊豆や長野の鉄道事業の際に引き取ったものになるようです。
崖下に赤い門があり、その先が石仏エリアといった感じで、多くの石像が置かれています。
赤門から先のエリアには石仏が多く置かれています。そう木の根元だったり、崖の斜面だったり、さりげなく置かれています。まるでタケノコが生えているかのように。
そのちょっとイケメン風の六地蔵を過ぎ、一番奥の方、大井町線の線路のすぐそばに大日如来像が祀られています。
ここだけはちょっと聖域といった感じで丁寧に祀られていますが、よくよく観察すると、色々と混ざっていてカオスです。お寺じゃないですし、こういった趣向も面白くていいのではないでしょうか。
庭園を見てみたいけど美術館の入場料はそれなりにするので・・・と思っている人も多いかと思いますが、庭園のみの入園料があります。
以前は100円と気軽に立ち寄れる値段でしたが、改修工事後は300円に値上がりしてしまいました。
100円だと季節の花が咲いているかなとか、晴れて気持ちのいいからちょっと寄ってみるかといった感じで寄れていたのですが、今では天気や季節、開花状況を考えて行くような場所となってしまいました。って、貧乏性の私だけかもしれませんね。
* 都天然記念物こぶし *
五島美術館の庭園には、東京都天然記念物に指定されている樹齢260年とも言われているコブシの木があります。
コブシの木は庭園の崖の真ん中ぐらいの位置に生えていて、崖の上から二子玉川の町と一緒に見下ろして見ることも、木の根元まで下りて見上げるようにも見ることもできます。
このコブシの木はもともとは五本の木で大きなコブシの木群を形成していましたが、2002年の台風の際に2本倒木し、現在は3本の木で構成されています。
真ん中の木が枝が少なく若干元気がない感じで、左右の木の枝には枝折れを防ぐために鉄製の支柱がいくつも取り付けられています。
現在では樹勢が衰え、一度満開になると次の満開まで力を蓄えなければならなく、3年ごとに満開になるといったサイクルになっているようです。
美術館も都の援助を受け、木の根元の空洞をふさいだり、支柱を取り付けたりと木を守るために色々と手を尽くしていますが、現状維持するのがやっとの状態です。花をつけるのは3年ごとでも5年ごとでもいいので、今後も無理のないよう生き続け、季節の情緒を楽しませて欲しいものです。
* 感想など *
世田谷と関わりの深い東急電鉄の創始者である五島慶太氏。かつては世田谷を走る鉄道路線全てが五島氏の傘下だったというから驚いてしまいます。その財力に物を言わせて造ったのが五島美術館で、国宝のある美術館と崖の眺望を活かした庭園と見ごたえがあります。
近年の再開発によって二子玉川には多くの高層ビルが建ちました。山を背景に咲くコブシは多くあってもビル群を背景にしたコブシの大木というのはここぐらいではないでしょうか。
自然豊かな崖の庭園と高層ビル群。庭園の雰囲気が台無しと見るか、対比として面白いとみるか、二子玉川らしいと見るかはそれぞれだと思います。再開発後に訪れていないのですが、ビル群でがっかりではなく、新しい魅力であったり、多くの人が訪れるような場所になっていればいいなと思います。
せたがや百景No.91 上野毛五島美術館
ー 風の旅人 ー
2018年4月改訂