* 環八アメリカ村について *
「アメリカ村。環八に?どこだろう・・・」 そして調べて、「えっ、東京インター付近が・・・」とびっくりしました。普段見慣れた場所で、しかも一度もここをアメリカ村などと感じたことがなかったからです。
百景の選定が昭和57年なので、アメリカ村と呼ばれたのは昭和50年前半の話になるのでしょうか。
その頃は石油ショックが終わり、高度成長期の真っ盛り。マイホームブームにマイカーブーム。その先駆けとして瀬田の住宅展示場があり、東名高速道路の入り口にはマイカーでのレジャーに行く人々が寄るための色々なお店が建ち並んでいて、いかにもアメリカっぽい風景になっていたようです。
実際にその頃の写真を見ると広いスペースに大きな洋風の建物のレストランが並んでいて、映画に出てくるアメリカ郊外の雰囲気にちょっと似ているかなと思えます。
昔の本の記述の中には他県ナンバーも多いとあったので、やはりせたがや百景に選ばれるだけのアメリカ村といった雰囲気が強烈にあり、区外の人などにはちょっとした観光地というか、ちょっと立ち寄ってみたいような場所になっていたようです。
しかしながら今ではそういったレストランはなくなってしまい、住宅展示場は健在ですが、当時はモダンだった洋風の建物も今ではごく当たり前となり、どこにでもあるような国道沿いの風景となってしまいました。
選定時の文章では週末にはサーファインを持った若者が集まり、湘南に向けて出発してと書いてあることから考えると、当時は携帯電話もない時代なので、高速道路に乗る前に集合していたのではないでしょうか。
そういう点で高速のインター付近に飲食店があるのは都合が良かったに違いありません。
しかしながら現在では文明の利器である携帯電話というものが普及し、現地で「今どこ~?」ってなこともありですし、「ちょっと遅れるから先に行っていて~」なんていう事も可能です。
それに東名高速道路には海老名パーキングエリアというとても施設の充実した巨大なパーキングエリアがあり、そこで待ち合わせするほうが一般的です。
今やそれぞれのサービスエリアが話題や味、サービスで勝負している時代なので、待ち合わせには退屈しないようになっています。
そう考えると飲食店がインターの手前にあっても流行らない時代となってしまったように感じます。内回り側にあるデニーズだけは昔から健在でしたが、それも平成24年だったかにコンビニに変ってしまいました。
交差点の角にあるマクドナルドは百景選定後の1985年に営業を開始したものです。なんでもちょうど国内500店舗目だとか。常にドライブスルーが混雑している印象です。
最近ではコーヒー専門店スターバックスが交差点付近のビルで営業を始めましたが、行く末はどうなるのでしょう。見た感じではドライブスルーはそこそこ流行っている感じはします。
ブランド力があるので砧公園を利用する人なども休憩に訪れている感じなので大丈夫でしょうか。
飲食店もさることながら、もっと象徴的なのは、昔はインター付近の環八にガソリンスタンドが幾つかありましたが、今では内回りと外回りに一つずつあるだけです。
全国的にガソリンスタンドは減少傾向にありますが、日本の大動脈である立地で考えると、ここが減ってしまうのはちょっと微妙に感じます。
もちろんガソリン価格の高騰や燃費のいい車の普及で給油のスタイルが変わったというのもありますが、それでもやっぱりインターでの人の流れの変化を感じずに入られません。
現在の高速インター付近というのは近所で準備しそこなったものや車内飲食できるものを思いつきで買うぐらいで、多くの人が速やかに通過して行く場所となっている感じです。
近所で準備をして、まずは海老名インターまで行ってそこで休憩をして、目的地へ。帰路も海老名などのサービスエリアで休憩や食事をし、インターを降りてもすぐ解散。
インターの入り口はレストランなどよりもファーストフード店やコンビニが盛況するといった時代になってしまったようです。
* 東名高速東京IC入り口 *
現在高速の入り口でたむろっているのはオートバイぐらいでしょうか。ツーリングに行くのに東名高速の入り口で集合ってな感じでたまに見かけます。特に台風の被害で西湘バイパスが通行止めになっていた期間は結構いました。
また時代の流れで言うと、猿岩石がヒッチハイクでユーラシア大陸を横断といった番組が流行ったときなどは、インターの入り口で「大阪」「京都」などといったプラカードを持った若者が結構いました。
今はほとんど見かけませんが、たまに頑張っている若者、そして近年では外国人旅行者も目にします。
高速道路が千円均一となったときにはマイカーブーム再びといった感じで、高速のインター付近が昔のように活気づくような雰囲気でした。
活気づくだけならいいのですが、渋滞もひどく、連休と重なった日には渋滞70キロの表示が出ていました。私だったらこの表示を見たら「これはたまらん。別の場所に目的地を変更しよう」となるのですが、連休を満喫しようと宿泊先を予約している人などはなかなかそうもいかないのでしょう。
東日本大震災の時には日本の交通の大動脈としての役割を担い、緊急車両や自衛隊の車両、救援物資を運ぶ車がひっきりなしに通過していました。
それと同時に地震の際には広範囲に規制が行われることもあり、物流の人には大変な時期だったと思います。
また雪に弱い関東圏なので、積雪ともなるとすぐ東名高速は通行止めになります。
少しの雪なら国道246号線などの一般道へ迂回すればいいのですが、しっかりとした積雪になると一般国道でも立往生や通行止めという事態になってしまいます。
そうなると多くのトラックの行き場がなくなるわけで、2014年の大雪の際にはトラックが環八にすし詰め状態となり、全く環八が動かなくなるといったこともありました。
ここ東京インターは、マイカーブームから始まって、サーフィンの若者=マリンスポーツの流行、スポーツカーの増加(社会の高性能競争)、ヒッチハイク(旅ブーム)、外車の増加(貿易の自由化)、自動二輪の二人乗り(規制緩和)、ハイブリッドカーの増加(環境問題)、付近のガソリンスタンドの減少(原油高)、高速のETC割引や千円均一などといった時代の流れを映し出していていいかもしれません。
今後はどうなるのでしょう。ガソリンが高くなり続けると、低燃費車や軽自動車ばかりになってしまうのでしょうか。それともマイカーブームの終焉となって通行する乗用車が減り、商用車やトラック、バスばかりになるのでしょうか。
はたまた少子高齢化で二人用の小型車が主流になったり、電気自動車や次世代燃料の車が開発されるのでしょうか。
そういったことを考えながら環八に架かる歩道橋の上から車の流れを眺めてみると、なかなか面白いです。
* 感想など *
環八アメリカ村と聞いたときはどんな場所だろうとワクワクしながら検索しましたが、残念ながら現在では面影がほとんどなくなってしまっていました。
とはいえ、環八アメリカ村があった東京インター付近は今でも交通量が多く、大都会を支える物流、運輸、ビジネスの車がひっきりなしに往来し、休日になるとレジャーの車が大移動するといった特殊な場所であることは変わりません。
この付近を散策しても日々の変化はあまり感じませんが、年ごとの変化、例えばボードを載せた車が増えたとか、銀色の車が増えたとか、最近〇〇が増えたんじゃない?ということを感じることができます。
日本の大動脈東名高速の入り口だけあって車文化、レジャー文化の推移や行く末を見るのには面白い場所であり、そして世田谷の誇れる特徴的な場所の一つであると思います。
せたがや百景No.82 環八アメリカ村
ー 風の旅人 ー
2018年4月改訂