世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.82

環八アメリカ村(東名東京インター付近)

環八東名入口交差点の南側

アーリーアメリカンスタイルの白い建物のレストラン郡や住宅展示場が立ち並んでいる一角。誰いうともなくアメリカ村と呼ばれている。車社会に忽然と出現した都市の新しい名所だ。週末には湘南海岸へ行く若いサーファーや家族連れで賑わう。(せたがや百景公式紹介文の引用)*現在では全く面影がありません。

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1、環八アメリカ村について

環八東名高速入り口の交差点の写真
環八と東名高速入り口の交差点

交通量の多い交差点です。取り締まりの白バイが待機していることも多いです。

「アメリカ村。環八に?どこだろう・・・」 そして調べて、「えっ、東京インター付近が・・・」と、びっくりしました。普段見慣れた場所で、しかも、一度もここをアメリカ村だとか、アメリカっぽいなどと感じたことがなかったからです。

百景の選定が昭和59年なので、アメリカ村と呼ばれたのは昭和50年代の話になるのでしょうか。

その頃は石油ショックが終わり、高度成長期の真っ盛り。マイホームブームにマイカーブーム。その先駆けとして瀬田の住宅展示場があり、東名高速道路の入り口には、マイカーでレジャーに出かける人々が立ち寄る店が建ち並んでいて、いかにもアメリカっぽい風景になっていたようです。

環八アメリカ村の様子(せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用)
選定当時の環八アメリカ村の様子

*せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用

1985年頃の東京インター入り口周辺の航空写真(国土地理院)
1985年頃の東京インター入り口周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

実際にその頃の写真を見ると、広いスペースに大きな洋風の建物のレストランが並んでいて、映画に出てくるアメリカ郊外の雰囲気にちょっと似ているかなと思えます。

実際にあったのは、環八の内回りにデニーズ、外回りにイエスタデイ(すかいらーく系列)、プレストンウッド(森永系列)でした。

環八東京インター入り口付近 デニーズ(昼)の写真
当時の面影を残していたデニーズ(2008年)

H24年にコンビニになってしまいました。

その時代を知らない人には、デニーズ以外は馴染みがない店となりますが、アーリーアメリカスタイルを売りにした高級路線のブランドで、それなりに人気を博していたそうです。しかし、バブルの終焉とともにブームが去り、ブランドそのものが消滅してしまいました。

アメリカ村でも、デニーズだけは長く営業していましたが、平成24年だったかにコンビニに変ってしまいました。デニーズに関しては、インターの少し北側にも店舗がありました。そっちは一般的な外観をしていて、アメリカ村だった店舗よりも比較的すいていました。が、こちらも閉店してしまいました。

環八東京インター入り口付近 デニーズ(夜)の写真
夜のデニーズ

夜になると雰囲気が変わり、不夜城的な雰囲気になります。

昔の本の記述の中には、他県ナンバーも多いとあったので、わざわざ遠くから訪れたくなるほどの強烈なアメリカ的な雰囲気があったようです。このへんの感覚は、今と当時とでは全く違うので、当時の感覚では・・・、といった感じだったのでしょう。

特に夜の雰囲気は不夜城さながらで、夜のドライブの目的地にしていた人も多かったようです。実際、その当時は凄まじい混雑で、来てはみたものの、なかなか駐車場に入れなかったという話も聞きます。

しかしながら、今の環八にはそういったレストランはなくなってしまい、住宅展示場は健在ですが、当時はモダンだった洋風の建物も、今ではごく当たり前となり、どこにでもあるような国道沿いの風景となってしまいました。

瀬田住宅展示場の写真
瀬田住宅展示場

今なお健在ですが、珍しい存在ではありません。

選定時の文章では、週末にはサーファインを持った若者が集まり、湘南に向けて出発していく、と書いてあります。これは携帯電話のない時代を生きたことのある人にしか、この意味がわからないでしょう。

携帯電話のない時代には、なかなか現地集合ということはできませんでした。私も携帯電話が一般的ではなかった時代にバイクツーリングのクラブに所属していましたが、集合や合流、迷子にはとても苦労しました。朝、メンバーが時間通りにそろった時には心底ほっとしたものです。

この場合も、高速道路に乗る前に集合していたのではないでしょうか。そういう点では、高速のインター付近に飲食店があるのは都合が良かったに違いありません。

しかしながら、現在では文明の利器である携帯電話というものが普及し、現地で「今どこ~?」ってなこともできますし、「ちょっと遅れるから先に行っていて~」なんていう事も可能です。

それに、東名高速道路には、海老名パーキングエリアという施設の充実した巨大なパーキングエリアがあり、そこで待ち合わせするほうが、今では一般的です。

環八東名高速入り口とマクドナルドの写真
東名高速入り口とマクドナルド

1985年に国内500店舗目として営業開始したとか。

そう考えると、携帯電話が普及してしからは飲食店がインターの手前にあっても流行らなくなってしまったように感じます。

交差点の角にあるマクドナルドは、百景選定の翌年の1985年に営業を開始したものです。なんでもちょうど国内500店舗目だとか。常にドライブスルーが混雑しています。

最近ではコーヒー専門店スターバックスが交差点付近のビルで営業を始めましたが、行く末はどうなるのでしょう。見た感じではドライブスルーはそこそこ流行っている感じはします。

マックにしてもスタバにしても、ブランド力があるので、砧公園を利用する人なども多く利用しているので、大丈夫でしょうか。

環八東京インター入り口付近の写真
かつてのアメリカ村と呼ばれた辺り

今は面影がありません。目まぐるしく店舗が変わり、風景も随分変わりました。

飲食店もさることながら、昔はこのインター付近にガソリンスタンドが幾つもありましたが、今では環八の内回りと外回りに一つずつあるだけです。

ガソリン価格の高騰や燃費のいい車の普及で、全国的にガソリンスタンドは減少傾向にありますが、日本の大動脈である立地を考えると、この場所でガソリンスタンドが減ってしまうのは、ちょっと微妙に感じます。

何て言うか、昔に比べると、東名高速のインター付近が寂れた・・・というより、普通の場所になってしまった感があります。

思えば、昔は高速道路に乗ること自体がイベントで、長距離列車に乗る前に駅弁を購入するように、高速に入る前にインターの手前で準備して・・・といった風潮も少なからずあったように思います。時代の流れとともにインターでの人の流れの変化を感じずにいられません。

現在では、高速インター付近というのは、近所で準備しそこなったものや車内飲食できるものを思いつきで買うぐらいで、多くの人が速やかに通過して行く場所となり、レストランなどよりも、ファーストフード店やコンビニが盛況するといった時代になってしまいました。

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2、東名高速 東京IC入り口

環八東京インター 東名の通行止めの写真
東名の通行止め

気象状況によってたまに入り口が封鎖されます。

現在高速の入り口でたむろっているのは、オートバイぐらいでしょうか。ツーリングに行くのに、東名高速の入り口で集合ってな感じで、たまに見かけます。特に台風の被害で西湘バイパスが通行止めになっていた期間は、結構いました。

また時代の流れで言うと、猿岩石がヒッチハイクでユーラシア大陸を横断といった番組が流行った1990年代後半は、インターの入り口で「大阪」「京都」などといったプラカードを持った若者が大勢・・・というほどではありませんが、それなりにいました。

今はほとんど見かけませんが、たまに頑張っている若者、そして近年では「KYOTO」などと書いた紙を掲げている外国人旅行者を目にします。

環八東京インター 渋滞70キロの表示の写真
大混雑の東名高速

ETCで千円均一の時には渋滞70キロという表示になっていました。

高速道路が千円均一となった2009年には、マイカーブーム再びといった感じで、高速のインター付近が昔のように活気づくような雰囲気でした。

活気づくだけならいいのですが、渋滞もひどく、連休と重なった日には、渋滞70キロの表示が出ていました。第二東名がなかった時代なので、大井松田から清水まで70キロ。更に東京から厚木までも渋滞していたので、断続的に100キロを超える規模の渋滞になっていたはずです。

私だったらこの表示を見たら「これはたまらん。別の場所に目的地を変更しよう」となるのですが、連休を満喫しようと前々から宿泊先を予約している人などは、なかなかそうもいかないのでしょう。連休中の宿泊費は高額ですし・・・。結局、高速代が安くなっても、結果的には損をしてしまったといった人も多かったのではないでしょうか。

物流関係者は休日の度に激しい渋滞となり、残業が増えて堪らないという最悪な状態になっていたはずです。メリットは確かにあったのでしょうが、デメリットも大きかった千円均一だったように感じます。

環八東京インター 地震の通行止めの写真
地震の通行止め

東日本大震災の時には広範囲で通行止めとなりました。

2011年の東日本大震災時には、日本の交通の大動脈としての役割を担い、緊急車両や自衛隊の車両、救援物資を運ぶ車がひっきりなしに通過していました。

それと同時に、地震の際には広範囲に規制が行われることもあり、物流の人には大変な時期だったと思います。

環八東京インター トラックがすし詰め状態の環八の写真
トラックがすし詰め状態の環八

2014年の大雪の際には行き場のなくなったトラックで環八が全く動かなくなりました。

また雪に弱い関東圏なので、積雪ともなると、すぐに東名高速は通行止めになります。

少しの雪なら国道246号線などの一般道へ迂回すればいいのですが、しっかりとした積雪になると、一般国道でも立往生や通行止めという事態になってしまいます。

そうなると、多くのトラックの行き場がなくなるわけで、2014年の大雪の際には、トラックが環八にすし詰め状態となり、全く環八が動かなくなるといった事態になりました。

環八東京インター 紅葉時のインター付近の写真
紅葉時のインター付近

葉の大きなモミジバフウが多く植えられています。

ここ東京インターは、マイカーブームから始まって、サーフィンの若者=マリンスポーツの流行、スポーツカーの増加(社会の高性能競争)、ヒッチハイク(旅ブーム)、外車の増加(貿易の自由化)、自動二輪の二人乗り(規制緩和)、ハイブリッドカーの増加(環境問題)、付近のガソリンスタンドの減少(原油高、エコカーブーム)、高速のETC割引や千円均一などといった時代の流れを映し出しています。

今後はどうなるのでしょう。ガソリンが高くなり続けると、低燃費車や軽自動車ばかりになってしまうのでしょうか。マイカーブームが終焉となり、通行する一般乗用車が減り、商用車やトラック、バスばかりになるのでしょうか。

それとも、電気自動車だらけの時代が到来したり、更なる次世代燃料の車が開発されるのでしょうか。はたまた、私が子供の頃の未来図では、空中に浮き、タイヤのない車が描かれることが多かったのですが、そういった車が走る未来が実際にやってくるのでしょうか。

そういったことを考えながら、環八に架かる歩道橋の上から車の流れを眺めてみると、なかなか楽しいです。

3、感想など

環八東京インター 雪の降るインター付近の写真
雨にも負けず、雪にも負けず

人口の多い大都会の物流を支える人たちは、本当に大変です。

環八アメリカ村と聞いたときは、どんな場所だろうとワクワクしながら検索しましたが、残念ながら当時の面影がほとんどなくなっていました(*私が訪れたときはデニーズだけ残っていた)。

とはいえ、環八アメリカ村があった付近は、日本の大動脈東名高速の入り口だけあって、今でも交通量が多く、大都会を支える物流、運輸、ビジネスの車がひっきりなしに往来し、休日になるとレジャーの車が大移動するといった特殊な場所であることは変わりません。

この付近を散策しても日々の変化はあまり感じませんが、年ごとの変化、例えばボードを載せた車が増えたとか、銀色の車が増えたとか、最近〇〇が増えたんじゃない?ということを感じることができます。

車文化、レジャー文化の推移や行く末を見続けるには、とても面白い場所であり、そして世田谷の誇れる特徴的な場所の一つであると思います。

せたがや百景 No.82
環八アメリカ村(東名東京インター付近)
2025年2月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所瀬田5丁目付近 環八東名入口交差点付近
・アクセス最寄り駅は田園都市線用賀駅。
・関連リンクーーー
・備考現在は面影がありません。
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