* 多摩川沿いの松林について *
二子玉川の6本松
背の高い松が6本並べて植えられていました。
二子玉川駅から多摩川を少し下ったところの川べりに松林がある一角がありました。
残念ながら2009年頃から河川敷の工事が行われ、まずは河川敷が埋め立てられた事で松林が河川敷の一部となり、2010年頃からの工事で多くの松は伐採され、河川敷には高い堤防ができてました。
今では昔の面影は残っていませんが、駅近くの川沿いには背の高い松が6本並べて植えられています。元々あった松林から移植したものなのでしょうか。その辺の事情は分かりませんが、今後二子玉川の6本松として松林の名残を伝えていく存在になりそうな感じです。
多摩川五本松(狛江)
東京新百景に選定されている有名な松の風景です。現在は公園となっています。
現在の感覚で言うと松林というのは珍しい風景なのですが、百景の紹介にあるように、かつては多摩川沿いには松林が続いていて、松のある川辺の風景が普通だったようです。
きっと近代的な堤防工事を施したときに取り除かれたり、桜などの別の木に植え換えられたりしたのでしょう。松林が必ずなければならないといった悪条件の場所ではないのですから。
世田谷区ではありませんが、隣町である狛江市にある多摩川五本松は東京新百景に選ばれていて、今でも美しい川沿いの松の風景を保っています。
ウルトラマンシリーズを見ると、頻繁にロケ地として登場していますし、他の特撮や時代劇、ドラマなどの撮影にも使われていて、この松林を見て何を思い浮かべるかはその人の年代や趣向によって違うのが面白いところです。
二子の渡し跡の石柱
区立玉川福祉作業所のところに建てられています。
江戸時代の街道、大山道は赤坂見附から大山のある神奈川県の肌のまで続いていました。世田谷では池尻から三軒茶屋、ボロ市ので有名な世田谷代官屋敷の前を通り、そして用賀、瀬田では行善寺前の坂を下り、二子玉川駅の南、この松林付近で多摩川に至っていました。
そしてここから多摩川を渡るのに二子の渡しが対岸に出ていました。ちょうどこの付近は多摩川の幅が狭くなっているし、ここより北では野川も渡らなければならないし、南だと野毛の崖地なので、ちょうどここが川を渡るのには最適だったと思われます。
渡しと聞けば、多くの人が川を行き来し、川近くには天候回復や朝を待つ旅人のための賑やかな宿場町がある様子を想像する人も多いでしょうが、それは東海道や中山道のように多くの人が行き来しているような街道のこと。規模の小さな大山道だったので、二子玉川側にあったのは食事のできる店が数軒程度、川崎側の方に宿が数軒あっただけだったそうです。
昔は多摩川の水がきれいで、景色もよかったために交通の要所というよりも江戸の人々の格好の行楽地として少しずつ発展していくことになります。
料亭の名残り
駅近くの川沿いにありましたが、営業しているのかは不明。
時代が変り、電車が開通した明治後半から昭和初期にかけては、手軽に行ける郊外の行楽地として栄えることになります。この松林付近を含め、兵庫島付近から野毛の辺りまでの川べりや松林の中に多くの料亭が並びました。川には屋形船が多く浮かび、鮎漁の季節には一番賑わったそうです。
また遊郭などもあって、世田谷随一の歓楽街を形成していきました。歓楽街といえば芸者遊びに欠かせない三味線が多く必要でした。三味線はご存知の通り猫の皮を張ってつくる弦楽器です。多くの猫が三味線の材料となるために殺され、その霊を祀った猫塚が行善寺に残っています。
それと歓楽街とくれば性病というのもあるわけで、それはもう一つの大山道沿い瀬田玉川神社や慈願寺付近に瘡守稲荷神社があり、伝染病の広がりや病気平癒の願いを込めて造られたそうです。
* 堤防工事前の松林 *
河川敷から見た松林
それなりに存在感のある松林でした。
松林の中の道
松林の中といった雰囲気がありました。
かつて、と言っても私が知るのは堤防工事や二子玉川の再開発が行われる直前のことですが、松林があったのは二子玉川駅から南の河川敷です。ひと際大きな松林があったのは多摩堤通りを南に向かい、ちょうど車道がトンネルになっている付近の川沿いです。
土手から河川敷まで松を中心に多くの木があったので、この一画だけ見事というまではいかないにしてもちょっとした松林になっていました。実際に松林の中を歩くと、どこか田舎の海岸にいる気分・・・というのは大袈裟ですが、世田谷区ではないような違和感を感じるのは確かでした。
木々に囲まれた飲食店
松林や木々の中にひっそりと飲食店がありました。
松林の中には少しお洒落なレストランがありました。土手の内側という分断された場所だったので、静かで穴場的な雰囲気でした。松林に囲まれ、川の眺めと川の風に吹かれながらランチをいただくというのは、今で考えるととても贅沢なことです。
かつてこの付近にあった料亭もこんな雰囲気だったのでしょうか。駅付近は繁華街として多くの建物が並び、少し離れると松林の中に落ち着いた感じの料亭が点在していたといった感じだったのかなと想像できます。
玉川一丁目河川広場
河川敷沿いの松のあった公園です。
この松林以外にももっと駅に近いところに玉川一丁目河川広場があり、ここでも松を見ることができました。この広場は今はなくなってしまいました。
その他、大きな敷地を持つ個人のお宅にも松が植えられています。こういったお宅はかつて料亭だったお宅とか、その跡地になるのでしょうか。詳しいことは分かりませんが、そういったお宅の松も松林の名残となっています。
松林と建設中のライズビル
最初の工事で松林の前の河川敷が真っ平らにされました。
夕刻の桜と松林
桜もかなりの数が伐採されてしまいました。
河川敷の堤防工事が始まると、河川敷にどんどんと土が入れられ、二子玉川駅から松林付近の河川敷が真っ平らに整地されました。なかなか広い平地となり、子供たちがサッカーなどしやすい状態でした。
伐採を待つ松林
ささやかな反対活動もあったようです。
松林の外側に堤防を造って、松林はそのまま残すのかなと思っていたら、その後二回目の工事が始まり、松林は伐採され、高い堤防が造成されていきました。
今まであったものがなくなるというのは他の地域の人間でも寂しく感じるものですね。とはいえ近年の半端ない雨の量を考えると、付近の住民は少し安心感が得られたのではないでしょうか。
堤防工事前の河川敷
広々とした開放感ある場所でした。
2019年の台風19号によって多摩川の水位が上昇し、二子玉川の兵庫島の入り口から水が越水し、一部のエリアで浸水してしまいました。近年の再開発で人気エリアとなっていたこともあって、武蔵小杉とともに多くの報道が行われ、普段見る人がほとんどいないこのページの閲覧数が凄いことになっていて驚きました。
二子玉川が話題となったのは、堤防の内側に住居があるといったいびつな堤防構造と、「堤防があると景観楽しめない」といった住民の反対運動によってなかなか堤防が造られなかった経緯があったからです。こういうごたごたは他人事を詮索するのが大好きなワイドショーや週刊誌の格好のネタとなり、何度も取り上げられました。
二子玉川駅周辺の堤防は駅から南側は完成していますが、北側の540mは堤防がなく、その中でも一番低い兵庫島の入り口部分から越水しました。多摩川を管理している京浜河川事務所によれば、昭和の初めごろから堤防を整備する計画があったものの、当時あった旅館や料亭の多くが「堤防があると景観を楽しめない」などと反対し、川沿いに堤防を造ることができなかったようです。
その後、狛江洪水など台風での多摩川の水害を経て、堤防の整備計画が進められましたが、二子玉川周辺では「景観を大切にしてほしい」といった住民の声が根強く、なかなか折り合いがつきませんでした。
反対運動や裁判もありましたが、二子玉川駅南側の再開発とともに駅から南側は堤防工事が進められ、南部のみ完成し、北側はこれから整備にかかるというときに今回の災害が起きました。堤防工事が終わっていれば何も問題がなかったのでしょうが、残念ながらその前に未曽有の規模の台風が来てしまったというわけです。
地形的にみても広がった川幅が狭まっている場所であり、野川も合流するので、水が溢れやすい場所といえます。まず北側から整備をするのが筋と考えてしまいますが、結果論でどうこう言うのは簡単なことです。
もし住民運動がなければ・・・とも考えてしまいますが、本当にしんどい思いや死ぬような体験をしなければ、なかなか人間というのは何かを犠牲にしたり、あるものを失うような行動は起こしにくいものです。堤防工事前のこの付近は、目の前が開けていていい景色でした。壁ができたら嫌だなといった気持ちもわからなくはありません。
昔に比べ、雨水の多くが河川に流れるようになり、なかなか昔と比べてという経験則が通じなくなってきました。教訓として生かすべきであって、一方的に誰かを責めたり、違う意見を徹底的に叩く風潮はどうなのかなと思います。
散策人の目から見ると、兵庫島の水神様の祠を取り壊してから多摩川の水位が異常に上昇することが増えている気がします。これは水神様の祟りではないでしょうか。古来から、祭りが面倒だと若者が言えば「祭りを行わなかった翌年には疫病(飢餓)が起こったんだ」とか、とんど焼きの火の粉が飛んで火傷したら「縁起がいいんだ」とか、なんでも神様のせいにしてきたのが日本人です。あまりギスギスしないでみんなで頑張って復興していきましょう。
* 感想など *
ライズビルと松林
少しの間でしたが、共存していました。
つい最近まで二子玉川にも小さいながら松林が残っていました。本当にひっそりとした場所にひっそりとあった松林で、隠れ家みたいな素敵な場所でした。
残念ながらその景色は失われてしまいましたが、二子玉川は大規模な再開発によって新しい公園やショッピングセンター、高い堤防ができるなど、新しい街へと変化していきました。
今では駅付近に松林の名残のように植えられた6本の松があります。狛江の5本松に対抗して1本多いのでしょうか。ちょっと気になる存在です。
せたがや百景No.78 多摩川沿いの松林
ー 風の旅人 ー
2019年10月改訂