* 二子橋と新二子橋について *

新二子橋と二子橋はそんなに離れていません。
多摩川はかつて暴れ川と異名をとったほど、洪水の多い川でした。また江戸の最終防衛ラインとなっていて橋がかけられなかった歴史も持っています。
そういった経緯もああるのか、改めて地図を見てみると、世田谷区から多摩川にかかっている一般の橋は二子玉川にある二子橋と国道246号バイパスに造られた新二子橋しかありません。
その他にも橋は架かっているのですが、それは第三京浜や東名高速といった自動車専用道路の橋が二つ、東急田園都市線の鉄道橋が一つと一般の人が気軽に対岸と通行ができない橋です。対岸に渡ろうと思うと結構不便です。

二子玉川の花水木広場に置かれています。
新二子橋は現在の国道246号線にかかっている橋です。「新」と付いていることから「旧」もあるわけで、旧道の大山街道にあたる二子玉川駅前から高津の商店街に続く通り沿いにかかっているのが二子橋です。
こちらは大正14年に初めて橋が架けられ、それまでの二子の渡しに取って代わりました。
その後電車の軌道も施設され、昭和53年には交通量の増加に伴い拡張工事が行われ、現在に至ります。初代の橋に使われていた親柱は二子玉川の花水木公園と川崎側の渡った先にひっそりと飾ってあります。

橋の下にひっそりと祀られています。
二子橋は旧道になった今も交通量が多く、いつも車の列ができている感じです。そんな賑やかな橋の下、何気なく通ってビックリしました。橋の下に南無阿弥陀仏の碑とお地蔵さまが祀られていました。
一体何があったのでしょう。橋の工事での事故、洪水など思いつきましたが、なんというか、橋の下にあるとその辺にあるのと違って不気味に感じてしまうもので、調べずに立ち去ってしまいました。

デザインも佇まいも面白味に欠ける橋です。
新二子橋の方は、国道246号のバイパス化に伴って1974年(昭和49年)3月に施工が始まりました。
実際に供用が開始されたのはその4年後の昭和53年6月と、これは橋自体の工事よりもバイパス全体の工事が長引いたようです。
橋の建築方式は鋼鈑桁橋で、橋長は577.9m、幅員は33.3mです。

側道が設けられていますが、車では通ることができません。
この新二子橋を渡るには車だと瀬田の交差点から、歩行者は高島屋の裏側、二子玉川商店街付近から橋に上がっていきます。不思議なことに実際には使用されていないのですが、この橋の途中には側道が設けられていて、二子玉川の商店街付近に通じています。
どう考えても車が二子玉川に降りれるようにと造ったと思われるのですが、降りた先に246号から流れた車の量を吸収しうる大きな道がなく、現在では歩行者用の中途半端な歩道になっています。
一体これは・・・買収計画の失敗?構造状の欠陥?色々と思いつきますが、税金の無駄使いであるのは確かです。今後玉川高島屋を壊して再開発をする気なのでしょうか。そうこうしているうちに耐久年数が過ぎてしまいそうです。

白バイがうようよしています。気を付けましょう。
この橋の上は長い直線で高速道路並にスピードが出やすくなっています。そのため県境の橋なのによく白バイが取締りをしている事でも有名です。スピードはほどほどにしましょう。
特に原付はよく捕まっています。とはいえ路肩のない狭い橋の上を30kmで走るというのは恐怖そのもの。ゆっくり走ると身の危険を感じ、スピードを出すと違反や罰金の危険を感じなければならなく、50㏄の原付にとっては走りにくい道かと思います。
時間はかかりますが、二子橋の方を渡るのが無難ですし、そういう人も多くいます。遠回りする勇気やゆとりを持つことも人生においてのリスク管理の一つかと思います。