* 多摩川について *
河川敷の多摩川の碑
テーマが大きすぎてなかなかコメントするのに困ってしまう項目です。しかも区内における最大の自然景観であるというものの、広大な多摩川流域に占める世田谷区の割合は微々たるものです。
ですから世田谷の多摩川を見て、多摩川は・・・と意見するのもどうかと思います。
結局のところ川の流域は運命共同体であり、上流で川を汚せば下流も汚くなるし、昔で例えるなら上流で疫病が起これば下流にも広がり、上流で干ばつや大雨が起これば下流にも被害がでるといった感じです。
それに世田谷区と多摩川の関わりというなら、他のせたがや百景の項目の中に個別に関わるものが幾つかあります。ですからここでは多摩川や多摩川の情景についてちょっぴり書いてみたいと思います。
奥多摩湖(奥多摩町)
東京西部の水瓶となっています。干上がりそうになるとすぐにニュースになります。
多摩川についてあれこれを書いていくと、全長は138kmで、流域面積は1,240k㎡の一級河川です。
源流は山梨県の笠取山で、この山からは荒川、富士川も流れ出ています。ですからこの山は分水嶺となっていて、雨が降った斜面によってその水の行き先が東京湾になるのか、駿河湾なのか大きく変わってしまいます。
そう考えると自然の神秘というか、ちょっと面白味を感じてしまいます。
この笠取山から流れ出した水は東京都に向かって流れていき、東京都に入るとまず奥多摩湖の大きなダムに蓄えられ、水量調整が行われます。
羽村取水堰(羽村市)
多摩川と人間とのかかわりが深い地域で、ある意味多摩川らしい光景です。
奥多摩湖からはどんどんと支流から水を増やし、青梅を通り、羽村へ。羽村には世田谷にも流れている玉川上水の取り込み場所、羽村取水所があり、付近には羽村取水堰や休憩所、河川敷には堤防の牛枠があったりと多摩川を象徴する場所となっています。
羽村から下流は両岸に住宅が増え、中流部の昭島や日野、府中と東京都を東西に横切っていき、調布より下流では神奈川と東京の境を流れ、羽田空港の脇で東京湾に注いでいます。
多摩川は流域で山梨県、東京都、神奈川の3県と関わり、流域人口はおよそ425万人とされています。
多摩川河口 旧穴守稲荷神社大鳥居
河口には羽田空港が建設されたために、鳥居だけこの場所にあります。
多摩川という名前の由来ははっきりしていなく、上流部の丹波川(たばがわ)の転訛説が有力候補の一つです。
そして多摩川と玉川の関係ですが、江戸時代に多摩川よりも同音で語呂のいい玉川の名が使われる事が多く、現在でも語呂の良さや、書体の簡易さ、川としての多摩川と区別するために「玉川」の文字を使った地名を選んでいる地域もあります。例えば玉川上水、二子玉川や用賀の玉川台などもそうです。
多摩川サミット記念碑
河川敷に設置されていました。
また、多摩川といえば勾配が急な川の為、古くから洪水が絶えない「あばれ川」として有名でした。特に下流域ではその被害に悩まされ、現在でもその名残りが残っています。
それは川の両岸に同じ地名がある事です。これは氾濫の時に川の流れが変わってしまい、村が分断されてしまった事によります。
例えば世田谷区に等々力という地名がありますが、対岸の川崎市の川沿いにも等々力という地名があります。
等々力渓谷や等々力不動は世田谷区で、サッカーの有名なチーム、川崎フロンターレの本拠地となっている等々力緑地の等々力競技場は川向こうの川崎市と、他の地域の人にとってみれば、等々力って東京なの?神奈川なの?とややこしい事になっています。
世田谷区周辺では宇奈根、野毛、丸子などといった地名も同じように両岸で見る事ができます。
二子玉川付近の様子
二子玉川付近は橋が3本架かっています。
また橋を架けても洪水によって頻繁に流されるし、江戸幕府も多摩川を江戸の最終防衛線と位置づけ架橋を制限していたので、1688年から1874年の間は多摩川に橋が掛けられなかったという話も残っています。
その影響もあって矢の口の渡し、二子の渡し、野毛の渡し、丸子の渡し、六郷の渡しといった渡しが比較的近年まで活躍していました。
夕暮れの多摩川土手
夕暮れ時の土手では通勤、通学、ジョギングや散歩と思い思いの時間を過ごしています。
多摩川は古くから人間の営みと共にありました。現在は漁で生計を営んでいる人はいないかと思いますが、大正や昭和の初めなどは世田谷でも鮎漁が盛んに行われ、川には屋台船が浮かび、川辺には鮎料理を出す料亭が並んでいたという時代もありました。
昭和の始めぐらいまで奥多摩から切り出した木材を筏にして川を流して運搬していた事もありました。今でも筏師が奥多摩へ歩いて戻っていた筏道の名残が幾つか見られます。
砂利の採集が盛んに行われていた時代もあります。現在の田園都市線の前身は玉川電鉄ですが、これは砂利を都内へ運搬するために敷かれた路線で、客車の後ろに砂利運搬車が連結されていたそうです。
特に関東大震災後の復興に役立ち、今では配線になっていますが、二子玉川から宇奈根まで砂利を運搬する砧線も活躍していました。
土手のベンチと富士山
土手にはベンチも設置されていて、富士山や多摩川の流れを眺めながら休むことができます。
現在では河川敷はきれいに整備され、グラウンドなどが並んでいます。川の土手はジョギングコースに整備されて、朝夕などに多くの人がジョギングやウォーキングを楽しんでいます。
また晴れて空気の澄んでいる日には多摩川越しに富士山を眺めることができます。そんなに大きな富士山ではありませんが、富士山と多摩川の流れを見ながら土手で一休みしていると気持ちが安らぎます。
* 手作り筏での川下りと多摩川クリーン作戦 *
アドベンチャー in 多摩川の様子(世田谷区)
第三京浜の高架下辺りで行われます。
さてこの項目が百景に選ばれた一番の核心部分を上げるなら、やはり死の川からよみがえったという部分ではないでしょうか。
高度経済成長期の時代、急激な都市化によって流域人口が増加しました。また科学の発展により化学物質を多く含んだ洗剤などが大量生産され、そして大量消費といった生活スタイルの変化により、多摩川にはどんどんと汚染された生活排水が流れ込む事となりました。
その結果はご存知の通り、魚が住めないような死の川となってしまいました。流れの緩やかな川岸付近は洗剤の泡や灰汁で覆われ、悪臭が漂っているような状態だったそうです。
アドベンチャー in 多摩川 いかだを押す子供たち(世田谷区)
この日は水量が少なかったので、浅瀬部分は押さなければなりませんでした。
このままでは多摩川の未来が・・・、付近に住む住民の健康が・・・という事で、流域の自治体などが昭和50年代後半頃より協力して下水処理を徹底する事にしました。
その結果、年を追うごとに下水道が普及し、それと共に汚染水の流れ込みが減っていき、徐々に川の汚れが少なくなっていきました。そして今では命のあふれる川に戻りました。下流付近でも川に釣り糸をたれる人もいれば、川で遊んでいる人の姿も多いです。
狛江古代カップ 多摩川を下っていく筏(狛江市)
五本松の付近からスタートします。参加者が多く、筏で多摩川がにぎわいます。
2002年に多摩川に現れて話題になったアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」などもいい例かもしれません。というより逆に命あふれ過ぎる川となり、熱帯魚の違法放流によって本来生息していない魚まで暮らしていて問題となっています。
それを揶揄り、アマゾン川と多摩川を掛け合わせてタマゾンと呼ばれることもあります。
なぜ日本で熱帯魚が住めるのか。越冬できないはずでは。そう思うのが普通なのですが、今では多摩川の下流部を流れている水の半分ぐらいが下水処理された水だというから驚いてしまいますが、下水処理された水は比較的温かく、また工場排水の出る付近の水温がかなり温かいことによって越冬してしまう魚もいるようです。
古代カップらしいいかだ(狛江市)
東京タワーVSピラミッド、ビジュアル的に面白い筏も多いです。
近年ではきれいになった多摩川を利用して手作りいかだ下りレースといった面白いイベントも盛んに行われています。ペットボトルなどの廃材などでいかだを製作し、チームで協力していかだをこいで多摩川を下っていき、タイムを争うといったものです。
一番有名なのは狛江市の「狛江古代カップ」で盛り上がりもなかなかのもの。本気でタイムを狙っていくチームや仮装に力を入れるチームやら見ていて楽しいです。
それを参考に世田谷でも「アドベンチャー in 多摩川」といういかだレースが行われているのですが、小学生を中心としたイベントになっていて、PTAなどを中心に盛り上がっているといった感じです。
多摩川ECOカップ(川崎市多摩区)
せせらぎ館近くからスタートします。
川崎の多摩区でも「多摩川ECOカップ」が行われていますが、まだ開催回数が少ないのでこれからといった感じです。
こういったいかだに乗って多摩川を下っている光景を見ていると、多摩川もきれいになったんだなとしみじみと感じてしまいます。
もし汚い川だったら川に落ちたら腹痛や感染症などで病院行きになってしまうので、とてもじゃないけどレースなんてできません。
多摩川クリーン作戦に集まった人々
花火大会の翌日に行われます。多くの人が集まります。
また河川敷をきれいにして水辺を守るといった活動も盛んに行われています。多摩川クリーン作戦と名付けられて、定期的にゴミ拾いがボランティアの方々によって行われています。
とりわけ玉川花火大会の翌日に行われている活動は広く知られているのではないでしょうか。
ゴミを拾いながら歩く人々
熱心に頑張っていました。
花火大会で楽しんだ翌日の朝、昨夜の余韻を楽しみながら気分よく河川敷の掃除を行うというのも悪くないものです。
普段河川敷を使って練習している少年野球や少年サッカーチームの子供たちがユニホーム姿でゴミを拾っていたり、付近の小中学生が多く参加しているのが印象的でした。
ゴミを拾う側の気持ちが子供のうちから分かっていれば、大人になってもゴミを捨てにくいものです。こういった取り組みが続いていけば多摩川も安泰でしょうか。
* 多摩川の情景(喜多見~二子玉川) *
白バイの訓練場
大会が行われる事もあります。
多摩川の世田谷の最上流、東名高速の橋の付近に警視庁の交通安全教育センターがあります。ここは白バイの基地にもなっていて、河川敷には白バイのコースがあります。
普段から白バイが練習している様子を見ることができ、休日などには白バイの大会なども行われます。
送電線の鉄塔
河川敷だと存在感があります。足部分のレンガが特徴です。
東名高速の橋から少し下ると、大きな送電線の鉄塔があります。河川敷に鉄塔があるとなかなか存在感があります。
この鉄塔の足部分は昔ながらのレンガです。ちょっと味があって、鉄塔ながら風情を感じてしまいます。
土手の距離案内と富士山
距離表示があるのでジョギングにはいいですね。
鉄塔付近の土手はきちんと舗装されているので移動しやすく、自転車やジョギングで利用する人も多いです。
ジョギングやウォーキングをする人のために距離の表示の案内が距離ごとに建てられていますが、ちょうどこの辺りが多摩川の河口から20キロになるようです。
多摩川の流れと富士山
結構好きな風景です。
宇奈根付近の多摩川は大きく蛇行していて、川らしい風景となっています。かつてこの付近は龍ヶ渕という崖になっていたそうです。
現在は崖はありませんが、蛇行している様子が美しく、正面に富士山を見ると、送電線やら建物があるので絶景とまではいきませんが、なかなかいい風景です。
砧下浄水場の取り込み口
愛らしい姿をしていて、絵になる存在です。
鎌田付近の土手には小さな煙突というか、ロケットみたいというか、小さな円筒形のオブジェがあります。
このすぐそばにはがあり、このオブジェの部分はちょうど多摩川からの水の取り込み口になります。
砧下浄水場は大正12年に渋谷町営水道が渋谷に水を送るために作った歴史ある施設になります。
多摩川のグラウンドと富士山
日本の河川敷といった感じでしょうか。こういう風景も好きです。
砧下浄水場から下流の河川敷は野球などのグラウンドが多くなります。というよりグラウンドだらけです。野球のグラウンドが多く、やっぱり日本人は野球が好きなんだなと再確認できるような風景です。
兵庫島公園と二子玉川
緑豊かで、水辺の風景もある公園です。
国道246号の新二子橋より南側は兵庫島だった部分を整備した兵庫島公園となっています。
兵庫島公園周辺の風景は多摩川八景にも選ばれています。世田谷を代表する多摩川の風景となるでしょうか。ただ、選定当時と違い随分と高層ビルが周辺に増えました。これはこれで二子玉川らしい風景となるでしょうか。
駅からも近いので、広々とした河川敷でピクニックをするのもいいし、せせらぎも設置されているので、子供に水遊びをさせることもでき、とても利便性の高い公園となっています。
* 多摩川の情景(二子玉川~玉堤) *
再開発前の二子玉川駅の南側河川敷
川遊びが盛んに行われていたころの名残の松林が残っていました。
二子玉川駅よりも南側は大規模な再開発と河川の堤防工事が行われ、すっかり近代的な風景に変わってしまいました。
再開発前にはかつて多摩川でアユ漁が盛んで料亭が並んでいたころに植えられた松林が残っていました。残念ながら松林はなくなってしまいましたが、駅近くには6本の背の高い松が植えられ、新しい二子玉川の象徴になるかもしれません。
河川敷の桜並木
土手の斜面に桜が植えられていてちょっとした桜並木になっています。
二子玉川公園を過ぎると、第三京浜の橋があります。この橋をくぐると、車道が土手の上を走ることになり、歩行者は河川敷を歩くことになります。
この辺りの河川敷は多摩川遊園と子供の遊び場になっています。また土手の斜面に桜が植えられているので、桜の時期にはちょっとした桜並木となり、大勢の花見客でにぎわいます。
谷沢川の水門
等々力渓谷を流れてきた川です。白い水門が青空によく映えます。
第三京浜の橋から少し下流へ行くと、大きな水門があります。
谷沢川の合流地点で、この谷沢川は等々力渓谷を流れてきた川になります。
* 多摩川のイベントや伝統行事 *
たまがわ花火大会
世田谷で一番賑わうイベントです。
多摩川の大イベントといえば花火大会です。川崎側と同日に行われ、世田谷では鎌田の多摩川二子橋公園をメイン会場として行われます。
以前は8月の終わりに行われていたのですが、天候不順で中止になってしまうことが多いために10月に変更されました。これからは秋の多摩川の風物詩として定着していくことでしょう。
鎌田のどんど焼き
鎌田の河川敷、きぬたまあそび村付近で行われます。
狛江のどんど焼き
多摩水道橋付近の河川敷で行われます。
都市化によって消えていく行事も多いです。その一つが、正月に行われているどんど焼きです。
かつては地域ごとに大きなどんど焼きのやぐらが組まれていましたが、広い場所が確保できなかったり、人手が足りなかったりと行事を行わなくなってしまったところも多いです。
世田谷では神社で小規模に行われていますが、町会が主催となって大きなものは鎌田の河川敷だけです。ここでは大規模なやぐらが組まれてどんど焼きが行われています。
多摩川流域では比較的多くの場所でどんど焼きが行われていて、世田谷周辺でも狛江や大田区、川崎の丸子などでも大きなどんど焼きを見ることができます。
灯篭流し(狛江市)
小田急線の高架下付近で行われます。
盆の風物詩といえば灯ろう流し。以前は世田谷の多摩川河川敷でも行われていましたが、今では行われていません。
狛江では現在でも行われていて、多摩川に灯ろうが揺らめきます。ただ、下流に流すわけにはいかないので、ロープが張られた範囲内で漂うといった感じです。
かつては祭りの際に威勢良く多摩川にお神輿が飛び込んだり、対岸の同じ町域に筏で運んだりとといった事も行われていましたが、今ではそういった行事は行われていません。
* 感想など *
多摩川の夕暮れと富士山
雄大な景色の中に身をゆだねると、小さな悩みなど吹っ飛びます。
この項目は「多摩川の緑と水」といったタイトルになっていますが、言葉通りに世田谷を流れる多摩川の緑と水は素晴らしいという意味ではなく、一度絶望的に汚してしまった過ちを経験した後によみがえった多摩川を見て、自然はなんて素晴らしいのだろう、自然はありがたいといった意味合いを多く含むものです。
ちょうど戦争を経験した人が訴える平和と、戦争を知らない人が理想論で訴える平和といった感じで、ちょっと重みのある項目かなと思えます。
人間は過ちを犯す生き物です。失敗から色々と学んで成長するものです。「川はよみがえらせることができる」「環境問題は努力すれば解決できる」「もう川を汚すような過ちは犯すまい」といったようなメッセージをこの項目からぜひ感じ取ってもらいたいです。
せたがや百景No.75 多摩川の緑と水
ー 風の旅人 ー
2018年4月改訂