* 砧小学校の桜について *

昔の正門でしょうか。現在は全く使われている気配がありませんでした。
世田谷通りから東宝スタジオや成城駅の方へ道が分かれているのが砧小学校交差点で、その交差点の南側の高台に砧小学校があります。
明治35年に喜多見、朝陽の両校が合併して誕生したのが砧小学校の前身、砧尋常高等小学校で、明治40年に新校舎ができてこの地に引っ越ししてきました。
世田谷通りは古くからの街道である登戸道を整備した道です。世田谷道りを砧小学校交差点から少し登戸方面に進むと左側にそれて、すぐに世田谷道に戻る細い道がありますが、これは旧道で、ちょうど砧小学校の下を通っています。
砧小学校の下では道は切り通しのようになっていて、小学校側の崖には玉石垣が施してあります。この切り通しは付近の住民が学校に通う子供たちのために頑張って削って、付近の川原から玉石を集めてきて石垣を積み上げたそうです。
石垣の間には普段は使用していなさそうなトンネル門と呼ばれる入り口もあり、ちょっと変わった景観をつくっています。かつてはここが正門だったのでしょうか。こういった門を持つ小学校は全国を探してもなかなかないはずです。

在学中は目に止まらないものですが、卒業してから眺めると懐かしいものです。
この砧小学校の校庭には百年桜と呼ばれている桜の木があります。それがせたがや百景に選ばれているのですが、残念ながら外からは体育館が邪魔をしていてその様子を見ることはできません。
近年では子供を狙った犯罪が増え、小学校などの警備が厳しくなりました。それはとてもいいことなのですが、休みの日に小学校の校庭に咲いている桜を気軽に見れない世の中になってしまったのは残念です。
桜の咲いていない時期に小学校の周りをカメラをもってうろちょろしていると不審者に間違われそうなので、桜の時期を待って訪れることにしました。
閉まっている校門の横にはインターフォンがあり、「ご用の方は受付に連絡ください」とあり、押そうか・・・、結構勇気がいるな。桜を見せてください・・・って変に思われないだろうか。と悩んでいたところにちょうど部活を行っている先生が通りがかり、写真を撮らせてくれるよう頼むと、「いいですよ」とあっさりと許可がおりました。
子供のいない春休み中ならこんなものなのかな。それに私のように写真を撮ったり、桜を見学する人が多いのでしょうか。

1分咲といったところ。
校庭に入らせてもらうと、校庭の目立つところに大きな桜がありました。百景に選ばれ、また地域の人々から百年桜と親しまれているだけあって立派な桜です。しかも2本並んでいるので壮観です。
一回目訪れたときは残念ながら一分咲きといった感じで少し寂し感じでしたが、枝ぶりがよく観察できました。校舎の方から眺めると二本の桜で扇を作っているような感じです。

後年改めて見学に行きました。
翌年訪れたときには満開でした。校庭の隅にも何本か立派な桜や若い木があったので、桜の老木が見守る校庭といったところでしょうか。子供達にとっては木登りをしたりして遊ぶのにはちょうどいい大きさの木でしょうね。
砧小学校がこの地に建てられたのは明治40年(1907年)の事です。その時に砧学校から青桐が、朝陽学校から桜が移植されたそうです。かれこれ百年以上経っている事になり、随分と前から100年桜という呼ばれ方をしているわけです。
一般的に・・・と言っても諸説紛々ありますが、ソメイヨシノの寿命は60年といわれているので、樹齢百年を超えているこの木はとんでもなく老木だといえます。

木の治療について書いてありました。
ただ近年では昔に比べると衰弱してしまったようです。木の所に案内板が添えてあり、樹木医の解説によると一番の原因は土が堅くなって根が働かなくなったことだとか。
そのために枝に支えの木を取り付けたり、根の付近に囲いを付けて人が入れないようにして、その部分の土を掘り返したりと治療を行っているようです。
公園や街路樹となっている桜は、枝が邪魔になったり、少しでも空洞になっていたりすると枝が伐採されてしまいます。風の強い日に枝が落ちてけがをしたら色々と大事にあるからです。
ただここの場合は夜間人はいないし、枝の下には入れないようになっているし、台風が来るような日に桜の木の下で遊ぶような子供もいないし、他よりも環境がいいような気がします。
治療を受けて、まだしばらくは枯れずに頑張れそうな感じですね。ぜひともこの桜には今後とも頑張ってもらって、多くの子供達を見守り続けて欲しいと思います。