* 六郷田無道について *
六郷田無道・・・。最初に思いついたのは六郷用水があって、田んぼが・・・ない!・・・道?って、なんじゃそりゃといった感じでした。実際に自転車で通ってみてもよくわからない道で、田んぼの文字が入っているから昔の農道みたいなものなのかな。稲荷社や造園もあるし・・・といった感想でした。
その次に六郷田無道の言葉を見たのは世田谷城に関する本の中でした。その中で世田谷城近くを六郷田無道が通っている地図があり、「なんとこの道はボロ市通りまでつながっている道だったんだ。」「地域的な農道ではなく、ちゃんとした街道だったんだ。」と知った次第です。
そして更に調べてみると、なんと名前の通り六郷と田無を結んでいた街道だと知りました。六郷はもちろん東海道の六郷の渡しの六郷であり、田無は青梅街道沿いの田無・・・って、いつの間にか田無市は西東京市になっていたのですね。とまあそれはおいておいて、六郷田無道はそれなりに遠距離を結んでいた昔の幹線道路だったのです。
ただこの六郷田無道という呼び方が一般的かというと、それは微妙で、どうやら世田谷限定の呼び方のようです。
世田谷付近の六郷田無道の道筋を書くと、六郷側からの道筋は環七通りと合致します。野沢で品川道と合流し、環七と246が交わる上馬交差点で大山街道と交わり、斜めに駒沢公園通りに向かいます。駒沢生活実習所あたりで駒沢公園通りと合流し、ボロ市通りを目指します。
ボロ市通りを西に抜けると、北西に千歳船橋を目指して進みます。途中で桜丘小学校、経堂4丁目交差点、千歳船橋駅前の稲荷神社を通る道です。
千歳船橋駅の西側を通過すると、ここからは千歳通りと重なります。塚戸十字路は直進で塚戸小学校前を通り、榎の交差点に至ります。ここで滝坂街道と交差します。
この滝坂街道と交差する榎交差点から百景に登場する上祖師谷区間が始まります。といっても、この辺はとても細い道の両脇には住宅が並んでいるといったごくありふれた住宅地といった感じです。
これが百景の道?って思いながら進むと、急に緑が多い区間になります。生産緑地地区に指定されている造園業の吉実園の敷地です。
造園業を営んでいるだけあって変わった木や定番の木が沢山植えられていて、しかも手入れが行き届いているので、ちょっと都会のオアシス的な空間となっています。吉実園に関連していると思われる小さな稲荷社もあり、植木などの手入れがきちんとされていました。
木も美しいのですが、ビックリしたのがフェンスに囲まれているエリア。その中では鶏が放し飼いされていました。なんて丸々として健康的な鶏なのでしょう。フェンスに近づいてみると、鶏がワサワサと寄ってきました。とても人懐っこい鶏です。
吉実園を通り過ぎると再び住宅が並ぶ、住宅地といった風景になります。そしてそのまま道なりに進むと踏切があり、給田町の交差点に至ります。
ここで甲州街道と交差します。さらに北上していくと現在の甲州街道と交差し、ここからは吉祥寺通りと重なります。そして東八道路に抜けるといった感じです。
現在の六郷田無道はいまいちパッとしない感じというか、普通の道となっています。
古い道は通り抜けしやすくできているので裏道として利用しやすいものですが、現在では付近の住民ぐらいしか利用していないようで交通量は多くなく、百景に選ばれるような趣を探しても見つけることができません。
ただ、昭和の初め頃の記述を読むなら、当時は田無街道、あるいは大森田無線、澤田道と言って東京郊外の数少ない環状道路の役割を担っていて、環七、環八が整備されるまではそれなりに重要な道だった事が伺えます。
とりわけ百景に選ばれているこの区間でいうなら、滝坂街道と甲州街道をほぼ直線的に結んでいるので利便性が高く、交通量が多かった事が想像できます。