世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.42-2

烏山寺町の妙寿寺(妙壽寺)

北烏山5-15-1

東京の小京都といわれるこの一帯は寺院が連なり、静かで緑濃いたたずまいとなっている。関東大震災後、被害にあった都心の寺院が移転して寺町はできた。景観を守るために、地域の住民の手で自主的に環境が保持されていることにも注目したい。一日ゆっくり寺々を訪れれば、それぞれ見所の多いところでもある。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、妙寿寺について

烏山寺町 寺町の配置図
寺町の配置図

烏山寺町の一番北に位置しているのが、鴨池とか、弁天池で知られている高源院です。その一区画手前に妙壽寺(みょうじゅじ)があります。

正式名は本覺山 妙壽寺。法華宗本門流の寺院です。簡単な漢字の妙寿寺という表記の方が分かりやすいでしょうか。

寺の始まりは、寛永8年(1631年)で、本光院日受上人によって江戸谷中清水町(現在の台東区池之端)に開創されました。その時は妙感寺という寺号だったそうです。

寛文2年(1662年)には、幕府から寺地の上地を命じられ、移転を余儀なくされました。日崇上人は本所猿江村(江東区)へ寺を移転させ、その際に寺号も妙情寺に改めました。

後に、この土地を買い取って寺院のために喜捨した小松昌安という医師の母の法名妙寿尼に因んで、寺号を「妙寿寺」と改称しました。

烏山寺町 妙寿寺の被災梵鐘
妙寿寺の被災梵鐘

関東大震災時に猛火に包まれ、破損したそうです。

猿江に移転してからは、猿江稲荷神社の別当寺を兼ねるなど、地域の人々から尊崇を受けていました。しかし、大正12年(1923)の関東大震災によって堂宇の全てを焼失することになります。

当時の住職であった三吉日照上人は、檀信徒の支えを得て、その年の12月に烏山の土地を購入。翌年の大正13年に、墓地の新設許可を取得しています。烏山寺町の建設が始まったのが、大正13年なので、一番最初に移転してきた寺の一寺になります。

烏山寺町 妙寿寺 移築してきた客殿など
移築してきた客殿など

しかし、関東大震災では多くの人々が被災したので、再建も簡単ではありません。とりあえず境内を整え、本堂や庫裡などの建物は、蓮池藩鍋島家や本所吾妻橋の清雄寺から譲り受けたものを使うことにしました。

とはいえ、家具を譲り受けるのとは訳が違います。建物を解体し、烏山まで運んできて、再び組み立て直さなければなりません。結局、移転が全て完了したのは昭和4年のことでした。

ちなみに、深川地区東部にある猿江は、江戸以前から陸地だった地域で、多くの人が暮らしていました。関東大震災で地域全体が甚大な被害を受けただけではなく、この地には大きな工場が多くあったため、太平洋戦争時にもアメリカ軍の空爆の標的になり、甚大な被害を受けています。震災を機に烏山に移転してよかったと言えるかもしれません。

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2、妙寿寺境内

烏山寺町 妙寿寺のイチョウ
妙寿寺のイチョウ

立派なイチョウが門前にそびえています。

千歳烏山駅の方から寺町通りを北上してくると、途中で中央自動車道の高架をくぐります。その先から本格的な寺町となり、道の両脇に寺の長い塀が続きます。

寺の塀を眺めながら寺町通りを歩いていくと、お寺の中に住宅が並んでいる一画が現れます。ここだけ住宅地になっているので、とても違和感を感じます。

この区画はお寺の引き合いがなく、止む無く住宅地になってしまったのでしょうか。その辺の事情は分かりませんが、このちょっと気になる住宅地の前が妙寿寺です。

立派な門があり、その門前には、これまた立派なイチョウの木があり、とても貫禄があります。木の大きさから考えるに、移転してきたときに植樹したものでしょうか。これだけ貫禄がある門構えだと、他の寺は妙寿寺の前に寺を構えたくはないでしょう。

だから住宅地になってしまった・・・。などと勘ぐってしまいますが、妙寿寺がこれだけ立派な俯瞰になったのは昭和の後半なので、そういった理由で門前が住宅地になったということはないはずです。

烏山寺町 妙寿寺 山門とイチョウ
山門とイチョウ

妙寿寺の山門は、昭和60年に日隆聖人の生誕600年の慶讃事業として建造されました。総檜造りの門には過度な装飾はなく、シンプルな門構えでありながらも、芯の通った武骨な感じがします。

今では関係ありませんが、背が高く、横幅もそこそこあるので、一昔前ならば、身分の高い人が馬上のままくぐれるはずです。そういった格式の高さも備えています。

烏山寺町 妙寿寺 宮沢賢治の詩碑
宮沢賢治の詩碑

代表作「雨ニモマケズ」が刻まれている詩碑です。

山門をくぐると、左手に宮沢賢治の詩碑があり、宮沢賢治の代表作「雨ニモマケズ」の詩が刻まれています。

「雨ニモマケズ」は、賢治の没後、手帳に書かれていたものが発見され、発表された遺作になります。「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」という書き出しは、知っている人が多いのではないでしょうか。なにか平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のように、心に響く書き出しのように感じます。

なぜ「雨ニモマケズ」の詩碑がここにあるの?ってことになるのですが、賢治は法華経の教えに深く帰依していて、この詩の横に南無妙法蓮華経の曼荼羅を書いていたり、法華経への帰依をうたった短歌が手帳に添えられていたそうです。

詩中にも、法華経の常不軽菩薩の精神を表している部分があるとも言われていて、法華経の寺としては宮沢賢治やこの詩に共感する部分が多いのでしょう。

烏山寺町 震災にあった梵鐘
震災にあった梵鐘

釜六による逸品です。

宮沢賢治の詩碑の横には、壊れた梵鐘が大事そうに置かれています。この鐘は、関東大震災の際に猛火に包まれ、破損したものです。関東大震災の辛い記憶を忘れないようにといったところでしょうか。

この梵鐘は、享保四年(1719年)に太田六右衛門によって製造されたもので、工芸品としての価値もあります。

太田六右衛門は、この鐘を製造する2年前の享保二年(1717年)に、幕府から「御成先御用釜師」を命じられている凄腕の鋳物師です。

といっても、人の名ではありますが、窯元で代々世襲している名でもあるので、今で言うならメーカー名とか、工房の代表者みたいな感じでしょうか。

世間では「釜六」という愛称で知られていて、区内では豪徳寺の梵鐘(1679年)も同じ「釜六」製で、区指定有形文化財に指定されています。同じ寺町では、源正寺の天水桶もそうです。「釜六」については、源正寺(地域風景資産1-35)の項で紹介しています。

烏山寺町 妙寿寺の本堂
本堂
烏山寺町 妙寿寺の本堂内
本堂内(花まつり時)

山門から入ってすぐ右手には、古き良き時代の料亭とか、高級旅館を思い浮かべてしまうような木造の楼閣があります。文化財になっている鍋島客殿ですが、それは次章で紹介するとして、その先のにある本堂を先に紹介します。

本堂は、昭和59年(1984)に再建されました。それまでは清雄寺から譲り受けた建物をずっと仮本堂としていたので、1923年の大震災から60年余り、住職4代に渡った悲願ということになります。

堂々とした建物ですが、今風の建築物で、特に注目すべきものはないかなと思っていたのですが、花まつりの時に中に入らせてもらうと、とても太い木製の柱が使用されていて、その存在感に驚きました。

烏山寺町 妙寿寺の墓地の案内
墓地の分譲案内

妙寿寺には、広大な墓地があります。お寺の案内を見ると、区の史跡に指定されているのが、江戸後期の石門心学者 中澤道二の墓。その他、自由民主党副総裁をだった川島正次郎、5代目立川談志の墓があるようです。

現在、一番訪問者が多いのは、2009年に亡くなられた女優の大原麗子さんの墓でしょうか。ファンや関係者が命日などに墓参りを行っているようです。

3、鍋島客殿とツツジ

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿
鍋島客殿

とても存在感のある建物です。

山門から入ってすぐ右手に、とても立派な佇まいをした木造の楼閣があります。古き良き時代の料亭とか、名のある温泉街にある老舗の旅館を思い浮かべる人もいるかもしれません。

この建物は鍋島客殿と呼ばれていて、飯倉狸穴町にあった旧肥前国、蓮池藩鍋島家(子爵)の邸宅で使われていたものを、昭和2年に譲渡してもらい、ここへ移築しました。

鍋島客殿は、木造2階建、屋根は入母屋造の瓦葺。多層で重厚な屋根と、数が多く、広い面積を占めている窓から、高貴さとか、財力とか、品格を感じます。

建築は、1904年(明治37年)。当時の当主が、結婚を控えた嫡男のために建てたそうです。さすが旧藩主、そして子爵・・・。財力が半端ないといった感じです。

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿の2階部
鍋島客殿の2階部

大広間24畳(手前)と次の間12畳(奥)。更に縁側があります。

普段は非公開となっていて、外観しか見ることができませんが、ツツジの季節に行われる特別公開時(躑観賞会)などといった機会に、内部に(2階部分のみ)入ることができます。

内部の基本的な造りは、書院造りで、当時の高級建材であった栂(ツガ)が柱などに用いられています。

2階部には24畳の大広間と12畳の次の間があります。つなげると36畳。この2つの広間が特徴的で、とても天井が高く、まるで高級料亭の大広間のようです。

なんでも、イスとテーブルを使った洋風の生活様式にも対応できるようにと、天井を高くしたようです。

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿 大広間
大広間

書院造りで、折上げ格天井。とても天井が高いです。

天井は折上げ格天井。大名や貴族などの部屋に採り入れられることが多い様式になります。天井の高さもあって、天井からも格式の高さを感じます。

折上げ格天井は、寺院の本堂でよく使われます。寺院の天井は高く、そして面積が広いので、格子部分に仏画が描かれているのを目にすることもあるかと思います。

生活の場ということで、無地の天井を選んだと思いますが、寺の客殿として使用するのなら、模様が入っていても似合いそうです。

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿 縁側
縁側

板張りで、窓辺に手摺が取り付けられています。

この客殿の一番の特徴は、大広間と次の間を囲むように縁が廻らされていることです。料亭との大きな違いで、上流階級らしいとても贅沢な造りということができます。

縁側の窓辺には、しっかりとした造りの高欄手摺が取り付けられています。こういった些細な部分にも手抜かりがないのが、貴族の建物。見学しながら感心しっぱなしです。

しかし、当時としては十分な高さの手すりということになるのでしょうが、今の時代感覚では、中途半端な高さに感じます。もっとも、座敷に座って外を眺める分には、視界を遮らないので、ちょうどいい高さではありますが・・・。

昔の橋の欄干も低かったので、この時代の感覚では、手すりは低くて当たり前、安全よりもスタイルや機能性を重視だったのでしょう。それなりに地上までの高さがあるので、高いところが苦手な人は、手すりの傍まで寄ることができないかもしれません。

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿 2階からの眺望
2階からの眺望

緑の多い環境で、落ち着いた眺望です。

贅沢なスペースとなっている縁側は、椅子に座って外を眺めるには最適です。それなりに高さがあるので、鍋島家で使われていた時には、遠くまで町を見渡すことができたのでしょうか。

現在の妙寿寺では、周囲に高い木が植えられているので、遠くの眺望の方は期待できません。しかし、この界隈には高いビルがないので、木々の上から、或いは間からビルが見えることもなく、とても落ち着いた雰囲気です。烏山寺町らしい緑が多く、閑静な雰囲気を楽しめる特等席といったところでしょうか。

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿 客殿から見下ろすツツジ園(2009年)
客殿から見下ろすツツジ園(2009年)

眼下に色とりどりのツツジがあり、素敵な眺めです。

客殿のすぐ下の庭は庭園になっていて、ツツジが植えられています。このツツジは、烏山では知らない人はいないというほど名が知れている西沢つつじ園の西沢さんが寄進したもの。ここの檀家のようです。

普段は閑静な雰囲気の眺めですが、ツツジの季節になると、様子が一変します。眼下に色とりどりのツツジがあり、とてもカラフルで、賑やかな眺めとなります。

平坦な西沢つつじ園を訪れると、ツツジの絨毯といった印象を持ちましたが、ここでの印象は花火でした。そう、花火みたいにツツジも横から見ても、上から見てもきれいなのです。まるで地面に描かれた花火ではないか・・・などと素晴らしい景色を見ながら思ったものです。

ちなみに、私が訪れたのは、2009年の特別拝観日。前年に文化財となり、その記念ということで公開していました。15年以上前の写真なので、今ではもっとツツジが大きくなっていて、より見ごたえのある光景になっていることでしょう。

烏山寺町 妙寿寺 ツツジの季節の鍋島客殿
ツツジの季節の鍋島客殿

雨の日のしっとりした感じもいいものです。

2008年(平成20年)12月に、明治期の華族や上流階級の暮らしをうかがわせる貴重な建築物ということで、「妙壽寺客殿」として世田谷区指定有形文化財(建造物)に指定されました。

文化財への指定を受け、妙寿寺では住職を会長とした鍋島保存会を結成し、文化財の維持と保存を行っています。

文化財に指定されたので、区から補助金で修理し放題・・・。なんていうことはなく、むしろその逆でお金がかかってしょうがありません。檀信徒を中心に、基金の積み立てを行い、修繕などに充てているとか。

年代物の建物だし、ちょっと修理するだけでも目玉が飛び出るような金額がかかりそうなので、現状を維持するだけでも大変なことだとは思いますが、これからも維持し続けてもらいたい建物です。

4、感想など

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿 青空と鍋島客殿とツツジ
青空と鍋島客殿とツツジ

烏山寺町には26の寺があり、宗派や住職の人柄などによって、それぞれの個性があります。よく寺町の象徴のように扱われるのは、弁天池がある高源院。池に浮かぶ弁天社は絵になるし、宙水と呼ばれる浅い地下水が存在する寺町らしい光景でもあるので、納得です。

それ以外では、私的にはここ妙寿寺が一番烏山寺町らしい寺院だと感じています。緑の多い境内。広大な墓地。移転する前の被災した梵鐘。新たに烏山で再出発するにあたって譲り受けた鍋島客殿に、昭和後期に新築した今風の本堂が境内にあるといった具合に、烏山寺町らしさが凝縮されています。

烏山寺町 妙寿寺 鍋島客殿 客殿から見るツツジ
客殿から見るツツジ

上流階級になったような気分に浸れます。

また、烏山の象徴というか、烏山が誇る西沢ツツジ園の西沢さんが檀家になっていて、客殿前に西沢さん寄進のツツジ園がある部分も、親近感がわいてきます。

客殿の前に咲くツツジという光景も素晴らしいのですが、4月の終わりころ、ツツジが咲く季節に客殿の公開を行っていることがあるので、ホームページなどで確認し、その時に訪れてみてください。客殿の二階から見るツツジは絶景です。

せたがや百景 No.42-2
烏山寺町の妙寿寺
2025年2月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所北烏山5-15-1
・アクセス最寄り駅は京王線井の頭線久我山駅、もしくは千歳烏山駅。駅から少し離れています。
・関連リンク妙壽寺(公式)妙壽寺客殿(世田谷区)烏山寺町(世田谷区)
・備考客殿は普段は非公開です。ツツジの季節に特別公開がある場合があります。
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