世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.33

松原の菅原神社

境内に朱塗りの社殿が目立つ。江戸時代、石井兵助という人が寺小屋を開き、学問の神様である菅原道真公を祀ったのが始まりだろうと伝えられる。いまも学業祈願、合格祈願の絵馬札がたくさん下がっている。(百景紹介文の引用)

・場所 :松原3-20-17
・備考 :ーーー

***  このページの内容  ***

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* 松原と菅原神社 *

松原菅原神社の鳥居
菅原神社の鳥居

菅原天神通り沿いにあります。この一角だけ緑が多いのですぐわかります。

京王線の明大前駅から南の羽根木公園付近に広がるのが松原町域です。松原はかつての松原村だった地域ですが、松原村はとても不思議な事に突然歴史に現れます。

もともとこの地域は赤堤村でした。といっても水にあまり恵まれない台地上の土地は雑木林が生い茂り、ほとんど人が住んでいなかったようです。

それを開拓したのが豪徳寺の滝坂道沿いに設置されていた松原宿の人々で、赤堤が旗本領でなくなった元禄十年から十六年の間(1697~1703年)に松原村として独立したとされています。

或いは単純にこの辺り一帯に赤松林が多かったので松原と名付けられたという説もあり、まあ松林も多いし、松原宿の松原でいいかといった感じで名付けられたのかもしれません。

松原菅原神社の絵馬殿
菅原神社の絵馬殿

文政頃(1818~1829年)の天満宮と書かれた扁額や奉納された古い絵馬が飾られています。

松原宿というのは、世田谷城主吉良氏の家臣松原土佐守の三兄弟が滝坂道の途中に宿を開いた事から名付けられたもので、明治22年までは松原村の飛び地でした。

松原宿の北の土地が現在の松原地域で、松原宿の通りから北に進むと松原の重要な通りである松原大山通り、菅原天神通りにつながります。

江戸時代になるまでは甲州街道はなく、滝坂街道が府中方面に抜ける重要な道路でした。江戸時代になって甲州街道が整備されるようになると、裏街道となり宿が衰退するのを防ぐために甲州街道に向けて松原宿の人が道を整備し、土地を開墾していったといった説もあります。

そして村として維持できるほど人口が増え、旗本領が解消されたのを契機に独立したといった流れだったのかもしれません。

松原菅原神社の境内
菅原神社の境内

入り口にある大きな村社の石碑が目に付きます。

松原村の村社は菅原神社で、松原と赤堤一部の氏神として崇拝されてきました。社伝によると、石井兵助がこの地に移住してきて寺子屋を開き、寛文五年(1665年)に学問の大切さを教えるために学問の神様である菅原道真公を祀る「大願成就南無天満宮自在天神」と刻んだ石碑を建てたのが始まりだとされています。

そして宝暦十一年(1761年)に神社が建てられ、菅原天満宮としてこの地の氏神様となりました。

明治7年には明治政府が「宮」の称号や「菅原」の名を一般の民社で使用する事を禁じたので、松原神社と改め、終戦後はそういった縛りがなくなったことから松原神社から菅原神社に社号が改められました。

松原菅原神社 拝殿内
拝殿内

お雛様が飾ってあると雰囲気がいいですね。

昭和38年から古くなった社殿などが建て直されていきます。社務所は昭和39年に、社殿は40年に、神楽殿は41年に再建されました。

その頃は神社から少し離れた場所に社地として赤堤川の水源となっている弁天池を所有していました。しかしながら周辺の宅地化が進んだ為に湧き水が出なくなり、荒廃した状態となっていました。

氏子が相談してこの土地を公園地(弁天池児童公園)として世田谷区に売却し、その資金が神社の再建に充てられました。

管公御神忌1100年祭にあたる平成14年には境内の再整備が行われ、社殿など色を塗り直され、新しい感じに蘇りました。

松原菅原神社 神牛と紅梅
神牛と紅梅

天神様には欠かせないものです。

現在の境内は特に広いというわけではありませんが、一応菅原道真公を祀っている天神様としての要素は全て兼ね備えています。それは神牛、梅の木、合格祈願の絵馬といったものです。

ちょっと道真公について書くと、道真公は平安時代の政治家であり、優れた漢詩人でもありました。時の宇多天皇に重用され、右大臣にまで出世したのですが、左大臣藤原時平に妬まれ、そして謀られ大宰府へ左遷されました。延喜3年(903年)に大宰府で亡くなり、同地(現在の太宰府天満宮)に葬られました。

その後京では不吉な事件が続き、道真公の祟りではないかということで、天神として祀られ、現在では学問の神として崇められています。

松原菅原神社 梅と社殿
梅と社殿

境内には梅が多く植えられています。

これを踏まえて、まず梅の木ですが、道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という句は有名で、道真公が梅が好きだった事がよく表れています。それに伝説ですが、その梅が京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も伝わっています。

そういったことで道真と梅という組み合わせは絶対的で、天神様では賽銭箱や絵馬にも梅の花柄をあしらった紋が付けられています。ですから一応天満宮や天神様では梅の花の時期が訪れるのに最適な時期となります。ちょっと離れていますが、谷保天満宮では先の梅の句から作った巫女舞を梅林で披露していたりします。

松原菅原神社 神牛
神牛

鼻がピカピカになっています。

牛に関してですが、道真公が生まれたのが丑の年、そして亡くなったのも丑の日だったことから、その縁の深い牛を奉っているそうです。

何処の天満宮でも牛の像が置いてあるのですが、たいていどれも牛の鼻の辺りがピカピカに光っているはずです。それは撫でると智恵が授かるとか、御利益があるとかいわれているからです。訪れたらなでなでしておきましょう。特に受験生は。

松原菅原神社 店番をする猫
店番をする猫

あまり売る気がないようでした。

絵馬に関しては湯島天神や谷保天満宮などの凄まじいほど絵馬がかかっている絵馬掛けを見てしまうと、ここの絵馬の数はちょっと寂しい感じがします。

それに世田谷には松陰神社というまた別の学問の神様もいるわけで、どちらかというと知名度のある松陰神社の方が繁盛しているかなといった感じでしょうか。

もちろん学問の神様とはいえ、合格するもしないも最終的には本人次第です。でも困ったときの神頼み。学業成就のお守りなど人気になっていそうです。

松原菅原神社 絵馬殿の車輪
絵馬殿の車輪

神幸祭の牛車に使われていたものでしょうか。

天神様以外でいうなら、表の鳥居の横にある「村社 菅原神社」という文字がかつての鎮守様といった事を想像させてくれます。

神楽殿の前にはさりげなく力石が置かれています。その中の一つには四拾八貫目という文字が彫ってありました。現在でいう180kg・・・って重すぎ!かつては奉納相撲や力比べといった事が行われていたのでしょう。

入り口の鳥居近くには絵馬殿があり、文政頃(1818~1829年)の天満宮と書かれた扁額や奉納された古い時代の絵馬等が飾ってあります。そして下には車輪が丁寧に置かれています。たぶん、昔の神幸祭で使った牛車の車輪が記念に残されているのだと思います。

松原菅原神社 御嶽神社(左)と稲荷神社(右)
御嶽神社(左)と稲荷神社(右)

社殿の脇にあります。

松原菅原神社 弁天池と厳島神社
弁天池と厳島神社

緑に囲まれていました。

社殿の左手には境内社として御嶽神社と稲荷神社の祠があります。町内に祀られていたものが移されたものです。

更に左手には弁天池があります。少し北にある弁天児童公園からこちらへ移ってきたものです。小さいながら今でも水のはられた池の中にあり、小橋を渡って弁天様を祀っている厳島神社にお参りするようになっています。

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* 弁天まつり *

松原菅原神社弁天まつり 祭りの日の弁天様(厳島神社)
祭りの日の弁天様(厳島神社)

お供え物が置かれ、多くの人が参拝していました。

松原村は高台にあり、普段から水に乏しい土地でした。日照りが続いたりすると大変で、雨乞いも盛んに行われていました。

雨乞いに向かったのは大山阿夫利神社や奥多摩の御嶽神社で、水をもらって戻ると弁天池に入ってその水をまいて祈願したそうです。

そういった名残りで毎年五月の第二日曜日には弁天まつりが行われます。といってもとても小さなお祭りです。

松原菅原神社弁天まつり 神楽殿でのステージ
神楽殿でのステージ

地元団体による舞踊などが行われます。

松原菅原神社弁天まつり 手裏剣の実技
手裏剣の実技

松原名物手裏剣おじいさんによる演目です。

弁天まつりでは境内でフリーマーケットが開かれ、出店もいくつか出ます。昭和信金によって餅つきが行われ、つきたてのお餅の販売も行われていました。

神楽殿ではステージイベントが行われ、普段から活躍している菅原天神囃子の演奏や地元の団体の舞踊などが行われていました。

変わった演目としては手裏剣の演舞が行われます。老人武道家によるもので秋祭りでも行われますが、地元の人にとっては今年も元気にやっているんだといったお決まり事みたいな感じでしょうか。

松原菅原神社弁天まつり 知恵餅・福銭散供
弁天まつりの知恵餅・福銭散供

この餅を食べれば賢くなれるとか・・・。みんな楽しそうでした。

祭りのハイライトは知恵餅・福銭散供です。餅や福銭(5円)を節分の時みたいに投げるのですが、この餅を食べると知恵が付いて賢くなるそうです。受験生には大受けしそうなお餅ですが、訪れたときは小さな子供達が必死になって拾っていました。見ていると、福銭よりも腹の足しになる知恵餅の方が当りといった感じでした。

その他ビンゴ大会なども行われ、子供たちには梅雨時の楽しい一日となったことでしょう。

* 菅原神社の秋祭り *

松原菅原神社の秋祭り 参道の様子
参道の様子

所狭しと屋台が並びます。

菅原神社は天神様、菅原道真公を祀っているので、25日が天神の日といった特別な日になります。25日というのは全て旧暦ですが、菅原道真が生まれた日、太宰府に左遷された日、そして命日だった日にあたり、天神さまに縁深い特別な日という事から決められたものです。

昔は菅原神社も9月25日に本祭を行っていて、その日に合わせて松原の学校が休みになっていたそうです。今では学校の祭日が動かすのは難しく、会社勤めの人も多くなり、神社の方が休みを合わせて9月の第四日曜日に本宮祭、その前日に宵宮祭が行われています。

秋祭りの時の境内は、特別混雑していなければ、ガラガラでもないといった普通の賑わいといったように感じました。露店は境内に15店ぐらい並びます。狭い境内の隅から隅まで並んでいるといった感じです。

松原菅原神社の秋祭り 夜の境内
夜の境内

ごった返すほどではありませんが、多くの人が楽しんでいました。

神楽殿では奉納演芸が行われますが、こちらの方は見る方のスペースがあまりないことや地味な演目が多いのであまり盛り上がっていない感じでした。

祭礼を盛り上げるお囃子を努める菅原天神囃子は江戸時代から続くお囃子で、大正時代にはとても盛んだったそうです。昭和40年代後半に松原囃子保存会が発足し、現在は菅原天神囃子として活動していて、お隣の大原のお祭りでも活躍しています。

松原菅原神社の秋祭り 稚児行列
稚児行列

列を取り巻く親の数にもビックリしました。

天神様では5年ごとに式年祭が行われます。西暦でいうなら2と7が末尾につく年になります。これは全国の天神様で行われていることで、この付近では国立の谷保天満宮で大規模な神幸祭が行われているのが知られているでしょうか。

昔は菅原神社でも神主が馬上の人となり、氏子の農家が牛を提供し、天神様らしく牛車も加わった神幸祭が行われていたようです。境内に入ってすぐ左側に色々な物が飾ってある絵馬殿がありますが、その中に大きな木製の車輪があり、それが牛車に利用していた車輪だと思われます。

今ではそういった大がかりな神幸祭は行われていなく、式典や神輿渡御などは比べて見ていないので詳しくは分かりませんが、明らかに普段の年と違うのは稚児行列が行われる事です。

松原菅原神社の秋祭り 神社に参進する稚児達
神社に参進する稚児達

この後、社殿でお祓いを受けます。

菅原神社の稚児行列はなかなか凄く、一日五回、各町域ごとにお稚児さんの行列がやってきて、神社でお祓いを受けます。

午前に二回、午後は三回で14時、15時半、17時といった感じで稚児行列がやってくるのですが、訪れた17時の回は現在の3、4丁目、神社の周辺地域ともあってお稚児さんが80人ぐらいいてビックリしました。

お寺とかで春に行われる花祭りでは最近お稚児さんに参加する子どもが減っていて少し寂しい行列となっているのですが、やはり学問の神様、天神様となると違いますね。子どもの将来の受験や出世のために少しでも天神様にあやかりたいという親心がそうさせているでしょうか。

松原菅原神社の秋祭り 連合渡御の様子
連合渡御の様子

各町会の神輿が一列になって神社まで渡御します。

松原菅原神社の秋祭り お祓いを受ける神輿
お祓いを受ける神輿

神社前の路上でお祓いを受けて終了です。

かつては宮神輿があり、それぞれの町域を順番に回っていき、町域の境では引き渡しが行われていたようです。その神輿は「上保神輿」と呼ばれていたとか。上保家は松原の大地主なので、恐らく祭礼にはかなりの額を負担していたのでしょう。

現在では各緒会による町会神輿が運行されていて、それぞれの町域を宵宮、本宮と回ります。そして本宮の日の14時頃に菅原天神通りの甲州街道付近、神社から見て踏切の先に各町会の神輿が集まり、そして菅原天神ばやしを先頭に連合で神社に向って渡御していきます。

基本は4町会4基の神輿となりますが、松二、松竜会では女神輿も列に加わる事もあります。順番は番号の若い順となり、先頭は毎年一つずれていきます。連合渡御は神社の前までとちょっと短めですが、それぞれの町会が楽しそうに担いでいるのが印象的でした。

松原菅原神社の秋祭り 旧二丁目神輿の宮入
旧二丁目神輿の宮入

狭い参道を無理やり進み、そのままバックで下がります。

松原菅原神社の秋祭り 女神輿
女神輿

女性だけで担がれる神輿には華があります。

それよりも松原らしいと感じたのが松原の人の神輿好きという事です。一番の盛り上がりである連合渡御ではそれぞれの町会が楽しく担ぎ、町会同士で気配りしながら盛り上がっていました。そして各町域でも宵宮から元気に各町会を神輿が渡御しています。

松原の歴史を少し紐解いていくと、松原は甲州街道に面し、新宿までも近く、野菜を運ぶと簡単に現金収入を得られる土地でした。ちょっと野菜を持って行けばすぐにお金になったことから遊び人の多い土地だったそうです。遊び人=騒ぐのが好き、お祭り好きといった感じなのでしょうか。

或いは松原地域は高台にあるので水の便が悪く、雨乞いが盛んに行われたりと神様に対する信仰心の強い地域でもあったようです。そういった不便さから村や町会での団結も強く、昔の式年祭の写真などを見ると、大勢の人が写っていて、村がまとまって祭礼を行っているんだなといった感じを受けました。

信仰心や団結力が神輿を楽しく担いでいる源になっているのでしょうか。それとも遊び人気質の人間が多いからでしょうか。どちらが松原らしいのかを考えながら神輿が担がれる様子を見学してみるのも面白いかもしれません。

* 感想など *

松原菅原神社 梅の時期の境内
梅の時期の境内

冬らしい長い光が境内に差し込んで、光溢れる境内になります。

世田谷区内の神社をみると、農業の盛んだった名残りで稲荷神社が多く、また源氏の伝説や世田谷城主であった吉良氏にまつわる地域では八幡神社も多く建てられています。

そういった中で松原は菅原道真を祀った天神様を村の氏神とした数少ない地域です。境内の雰囲気も秋祭りの雰囲気もやはり他とは違い、天神様オーラが漂っているように感じました。

天神様といえば梅の季節。境内には梅の木が多く植えられているので、梅の香りに誘われ、また天神様のご利益に授かるために参拝してみてはどうでしょうか。もちろん弁天祭や秋祭りの時も楽しいですよ。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所松原3-20-17
・アクセス最寄り駅は京王線下高井戸駅、あるいは明大前駅。
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<せたがや百景 No.33 松原の菅原神社 2009年4月初稿 - 2018年3月改訂>