世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.30

奉納相撲の世田谷八幡

石の鳥居をくぐると、右手に弁天池がある。その少し上手に土俵が設けられ、観客席がちょうど円形劇場のように広がっている。奉納相撲で知られるこの八幡は、吉良頼康の創建と伝えられる。江戸時代には「江戸三大相撲」の一つといわれるほど有名になり、現在も秋季大祭の9月15日には、学生や若者の奉納相撲が行われる。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :宮坂1-26-3
・備考 :9月第三土曜日と翌日曜日

***  このページの内容  ***

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* 旧世田谷村と世田谷八幡宮 *

世田谷八幡宮 新年の賑わい
新年の賑わい

旧郷社だけあって初詣の時は参拝客の長い列ができます。

江戸時代、世田谷の中心は彦根藩井伊家が治めていた世田谷村(世田ヶ谷村、世田ヶ谷領)でした。

現在の世田谷1~4丁目という住所はせたがや代官屋敷のあるボロ市通りや区役所が含まれ、今も昔も世田谷の中心地域ですが、かつての世田谷村はとても広大で、西は現在の桜、桜丘と環八通りにまで至り、北も梅ヶ丘、宮坂、豪徳寺といった地域に加え、羽根木などの飛び地もありました。

その広大な世田谷村の鎮守が世田谷八幡宮になります。昔から世田谷の中心であり続けた神社で旧社格では村社よりも格が上の郷社に指定されていました。

世田谷八幡宮の境内
世田谷八幡宮の境内

緑が多く、落ち着いた雰囲気の境内です。

世田谷八幡宮には、源義家が創建したという古い言い伝えが残っています。この言い伝えは、約900年前の寛治五年(1091年)に起こった奥州の清原武衡・家衡らによる内乱(後三年の役)を源義家が平定し、その帰途の道中、宮の坂を通りかかると豪雨にあってしまい、天気回復を待つため10数日ばかりこの地に滞在する事となってしまったそうです。

その時にこの度の戦勝は日々氏神として崇拝している八幡大神の御加護によるものだという事で、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮の御分霊をここに勧請しお祀りしたとか・・・。って、雨が降ってくるところなんかすぐ近くにある豪徳寺の招き猫伝説になんとなく似ていますね。

これはあくまでも伝説であって、その信憑性の方は江戸時代に刊行された「江戸名所図会」にも「義家勧請と云ふこ事疑い少からず。」と書かれています。

世田谷八幡宮 境内の奥
境内の奥

森の中に境内社があるといった雰囲気です。

実際にわかっているのは、かつて神社が蔵していた棟札に、「当社八幡宮建立大檀那源朝臣頼貞(頼康)。天文十五年丙午八月二十日釿立、十二月二十日癸卯御遷宮」とあるので、天正十五年(1686年)に吉良氏7代目当主頼康によって建立、あるいは造営されたということです。

その他現存している資料から推測すると、吉良頼康が世田谷城のすぐ近くに鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、世田谷の氏神にしたのではないだろうかといった事になるようです。

世田谷八幡宮 拝殿
世田谷八幡宮の拝殿

昭和39年に建築されたものです。

吉良氏衰退後、天正十九年(1591年)には、江戸城に入城した徳川家康から社領として11石の朱印地を寄進されています。

文化10年(1813年)には大風によって社殿が大破し、修理を行っています。

文政8年(1825年)に本格的な社殿や本殿を上棟し、天保2年(1831年)に上屋を建て、遷宮の儀式を行っています。現在の社殿は昭和39年5月に改築された鉄筋コンクリート製ですが、この本殿はそのまま現在の本殿の中にそっくり納められています。

世田谷八幡宮 高良神社
高良神社

一番大きな境内社です

明治維新後の明治5年には政府により世田谷地区の総鎮守として郷社宇佐神社となりました。そして政府による一村一社の合祀令が出されると、各地域の神社や祠が合祀される事になりました。

現在の旧世田谷村地域にある上町天祖神社、宇山神社などの神社は一度は合祀したものの、戦後改めて自分の土地に神様を勧請し直し、登記したものです。

世田谷八幡も終戦後に神社は国家管理を離れたので、宇佐神社の社号を元の社号「世田谷八幡宮」に戻しました。

世田谷八幡宮 大鳥居
大鳥居

城山通りには大きな鳥居がそびえています。紅葉の時期は朱色の鳥居が目立たなくなってしまいます。

現在の八幡宮は世田谷城址公園から豪徳寺と続く城山通りに面しています。神社のある一画は木々に囲まれていて、外からも鎮守様の森といった雰囲気があります。

普段はそんなに訪れる人も多くはないのですが、さりげなく城山通り沿いの鳥居の前でお辞儀していく人が多く、その様子を見かけると地元の鎮守様なんだなと感じてしまいます。

ちなみに神社が鎮座する宮坂という地名は、神社の東側を豪徳寺の方へ登っていく坂の名が宮坂であることに由来しています。

世田谷八幡宮 厳島神社と弁天池
厳島神社と弁天池

鳥居のすぐ右側にあります。

一の鳥居をくぐると正面に二の鳥居があり、その先に社殿に向かう階段が続いています。

二の鳥居までの間は平坦になっていて、右手には弁天池が設けられています。弁天池には厳島神社が鎮座し、その奥には鳥用の檻が設置されていて、鳥が飼われています。

木々に囲まれた水辺の傍ということで気持ちのいい空間となっていて、のんびりとしている年配の方や赤ちゃん連れのお母さんをよく目にします。

世田谷八幡宮 土俵
土俵

円形劇場のような美しい土俵です。

世田谷八幡宮 力石
力石

社殿前にまとまって置いてあります。

弁天池よりも一段上の層には立派な土俵があります。中に入ることができ、土俵の所に立ってみると、観客席の様子からいってまさにこれは日本版円形劇場です。日本にもローマ遺跡ばりの円形劇場があったんだと感動してしまうのは私だけではないはずです。

この土俵は普段使われているのか分かりませんが、祭礼の時には奉納相撲が行われます。奉納相撲については後述しますが、相撲や力比べは昔から世田谷八幡宮に伝わる行事で、社殿の前には力比べをした力石も置かれています。

二の鳥居から階段を上ると社殿や神楽殿などがあります。この空間は広々としていて、落ち着いた感じがします。本殿の奥などには境内社も多くあり、境内全体的に厳かな雰囲気がします。

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* 世田谷八幡宮の秋祭りについて *

世田谷八幡宮の秋祭り 夕刻の拝殿前
夕刻の拝殿前

提灯が灯るころになると参拝客の長い列ができます。

世田谷八幡宮の秋祭り 奉納者が貼られた板
境内にある大きな奉納者が貼られた板

地域ごとに区分された大きな板が何枚もあります。

世田谷八幡宮の祭礼は、少し前までは9月14、15日に行われていましたが、現在では祭礼日が週末に移されて9月の第三土曜日と翌日曜日となっています。

ここの祭礼の特徴といえば、何と言っても奉納相撲が行われる事です。土曜日の午後に農大の相撲部員によって奉納されています。

そしてもう一つの特徴としては広大な旧世田谷村の鎮守だった事もあって氏子地域が広く、境内にとても大きな奉納者の名前を張り出す板がずらっと立てられることです。いやすごい数なのでビックリします。

掲示板を見ると「旧上町」現在の世田谷1~3丁目、「旧世田谷二丁目」現在の豪徳寺一丁目といった具合に旧町域ごとにきれいに分類されています。見た感じでは神社から遠い地域や別の神社が建てられ、独自の秋祭りを行っている地域では奉納者が少ない感じです。

世田谷八幡宮の秋祭り 例大祭の行列
例大祭の行列

多くの神官、関係者が参列します。

世田谷八幡宮の秋祭り 厳島祭
厳島祭

土曜日に厳島神社で行われます。

祭礼は土曜日が宵宮で、14時から奉納学生相撲が行われ、16時頃から弁天池のところにある厳島神社にて厳島神社祭が行われます。これは関係者が参列して神事のみが行われます。夜には奉納演芸が行われます。

日曜日の大祭では10時から本宮例大祭祭典が執行され、格式ある神社なので神職や関係者が長い列をなして本殿に向かいます。祭典終了後の11時から神楽殿にて若山社中により神代神楽が奉納され、各町会の神輿が順次やってきます。夜になると民謡が行われます。

世田谷八幡宮の秋祭り 露店が並ぶ境内
露店が並ぶ境内

境内には多くの露店が並び、夜にはごった返します。

世田谷八幡宮の秋祭り 射的に興じる子どもたち
射的に興じる子どもたち

緑が多い境内なので雰囲気がいいです。

露店は境内が広いこともあって多く並びます。境内に並ぶ露店数という事では世田谷一かもしれません。そのため参拝者も多いことから、境内が華やかな感じがする祭礼となっています。

世田谷区内の祭りは、昼間は人がいなくて閑散としていることが多いのですが、ここの場合は奉納相撲が行われたり、神輿が順次やってきたりするので、昼間でも賑やかです。

また周辺の商店街でもイベントが行われます。一番賑やかになるのは豪徳寺商店街で、よさこいや民謡流し踊りなどが商店街を練り歩いたりします。

もう一つの商業地である梅ヶ丘駅でも太鼓の演奏や民謡踊りなどが行われます。どちらの商店街も商店街の規模は大きくありませんが、身の丈にあったというか、小規模なイベントながら一年を通して定期的にイベントを行っているので、とても雰囲気がいいように感じます。

* 世田谷八幡宮の奉納相撲 *

世田谷八幡宮の奉納相撲 神事
開始前の神事

土俵の清めや祝詞を奏上などの神事が行われます。

世田谷八幡宮の例大祭では土曜日に奉納相撲が行われます。相撲はよくある小学生のちびっ子たちが健康祈願にワイワイやるといったものではなく、近くの東京農業大学の相撲部が真剣に相撲の取り組みを行うといった本格的なものです。

かつては大学対抗で行うほど盛り上がっていたとか聞きますが、大学がどんどん郊外へ引っ越したり、相撲人口の減少などで相撲部が廃部となったりして農大だけになってしまったそうです。

土俵は祭礼に合わせて簡易的に造られたものではなく、普段からここに設置されている立派なものです。しかも、土俵の周りには斜面を利用した円形の観客席があり、ちょっとした円形劇場といった感じです。

森の中にある雰囲気のいい土俵だし、観客席から見やすいし、ちょうど秋の大相撲の取り組みと重なるしと、相撲観戦にはもってこいの環境が整っています。

世田谷八幡宮の奉納相撲 国旗掲揚
国旗掲揚

神事の締めくくりに国家掲揚と君が代の斉唱が行われます。

江戸時代、相撲は歌舞伎や神楽に並ぶほどの娯楽であり、各地で盛んに行われていました。世田谷八幡宮での奉納相撲もそういった娯楽の一部でしたが、その規模や知名度は高かったようで、百景の文章によると江戸時代には「江戸三大奉納相撲」に数えられるぐらい有名だったようです。

ちなみに「江戸三大奉納相撲」の残り2つは「渋谷氷川神社(渋谷区)」と「大井鹿島神社(品川区)」です。これらの神社では現在は定期的な奉納相撲は行われていないようです。そう考えると世田谷八幡宮での奉納相撲はなかなか貴重な存在だといえます。

ただこの「江戸三大奉納相撲」ですが、いまいちはっきりしません。幾つかサイトなどで調べてみると(江戸郊外三大奉納相撲かも?)という説もあります。実際江戸の西側ばかり固まっているし、下町の方ではもっと盛んに行われていたような気もします。

世田谷八幡宮の奉納相撲 体慣らし
体慣らし

土俵に土入れを行った後、土俵をならし、体を慣らします。
体がでかい人がたくさん並んで動くと迫力があります。

奉納相撲の歴史も古いようで、源義家の伝説において八幡宮をお招きした際に執り行われた勧請報賽、奉祝のお祭り時、兵士に奉納相撲を取らせたのが始まりだとか。ただ、これはあくまでも伝説なので、後でそういった伝説に因んでといった形で始まったのかもしれません。

また幾つか逸話も残っていて、その中でも鬼五郎の伝説は有名のようです。狛江出身の五郎左衛門はとても力持ちで、世田谷八幡宮で行われた奉納相撲に参加するとどんどんと勝ち進んで優勝しました。その時の五郎の様子が鬼みたいに強く、また熱気で赤鬼のように見えたこともあって「鬼五郎」と人々が呼んだとか。

そしてその噂は広がり、鎌倉八幡宮でおこなわれた相撲に招待され、そこで見事優勝し、そして鎌倉八幡宮からご神体を世田谷八幡宮に勧請させて貰ったといった話です。

ただこれは吉良家の身分を考えるとちょっと疑問です。吉良家の中心的な役割をもつ神社の勧請はこのような形では行わないはずです。

狛江にも似た話が伝わっていて、こちらは岩戸の住人秋元仁左衛門で、主君である世田谷の吉良頼康に従い鶴岡八幡宮の相撲大会に参加し、見事優勝。ご神体を地元の狛江の岩戸に持ち帰り、岩戸八幡神社を創建したという話です。鬼五郎と同一人物なのかわかりませんが、こちらの方が説得力があるのかなといったところです。

世田谷八幡宮の奉納相撲 勝ち抜き戦
勝ち抜き戦

負けた側の力士がすかさず入ります。白熱の展開で、かなり盛り上がります。

奉納相撲の日、始まる時間の少し前に訪れてみると、観客席はほぼ埋まっていました。とはいえ、全く空いていないというわけでもないし、立って見たり、写真を撮って歩く分には全く不自由しないといった感じなので、ちょうどいい混み具合といった感じでした。

観客席を眺めるとやはり年配の方が多い感じです。若い人には伝統行事というのはもの凄く面白いというわけでもないので、時間前に来てまで熱心に見ようという気にならないのはしょうがないことでしょうね。

奉納相撲は、式典から始まります。開会の挨拶や土俵を清めたりする神事、国旗掲揚、国歌斉唱、奉納相撲の紹介、相撲を奉納してくれる農大相撲部の方々の紹介などが最初に行われました。

世田谷八幡宮の奉納相撲 取り組みの様子
取り組みの様子

下から見ると熱気が伝わってきます。

式典の後に奉納相撲が始まる訳なのですが、まずはウォーミングアップといった感じで相撲独特の準備体操や稽古の様子などを解説を交えて紹介してくれます。普段あまり馴染みのないことなので、なかなか興味深く、面白いです。

それが終わるといよいよ取り組みの開始です。まずは団体戦が行われました。団体戦といっても同じ大学の相撲部なので、学年で分けたり、出身地で分けたりしていました。その他の取り組みとしては勝ち抜き戦や個人戦が行われていました。

見ていてやはり勝ち抜き戦が一番盛り上がっていました。これは土俵際に全ての力士が集まって取り組みを見守り、負けたら交代で次の力士が土俵内に入っていくというものです。

それで決められた数、例えば5番勝ち抜けならば5人に勝てば終了となるのですが、いくら強い力士でも続けての取り組みはきついし、勝ったと思ったら後ろから不意を突かれて・・・といったこともあるので、見ていると面白いし、会場が笑いやら歓声で包まれていました。

世田谷八幡宮の奉納相撲 個人戦の決勝戦
個人戦の決勝戦

本日の結びの一番で緊迫感があります。

相撲として盛り上がるのは一番最後の「本日の結びの一番は~」といった取り組みです。最後は個人戦の決勝戦となります。仲間同士とはいえ名誉ある優勝がかかっているので、この一番だけは気合いが入り、観客も力が入るようでちょっと場の空気が変わります。

この取り組みが終わると表彰式が行われ、奉納相撲が終わります。賞品の多くが御神酒というのは相撲部らしい感じがしました。

* 秋祭りの神輿 *

世田谷八幡宮 宮元(宮坂)の神輿宮入
宮元(宮坂)の神輿宮入

強烈な西日を浴びながら神社に入っていきます。

世田谷八幡宮の例大祭では神社所有の宮神輿ではなく、各町会ごとの町会神輿が運行されます。

ちゃんと調べていないので幾つの町会が所属していて、どれだけの神輿が運行されているのか分かりませんが、神社近辺の商店街、山下商店街、豪徳寺商店街、宮坂、梅ヶ丘商店街、すずらん通り商店街(隔年)などが運行されているのは確かです。

多くの商店街が神輿を出していますが、北沢八幡のように町会神輿が集結して連合で派手に渡御するといった事はなく、町会ごとに順番に神社にやってきてお祓いを受けて帰っていくといった感じの流れになっています。

世田谷八幡宮 山下商店街の御酒所前
山下商店街の御酒所前

揃いの半纏で担がれます。

世田谷八幡宮 梅丘神輿
商店街を進む梅丘神輿

梅ヶ丘から世田谷八幡宮までは少し距離があります。

だいたいお昼頃に子供神輿がやってきて、昼過ぎてから梅丘、17時前に宮坂、17時過ぎに最後の豪徳寺商店街の神輿がやってきます。やってきた神輿は赤い大鳥居をくぐってすぐのところに設置された祓所で神職にお祓いを受け、駐車場のところで一休みして再び自分たちの町域に帰って行きます。

昔は広い世田谷村の各地から神輿が来ていたようで、その中の新町の神輿から出てきた手紙によると、昭和32年に昨年より危険防止のため境内に参進せずとありました。

昭和30年までは拝殿前まで担ぎ上げていて、何かしらの事故が起こり、昭和31年から鳥居のすぐ脇に特設された祓所でお祓いを受けるようになったと思われます。

世田谷八幡宮 豪徳寺商店街神輿のどっこい
豪徳寺商店街神輿のどっこい

宮出し後のどっこいはハイライトの一つ。みんな楽しそうです。

一番活気があるのが豪徳寺商店街の神輿で、年によっては収穫祭の半被を着た農大生も加わり、とても賑やかになります。

豪徳寺商店街の神輿が宮出しした後、すぐ前の社務所の前で行う「どっこい」は一つの見所となっています。そしてこの後商店街に帰って行き、駅の高架下で山下商店街の神輿と行う「どっこい」も盛り上がるようです。

* 感想など *

世田谷八幡宮 夜の土俵
夜の土俵

観客席は食事の席となり、土俵では子供たちが子供たちなり相撲を取っていました。

世田谷八幡宮といえば世田谷一の格式を誇る神社。氏子地域も広いことから初詣に訪れる参拝客も恐らく世田谷で一番多いはずです。

広々として木々が生い茂る境内の雰囲気は良く、世田谷の名前を冠している事からも世田谷を代表する神社と言えます。

その世田谷八幡宮で行われる秋祭りは神事は厳かに、そして各町の神輿が訪れ、奉納相撲や奉納演芸が行われ境内は賑やかです。

やはり見てもらいたいのは相撲です。奉納相撲は古来の神事に則って行われ、しかも土俵が円形劇場のような空間なのでとても雰囲気がいいものとなっています。

相撲自体が近年では廃れつつありますが、このような木々中にある雰囲気のいい土俵で、厳かに取り組みが行われると、相撲は純粋な男同士の力比べであり、美しい神事だと感じます。

国技館とは違った魅力を持つ世田谷八幡宮の奉納相撲。是非一度ご覧になってみてください。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所宮坂1-26-3
・アクセス最寄り駅は世田谷線宮坂駅。小田急線豪徳寺駅。
・関連リンク世田谷八幡宮(世田谷区)、世田谷八幡宮公式ツイッター

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<せたがや百景 No.30 奉納相撲の世田谷八幡 2009年4月初稿 - 2018年3月改訂>