世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.18-2

若林公園一帯

安政の大獄で刑死した吉田松陰は、南千住の回向院に葬られた後、門下であった高杉晋作らの手によって若林村の毛利家抱屋敷内に移されたが、明治になってここに社殿が建てられ松陰神社となった。社殿の左手奥に松陰と志を同じくした人々の墓がある。隣接の若林公園の木立は盛夏涼しい木陰を作り、人々の憩いの場となっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :若林4-34-2(若林公園)
・備考 :松陰神社については前項No.18-1で紹介しています。

***  このページの内容  ***

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* 若林公園について *

若林公園の入り口の写真
若林公園

場所的にいつも人がいる感じです。

松陰神社の隣、区役所の目と鼻の先に区立の若林公園があります。昭和37年に開園した公園で、木々が多く、子供の遊び場があり、ベンチがあり、広場がありといったありふれた公園です。

公園のすぐ近隣には国士舘大学や世田谷区役所、法務局の出張所、都税事務所などの役所があり、日常的には学生達がくつろいでいたり、演劇などの練習をしていたり、昼間は学生、社会人問わず公園で昼を食べていたり、スーツ姿の人が空き時間を潰していたりする光景をよく目にします。

若林公園 木陰のできる公園内
木陰のできる公園内

緑に囲まれた公園といった感じです。

百景の文書に「若林公園の木立は盛夏涼しい木陰を作り、人々の憩いの場となっている。」とあるように、公園内には背の高い木が多くあります。

日差しの強い日に訪れると見事なぐらい木陰ができます。やはり陰が多くあると、昼食時や休憩の時に影のある場所の争奪戦にならないのでありがたいです。それにこういう木陰は遊ぶ子供を見守るお母さんが一番うれしいのではないでしょうか。

中でも名木百選のスジダイ群(ブナ科シイ属)は目をひく存在で、秋になるとシイの実を拾う子供たちを目にします。子供は木の実とか集めるのが好きです。宝物のように大事に持ち帰っても親に捨てられてしまうのでしょうが・・・・。

若林公園内の松の並木
公園内の松の並木

背の高い立派な松が並びます。

公園内で目に止まったのが、一画に樹高の高い松が並んでいた事です。この一画だけあまりにも立派な松が揃っているのはどうも不自然です。

これはきっと隣の松陰神社にかけて松を植えたに違いない。松の木陰で休める公園。これこそ松陰公園。梅ヶ丘の梅林の例もあるので、この松を見てビビッとすぐに閃いたのですが、残念ながら見当違いで、これは戦後に防災目的で植えたものでした。

それにしても立派に育ったものです。これだけ高い壁を作ってくれるなら炎の延焼を防いでくれるかもしれません。

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* 桂太郎氏の墓 *

桂太郎氏のお墓
桂太郎氏のお墓

若林公園と松陰神社の間にあります。

若林公園と松陰神社との間にはさりげなく墓があります。なんでこんなところに墓があるの?誰の墓?ってちょっと気になるかと思います。

さすがにこういった目立つ場所に一般の人の墓があるわけがなく、元首相の桂太郎氏の墓となります。

桂太郎氏の像(萩市)
桂太郎氏の像(萩市)

首相を務めた人物です。

桂太郎氏の邸宅跡(萩市)
桂太郎氏の邸宅跡(萩市)

萩にはこういった歴史的人物の邸宅が多く残されています。

桂太郎氏は吉田松陰氏と同じ長州藩出身で、台湾総統、陸相を経て、明治37年には首相として日露戦争開戦の大事を決し、見事に勝利を納めた方です。

そういった偉大な功績を持つ人のお墓なのですが、なぜここにぽつんとあるのといった感じです。案内板によると、享年66歳でなくなり、本人の遺言によって松陰霊域に接して、当所に葬ったとの事です。

松陰氏が処刑されたとき、桂太郎氏はまだ十二、三才だったので松下村塾には入塾していません。だから尊敬する吉田松陰氏が祀られている同じ松陰神社ではなく、遠慮して隣接した場所を選んだのでしょうか。

偉大な方こそ控えめなところがあったりするのですが、桂太郎氏もそういった感じの人柄だったのかななどと勝手に思ってしまったのですが、どうなのでしょう。

* 国士舘大学とイチョウ *

国士舘大学 世田谷キャンパス
国士舘大学 世田谷キャンパス

世田谷区役所の後ろ側にキャンパスがあります。

世田谷区役所、若林公園、松陰神社に面した形で国士舘大学があります。大学自体の知名度がどれほどなのかわかりませんが、近年では箱根駅伝に毎年のように出場しているので、その名前を覚えたという人も多いのではないでしょうか。

国士舘大学。私のイメージではなんか強そうな大学・・・ってな感じです。大学のサイトを見ると、

”柴田德次郎、阿部秀助、花田大助、喜多悌一、上塚司らの青年有志たちは、「言論」と「教育」をもって国家の繁栄と国民生活の安穏に資することを目指し、日本の「革新」をはからんと、「社会改良」と「青年指導」を目的として「青年大民団」を組織し、1917(大正6)年、「活学を講ず」の宣言とともに、私塾「國士館」を創立するに至りました。 創立者たちの狙いは、「国士舘設立趣旨」で謳(うた)われているように、吉田松陰の精神を範とし、日々の「実践」のなかから心身の鍛練と人格の陶冶をはかり、国家社会に貢献する智力と胆力を備えた人材「国士」を養成することにありました。”

というのが、大学の起源や名前の由来となるようです。隣の松陰神社と関連があったとは知りませんでした。

大学がこの地に引っ越してきたのは大正八年です。今でいうならなかなかの一等地にキャンパスがあるということになりますが、関東大震災前だし、世田谷線の開通していなかった頃なので、そこそこ土地にゆとりがあったと思われます。

国士舘大学のイチョウ
国士舘大学のイチョウ

キャンパスの入り口前にあり、イチョウが群生しています。

国士舘大学のキャンパスの前庭、ちょうど交差点のところにはイチョウの木があります。ここのイチョウの木はちょっと珍しく、複数の木でイチョウの木群を形成しています。

銀杏の木といえば一本の大木とか、道路沿いの並木といった固定概念があると、こんなイチョウの木もあるんだと新鮮な驚きを感じることでしょう。

* 感想など *

若林公園の遊び場
若林公園の遊び場

緑に囲まれた公園といった感じです。

若林公園は実は重要な役割があります。区役所付近の若林は道が狭く、古くから住宅が密集していることで知られ、関東大震災クラスの災害が起きたときに大規模な火災が起き、大きな二次災害が起きるのでは・・・などと心配されている地域でもあります。

それにすぐそばの区役所は防災拠点の心臓部。防災に力を入れている部分もあり、災害用トイレ・かまどベンチ等が整備されています。そして園内を囲んでいる背の高い木々はいざというときに火災から守ってくれるはずです。

比較的大きな公園の割には人が多くなく、かといっていつでも人がそこそこいる公園。そしてうまく憩いの場と防災の役割がかみ合っている公園。可もなく不可もなくといった感じで存在し、いざという時には心強い役割を果たしてくれるのが若林公園となるでしょうか。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所若林4丁目34−2
・アクセス世田谷線松陰神社駅から徒歩。
・関連リンク若林公園(世田谷区)

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<せたがや百景 No.18-2 若林公園一帯 2008年6月初稿 - 2018年11月改訂>