世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.36

鎌田天神社例大祭

大蔵村に大小18カ所の飛び地で存在した鎌田村鎮守での祭礼は、今では式典と神輿渡御のみとなってしまい、少々物足りなさを感じる秋祭りです。

鎮座地 : 鎌田4-11-9  氏子地域 : 鎌田1~4丁目
御祭神 : 菅原道真公  社格 : 旧鎌田村村社
例祭日 : 10月第二日曜
神輿渡御 : 宮神輿、子供神輿、太鼓車、トラック山車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : なし
その他 : ーーー

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*** 旧鎌田村と鎌田天神社 ***

鎌田天神社の写真
鳥居と境内

とても小さな神社です。

鎌田天神社の写真
社殿

小さな堂宇です。

鎌田天神社の写真
境内社など

隅っこに置かれているといった感じです。

鎌田天神社の写真
菅公千年祭記念碑

明治35年に村の有志が設置したものです。

鎌田天神社の盆踊りの写真
盆踊り大会

この日はビックリするぐらい混雑します。

鎌田天神社の盆踊りの写真
盆踊りの様子

婦人会の方や子供達が楽しそうに踊っていました。

* 旧鎌田村と鎌田天神社について *

世田谷に存在した村の中で鎌田ほど不思議な村は他にありません。一体どうしてこんな村が存在できたのとビックリしてしまうほどです。現在の大蔵は砧公園や大蔵運動場付近にある横に細長い地域ですが、かつて大蔵村はとても広く、北部の砧、そして南部の鎌田や玉川の一部を含む地域でした。世田谷村に匹敵するぐらいとも言えます。その大蔵村に、表現は悪いですが、虫食いのように大小十八の飛地として点在していたのが鎌田村です。

飛地の中でも大きかったのが、鎌田天神社や吉祥院がある付近で、ここが本村、村の中心でした。次ぎに大きかったのが、国道246号の高架下付近にある諏訪神社のある吉沢地区で、この二つにしか人は住んでいなく、後は田畑と雑木林だけだったようです。昭和30年になると複雑に絡み合った旧大蔵村、旧鎌田村地域の飛び地が整理され、この2村の細長い地形が、北が砧、真ん中が大蔵、南が鎌田といった具合に分けられ、現在の鎌田町域が形成されました。

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鎌田は古い時代のことはよくわかりませんが、寛永十年(1633年)に彦根藩世田谷領15村が成立したとき、鎌田村86石と石高が記されているので、それ以前からあったと言うことだけは確かです。鎌田という地名は、本村に住む橋本家は古く12世紀にさかのぼって、源義朝の郎党の鎌田政清の末裔だと言い伝えられているそうです。平治の乱に敗れた後に落武者としてこの地で姓を変え、身を隠して暮らしたとされます。

それが後年、村の名となったと推測されています。また吉沢地区に住む川辺家も落武者が土着したと伝えられています。ということから推測するに、鎌田は落武者がひっそりと身を隠しながら暮らしていた土地で、元々暮らしていた人々とある程度距離を開けて生活していたために変な飛び地のような村になったのかもしれません。しかしながら大蔵の本村の氷川神社と鎌田の本村の天神社の距離が300m程しか離れていないというのもやはり微妙な距離というか、村と村の関係のような気がします。

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鎌田の氏神は二つあって一つが本村に立地する天神社です。創建に関しては不詳ですが、天保十三年(1842年)の天満宮修復覚書が記録として残っています。それ以前に関しては、氏子に伝わる伝承では江戸の中期に他からこの地に移したとされています。もしかしたらすぐ近くの大蔵村の殿山にあった石井家の玉川文庫にあった菅原天神かもしれません。

江戸時代は天満宮でしたが、明治になると政府によって宮の文字は禁止となったので、天神社となり、明治10年に村社に指定されています。大正八年には社殿を造営しています。現在の堂宇は2間半に3間の小堂で、昭和57年に造営されたものです。祭神は天神社なので、菅原道真公となり、御神体は束帯姿の道真公で約35cmの木彫坐像、胸にあたるところに梅鉢紋が描かれているそうです。社殿の脇には明治35年に村の有志によって建てられた菅公千年祭記念碑があります。かつては村民が能筆ならんことを祈念して社の扉に筆をさげ、祈る習慣があったそうですが、今ではそういった風習も絶えてしまったそうです。

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もう一つの氏神は現在では玉川3丁目にあたる国道246号のすぐ高架下にある諏訪神社です。ここは昔の鎌田村吉沢にあたり、諏訪神社の歴史は古いようで、室町時代の文明年間(1469~1486年)に建てられたものとされています。なんでも大水によって川上から流されてきた祠を祀ったのが始まりだとか。かつては境内に大きな欅の木があり、それが多摩川を行き来する船や筏の目印になっていたといった話も残っています。そして昭和の初め頃まではこの二つの神社で交互に祭りを開いていたそうです。

*** 鎌田天神社の秋祭りの様子 ***

鎌田天神社の秋祭りの写真
祭りの準備をする様子

露店も出ないので、あまり普段と変わりません。

鎌田天神社の秋祭りの写真
例大祭

社殿が小さいので小規模な祭礼となります。

鎌田天神社の秋祭りの写真
お祓いなど

関係者や神輿、担ぎ手をお祓いします。

鎌田天神社の秋祭りの写真
神輿の出発前

この時が一番境内が賑わいます。

* 鎌田天神社の秋祭りについて *

祭礼は毎年10月第二日曜日に行われていますが、宵宮もなく、露店もなく、奉納演芸といったものもなく、式典と神輿渡御のみの祭礼となります。祭礼は非常に簡素に行われ、13時から小さな社殿内で式典、境内で御魂入れ、お祓いなどが一気に行われ、それが終わると神輿が出発し、夕方太鼓などが戻り、夜に神輿が戻ってきて祭りが終了するといった感じです。

境内に露店もなければ、奉納演芸もないし、社務所といったものもないので、式典と神輿が出入りするとき以外は境内に人がいません。夏には盆踊り大会がここの境内で行われるのですが、その時は地元の出店も出て、多くの子供がやってきて賑やかなのですが、秋祭りの時はビックリするぐらい静かです。

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かつては神社の祭礼が村人の年に1度の楽しみだった頃、村人総出で境内に舞台を造り、田舎芝居を行って楽しんだそうです。また昭和の初め頃までは吉沢の諏訪神社と一年おきに祭りを行ったという話も残っています。昭和30年頃には田舎芝居は行われなくなり、代わりに奉納演芸として踊りやカラオケが行われるようになりましたが、今ではそういった奉納演芸も行われず、露店も出なくなってしまいました。

祭礼日も新編武蔵風土記稿によると天神様らしく9月25日だったようですが、恐らく戦後ぐらいから10月15、16日になり、昭和50年代には歳末に出荷する小松菜の種まきの時期と重なって都合悪いから10月10日に変更したといった変わった話も残っています。

*** 鎌田天神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

鎌田天神社の神輿渡御の写真
出発

付近の住民などが見守ります。

鎌田天神社の神輿渡御の写真
宮出し

脇から神社を出ます。

鎌田天神社の神輿渡御の写真
子供神輿

天神様を担いでいるので賢くなれるかも。

鎌田天神社の神輿渡御の写真
太鼓引き

多くの子供が参加していました。

鎌田天神社の神輿渡御の写真
お囃子を乗せたトラック山車

お囃子を努めるのは鎌田囃子保存会です

鎌田天神社の神輿渡御の写真
宮入してきた神輿

提灯とスポットライトが二つ灯るだけの暗い境内です。

鎌田天神社の神輿渡御の写真
宮入

境内を広く使えるので楽しげに宮入していました。

鎌田天神社の神輿渡御の写真
宮入後

スポットライトは結構まぶしいです。

鎌田天神社の神輿渡御は13時からの神事や式典が終わった後、13時半から行われます。といっても13時からの式典で御魂入れやお祓いも行うので、式典終了後に御神酒を飲んだらすぐ出発といった慌ただしいというか、一気に祭事が進んで神輿が出発していきます。神輿渡御は、お囃子を乗せたトラック山車、太鼓車、子供神輿、大人神輿と続きますが、ここでは鳥居が小さいので、子供神輿のみが鳥居から外へ出て、後は横から出し入れしていました。

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神輿は台座が一尺八寸(56cm)で、昭和61年に行徳・浅子周慶によって建造されたものです。勾欄造りの小振りな神輿で、黒漆塗り延軒屋根の前後には御神体と同じ梅鉢紋が付けられ、駒札は天神社となっています。担ぎ手は周辺からの応援が多いようで、300m程しか離れていない大蔵やお隣の宇奈根、二子玉川からの応援などが中心のようでした。渡御は旧鎌田の飛び地を巡ったらそれはそれで興味深いのでしょうが、普通に現在の住所である鎌田を巡ります。特に象徴的な場所もなく、この付近では大通りとなる玉堤通りを中心に巡行するといった感じとなるようです。

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宮入はだいたい19時半ぐらいです。暗くなってからの宮入なのですが、神社も真っ暗です。境内にある照明は社殿前に設置されている提灯と、社殿に臨時に取り付けられたスポットライトが2灯だけ。宮入前の早い時間に訪れたのですが、誰もいなく、もう祭りが終わってしまったような雰囲気でした。

そういった暗い境内で宮入が行われるのですが、スポットライトが社殿の正面から照らされるので、担ぎ手からすると結構まぶしいです。でもそれがスポットライトを強烈に浴びる事で舞台にいるような感覚になり、担ぎ手のテンションが上がるっている感じでした。盛り上げる観客が少ないのをスポットライトでカバーしてと言うのは結果論でしょうが、それなりにこのスポットライトは効果がありそうです。祭り自体はあまり特徴がないのですが、この宮入の様子というか、この光景は他に類のない宮入だったので、見ていて面白かったです。

* 感想など *

鎌田天神社の祭礼は・・・・、なんてまとめようかと考えるものの、実はなかなかまとめる文章が浮かんできませんでした。闇に浮かび上がるような宮入とか、強烈なスポットライトを浴び、舞台にいるような宮入・・・というのもなんか変な特徴です。なんていうか、特徴らしい特徴がないというのが本音です。祭り自体が式典と神輿渡御だけで、特に特徴的な祭事や場面がないのもありますが、鎌田自体が町域変更で新しく造られたような町なので、古くからの鎌田らしい特徴や伝統があまりないというのもあるかもしれません。

ただ今の鎌田で考えるなら、世田谷で一番集客を誇るイベントである玉川花火大会の会場は鎌田が中心だし、正月に大規模などんど焼きを行っているのも鎌田。駒沢給水塔へ水を送っているは鎌田にある砧下浄水場で、結構多摩川に関係したことが多くなっています。もし多摩川の近くにあり、多摩川に古くから縁のある諏訪神社が鎌田の村社だったなら勢いで神輿が多摩川に入ってしまうような違った種類の秋祭りになっていたのかもしれません。

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<世田谷の秋祭り File.36 鎌田天神社例大祭 2013年9月初稿 - 2015年10月更新>