世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.16

代田八幡神社例大祭

伝説の巨人ダイダラボッチの足跡が残る代田の祭りの日には、かつて代田村に所属していた飛び地からも神輿がやってきて賑やかに宮入を行っています。

鎮座地 : 代田3-57-1  氏子地域 : 代田1~6丁目、代沢1丁目、4丁目など
御祭神 : 品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ)  社格 : 旧代田村村社
例祭日 : 9月第三土曜日に宵宮、翌日曜日に本祭
神輿渡御 : 町会神輿 4町会(連合宮入)
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

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*** 旧代田村と代田八幡神社 ***

代田八幡神社の写真
環七沿いの入り口

歩道橋とつながっているので通行人が多いです。

代田八幡神社の写真
秋の境内

質素な感じの境内です。

代田八幡神社の写真
狛犬と銀杏の木

銀杏の木が並びます。

代田八幡神社の写真
拝殿の工事

鎮座420年記念で建て替えられました。

代田八幡神社の写真
末社、御嶽社

社殿右手にあります。

代田八幡神社の写真
逆さ鳥居

間違えて表裏逆向きに設置してしまった鳥居です。

* イベントなど *

代田八幡神社、代田もちつきの写真
代田もちつきの神事

区の無形民俗文化財。毎年1月に行われます。

代田八幡神社、代田もちつきの写真
代田もちつき

まずは餅つき歌を歌いながらこねます。

代田八幡神社、代田もちつきの写真
究極の8人搗き

慣れないと効率が悪いです。

代田八幡神社、代田もちつきの写真
配られるお餅

つきたては美味しいです。

代田八幡神社、盆踊り大会の写真
夏の盆踊り

3日間にわたって行われます。

代田八幡神社、盆踊り大会の写真
夏の盆踊り

この日は多くの屋台が出て賑やかです。

* 旧代田と代田八幡神社について *

環七通りが小田急線と交わる付近の西側にかつて代田村の村社だった代田八幡神社があります。環七の向こう側は世田谷代田駅なので、駅からもほど近く、環七沿いでもありとなかなかいい場所に立地しています。

氏子地域である旧代田村は現在の代田1~6丁目の他に、現在の大原1、2丁目、そして飛び地として現在は代沢に含まれる松代、溝ヶ谷、山下地域といった大きな町域を持っていました。そして隣の下北沢村とともに元禄八年(1695年)から幕末まで天領地として幕府の支配下に置かれていたという歴史を持っています。

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現在の町域の代田1~6丁目になったのは昭和39年の住居表示実施によってです。そのときにこの付近の飛び地が全て整理され、特に複雑だった代田村と下北沢村の間には新たに代沢という地名ができました。これは言うまでもなく代田と下北沢を併せた地名で、飛び地付近の町域が見た目上すっきりとしましたが、目に見えない歴史の積み重ねである氏子町域は今でも残っていて、代沢はお祭りになると旧代田村地域と旧下北沢村地域に分かれます。

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代田の地名の由来には面白い言い伝えが残っています。なんでもダイタの名は伝説の巨人ダイダラボッチに由来しているとかなんとか。かつて代田村には長さ約百間もあるような右片足の跡をした窪地があったそうです。その形もリアルで、爪先あがりに土深く踏みつけたような形をしていて、踵(かかと)付近には小さな堂が建ち、その傍に湧き水の池があったとか。この湧き水のおかげで凶作になることがなったっとも伝えられています。この足跡のような窪地のことを人々は「だいだらぼっち」と呼び、それがいつしか村の名「だいた」となったそうです。

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室町時代から戦国時代かけて世田谷城を築いて世田谷を治めていたのは吉良氏でした。吉良氏は小田原北条氏と婚姻関係を結んでいたため、天正18年(1590年)の小田原の役での北条氏の滅亡とともにこの地を去りました。その翌年、この地に残って帰農した吉良氏の家人7家(代田7人衆)が宇佐八幡宮(現在の世田谷八幡宮)から八幡神を勧請して祀ったのが代田八幡神社の創建とされています。

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江戸時代になると代田村は発展していき、天和元年(1681年)に現在地とほぼ同じ場所に立派な宮造りの社殿等が建立され、地元の人々からの篤い信仰を集めていったそうです。その後、明治6年には境内の立ち木を売り払い、石垣、大鳥居、灯篭などを新調するといった苦しいやり繰りを行って、翌7年には村社に指定されました。明治12年には神楽殿を新築しますが、ここからは不幸な歴史が続きます。

翌13年には暴風雨で社殿や樹林が壊滅的被害を受けます。村を挙げて社殿の復興に取りかかるものの、その資材などが火災で焼失。明治20年にようやく再建を果たしますが、大正時代になると関東大震災で鳥居などが倒壊、更には昭和20年の戦災で社殿など全てが焼失してしまいます。現在の社殿などの建物全て戦後に再建されたものです。昭和30年代には環七が整備されたことで、境内の東側が削られてしまいました。最近では平成23年には鎮座420年祭が齋行され、拝殿などが新しく建て替えられました。

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ここ代田八幡は幾つか特徴的な事があります。まずちょっと変わった立地をしていて、境内の脇に環七を渡る歩道橋が設置されています。そのため日中に境内を通り抜ける人が多いことです。お参りする人とは違いますが、世田谷の神社で日常的に境内を歩いている人が多いのはここと観光客の多い松陰神社ぐらいでしょうか。神社の境内は普通の道路や通路と違って歩くと気持ちが落ち着くものです。道路で他人とすれ違っても何も感じませんが、境内だと軽く会釈してしまう感覚になるのではないでしょうか。それに普段から神社を身近に接していれば神社に対する愛着もわき、祭りなどのイベントに参加したくなるというものです。そういった意味では付近の住民の身近な存在として親しまれている感じがします。

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代田八幡を有名にしているのが、区の無形民俗文化財に指定されている「代田餅つき」です。毎年1月第3日曜日に神社境内で地元の三土代会(保存会)によって行われます。江戸時代天保年間から代田地区に伝わる昔ながらの独自の餅つきで、餅つき唄で調子をとる「コネドリ」、6人または8人で行われる「カケ搗き」が特徴で、特に8人のつき手が臼を取り囲むようにして威勢よく餅を搗く「八人搗き」は華やかで、他では類を見ないものです。

ここ以外でも新年の区役所での祭りやせたがや梅祭りなどでも実演を行っています。その他、夏には境内で盆踊りが3日間に渡って行われるのも区内では珍しいことです。その時には多くの屋台が境内に並び、浴衣を着た住民が集まり、秋祭りに負けないぐらい境内の雰囲気がよくなります。

*** 代田八幡神社の秋祭りの様子 ***

代田八幡神社の秋祭りの写真
秋祭りの環七側入り口

提灯や屋台が明るく環七がかすみます。

代田八幡神社の秋祭りの写真
境内の様子

多くの屋台が出て賑やかです。

代田八幡神社の秋祭りの写真
代田和太鼓クラブの演奏

子供神輿の宮入を盛り上げます。

代田八幡神社の秋祭りの写真
神楽殿での奉納演芸

パントマイムが行われていました。

代田八幡神社の秋祭りの写真
拝殿(工事中)

今では立派な拝殿になっています。

* 代田八幡神社の秋祭りについて *

現在の代田八幡神社の秋祭り(例大祭)は9月の第三土曜日に宵宮、翌日曜日に本祭が行われます。宵宮の日は昼間に子供神輿や太鼓車が町内を回り、神社にもやってきます。夜は神楽殿でプロによる奉納演芸が行われます。

日曜日の本祭の日は各町会の神輿がそれぞれの氏子地域を朝から回り、15時頃円乗院に集まり、環七を渡って連合で宮入渡御が行われます。それに先だって14時半頃社殿で例大祭が行われます。雅楽の演奏とともに参進する様子は雰囲気があるはずです。夜には同じく奉納演芸が神楽殿で行われますが、確か日曜日は素人による奉納演芸だったかと思います。境内には正月などもそうですが、多くの行灯が灯され、いっそう秋祭りの雰囲気をよくしてくれます。

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ちなみにかつての祭日は9月19、20日の固定日で、北沢八幡の9/18、19に続いて行われていたようです。そして祭りでは地元のお囃子や神楽が奉納されていましたが、戦後は後継者がいなくなり行われなくなってしまいました。現在では大蔵の石井戸囃子保存会がお囃子を努めています。なんでも太平洋戦争中に代田と大蔵の祭礼関係者が同じ部隊に所属していて、戦後お祭りが復活したときに代田にはお囃子がないのでやってはくれないかといった話になり、その後ずっと関係が続いているとの事です。

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露店の数は境内と境内の外の駐車場におよそ20店程度立ちます。結構賑やかな感じの境内になりますが、大混雑とまでいかないのがここの特徴でしょうか。ここの神社では冬に餅つき大会、夏に盆踊りと行われますが、どちらもほどよく混み合うといった感じで、私の中では全てにおいて程よい神社といった印象となっています。

ただ冷静に考えてみれば、代田1~6丁目に下代田地区とかなり広い氏子地域を持っているので、こんな程よい賑わいではなく、大賑わいしてもおかしくありません。そう考えると付近の住民だけで盛り上がっているのかなとか、環七で町域が分断されてしまったのかなとかとか想像してしまいますが、単純にこれだけ広い町域だと代田八幡よりも近くに別の神社があるという人も多そうです。今では氏子地域にこだわらない人も多いので、町域が広くても賑わいが少ないのもしょうがないのかもしれません。

ちなみに飛び地の下代田地域では北沢川緑道の代沢せせらぎ公園に下代田西町会の御酒所が設置され、町会による出店が少し並んだり、神輿の通る通り沿いに「祭り」の幟が設置されたりと神社から離れていますがこちらでも少し祭りの雰囲気を感じることができます。

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ここの祭りで特徴なのは旧代田村の御神輿がやってくることです。かつて飛び地だった下代田地域は現在の代沢1丁目から4丁目付近になり、代田八幡から見ると北沢八幡の氏子町域を間に挟んだ更に東側になります。昔と違って今ではそういった氏神様とか、氏子意識は一般住民にとっては稀薄で、都立高校の校区が廃止されたように好きな神社や近くの神社でお参りすればそれでよしといった感じです。

そもそも住所上の町域といったわかりやすい境界で分かれているならまだしも、目に見えない氏神様で町域意識や文化圏が分かれるという感覚が新しい住民や現代の人には理解できないかもしれません。それに現在は同じ町域でも最寄り駅で文化圏が分かれている事が多くなっています。

そういった中、古くからの町域意識というか、氏神様を守る風習が一部の住民だとしても残っているのは素晴らしく感じます。普段は下北沢文化圏、或いは三軒茶屋文化圏に属している下代田地域が一年に1度だけ代田文化圏に戻る日が代田八幡神社の祭礼であり、大原を除いた旧代田村の町域が勢揃いする日でもあります。そう考えると七夕じみてロマンチックに感じますが、実際のところはどう思っているのでしょう。

*** 代田八幡神社の神輿渡御 ***

*** 町会神輿 ***

代田八幡神社の神輿渡御の写真
連合渡御の開始

円乗院前からスタートです。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
桜並木を進む神輿

桜の時期だと凄く絵になりそうです。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
環七の横断

渡る間交通が遮断されます。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
環七を渡御する様子

車道は大渋滞です。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
まもなく宮入

お祓いをしながら歩く神職も大変です。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
環七を進む代田睦の子供神輿

日本の大動脈らしく背景が凄いことになっています。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
参道を進む様子

参道の両脇に露店が並ぶので狭いです。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
神楽殿に差し上げ

総代やお囃子連に挨拶します。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
宮入の様子

境内はとても賑わいます。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
拝殿に差し上げ

神様や神主に挨拶します。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
お祓い

神輿を下ろした後、各町会お祓いを受けます。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
宮出し

再び自分たちの町域に戻って練り歩きます。

代田八幡神社の神輿渡御の写真
灯の入った万燈神輿

夜になると本領発揮といったところでしょうか。

代田八幡神社では宮神輿の渡御はなく、各町会による神輿渡御が行われます。戦前には昭和3年と昭和9年に建造された宮神輿2基が氏子地域を精力的に回っていたそうですが、戦時中に神社その他焼けてしまい、現在は「代田一」「代田二」「東下代田」「西下代田」の4町会による渡御になりました。

代田一と二は旧代田村一丁目(神社の南側、現在の代田1、3丁目)と二丁目(神社の北側、現在の代田2、4、5、6丁目)のはずですが、連合渡御の時は代田睦として厳密な区分はないのかもしれません。下代田東は代沢一丁目、下代田西は代沢4丁目あたりの町域になります。この中でも下代田東の神輿は今では世田谷では珍しい万燈神輿です。かつては経堂の夏祭りで担がれていましたが、今ではここだけのはずです。夜には万燈に灯が入った状態で代沢1丁目あたりを練り歩きます。

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神輿渡御は各町会のスケジュールによりますが、代田地域では土曜日は子供神輿や太鼓車が回り、日曜日に大人の神輿が町域を回り、下代田地域では日曜日に両方とも回るといった感じのようです。祭りのハイライトはかつて同じ代田村だった下代田地域を含めた4町会が揃って宮入する場面です。

各町の神輿は北沢川緑道沿いにある円乗院前に集まり、15時すぎに出発します。順番は代田一、二、下代田東、西で、先頭は毎年ずれていきます。式年祭の時は露払いの鉄棒が先導し、神職、全ての高張り提灯が続き、各町会の御神輿が並びます。それ以外の時は神職が先導し、各町会ごとに高張り提灯と神輿が続くといった形になるかと思います。

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神輿渡御は北沢川緑道を少し進み、梅ヶ丘通りに出ます。そしてハイライトの一つである環七横断に入ります。ハイライトといっても担ぎ手が普通よりも盛り上がるだけですが・・・。何にしても片側三車線の交通の大動脈。多いときは子供神輿を含めた5基の神輿が渡るので環七が閉鎖される時間が長く、ただでさえ日曜日に混み合う環七が大混雑します。昔、この渋滞にはまって苦労した事がありますが、実際に神輿について歩いてみるとなかなか気持ちよかったりします。ただ、ちょっと殺気が混じったイライラのオーラみたいなものを周囲の車から感じたりしますが・・・。

環七を渡ると環七を進んで神社に向かい、環七沿いの鳥居から宮入していきます。宮入すると神楽殿に差し上げ、拝殿の横で差し上げ、神輿を降ろします。境内が狭いのであまり激しい練りは行われず、ほどほどといった感じです。そして関係者は社殿で例祭を行い、その後担ぎ手と御神輿は神主さんのお祓いを受け、各町域に戻っていきます。もちろん下代田の御神輿は行きも帰りもトラックに乗せて運搬しています。担ぎ手もバスに乗っての移動になります。

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また聞くところによると、代田八幡神社と北沢八幡神社の氏子地域が共存する代沢地域では、担ぎ手が少ないのでお互いに担ぎ合って担ぎ手の数をそろえているそうです。下代田地域の神輿がそれぞれの町域を回っているときには北沢八幡の氏子地域の半纏をよく見かけますし、北沢八幡神社のお祭りでも下代田の半纏をよく見かけます。

同じ町域で氏子地域が分かれているのは色々と不都合があるかもしれませんが、1年に2度御神輿を担げると考えるなら、祭好きには幸せな地域なのかもしれません。このように氏子地域を越えて協力し合っているというのもこの地域の良さであり、お祭り好きな地域を象徴しているように感じます。

* 感想など *

代田という地域はだいだらぼっちの伝説があったり、吉良氏の家臣が帰農して栄えた経緯があったり、かつて広大な町域を持っていたなど歴史を紐解いていくとなかなか面白い地域だったりします。そういった歴史ある旧代田村の村社での祭りといった目で見ると、境内はほどよく賑わっていて、雰囲気もよく感じるのですが、いまひとつ華やかさや賑わいが足りないように感じてしまいます。

それは戦災で全て焼けてしまった事もあるだろうし、環七で町域が分断されてしまったことやら時代の価値観の変化やら色々と影響があるかもしれません。今では氏子地域が広ければ広いほど祭りが賑わうとは限らないのが世田谷、いや東京の祭り事情かと思います。

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実際のところ、飛び地に住んでいる人たちは神輿が代田八幡に行くからといって代田八幡の祭りへ行くという人は少なく、近くの北沢八幡や太子堂八幡、三宿神社の祭りを訪れている人が多い・・・というか、ほとんどのようです。現在では神社も学校と同じように自分の好みで選ぶ時代です。そんな時代の中でも神輿だけはずっと古い習慣を守り続けて遙々やってくるのが代田の祭り良さであり、魅力なのかもしれません。

かつての同じ町域だった町会の神輿が1年に1度の祭礼に集まって、協力し合って神社に宮入する祭り。そう考えると1年に1度しかないお祭りならではといった感じで祭りの特別性というか、存在価値が高まっているように感じます。七夕のようでロマンチックな祭り・・・というのは、むさ苦しいイメージが先行してしまう神輿渡御から連想するには少々苦しいのですが、だいだらぼっちの伝説が伝わるこの地ならそういう見方もありかなと思ってしまいました。

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<世田谷の秋祭り File.16 代田八幡神社例大祭 2012年9月初稿 - 2015年10月更新>