世田谷散策記 せたがや地域風景資産 タイトル

せたがや地域風景資産
第1回選定 #31-36の紹介

平成14年に世田谷区と地域団体によって選定された「第1回せたがや地域風景資産」の#31-36の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。

広告

#1-31 蘆花恒春園花の丘

蘆花恒春園花の丘

芦花公園は、明治の文豪徳冨蘆花夫妻の旧宅を中心に整備された公園である。「花の丘」新たに拡張され平成12 年に開園した部分である。既設の芦花公園の部分が武蔵野の樹林を主体としているのに対し、花畑のような明るい場所となっているのが特徴である。花の丘では、地域の積極的な活動が行われている。その中心をNPO法人が担っている。(紹介文の引用)

場所:粕谷1-1~1-5 備考:ーーー

line
蘆花恒春園花の丘 花壇の手入れ
花壇の手入れ

明治の文豪、徳冨蘆花。晩年は粕谷で暮らしました。他界した後、夫人によって土地や住居が都に寄贈され、都立蘆花恒春園(芦花公園)となりました。

芦花公園は少しづつ土地を買収し、拡大していきました。平成12年には、公園の南側部分に花の丘が誕生しました。花の丘の名の通り、ここはいつ訪れても花壇に花が咲いていて、花が溢れるような素敵な丘です。蘆花さんには悪いけど、現在の芦花公園を象徴するエリアといっても過言ではないと思います。

管理しているのは、「NPO法人芦花公園花の丘友の会」という団体です。その活動は積極的かつ、斬新的で、国土交通省の手作り郷土賞、東京都公園協会のボランティア活動部門の表彰など、幾つものボランティア関係の賞を受賞しています。

蘆花恒春園花の丘 花の丘フェスティバル
花の丘フェスティバル

月に一度、花の丘では季節に因んだイベントが行われます。4月に高遠コヒガン桜まつり、7月に七夕まつり、9月にひまわり祭り&盆踊り大会、11月にハロウィン仮装コンテストといった具合です。

同じくNPO花の丘友の会によるもので、イベントごとに内容は異なりますが、その日は花の丘に出店やフレーマーケットが並び、歌などのステージが行われ、多くの人で賑わいます。

#1-32 祖師谷中橋

祖師谷中橋
アーチのある祖師谷中橋

平成4年に現在の橋に架け替えられた人道橋である。仙川沿いには遊歩道の整備がされ、祖師谷中橋で休憩する人も多い。 仙川には渡り鳥が飛来するなど都市の貴重な自然的環境ともなっている。橋は川の自然を観察する場所等としても適している。 (紹介文の引用)

場所:上祖師谷2-6、2-20、6-8、6-9に架かる橋 備考:ーーー

line
祖師谷中橋付近 仙川沿いの遊歩道
仙川沿いの遊歩道

滝坂道と仙川が交差する場所に架かっているのが、宮下橋。宮というのは、すぐそばの丘の上にある上祖師谷神明神社の事になります。この宮下橋よりも上流側(北側)、駒大の野球グラウンドがあり、その向こうの筋にかかっているのが、祖師谷中橋です。

祖師谷中橋は、「仙川6橋の橋作りプロジェクト」の一つとして建造されました。西側に小さなアーチが取り付けられているのが特徴です。仰々しいデザインは、住宅地の中にある橋では浮いてしまうので、軽やかなデザインの橋となったようです。

また、この仙川沿いには遊歩道が設置されていて、遊歩道に面した家には生垣が設置されています。その為、遊歩道を歩くと、川らしい開放感のある風景を感じることができます。

#1-33 上北沢の桜並木

上北沢の桜並木

昭和初期の宅地開発により植えられた桜並木である。現在は区管理の街路樹となっているが、地域の方々による樹木の手入れへの協力もあり、地域に馴染んだものとなっている。 (紹介文の引用)

場所:上北沢3-18,3-20,3-23~24と3-28~29,3-31~32の間 備考:上北沢駅前の桜並木から名称変更

line
上北沢の桜並木 保護中の桜の木
保護中の桜の木

上北沢駅の南口側は、少し変わった区画をしていて、葉の葉脈のように中心となる通りから、斜めに路地が伸びています。この独特な住宅地は、関東大震災後の復興事業として誕生しました。

その宅地開発の時に、街路樹として桜が植えられました。今では中心となる通りにしか残っていませんが、その桜並木が風景資産に選ばれています。

成城や旧・新町住宅地のように並木の規模は大きくありませんが、桜の木を見ると、様々な工夫がしてあり、地元の人がとても桜を大事にしていることを感じられます。その活動や、独特な景観を持つ区画が評価されたようです。

また、4月の最初の週末には、上北沢町会によって小規模な桜まつりが行われています。

#1-34 「山本農機・山本善水商店」を中心とした旧甲州街道の街並

烏山 山本農機・山本善水商店
山本農機・山本善水商店

山本農機具店の建物は、昭和17年の建築であり、街道筋に多かった出桁づくりとなっている。烏山下宿広場には街道筋の目印ともなったと思われるケヤキが残されている。㈱クニナカ家具製作の建物は戦前の建築で、元は鉄工所であった。 (紹介文の引用)

場所:南烏山3-24 備考:ーーー

line
烏山 旧甲州街道の道筋

甲州街道は、江戸から甲州、甲斐国(山梨県)へ通じている道で、江戸幕府によって整備された江戸五街道の1つです。

環八と甲州街道が交わる交差点のすぐ西側から、大通りを斜めに南側に外れていく道があります。この道はかつての甲州街道の本筋だった道ですが、バイパスができたので旧道になりました。

旧道というのは、往々にして昔の様子を色濃く残しているものですが、今では昔の面影はほとんど残っていません。でも、ゆったりと道が曲がっている様子や、街道沿いにある山本農機具店などの古い建物、一里塚などの石碑から、昔の様子をかろうじて偲ぶことができます。

#1-35 世田谷の小京都 -釜六の天水桶

烏山寺町 源正寺 本堂と天水桶

この天水桶は、江戸時代から明治時代まで続いた鋳工「六右衛門(通称:釜六)」が鋳造したものである。戦時中の金属供出を逃れ、烏山寺町では唯一残る江戸時代後期の天水桶である。この界わいは、大正12年の関東大震災以降に都心等から移転してきた寺が集まっており「烏山寺町」と呼ばれている。 (紹介文の引用)

場所:北烏山4-14-1 源正寺内 備考:ーーー

line
烏山寺町 源正寺 釜六の天水桶
釜六の天水桶

烏山寺町、東西に延びる寺町通りの中ほどに源正寺があります。お寺自体はこじんまりとしていて、あまり目を引く存在ではありません。

この寺を有名にしているのが、本堂前に置かれている一対の天水桶。江戸時代に有名だった鋳物師、太田釜屋六右衛門、通称「釜六」と、田中釜屋七右衛門、通称「釜七」の作品になります。

この天水桶は、源正寺檀家であった自身による寄進品で、特に太田氏(釜六)の作品は、全面にメリハリのある装飾が施されていて、とても華やかな一品になっています。

#1-36 松葉公園

烏山 松葉公園の様子

都営烏山アパートの一角にあり、自治会館にも隣接している。団地の憩いの場として、自治会を中心に公園の改修提案等が進んでいる。昭和41年に団地とともに完成した公園である。 (紹介文の引用)

場所:北烏山2-9 備考:ーーー

line
烏山 松葉公園の様子
松葉公園

烏山の寺町の東側を通っているは、松葉通りです。枝垂れ桜で有名な玄照寺付近の松葉通りの東側には、都営烏山アパートが建ち並んでいます。

その都営住宅の一画に松葉公園があります。いかにも団地にある公園で、団地に囲まれたスペースには、子供用の遊具や健康器具、そして中心には公園のシンボル的な大きなケヤキの木があります。また、竈型ベンチなどといった防災機能も兼ね備えています。

広告
広告
広告