せたがや地域風景資産
第1回選定 #11-20の紹介
平成14年に世田谷区と地域団体によって選定された「第1回せたがや地域風景資産」の#11-20の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。
#1-11 深沢の屋敷林(旧称・秋山の森と旧秋山邸)

母屋は大正4年築で、茅葺のセガイ造りである。農家としての歴史を語る建築物である。母屋の周辺の樹木は、「秋山の森」と呼ばれる屋敷林である。 (紹介文の引用)
場所:深沢6-10 備考:「秋山の森と旧秋山邸」から名称変更


選定当時はこの地の地主、秋山さん宅にスポットを当てた項目となっていましたが、古い母屋を取り壊したこともあって、深沢の屋敷林と名を変えました。地主というのは世間的に目立つことが好きではないですから、名がなくなって少しほっとしたのではないでしょうか。
駒沢公園の西側の一帯は、その秋山さんの土地が広がっていました。相続や相続対策などで、森のような土地はマンションなどに変わり、今では本宅とその隣地の屋敷林が残るぐらいです。それでも訪れてみると、ビックリするぐらい立派な屋敷林が残っていて、地主の財力に驚きます。
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- ・深沢の屋敷林(風景1-11)
#1-12 清明亭

昭和 6 年築の近代和風建築である。わかもと製薬社長の邸宅の離れとして造られた。大江新太郎の設計。昭和36年に東京都がこの土地を取得し、昭和38 年に深沢高校を開設、茶室などとして利用されてきている。(紹介文の引用)
場所:深沢7-3-1 深沢高校内 備考:ーーー


深沢高校の敷地内にある大江新太郎の設計の近代和風建築、清明亭。現在、茶道部の活動などに使われています。
複雑な屋根の様子は、学校の敷地外からも確認できますが、文化祭や町歩きイベントなどに、内部を見学できる場合があります。
やはり目がいくのが、呑川の崖地にせり出すように建てられている釣殿。眺望を重視したのか、風流さを好んだのか、その両方なのか、寺院などで使われる懸造りで造られていて、趣きを感じます。
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- ・清明亭(風景1-12)
#1-13 谷沢川の桜並木

谷沢川沿いに植えられた樹齢40年以上の桜の並木である。せたがや百景(昭和59年選定)にも選ばれている (紹介文の引用)
場所:用賀1-13~1-14、1-18~1-20の間 備考:ーーー


谷沢川(やざわがわ)は、多摩川水系の一級河川に指定されている都市河川です。全長は約3.8km。世田谷通り近くの桜丘五丁目付近の湧水を源流とし、用賀地域の幾つかの湧水を合流させながら用賀、中町、上野毛、等々力と流れていき、野毛付近で多摩川に合流しています。
川筋が見えるのは用賀駅前通りにある田中橋から。かつてここから隣の中町との境になる「上の橋」まで桜並木が続いていましたが、高速道路が川に沿ってでき、高架と重なる区間の桜は取り除かれてしまいました。
現在では、国道246号よりも下流で桜並木を見ることができます。ここの特徴は、川の淵が波状にデザインされていたり、橋に桜のデザインが施されていること。お洒落な印象を受ける桜並木です。
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- ・谷沢川の桜並木(風景1-13/百景90)
#1-14 用賀プロムナード

昭和61年に第1期工事が完成している。公園でなく道路であることが特徴である。用賀駅から砧公園、世田谷美術館へと向かう道であり、かわらを敷き詰めたプロムナードで「いらか道」の愛称もある。せせらぎが整備されており、灯篭流しのイベントなど、子どもを中心とした憩いの場となっている。 (紹介文の引用)
場所:用賀4丁目・上用賀5丁目 備考:ーーー


田園都市線の用賀駅から都立砧公園までの間は、用賀プロムナード、別名いらか道が続いています。
いらかとは瓦のことで、路面には瓦が敷かれ、瓦を使ったオブジェが道沿いに多く設置されています。また、歩いて楽しいようにと、様々な工夫がしてあり、せせらぎが設けられていたり、チェス盤のようなオブジェがあったり、百人一首が順番に道に刻まれていたりと、砧公園への道中が楽しいものとなっています。

いらか道はいらかが敷かれていることで、より四季を感じる道となっています。春には桜が咲き、散った桜がいらかにアクセントを加えます。夏には強烈な太陽の木漏れ日がいらかに映し出されてきれいです。秋には頭上のモミジが彩を加え、この時は完全な脇役に徹します。木の葉が落ちた冬には、今まで脇役だった路面のいらかが主役となります。
また、この道沿いでは、灯籠流しや盆踊りなど、地域のイベントも行われていて、地域の人々に愛される道となっています。
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- ・用賀プロムナード(風景1-14)
#1-15 園芸高校の並木とみどり空間

園芸に関する教育施設であり、敷地内には、多様な樹木が育てられている。明治41年に創立された歴史を持ち、40周年や60周年に合わせて庭園も整備されている。園芸に関する教育の拠点であるだけでなく、まとまった緑のある、地域の貴重な空間である。 (紹介文の引用)
場所:深沢5-38 備考:ーーー


明治41年に、日本で最初の園芸を専門とした学校が深沢があります。その名も都立園芸高校。現在の学科は、園芸科、食品科、動物科の三課程に分かれていて、それぞれ2年生から専門課程に分かれます。
歴史ある園芸高校には、多くの誇れるものがあります。その筆頭は樹齢500年近い三代将軍の松と呼ばれるゴヨウマツの盆栽2鉢。もはや盆栽といったレベルの大きさではなく、盆栽に興味がなくとも、なんか凄いぞ!ってな感じで、その立派さに感嘆してしまう事でしょう。

園芸高校出身で、ミスターローズと異名を持つ世界的に有名なバラ作出家、鈴木省三氏が、長年に渡って収集した約200種類のバラを寄贈したバラ園も自慢の一つです。見ごろを迎える5月にはバラ園公開が行われます。
その他、緑の多いキャンパスには、立派なイチョウ並木があったり、素敵なガーデンがあったり、実習用の畑があったりします。秋には学園祭のような園芸展が行われるので、そういった機会に訪れてみるといいでしょう。
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- ・園芸高校の並木とみどり空間(風景1-15)
#1-16 森の児童館

昭和55年に開館した児童館である。森の公園に囲まれるように立地しており、緑豊かな環境の中で子どもたちが遊べる場所となっている。児童館の運営は、「森の児童館運営協議会」があり、地域のコミュニティとともに運営がなされている。 (紹介文の引用)
場所:上野毛4-29-18 備考:ーーー


駒沢通り沿いの上野毛4丁目に区立の森の公園と森の児童館があります。この児童館の歴史は古く、昭和50年に近隣の小学校のPTAと住民の会により森の児童館施設を創る会が発足し、昭和55年に児童館が落成し、開館式とイベントが行われました。
児童館の利用者は、小学生ぐらいの児童が主な利用者となるのでしょうが、子育てひろば活動といった乳幼児の親子の自由な交流を大切にしていたり、中高生にも卓球やミニバスケット、図書室を開放してくれたり、中高生向けの相談やイベントもあったりと、幅広い年齢層に対応した子供のための施設となっています。
ここで育った子供が大人になり、そして子供を産み、子育てで悩み、子供だった頃を思い出し、そうだ児童館へ行ってみよう・・・といった流れになるほどの歴史を積み重ねているわけで、お母さんにまで気配りがいくのも自然な成り行きかもしれません。このあたりが古くから地元で子供たちのために頑張ってきた施設の包容力かなといった印象を受けます。
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- ・森の児童館(風景1-16)
#1-17 富士見橋より見た富士山の見える眺望

晴れた日には富士山が眺められ、隣接する美術館への来館者が足をのばすこともある。国分寺崖線の名所のひとつともなる場所であり、玉川地域のみずとみどりをめぐるルートである「おもいはせの路」の一部である。(紹介文の引用)
場所:上野毛3-3、3-9、3-10、3-19に架かる橋 備考:ーーー


上野毛の崖線上にある五島美術館。その横を東急大井町線が通っています。ちなみに、東急の創業者は五島慶太。五島美術館では、鉄道王だった五島氏が集めた収蔵品が展示されています。
大井町線は崖線を緩やかに越えるために切り通しが設けられています。その切り通しの上にかかるのが富士見橋で、橋の上から大井町線と、富士山を見ることができます。
ただ、二子玉川の再開発後は、ビルが視界に多く入るようになり、昔ほどいい景色ではないように感じます。
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- ・富士見橋より見た富士山の見える眺望(風景1-17)
#1-18 等々力駅近くの寺社かいわい

満願寺は吉良氏により創建された寺であり、玉川神社はかつての玉川村の鎮守である。どちらも地域の歴史を現在に伝える場所であり、大きい樹木が多く、豊かな自然環境も有している。玉川地域のシンボルとして、また、これらの歴史や文化、自然環境を活かしたまちづくりの拠点としてありつづけることが、今後も期待される。(紹介文の引用)
場所:等々力3-15、3-27 備考:ーーー


調整中
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- ・等々力駅近くの寺社かいわい(風景1-18/百景96)
(登録抹消)#1-19 等々力7丁目荒井家・鈴木家かいわいの巨樹群

樹齢300年を超えるケヤキ等がある。荒井家のケヤキは玉川全円耕地整理以前の道に沿って植えられており、その延長が鈴木家の竹垣のある小道となっている。(選定当時の紹介文の引用)
場所:ーーー(等々力7丁目) 備考:この項目は抹消されました

平成14年に第一回選定が行われたせたがや地域風景資産。年を重ねると、どうしても風景が変わってしまう項目も出てきてしまいます。幾つかそういった項目がありますが、項目自体が取り消されたのは、この項目が初めてです。
この項目の荒井家や鈴木家のある等々力7丁目は、駅から遠く、比較的後年まで畑が残る地域でした。そういった畑の傍に、立派な屋敷林を持つ大きなお屋敷が幾つかありましたが、家の事情等で風景が変わってしまい、登録が抹消されることになりました。
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- ・等々力7丁目荒井家・鈴木家かいわいの巨樹群(風景1-19)
#1-20 大ケヤキのある散歩道-けやき道

この界わいは、海軍村と呼ばれていた。大正13年に、海軍士官の親睦団体「水交社」に事務所を置く水交住宅組合によって住宅地として開発された場所である。洋風住宅が多かった。大ケヤキは保存樹木の指定を受けている。No.386 (紹介文の引用)
場所:奥沢2-15~2-23と2-27~2-33の間の道 備考:選定当時とは風景が変わっています。

奥沢2丁目はかつて海軍村と呼ばれる地域でした。その一画に大ケヤキがあり、この地の象徴のようになっていました。
残念ながら、選定後に土地の所有者が変わり、大ケヤキは残されたものの、風景は変わってしまいました。現状では、素敵な大ケヤキのある散歩道と呼ぶには疑問ですが、この地域の人たちにとっては、変わらず大切な木となっているようです。
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- ・大ケヤキのある散歩道(風景1-20)