* 若林3丁目緑の小道について *

入り口には立派な看板が設置されています。
世田谷通りと環七が交わる部分に架けられている橋は常盤陸橋と名付けられています。
これは世田谷に古くから伝わる常盤伝説、或いは鷺草伝説にちなんだもので、せたがや百景にも選定されている常盤塚が世田谷通りからほんの少し入った場所に残っています。
その常盤塚から少し西に進んだ交差点付近にはかつて常盤橋が架けられていたそうです。
といっても大きな川ではなく水路のようなものに架けられていた橋で、関所的な役割をしていたのではないかと言われています。その橋は現在駒留八幡神社の常盤弁財天の近くに置いてあるものだと思いますが、確証はありません。
その交差点付近の北側、ネッツトヨタの横になりますが、さりげなく目をやると緑の小道という看板が目に入ってきます。なかなかおしゃれな看板で、この先に喫茶とか何かお洒落な店でもあるの?と思ってしまうようなデザインです。
この看板のところから狭い歩行者用の小道が続いています。
この小道がこの項目の緑の小道となるのですが、水路を埋めて造られた道なので、もしかしたらかつて常盤橋が架かっていた水路となるのでしょうか。そうならちょっと歴史のロマンを感じてしまいます。
ちなみにここから一ブロック先、現在ではマンションが建っている場所に北原白秋が成城に住む前に暮らしていたそうです。

この付近は圧迫感がなくいい感じです。
緑の小道は若林三・四丁目地区に暮らす人々によって結成された「若林街づくり協議会」の提案を受けて区が整備したものです。
世田谷区内の小さな川は湧水の減少で水量が少なくなり、暗渠として地下に追いやられ、地上部分は緑道などとして利用されています。
地域風景資産にもそういった緑道が多く登録されていますが、この小道は他のものとは設置された理由が異質で、「へぇ~そうなんだ!」と他地域の人間からしてみると、なかなか興味深いものとなっています。

世田谷通り付近はとても狭いです。
まず、この小道がある若林三・四丁目地区について書くと、ここは耕地整理が行わていなく、かつての農道の名残で細く曲がりくねった道や袋小路が多く、生活をする上で不便極まりといった地域です。
ごみ収集車が入れない場所では区の軽トラックにゴミを載せ、少し広くなった場所で収集車に積み替えたり、タクシーを呼んでも家の前まで来てもらえないなどと極端に道路事情が悪いのです。
なんでもカーナビゲーションの正確さを検証するための実車走行の場としてこの地区を含めた若林が選ばれているとかなんとか。笑ってはいけないのでしょうが、笑ってしまう話です。
こういったことは手間と工夫でまあ何とかなるとしても、救急車が入る事のできない場所では徒歩で患者のいる場所に向かわなければならなかったり、火事では消防車が入れなければ大惨事になりかねません。
こういったことは暮らす住民にとって切実な問題であると同時に、地域全体にとっても延焼などといった2次災害の恐れがあります。それを少しでも解消させようとして整備されたのが、この「緑の小道」です。

さりげなく脇に花壇が設置されています。
緑の小道は、緊急時に防災の避難路として、また場所によっては緊急時に救急車や消防車等の緊急車両が通行できる事を第一目的に整備されました。
また防災の避難路としてだけではなく、地域の顔が見えるコミュニティづくりの場としても利用されています。
世田谷区と「公園管理協定」を結び、維持・管理・運営は「若林街づくり協議会」の方々が中心となって行っていて、2週間に一度の清掃・見回りの他、花や樹木の手入れや草抜き等を行っています。
やはり緑が多く、花などが咲いている小道は歩いていて気持ちいいものですし、地域のコミュニケーションや絆が深まれば、道路事情の不便さをそういったもので補うことができる場合もあります。
様々な役割を担っているこの小道は、地域にとっては単なる道ではなく、若林地区の地域住民運動の象徴的な存在となっているようです。

この地域では所々に張ってあり、法の周知と理解を広めています。
もちろん、この小道ができたぐらいで問題が解消するほど道路事情の悪さは簡単な問題ではありません。
道路を広げるには土地が必要となってくるわけだし、仮に道路を広げられることができたとしても抜け道として通過車両が増えるだけなら、また安全面や公害などの別の問題が生じてきます。
そういったことを協議し続けているのが「若林街づくり協議会」で、住民に不満点などのアンケートをとって、どのようにすれば地区の防災などが向上するのかなどといった事を協議した上で計画案を練り、区長へ若林地区の防災性の向上と住環境の整備のための街づくりルールの取り決めをしてほしいといった要望書を提出しています。
そして行政側の理解を得て、実際に行われたことの一例が緑の小道で、もっと大きな根本的な街づくりの方針として「若林3・4丁目地区防災街区整備地区計画」の指定を区から受けています。
このことにより新しく建築物を建築する際には建築基準法第67条の2の規定により幾つかの制限を受けることになります。
また区役所に近い立地条件から、隣の世田谷四丁目などと「世田谷区役所周辺地区防災街区整備地区計画」に指定されました。
平成20年には現在の制限のままでは、国士舘大学一帯広域避難場所の周辺で大火が起きた場合に、輻射熱の影響(火災の熱でサウナのような状態になってしまう)を受けやすくなるということから、広域避難場所外周120mの区域内が「特定防災街区整備地区」に指定され、「防災街区整備地区計画」の変更も行われました。
更に一段と防災機能の確保・強化が行われ、これで安心というわけにはいきませんが、少しずつ町が改善されていく実感と、いざという時の安心が広がったのではないでしょうか。
その代わりというか、この地域は新しく建物を建てたり、建て替えたりする際の制限が多いので少々厄介です。
道が悪いし、建物の制限は多いし・・・とそれだけ聞くと、やめておこうかなと敬遠してしまう人も多いかもしれません。
そういったことを周知するために防災整備計画の案内が所々に建てられているのもこの地域ならではの風景となるでしょうか。

小道沿いにある公園です。ぞうさんの遊具があります。
その他、「若林街づくり協議会」では災害時の「いざ」という時、お互いに助け合える環境づくりを行うため、花や緑をテーマとした講習会「花の会」を毎年春と秋に開催していたり、地震等の災害に強い街づくり、建物づくりについての学習やイベントを開催していたり、地区内に移り住んで来る方々や建築、不動産関係の業者の方たちに、「若林3・4丁目地区防災街区整備地区計画」が施行されていることを知らせる看板を地区内に設置したりと活動を行っています。
また、街づくり協議会の定例会には、世田谷総合支所街づくり課の担当者に出席してもらい、地区内での建築動向や公道・広場などの使われ方などについて意見交換を随時行っていたりします。
そして「こうして生まれた!緑の小道 ~若林街づくり協議会のあゆみ~」という街づくりへの取り組みをまとめた本も出版していたりと様々な活動を行っています。
不便さから地域の強いまとまりが生まれ、他の地域よりも目的意識がはっきりしている分、活動に真剣さがあり、推進力があるように感じます。

季節を象徴する植物があると通る楽しみが増えます。
不便、不便といいながらも東京は生活自体が便利です。日常生活で不便することのない若い世代などはなかなか活動に理解を示してくれない人もいるかと思います。
実際問題、こういった事は自分自身の身に降りかかってこないと、自分の時間を削ってまでして積極的に地域に協力しにくいものです。それが都会で育った人間の標準的な考え方です。
でも自分が本当に困ったとき、或いは火事や災害の時に地域の人に助けられて、地域の人々のありがたみを初めて感じることとなります。
こういった活動の継続は他の地域からしてみればうらやましく感じるはずです。いざというときのための包容力。そういった表現が適切でしょうか。