* 深沢と秋山邸について *
「世田谷三大地主」って聞いたことがありますか?インターネットで調べていて見つけたものですが、なんでも膳場家、大場家、秋山家だとか。
膳場家は吉良氏の配下膳場将監の子孫にあたる家系で、吉良家滅亡後帰農して三軒しかなかった下北沢の地を開墾した一族です。言ってみれば下北沢の生みの親的な存在となるでしょうか。
大場家は言わずと知れたボロ市通りの代官屋敷で世田谷代官を代々務めた家系、そして秋山家は深沢の大地主です。
ただ、これは膳場家出身の元NHKアナウンサー膳場貴子さんの紹介文で用いられることが多い言い回しで、誰が決めたのか知りませんが実際にそういった三大地主なんていう定義はありません。
そもそも三大○○というのは3番目以降の立場の人が使う宣伝文句なので、よく聞くような日本三大○○的なことはあくまでも話のネタとして考えたほうがいいです。
三大地主というのは抜きにしても、この三家はいずれも世田谷で名が知られるような地主であることには変わりなく、その中でも今回は秋山家がテーマで、せたがや地域風景資産には「秋山の森と旧秋山邸」といったタイトルで選定されています。
この秋山家、先にあげた地主の大場家、膳場家についてはインターネットで調べると情報が色々と出てくるのですが、秋山家についてはほとんど情報がないのが実際のところです。ある意味なぞの地主、いや謙虚な地主というべきなのでしょうか。
まず秋山家がある深沢について書くと、深沢といえば名前の通り深い沢といった感じで、呑川とその周辺の湧水のたまり場を中心に沢を形成し、付近も雑木林や畑ばかりの寂しい土地でした。
江戸時代になると天領となり、純農村として発展します。明治時代までは開発とは程遠い地域で、現在の駒沢公園がある場所などは明治天皇の兎狩りの狩場となっていたという話です。
深沢村が開けてきたのは明治後半から大正時代の初めにかけてで、大正二年になると東京ゴルフクラブの会員達が深沢村から土地を借りて駒沢ゴルフ場を造ったり、郊外型別荘地として新町住宅街が造成されたり、園芸高校が建設されたりしました。
その後オリンピック開催のために競技場が作られ、交通網の整備が進み、気が付くと閑静な高級住宅地と変わってしまいました。
秋山家本宅があるのは駒沢公園の西側で、駒沢公園通りと駒沢通りと呑川に囲まれた深沢6丁目となります。まあ6丁目に限らずこの付近一帯が秋山家の土地だったようですが・・・。
あまり情報のない秋山家ですが、幾つかの記述を抜粋すると、元和から寛永年間に烏山の秋山喜兵衛から分家し、深沢に移ったとされています。江戸時代には質屋と油屋を始め、「油屋」の屋号を称していました。
駒沢通りと駒沢公園通りの交差点付近にある深沢不動は成田不動尊の分霊として明治31年に10代目秋山紋兵衛氏によって盛大な入仏供養式が行われて現在の地に祀られたもの。
深沢地区の区画整理施行の際に先頭に立って行ったり、深沢小学校の敷地を寄付したとか。中町(旧野良田村)の人の多くは小作料を秋山家に納めていたといった記録もあります。
実際に秋山邸の本宅がある場所を訪れてみると、その一角が丸々森となっていてビックリすることでしょう。
さらには周辺の区画も森や畑だらけ。一体どこまでが秋山家の土地なのだろう・・・。って考えるまでもなく、恐らくほとんどが秋山家とか、分家などの敷地に違いありません。
秋山の森と大袈裟なタイトルがついているのも納得というか、本当に森なんだ・・・ちょこっと木々があるだけじゃないんだ・・・と恐れ入りましたといった気分になってしまいます。
とりわけ秋山邸のある敷地を取り囲んでいる屋敷林の凄い事。都内でこれだけのものはなかなかお目にかかれるものではありません。
これだけ広いと管理も大変だろうし、何より補助金とか、税金対策はどうしているのだろうか?などとスケベにお金のことを気にしてしまうのは庶民の性でしょうか・・・。
ただ、古い記述を読むと、秋山の森というのはこういった屋敷林とかではなく、秋山邸の北側に広がっていた杉林のことを差していた事もあったようで、過去には幹の太い杉が多くある立派な杉林を所有していたそうです。
旧秋山邸のほうは道路沿いにある冠木門の後方に見ることができました。ちょっと遠めなので大きな古民家があるというぐらいしか分かりませんが、そのまま民家園に持っていけば目玉になるような建物になることでしょう。
旧秋山邸ということで、さすがに今では古民家で暮らしていないようです。同じ敷地内に立派で近代的な邸宅がありましたから・・・。
そのほか、地図を見る限りでは敷地内に池もあるようです。やはり地主ということでちゃんと湧き水がでる土地を押さえているということでしょうか。
古い記述には秋山の森の谷戸頭から呑川に流れる伊之助堀はどんなに日照りでも水が涸れることがなかったとありますが、この池の水源がそうなのでしょうか。
とまあ色々と興味が尽きないのですが、個人のお宅なので中には入れないのが残念なところです。
ただ第二回の地域風景資産が選定された年、平成20年には見学会(オープンガーデン)が催されたそうです。
またNPO法人せたがや街並保存再生の会が行っている町歩き見学会で訪問することもあるようなので、全く入る機会がないというわけではなさそうです。次にそういった機会があればぜひ訪れてみたいです。
そういったわけで深沢6丁目の秋山邸付近はやたらと木が多く、ありえないほど静かな環境です。実際に現在どこまでが秋山家本家のものなのかとか分かりませんが、付近の閑静を売りにしている高級マンションなどもきっと秋山家の不動産なのではないでしょうか。
庶民からしてみればこの辺りの地価は一体いくらだろう?資産の総額は・・・なんて考えると、なんとも羨ましい限りです。
資産といえば・・・、秋山家の家紋は○に紋が入った図柄です。これは秋山家当主の秋山紋兵衛の紋の字ということになるでしょうか。
秋山紋兵衛といえば・・・、平成元年4月にかの松下(パナソニック)の会長松下幸之助氏が94歳で死去した際に、遺産総額が2,450億円と高額遺産のトップを更新しました。
そのときに高額遺産が話題となり、当時の高額遺産のランキングで第2位が大正製薬名誉会長の上原正吉(669億円)、3位は不動産会社社長秋山紋兵衛(598億円)・・・、って、この秋山さんなのでしょうか。
このご時世では珍しい名前だし、名前は代々世襲していもおかしくないだろうし、どうも世田谷の人らしいし、・・・と他には考えにくいのですが、ちゃんと確認を取ったわけではありません。
しかし凄い額ですね・・・。うらやましい反面、そんな額を税金として払えと税務署から催促がきたら・・・、鬱になりそうです。
週刊誌の記事に大豪邸に住む人たちの「暮らし」と「苦悩」という特集があったので読んでみると、匿名でしたがここのお宅と北烏山九丁目屋敷林のお宅が載っていて、考え方の対比が面白いなと思いました。
土地を守り続けることの苦悩は大きな土地を持ったことのない人にわからないことですが、土地を持っているだけで高額の維持費がかかり、相続の際には税でごっそりと持っていかれてしまいます。「税金との戦い」の一言です。
私の親族も地方の地主なのでよくわかるのですが、地主というものは目立たないように、角が立たないように、ごたごたを起こさないように、ただひたすら土地と家柄を守っているものです。
傍から見ていると、何が楽しくて土地にしがみつき、周囲の目を気にして生きてるのか。いや、土地に取りつかれてしまっているのではと思ってしまうほどです。
代々同じ規模で土地を守っていくというのは税制上無理な話だし、広い土地なんだし、どうせ相続の際に減るものなんだから、減ることが前提で割り切れば・・・と一般庶民的には思ってしまいますが、旧家の地主として小さいころから家や土地を守ることを当たり前のように思いながら育った人間にとっては、土地を維持することが信念であり、使命であり、存在意義であり、プライドであり・・・、と色々と理屈ではないようです。