桜上水の野菜畑
桜上水2丁目12など桜上水は今尚多くの畑が残る地域であり、住宅街に埋もれつつある現在でも畑を残す努力がなされています。
1、桜上水の野菜畑について

*国土地理院地図を書き込んで使用
桜上水・・・、って聞くと、お洒落というか、品が良さそうというか、名の響きが素敵に感じるのは、きっと私だけではないはずです。
桜上水という地名は古くからあったものではなく、昭和41年の新住居表示の際に、上北沢の東半分が新しく「桜上水」と名付けられました。
地名の由来は、この辺りを流れる玉川上水・・・といっても杉並区なのですが、その土手に続く美しい桜並木の様子を、地元の人が桜上水と呼んでいたことに遡ります。
桜上水という響きの良い名は、人伝に広まっていき、昭和12年に開通した京王線の駅名となりました。そして、昭和41年の新住居表示の際に、住所名になったという次第です。
ちなみに、お隣の赤堤は、室町時代頃に赤土の防塁とか、堤があったからそう名付けられたと言われています。桜上水が桜堤にならなかったのは、時代によるセンスの違いなのかもしれません。などと考えると、地理好きとしてはちょっと面白く感じてしまいます。

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その桜上水には、日本大学を始め、桜上水ガーデンズ(桜上水団地)、都営団地、赤堤通り団地などといった大規模な建造物が多く、それなりに大きな社宅やマンションも多いです。
こういった大規模な建物が建てられるには、まとまった土地が必要になるわけですが、そういった土地の前身は広い畑であったり、地主の所有する雑木林であったりといったことが多いのが、桜上水に限らず、世田谷区内全体に言える事です。

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この桜上水地域を含めたかつての上北沢村一帯は、比較的高台にありながら湧き水が多く、その湧き水が集まり、北沢川となって村を流れていたので、古くから農業が盛んでした。
江戸時代になると甲州街道の北側に江戸への送水路、玉川用水が造られました。後に玉川用水から北沢川に北沢用水として水を流せるようになると、飛躍的に田畑の面積が広がり、収穫も上がりました。
水に恵まれ、野菜などを作るのに適した台地で、しかも野菜を卸す新宿にも近かったので、純農村地帯として村は発展していきました。
明治9年の地目割合が、田:18.5%、畑:73.0%、山林:6.7%、宅地:2.0%というデータをみても、とても農業が盛んだったことが分かります。

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農業地域だった上北沢地域では、関東大震災以降、とりわけ京王線が開通してからは宅地化が進み、どんどんと人口が増えて賑やかになっていきました。その半面、田畑はそれに比例するように減少していくことになります。
戦後になると、オリンピックを契機に加速度的に開発が進んでいき、この地域の象徴でもあった広大な畑や雑木林などが開拓され、広い土地では団地などが作られ、小さな土地は住宅地として分譲されていきました。
面白い話では、桜上水ガーデンズ(集合マンション)のある広大な敷地は、三井財閥の三井牧場の跡地になります。
なんでも大正3年に茶畑だったこの付近の土地を三井財閥が購入し、三井一族100人ほどの牛乳を搾るために、英国より購入した乳牛10頭を放牧し始めました。その後、規模を拡張していき、10万㎡(東京ドーム2倍強)に及ぶ広大な牧場になったとか。さすが財閥がやることは半端ないです。
戦後、昭和23年にはこの牧場の牛乳が市販されるようになると、品質の良さから「特別牛乳」と呼ばれていたようです。
昭和37年牧場は閉鎖され、東京オリンピック開催と前後して、日本住宅公団が、その敷地を都営桜上水団地として開発しました。2015年には、建物の老朽化により解体し、新たに桜上水ガーデンズとして建て替えられたというわけです。

赤堤にあった老舗の牧場です。
すぐお隣の赤堤にも、牛乳として老舗の四谷軒牧場がありました。名前の通り、四谷から移転してきた牧場で、こちらは驚くことに閉鎖したのは1985年と昭和の終わりです。
移転してきた当時は、周囲には畑や雑木林しかなく、牧場をやるには最適だったのが、急速な宅地開発により、畑が消え、林が消え、代わりにどんどんと家が建ち並んでしまいました。そうなると、牧場の方が場違いとなってしまいます。
住宅地の近くで酪農をやっていると、臭気、鳴き声などの苦情が多く寄せられるので、なかなか共存が難しいです。

場所によっては今もなお農村っぽい風景があります。

収穫まで無事の育つかどうか生産者の腕次第です。
酪農ほどではありませんが、都市化が進むにつれて、田畑等の農業をやる環境も厳しくなってきました。昔、田畑に水を引いていた河川は枯れ、都会で農業をやりたい若者は少なく、後継者不足にも悩まされ、地価の高騰により、相続問題が複雑になり、相続を機に畑から宅地に変更し、手放す人も多いです。
農業をやるには厳し環境の中、桜上水には今も農地が多く残っています。と言っても、区内の他の地域に比べて多いかと言われると、そうでもないような印象を受けましたが、実際はどうなのでしょう。

昔はそれぞれの家が広々としていて、垣根も美しかったことでしょう。
また、農地のある近辺の場所では、住宅のデザインを田園的なものにしたり、敷地境界を塀でなく生垣にするなどといった工夫をしているところもあるそうです。
生垣で囲えるほど広い土地なら見映えもするのでしょうが、小さな敷地だと生垣の分だけ庭が狭くなってしまうし、何より生垣は手入れが大変です。都会の若い人がわざわざやりたいと思わないだろうし、こういった風景も畑と同様に消えていくような気がします。

*国土地理院地図を書き込んで使用

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地域風景資産に選ばれているというか、その代表として住所登録されている場所は桜上水2-12の畑です。
訪れると、この区画全体が広々とした畑となっていました。でも、なんていうか、住宅地の真ん中にぽっかりと日当たりのいい土地があるといった感じでしょうか。
空が広く感じて気持ちのいい空間となっていますが、風景的にはちょっと不自然な感じです。なんていうか畑と周りの風景がマッチしていなく、教育実習用の畑とか、公園的な畑というのが適切でしょうか。

周辺道路もきれいに整備されてました。

周辺には戸建ての家が立ち並んでいます。
畑自体もきれい過ぎて不自然です。原風景というのはありのままの風景ということで、正直言ってきれいなものばかりではないし、見た目以外でも臭いなどもします。
とはいえ、このように住宅が密集している地域では、強烈な臭いを放つ家畜小屋をおけるはずもなく、腐った野菜なども放置して肥料にしたいところですが、臭いだけではなく鳥や虫も集まってきてしまいます。
周辺住民のために堆肥もあまり臭いのしないものを選んだりと、あれこれと気配りをしないといけないのが、都市の畑の実情です。そのため、公園的な畑になってしまうのはしょうがないことかもしれません。
なぜ都会で畑が消えていくのか。土地がない、土地が高いといった問題もありますが、土地があってもやっぱり周辺の環境を考えると、生産性を上げた大規模な農業をやりにくいのです。
住宅地と大規模な畑はなかなか共存が難しく、地方でも農村を住宅地として切り開いた地域では、野焼きなどで、農家と新規の住民でもめるといったことも多いです。

畑に隣接してあります。里桜とはなみずきがきれいでした
この一区画全体が野菜畑の隣地には、世田谷区立土と農の交流園があります。この施設は野菜作り等を通して高齢者が土に親しめ、地域交流を活性化するために造られたもので、建物の裏手に畑と果樹園があります。
人と人とのつながりは、様々な趣味や地域コミュニティーによって結ばれていきますが、土と農をテーマにして人のつながり、また地域社会の活性化を図るというのは、かつて多くの畑があり、そういった風景や文化を失わせたくないといった桜上水、上北沢地域に暮らす人々の思いでしょうか。
2、感想など

昔はあちこちでよく見かけた光景です。
桜上水は、かつて農業がとても盛んな地域でしたが、今ではその名残はほとんどありません。
例えば、現在、桜上水では勝利八幡神社で収穫を祝う秋祭りは行われていますが、祭りの華である神輿は人が集まらなく、担がれなくなってしまいました。
上北沢村から切り離され、「桜上水」という響きがよく、おしゃれな住所になってしまったことで、今どきの新しい町に生まれ変わってしまったのかなと感じてしまいます。
せたがや地域風景資産 #1-8桜上水の野菜畑 2025年2月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 桜上水2丁目12(畑)、2-11(土と農の交流園) |
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・アクセス | 最寄り駅は京王線桜上水駅、もしくは小田急線経堂駅。 |
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