* 心なごむ桜丘の原風景について *

桜丘にある遊水池で谷沢川の水源の一つとなっています。
桜丘という町域は、北は小田急線の千歳船橋駅、西は環八通り、南側は世田谷通り、東は農大付近にかけての一帯で、住所表示では1~5丁目まであります。
桜丘の名前を聞くと、桜の多く植わっている丘といった感じで少しロマンチックな印象を受けますが、地名の由来は一つ前の玉石垣のある風景で書いたように、この地にあった桜や桜に関する事柄に由来しているわけではなく、昭和41年に住所変更の際にこの地にあった桜丘小学校にちなんで付けられたものです。

ここはこんもりと木が茂っています。
この桜丘地域は元々世田谷村の一部で、村の一番西の外れに位置していました。
古くからこの地域が一つの村とか町域としてまとまっていたわけではなく、歴史的には横根地区と宇山地区(うざん)に分かれていました。
今では表面的にはあまり違いは感じることはありませんが、地域の文化として根付いている神社の氏子地域などでは文化圏というものが分かれていて、横根地区では稲荷森稲荷神社、宇山地区では宇山稲荷神社で別々に祭事を執り行っています。
祭りの様子は商店街を大きな太鼓を鳴らして賑やかに練り歩く稲荷森稲荷神社と個々のお宅を小規模に練り歩いて回る宇山神社とでは全く別物で、明らかに文化の違いを感じる事柄の一つです。

宇山地区のお寺で、宇山稲荷神社の前にあります。
この項目に登場する代表的な場所は桜丘4丁目となり、だいたい宇山地区と一致します。宇山地区というのは、古くは宇奈根山谷(うなねさんや)と呼ばれた地域で、後に短縮して宇山となったそうです。そういった経緯が大事にされているのか、宇山の読み方は「うざん」になります。
名前から想像が付くかもしれませんが、宇山は多摩川沿いの宇奈根の人々が洪水などを機に移り住んだ土地と言われています。
宇山稲荷神社前にある久成院の初代住職の墓に元和6年(1615年)とあるので、一村一社一寺が推奨された時代だと考えると、天文19年(1550年)、或いは天正18年(1590年)の多摩川大洪水で移り住んだのかもしれません。

桜丘には幾つかこういった貸し農園があります。
桜丘は駅や商店街を中心に住宅地があるといった世田谷によくある都会近郊型地域となるのですが、一方で今なお土の香りが豊富に残っている地域でもあり、そういった風景が地域風景資産に選ばれています。
とりわけ桜丘4丁目付近は駅から遠いのと、区画整理が行われていなかったのもあって都市開発の波に負けず、かなり遅い時期まで原風景が残っていた地域でした。
さすがに今ではその数は減少してしまいましたが、今でも所々に農地があり、また貸し農園もいくつかあります。

古くからある直売所です。ゴールデンウィークには筍が売られていました。
かつてこの地域では陸稲や野菜の生産が盛んに行われ、野菜が出荷されていました。
今では大規模に行っている農家はなく、春・夏野菜ではトマト、きゅうり、枝豆、トウモロコシ、キャベツ、いんげん、ジャガイモ、なす、ブロッコリーなどが育てられ、秋・冬野菜では大根、ねぎ、小松菜、ニンジン、キャベツ、白菜、ホウレンソウ、カブ、ブロッコリーなどが育てられ、道沿いにある販売所などで売られています。

せたがや育ち、地元で育った野菜はどうでしょう。
近年では桜丘だけではなく区内全体にいえる事ですが、農地の宅地化が進んで畑がどんどん減っています。
平成18年の道交法の改正で駐車禁止の取締りが厳しくなり、一気に駐車場の需要が高まり、使っていない土地が駐車場になってしまいました。
秋祭りなどで年配の方々が話しているのを聞くと、駐車場にしたらいくら儲かるからお宅も土地を遊ばしておいたらもったいないとかなんとか・・・。
そういったわけで一気に農地や開いている土地が駐車場に変わっていき、更には老人施設や介護施設の需要も急に高まった事もあって、ここ何年かで一気に農地の宅地化や駐車場化が進んでいった感じです。
とりわけ広大な畑が手放されると大きなマンションや介護施設などになってしまう事が多く、そうなると一気に周辺の風景が変わってしまいます。

住宅地にも緑が多い場所もあります。
世田谷通りを挟んだ上用賀側は玉川地区となり、玉川全円耕地整理事業によりきれいな碁盤の目状に区画が整理され、いかにも住宅地といった感じです。
一方、桜丘は世田谷地域に属し、昔のままの区画で細い道が多くあります。車がすれ違うのがやっとだったり、こすらずに曲がれるかな・・・という狭い角も多く、なるべくなら迷い込みたくない地域です。

道としては趣がありますが、結構狭いです。
そういった桜丘の路地を歩いていると、所々でタイトルにあるような心なごむ桜丘の原風景に出会うことがあります。
それは畑のある光景だけではなく、木を避けて道が作られていたり、大きなお屋敷を回りこむように道が何度も曲がっていたりといったような昔の農村だった頃を想像できるような風景です。
区画整理しないのもある意味趣があっていいかもしれませんが、三軒茶屋や経堂などの駅周辺地域がぐちゃぐちゃな住宅地になっている事を考えると、今はまだこれでもいいけど、これ以上の宅地化がこの地域で進んでいくと、逆に煩雑な風景に変わってしまいます。
畑だったから見通しがよかったものが、マンションとか建物が建ってしまうと見通しが悪くなり、道は狭いのに人が多くなれば事故が増えたり、渋滞したりと、生活面で様々な支障をきたすことが考えられます。

見る角度によっては地方のような風景に
この桜丘で原風景を残しているような特徴的な場所が三箇所あります。
まずは地域風景資産の住所に記載されている場所で、ここには大きな敷地を持つ地主さんや農家のお宅が並んでいて、かつての農村だった名残りを強く感じる一帯となっています。
敷地には背の高い立派な屋敷林があり、その前には広い畑もあります。うまく風景を切り取ると、少し田舎っぽい風景となります。
もともとこの付近が集落の中心だったようで、西に坂を上っていくと宇山稲荷神社や久成院があり、東側には桜丘宇山緑地となっている遊水地があります。

正面が神社の森です。休みの日には畑で精を出す人の姿も見かけます。
次に宇山の鎮守である宇山稲荷神社です。宇山稲荷神社は小さな神社ですが、境内には大きな木が多くあり、隣にも久成院というお寺があり、この一帯がこんもりとした森のようになっています。
神社周辺には農地やファミリー農園などが多いので、農村の鎮守様といった雰囲気を感じます。

氏子の家を回ってもみます。
ここ宇山稲荷神社の秋祭りは小規模ですが、ちょっと興味深い祭礼を行っています。
神輿は氏子や奉納を受けた家などを一軒一軒回ってもむといったものです。
今でも農村など地方でよく見るような神輿の風景ですが、世田谷ではすっかりと江戸神輿の担ぎ方が一般的となってしまい、こういった地味な感じの神輿渡御は珍しくなってしまいました。
境内に設置される奉納演芸用の舞台もかつて農村地域で盛んに行われた農村歌舞伎を行うような大がかりなもので、出し物はさすがに農村歌舞伎とはいきませんが、それっぽい感じの演芸が行われ、地域の人々が楽しんでいます。
同じように夏の盆踊りの時にも大規模な櫓が組み立てられます。こういった共同作業で行う舞台の設置作業、祭りの運営からは地域の強いつながりや、村をあげてといった農村の名残りを感じます。

さりげなく環八沿いに存在する公園です。
最後は区立公園のすみれば自然庭園です。環八沿いという比較的目立つ場所にあるのですが、あまり知っている人はいないのではないでしょうか。実は私も知りませんでした・・・。
この庭園は昭和9年にこの地に移り住んだ故植村傳助氏が、一面の畑だったところに武蔵野の面影を再現した庭園を造ったことに由来します。
庭園を造るに際して戸塚琢磨氏、小形研三氏といった著名な造園家に設計を依頼するなど、妥協を許さない本格的なものでした。
その後植村氏が他界した後も植村家の人々によって守り育ててきましたが、相続に当たって手放すことになってしまい、それを区が買い取り、公園として整備しました。

水辺のある風景も再現されています。
区立公園とするにあたっては地元住民の参加による「緑地づくり」に取り組み、さらには生態系の専門家を交えて、すみればのコンセプトや全体計画、運営のあり方を決めました。
その結果、「育てる」「見守る」「調べる」という基本方針の元で、地元のボランティアの方々の努力で様々な生態系などが再現され、子供たちの体験学習の役に立っているようです。
それは地元の人から見れば自分たちが幼かった頃に桜丘で見た風景や体験を再現すればいいのですから慣れっこですよね。というか、大きな箱庭といった感じかもしれません。作業している年配の方々の目が輝いている表情からそんな感じを受けました。
このすみれば自然庭園はこの項の原風景とは少し趣旨が違うかもしれませんが、かつてのこの付近の様子が再現され、地域活動の拠点にもなっています。