* 玉石垣のある風景について *
桜丘中交差点
この付近から玉石垣が見られます。
世田谷通りの馬事公苑前辺りの交差点から千歳通りが始まります。
千歳通りは農大の横を通り、桜丘を通り抜け、千歳船橋駅の西側で小田急線を横切り、その先で環八と交差し、そして滝坂街道や六郷田無道につながっている道です。
この千歳通り沿い、住所で書くなら桜丘の桜丘中交差点から笹原小東交差点の間では道路沿いの壁に玉石垣が多く使われています。
ちょうどこの付近、世田谷通りから笹原小東交差点まで桜並木が続いているので、春の開花時期にはピンク色の桜のトンネルと玉石垣のコラボレーションとなり、とっても素晴らしい風景になります。
玉石垣と桜並木
身長の高さほどある場所もあります。
玉石垣は玉石、よく河川敷に落ちているような丸っぽい石を使った石垣です。ここでは法面だったり、垣根だったりと断続的に様々な場所で使用されています。
なぜここに玉石垣のある風景が連続してあるの?というのは当然の疑問かと思います。
それはこの千歳通りの部分にはかつて品川用水の水路が流れていて、玉石垣はその品川用水だった頃の名残りとなります。
品川用水の木橋跡の交差点
ここには木橋が掛けられていました。
品川用水とは名前の通り品川に生活用水を送る為の水路のことで、江戸時代に世田谷の北を流れる玉川上水から世田谷を突っ切って品川まで引かれていました。
玉川上水からは多くの分水が行われ、その数は33ありました。その中でも最も長かったのがこの品川用水となります。多くの人が暮らす品川に供給されていたので、規模も大きく、昭和の初め頃まで生活用水、農業用水として使われました。
しかしながら時代の流れとともに都市化が進み、品川方面の田んぼがなくなり、また水道の発達とともに用水の利用価値が低くなり、昭和7年に長年管理してきた品川用水組合は解散し、水が止められました。
玉石垣と品川用水の解説板
品川用水について書かれています。
木橋跡のプレート
小さなかわいらしいプレートが設置されています。
その後水路は放置されましたが、戦後の昭和22年に船橋、廻沢、下祖師谷の三農事実行組合が中心となって築堤部分を崩して用水跡を埋め、架けられていた橋を取り壊しました。
水路自体は埋め立てられましたが、水路を形成していた土木部分の玉石垣は部分的に残されました。
あまり詳しい説明がないのでよくわかりませんが、この地域は標高が少し高いため、深く用水を掘り、土砂が用水に流れ込まないように丘の斜面に多摩川から採取した玉石を固めたようです。
さりげない玉石垣の風景ですが、江戸時代の大規模な土木事業の遺産となり、道路脇に品川用水の解説板が設置されていたり、木橋がかかっていた場所にはプレートが設置されています。
マンションと玉石垣
マンションにもさりげなく玉石垣が使われています。
おそらく最初のうちはなんとなくというか、生活上の必然などから玉石垣が残されたり、そのまま利用していたのでしょう。
それが今では新しく建築されたマンションの建築主が自主的に玉石垣をデザインとして取り入れるなど、すっかりと町に馴染んでいまっています。
行政や法律の強制力がない中、元々あったとはいえ「玉石垣」という明確なテーマが感じられる風景になっていることに面白く感じると同時に、この風景からは地域の一体感を感じます。
ちなみに玉石垣といえば、砧小学校の玉石垣もなかなか立派です。これは地元の人が旧街道である登戸道に切り通しを作った際に川原から石を運んで積み上げたものです。
ここでも同じことですが、やはりそういった慣れ親しんだ風景というのはそのまま残しておきたいと思うのが人情なのでしょうか。特に苦労して積み上げた石垣などは地域の努力の結晶であり、見た目以上に美しく感じてしまうものです。
玉石垣と桜
笹原小東交差点付近では道の両脇に玉石垣があります。
地域風景資産の活動についてですが、平成20年11月の時点で「ぐるうぷ町」という団体がこの項目に携わっています。
とはいっても玉石垣の景観保全とか、強制とかは普通の団体ができるものではないので、見守りや地域に周知といったことぐらいでしょうか。
桜並木の方は春の花びらと秋の落ち葉と二度大変な思いをしなければなりません。そういった清掃活動をこの団体が行っているのか、別の団体が行っているのか、あるいは普通に行政が行っているのか分かりませんが、春には小規模な桜まつりを自治体と一緒に行っています。
* 千歳通りの桜並木 *
世田谷通り付近
ちょうど農大の横で、ここから桜並木が始まります。
世田谷通りから始まり、桜丘の中心を突っ切っている千歳通りは桜並木と玉石垣のある美しい道です。
世田谷区内には多くの桜並木がありますが、それは住宅地の区画整理の際に植えられたものがほとんどで、直線的で整った感じの桜並木がほとんどです。
ここでは自然な感じで蛇行している道沿いに桜が並び、また古くからの景観である玉石垣があったりと、世田谷区内にある街路樹の桜並木の中では風情を感じられるものの一つです。
千歳通り桜丘中学校付近1
農大方向です。光がよく差し込む桜のトンネルが美しいです。
千歳通り桜丘中学校付近2
千歳船橋方向です。道が緩やかに曲がっていて美しいです。
この桜並木を見れば、桜丘の地名はまさにその名にふさわしいと感じますが、桜丘という地名は古くからのものではなく、比較的最近付けられたものだったりします。
かつてこの地域は世田谷村の一部で横根などといった地名(小字)でした。
昭和7年に世田谷区が成立の際には隣の桜が世田谷四丁目、桜丘が世田谷五丁目といった住所表記となります。
後の昭和41年に大規模な住所変更が行われ、この地域は世田谷から分離され、初めて桜丘と名付けられました。
郵便局近くの交差点
通りの中ほどで、世田谷通りから道が交差しています。
桜丘の名の由来はこの地域に桜の丘、或いは桜があったからというわけではなく、もともとあった桜木という世田ヶ谷村の小字に由来します。
この桜木という名は百景にもある吉良家の墓所勝光院の裏手にある桜木中学校にその名をとどめるだけとなってしまいましたが、世田谷城内にあった「御所桜」という桜にちなんだものだそうです。
この桜木の地にできた最初の小学校が桜小学校で、その後現在の桜丘付近に開校したのが第二桜小学校(現在の桜丘小学校)でした。
その後、桜丘国民学校と改名され、小学校の名がそのまま現在の「桜」と「桜丘」の地名になった次第です。
桜のトンネル
郵便局よりも進んだところ、この付近は縦に迫力があります。
それにしても・・・、多くの「丘」という文字が含まれる地名では、「○○ヶ丘」といった感じで「ヶ」が入るのですが、ここでは「桜丘」とにごらないままです。
人によりけりなのでしょうが、これがなかなか言い難く、ついつい「桜ヶ丘」と言ってしまう事も。慣れなのでしょうが、ある意味、言い難い地名だなと私のように感じている人もいるのではないでしょうか。
笹原小東交差点の上部
桜並木はここまでです。道の上にも桜並木があります。
千歳通りの桜並木は桜丘中学校付近できれいに蛇行していて、その先では玉石垣との風景、最後の方は玉石垣の上の方にも桜があるので立体感ある桜並木となっています。
どの場面をとっても素晴らしい桜並木で、私の中でもお勧めの桜並木の一つとなっています。
桜樹広場
桜を中心とした広場で、手入れの行き届いた花壇などもあります。
千歳通り、笹原小東交差点付近から駅方面に少し入った住宅地の中に小さな桜樹広場があります。桜樹(おうじゅ)と名前付けられた公園で、大きな桜の木が真ん中に一本ドカッとあり、隅っこに小さな桜や大島桜の木があります。
広場の周りは都営住宅で、平成6年に都営住宅が建て替えの際に区の整備構想でこの公園が造られました。ボランティアなどによって花壇などがきれいに手入れされていて、いい感じの広場となっています。
桜の開花時期にはこの広場と千歳通りの笹原小東交差点の上の方で桜丘自治体と世田谷桜丘まちづくりによって小規模な桜祭りが行われています。
* 感想など *
桜と玉石垣の風景
色々な角度から玉石垣と桜を合わせてみてはどうでしょう。
千歳通りは環八が渋滞しているときにちょくちょく通っていた道です。桜並木がきれいなのは知っていましたが、玉石垣が続いているというのはあまり気に留めていませんでした。
車などで通ると気が付きにくい小さな風景ですが、実際に歩いてみると、自然な感じの玉石が多く使われている風景というのはどこか温か味があっていいものだと感じました。それに通りに統一感があるのも歩いていて心地よく感じます。
江戸時代の土木遺産であり、桜並木と合わさった風景はとても美しいので、これからも地域の財産として守り続けてほしいものです。
ー 風の旅人 ー