第3章 ユーラシア大陸横断
#3-13 バリ島の歯医者
2000年8月
カリマンタン島で差し歯が取れてしまった私は、バリ島まで移動し、歯医者で治療してもらうことにしました。(*第3章は現在制作中)
31、バリ島に到着
歯医者へ行くために、カリマンタン島のポンティアナから船とバスを乗り継ぎ、57時間かけてバリ島の中心都市、デンパサールにやってきた。マレー半島を一気に南下した時以来の強行軍だった。
かなりしんどい道中となり、バリ島に着いてバスから降りると、足がふらつき、身体のバランス感覚もおかしかった。こりゃ、ゆっくり休んだ方がいい・・・。すぐにガイドブックお勧めの安宿にチェックインし、そのままベッドに沈むように横たわった。本当に歯には苦労させられる。
(*イラスト:watageさん 【イラストAC】)
バリ島に来たことで、今までの足取りを記した旅の軌跡が渦巻きになってしまった。物事は徐々に中心で終息していくもの。ユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指していた私の旅は、このままインドネシアで終わってしまうのだろうか・・・。これからの旅がどうなっていくのか気になるところだが、まずはやるべきことをやっておこう。
一晩明けた翌朝、観光案内所を訪れた。カウンターで対応していたのはヒジャブを被ったきれいなお姉さん。彼女に現状を説明し、歯医者とカメラの修理ができる店を教えてほしいと頼んだ。
観光情報よりも歯医者やカメラ屋を教えてくれという旅行者も少ないようで、お姉さんは少々困惑気味。それでも色々と資料を調べたり、電話をしてくれたりして、外国人が行っても大丈夫そうな歯医者と、カメラを修理してくれるであろう店を教えてくれた。
「タリマカシ」(インドネシア語でありがとうの意)と言うと、お姉さんはにっこり。私はうっとり。ちょっとのぼせた頭で観光案内所を後にした。
(*イラスト:ふじこさん 【イラストAC】)
トラブルは早急に解決するに限る。一度宿に戻り、お金や辞書を用意して、さっそく教えてもらった歯医者へ向かった。
書いてもらった地図を頼りに行ってみると、そこにあったのは小さな歯医者だった。観光案内所の人はなぜこんな小さな歯医者を紹介してくれたんだろう。どうせなら近代的な大病院がよかったのに・・・。
不満を感じながら入ろうとすると、真昼間だというのに入り口の扉には鍵がかかっていた。あれっ、閉まっている。もしかして今日は定休日ってやつか。でも、平日だよな・・・。入り口の横に掲げられていた看板を見てビックリ。なんと営業は午後6時からとなっていた。
なぜ夜から・・・。というか、夜だけの営業なんだ。変な歯医者だな。もしかして夜行性の先生がやっているのか?実はその正体は吸血鬼ドラキュラだったりして・・・。って、イスラム地域にはいないか。
いやいや、インドネシアの宗教はイスラム教だが、バリ島では古くからヒンドゥー教が信仰されていて、バリ島の文化を特徴づけている。
島内には数多くのヒンドゥー教寺院が存在し、その中でも重要な役割を担っているのが6大寺院。その一つは「コウモリの洞窟寺院」と呼ばれるゴア・ラワ寺院。ここではコウモリが崇められている。西洋風の吸血鬼はいなくとも、それに類するようなコウモリの化身がいてもおかしくはない。
そう考えるとちょっと気味が悪く感じるが、別の理由で夜しか開けていないのかもしれない。まあ夕方に来てみればわかるだろう。念のため、血を吸われないように十字架を貴重品袋の中に入れておくか。効果があるかわからないが、あると安心だ。
(*イラスト:ヴィダルさん 【イラストAC】)
歯医者を後にして、もう一つのトラブルの元、カメラ屋に向かうことにした。歩きながら通りにある医者の看板を注意して見ると、そこに書かれている営業時間はすべて夕方からの営業となっていた。
面白いことに、ここでは歯医者に限らず病院は夕方からの営業が多い。なんだ、さっきの歯医者が特別なわけではなかったんだ。安心した。だったら十字架も必要ないか・・・。
それにしても変な土地柄だな。なぜ診察は夜からなんだろう。みんな昼間は何をやっているのだろう。単に暑いから商売にならないのか。それとも世界的にも有名な観光地だし、みんな観光ガイドでもやっているのだろうか?さっぱりわからない。
(*イラスト:うなぎちゃんさん 【イラストAC】)
あれこれと考えながら歩いていると、カメラ屋に到着。こちらも予想に反して小さな店だった。店内に入って尋ねてみると、ジャカルタに送らなければならないので、修理には時間がかかり、最低1か月はかかるとのこと。当てのない旅をしているとはいえ、さすがにそんなに待っていられない。
写真が全く撮れないわけではないから、このままだましだまし使っていこう。というより、完全に壊れる前にどこかで新しいのを買ったほうがいい。
私が使っている安いカメラは、ちょっとぶつけたり、濡れたりしただけで壊れたり、調子が悪くなってしまう。数か月に一回、運動会程度に使うならいいが、毎日のように写真を撮ったり、ジャングルやら山やらに持ち出したりとハードな環境で使うには不向きだ。
機会があれば、奮発して少しいいものを買ってしまおう。その方がカメラに振り回されずに旅ができていい。半年旅をしてきて、高いカメラの利点と安いカメラの欠点を身に沁みて感じている。
32、薄気味悪い歯医者
昼間はデンパサールの町を散策して過ごした。インドネシアは島ごとに人種や文化が違う。ここバリ島はヒンドゥー教を信仰しているバリ人が多く暮らす島だ。他の島とは少し様相が異なり、人当たりも穏やかに感じるし、独自の民族芸能も発達している。それゆえにインドネシアの中でも人気の観光地になっているのだろう。
特筆すべきは、祭りが盛んに行われている土地だということ。毎日どこかしらの寺院で祭りをやっていると言われるほどだ。その祭りで奉納される民族芸能はとくに有名で、バリ島の文化を特徴づけている。祭礼を訪れてみると、日本の祭りと似ていると感じる部分も多く、親しみがわいてくる。
夕方になり、再び歯医者へ向かった。今度は建物の扉が開かれ、中では患者らしき人が何人か待っていた。
ちゃんと営業している。よかった。問題はちゃんと意思疎通ができ、適切な治療をしてもらえるかだな。中に入り、恐る恐る受付の人に「歯を見てほしい」と歯を指差しながら言ってみると、仕草が面白かったのか、「歯医者は二階だよ」と爆笑されながら言われてしまった。
なんだ一階は他の診察科なのか。仕方なく横の階段を上っていくのだが、二階はとても薄暗く、不気味な雰囲気が漂っている。
(*イラスト:yoseiさん 【イラストAC】)
ためらいながら二階に上がると、薄暗い廊下の隅に簡易テーブルが置いてあり、そこにおっさんが一人で座っていた。まるでお化け屋敷や肝試しの受付をしているかのよう・・・。って、ここは本当に歯医者なの?他に患者がいない・・・、というか、営業している雰囲気がしない。
このおっさんが先生なのだろうか?失礼ながら、かなりうさんくさく感じるんだけど・・・。やっぱりな展開でドラキュラ伯爵っていうオチではないだろうな。あっ、しまった。十字架とニンニクを持ってきていない。
逃げ出したいところだが、他に行く当てがあるわけでもない。「歯を見て欲しい」と、恐る恐る覚えたてのインドネシア語で言ってみると、不愛想にテーブルに置いてある台帳を指で差し、名前を書くように言ってきた。
名前を書き終わると、「こっちだ」と、一部屋しかない診察室に入るように案内された。そこはまるでマンションの一室。ドアを閉めた瞬間、このおっさんは吸血鬼に変身するのでは・・・。冗談抜きにそんな事態が起こりうる状況なので、心臓がバクバクと激しく鼓動している。
(*イラスト:ミガマヤさん 【イラストAC】)
不安になりながら部屋の中に入ると、そこは普通の診察室で、見慣れた歯科用の診察椅子が置かれていた。拷問室でなくて本当によかった・・・。拷問用の椅子に括りつけられて、歯を無理やり抜かれでもしたら堪らない。
あまりの不気味さにあらぬ場面までも想像していたので、ホッと胸をなでおろすのだが、驚くような展開がまだ続いた。なんと、部屋の奥から白衣を着た若い女性の先生が出てきたのだ。まさかの展開に驚く。横にいる不愛想なおっさんが先生ではなかったのか・・・。少し安心した。
とはいえ、女吸血鬼と下僕といったこともあり得る。まだまだ油断はならない。でも、女の吸血鬼なら血を吸われてもいいかも・・・。マラリアとか、狂犬病とか、エイズにならないのなら・・・。過酷な旅をしているせいか、妙に現実的な病名が頭をめぐったりもするが、不安が和らぎ、やる気が出てきたのは確かだった。
(*イラスト:いしべさん 【イラストAC】)
挨拶を交わすと、診察椅子に座るように促された。この歯医者には、日本でよく見かける歯医者専用の診察椅子が一台しかない。
日本では診察椅子が何台も並んでいるような歯医者に通っているので、一台しかないと心もとなく感じるが、日本と同じような近代的な診察椅子がちゃんとあるし、診察器具もざっと見渡す限りそれなりのものが揃っている。きっと治療も日本と同じような感じで行われるだろう。その点では安心だ。
椅子に座ると、「日本人か」と聞かれ、「そうだ」と答えると、女先生は日本に短期間留学していた事を教えてくれた。日本語も少し知っていて、その時のことを少し話してくれた。
日本の話題があると親しみやすく、不安感が薄らいでいく。それに久しく日本人に会っていなかったので、ぎこちなくても日本語の会話はうれしい。
あっ、なるほど。だから観光案内所の人は、私にこの不気味であまり流行っていなさそうな歯医者を紹介したのだろう。疑問が晴れ、今まで心の中に充満していた不安が解消された。
33、女医さんの治療
(*イラスト:chiffon*さん 【イラストAC】)
先生が若い女性というのはうれしいが、喜んでばかりもいられない。大事なのは腕の方。ちゃんと治してもらえる事が肝心だ。さて、お手並み拝見といきますか。ということで、治療が始まった。
お決まりの「どうしたの?」の問いに、石を噛んで欠けてしまった奥歯を指差し、「1つ目は、ここが欠けてしまい虫歯になりかけているから治療して欲しい」と伝えた。
会話は英語を中心に日本語とインドネシア語の三カ国語を使用した。と書くと凄そうに聞こえるが、根本的に難しい単語が多いので、お互いが知っている言葉をそれぞれの言葉から探しながら、身振り手振りを加えてコミュニケーションをとっていただけである。
(*イラスト:design-yさん 【イラストAC】)
そして本題の方、今までへその緒のように大切にしまっていた差し歯を取り出し、差し歯の刺さっていない前歯を指さしながら、「2つ目は、これが取れてしまったので、付けてほしい」と簡潔に伝えた。相手もプロ。つたない言葉であれこれと説明するよりも、見たらすぐに私が何をして欲しいかわかるはず。
さりげない感じであったが、どうだセラミック製だぜ。保険がきかないから二本で17万円もしたんだぞ。インドネシアの物価だと数か月分の給料に当たるはず。とまあ、得意気に差し歯を渡すのだが、女医さんの表情は全く変わらず。というか、全く無反応。
どうやらこんな程度では女医さんのハートは奪えないようだ。当たり前か。やっぱりこういうのは分かりやすい金の差し歯とかではないとダメなんだろうな・・・。普通の人にとっては差し歯を渡すだけのどうでもいい行為なのだが、勝手に盛り上がり、勝手に挫折感を味わっている私がいた。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
女医さんのハートは奪えなかったが、私が何の為に治療に来たのかはちゃんと理解してくれ、まずは奥歯の欠けた部分の治療が始まった。
口を開けるように言うので、開けて麻酔の注射を待っていたのだが、用意されたのはドリルだった。えっ、ちょっと待ってくれ。麻酔なしで削るのかよ。口は開けたままなので、言葉にならない。目で何とかしてくれと訴えるものの、まさにまな板の上の鯉状態。容赦なくドリルで歯を削り始めた。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
うっ、ぎゃ~。あら、あまり痛くない。いや、やっぱり痛いぞ。ほんの表面を削る程度ならともかく、それなりに歯を削って痛くないわけがない。
でも、ここで泣いていたら日本男児の恥。「日本人は弱虫だ」なんて言われては、癪だ。インドネシア人が耐えられるものなら、私も耐えてみせるぞ。
意味不明なプライドでしばらく耐えていたが、痛いものは痛い。涙目になっていた。もう限界だ・・・。そう感じた時に、ようやく女医さんが「フィニッシュ」と告げ、ドリルでの治療が終わった。
ふぅ~。たまらない。インドネシアでは程度の軽い治療では麻酔を使わないのか。もしかして麻酔は高価なぜいたく品とか。よくわからないが、これは結構きついぞ。やっぱり日本で治療するほうがいいな。痛かったら手を挙げればいいんだし・・・。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
削った奥歯に詰め物をすると、いよいよ差し歯の治療。痛そうにしている私の表情を察してか、女医さんは「麻酔を打とうか?」と心配そうな表情で聞いてきた。
おいっ!麻酔があるんだったらさっきの治療のときに使ってくれよ・・・。どうなっているんだ。どうにも勝手がわからない。でもここはインドネシアだ。インドネシアのやり方があるに違いない。怒ってもしょうがない。我慢、我慢。
とりあえず、差し歯をはめるだけなので、いらないといえばいらないけど、少し削ったりするのなら沁みて痛いかもしれない。これ以上痛いのは勘弁だ。反射的に「Yes」と頷いていた。
その返事を待って、注射器の用意がされた。注射器は日本のと同じ使い捨てタイプ。普通に歯と歯茎の間付近に麻酔針を打たれ、しばらく待つように言われた。
(*イラスト:うぐいすさん 【イラストAC】)
麻酔が効いたのを確認すると、前歯の掃除といった感じで何か液体を塗り付けられ、その後何か接着剤みたいなものを付けて、差し歯の取り付けが始まった。
しかし、すんなりと差し歯がハマらない。変だなといった感じで、少しいじくりまわし、今度はえいっと無理矢理押し込んできた。
それでもハマらない・・・。おかしいな・・といった感じで、更に力任せに押し込んできた。ぐぅ~わぁ~。いきなりの展開にうめく私。差し歯ってこんなに力を入れて付けるものか?
日本で付けてもらった時は素直に入ったぞ。差し歯が取れたときも、すっぽりハマり、接着剤かなんか入れないと緩くてちゃんと固定できなかった。だから歯医者を探してここまで来たんだ。
なんでこうなるんだ・・・。もしかして差し歯が取れてから今日までに、歯が爪のように成長したとか・・・?って、そんなわけないよな。すんなりとハマってくれると思っていたので、こっちも不安になってくる。
(*イラスト:gontyanさん 【イラストAC】)
その不安を駄目押ししたのが、「この歯は本当にここに刺さっていたものか?」という質問。おいっ大丈夫か。えらいことになってしまった。
「ちゃんと刺さっていた。間違いない」と私が言うと、女医さんは疑うような目つきで「本当に?」と言ってきた。「本当だよ」とちょっと腹立ち気味に言うと、さっき受付にいたおっさんを呼んできた。
(*イラスト:ぽにーさん 【イラストAC】)
部屋に入ってきたおっさんは女医さんと打ち合わせを始めた。やっぱりこのおっさんがボスなんだな。女医さんの父親になるのだろうか。関係性は分からないが、救世主の登場に胸をなでおろした。
さっきはドラキュラなんて心の中で思って悪かった。ちゃんと差し歯をハメて下さい。お願いします。そういう期待でおっさんの登場を歓迎していたのだが、無情にも私の期待は豪快に裏切られた。
女医さんとの打ち合わせを終えると、再び治療が始まるのだが、おっさんがやったのは、女医さんと協力して力ずくで差し歯を押し込むことだった。
二人がかりなので、さっきよりも強烈。一人が駄目なら二人で、といった考え方なのだろう。間違ってはいないのだけど・・・。うぐぅ~~。あごが外れる~~。失望感いっぱいで言葉にならない。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
しばらく耐えていると、診察が終わった。正確には終わったというより諦めたといった感じ。前歯は刺さるには刺さってはいるものの、なんか奇妙な感触。かみ合わせは悪く、明らかにちゃんとハマっていない。舌で触ってみると、隣の歯と比べると少し斜めになっているし、少し浮いている感じもする。
そういえば日本で差し歯をハメるときに、「麻酔は歯茎が腫れるので、差し歯をハメるときにはしない」とか言っていたような気がする・・・。そのせいでちゃんとハマらなかったのだろうか。いや、麻酔で腫れるのは歯茎の方。歯が腫れたり、膨らんだりはしない。このことが影響したのかは分からないが、今更思い出しても遅い。
きっとこういう繊細な作業は、普段から通い、勝手の分かっている歯医者じゃないとダメなのかもしれない。ここでこれ以上治療するのは無駄なことだと諦めた。斜めとはいえ、とりあえずハマっているからいいか。取り付けていない状態よりはいいはず。プラス思考に考えることにしよう。
女医さんは心配そうに「大丈夫か?」と聞いてきた。「大丈夫だよ」と答えると、安心したような表情になった。きっとここではこれが精一杯なんだ。そう解釈するしかない。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
しかし治療費を払う段階になって再び失望感を味わうことに。日本での治療を考えると安いには安いのだけど、こっちの物価で考えるとちょっと高い金額を言ってきた。
えっ!と思い、もう一度値段を聞き直すと、女医さんの目が泳いでいる。日本にいたことがあるから、日本の歯医者の診察費や物価を知ってるよな。まさか吹っかけてきたのか。いや、医療費はどこの国でも高いはず。これが正規料金と言われれば、納得できる値段だが・・・、ちゃんと治っていないから高く感じてしまうし、疑い深くもなってくるのだ。
町中での買い物のように値切ってみるか。日本的な感覚だと歯医者で値切るのは変な感じだが、インドネシアはなんでもありといったお国柄。病院で値切るのも違和感はない。
だったら・・・と迷ったものの、インドネシアでの診察費がいくらなのか見当もつかないので、いくら値切っていいのか分からない。
そもそも、この値段が適正価格なのかもしれないし、昔日本でお世話になったということで安くしてくれている場合もありえる。日本では健康保険が効くので安く感じるというのもあるしな・・・。
色んなことが頭の中をめぐるし、失望感でいっぱいだしと、もう訳が分からない。交渉する気力もわいてこず、そのまま言い値を払って歯医者を後にした。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
宿へ帰りながら、違和感のある前歯を強く噛んでいた。もうちょっとでハマるような感じがしたからだ。案の定、しばらくやっていると「ぐきっ」と小さな音がして、差し歯がより奥までハマり、さっきまでの違和感がほぼなくなった。
ただ、完全には元通りにはなっていないようで、舌で触るとまだほんの少し斜めになっている感じがする。差し歯が斜めのままついていても大丈夫なのか。いや、いいわけがない。もし隙間があるのなら、そこから虫歯になるかもしれない。
まったく藪医者め。カメラは直らないし、差し歯は斜めに付けられるし、時間をかけてはるばるバリ島に来るのではなかったな・・・。そんなことが頭の中をめぐり、重い足取りとなっていた。
独特な像が多いです。
しばらく歩いていると、「しょうがないではないか。ここはインドネシアなんだから」と、天から声が聞こえてきた。そうだよな。ないものは諦める。できないものに期待はしない。ここはそういうところだ。日本と同じものを期待する方がおかしいではないか。
そうして宿に着くころには、「まあいいか。とりあえずあまり違和感のない状態でくっついているし、気にしてもしょうがない。今回は応急処置ができたということで良しとしよう」、そんな境地になっていた。段々と東南アジアのおおらかな風土が自分の中に染み付いてきたようだ。
とはいえ、差し歯が斜めに刺さっている事実は変わらない。もしあまりにも気になるのなら、バンコクに戻った時に歯医者に行こう。きっと日本語が通じ、日本のような治療をしてくれる病院があるはず。
ということで、これにて一件落着。・・・でいいのかわからないが、自分の旅の軌跡が全く読めないように、先のことなどわからない。何か起きたらその時に考えよう。成すがままにってやつだ。
第3章 ユーラシア大陸横断
#3-13 バリ島の歯医者 #3-14以降、制作中