第3章 ユーラシア大陸横断
#3-12 カリマンタン島で差し歯が取れる
2000年7月~8月
カリマンタン島の奥地まで足を延ばすものの、アクシデントが発生。右往左往することになります。(*第3章は現在制作中)
28、カリマンタン島の旅
(*イラスト:ナロンエースさん 【イラストAC】)
7月27日、マレーシアのサラワク州から国境を越え、カリマンタン島西部、西カリマンタン州の州都ポンティアナ(ポンティアナック)に到着した。
ポンティアナはカプアス川河口に広がるデルタ地帯に位置し、カプアス川の水運によって栄えている。町の真ん中を流れる川を貨物船、旅客船、渡し船がひっきりなしに行き交う様子は賑やかで、東南アジア独特の熱気を感じる。
熱気といえば、ここはちょうど赤道直下になり、町の北には赤道モニュメントが建てられている。赤道直下の町・・・。冒険心をそそる響きだが、暮らすとなると灼熱地獄ではないかと二の足を踏んでしまうだろう。ただ、ここは海にもほど近いので、年中酷い高温に悩まされるというわけではない。
さて、日本を出国して半年経ったわけだが、ありきたりな虫歯治療では余程の文才がない限り面白い体験記を書くことができないように、有名な観光地をただ巡っていても、人の興味を引くような旅行記を書くことができない。
せっかく時間を自由に使えるのだから、一般の旅行者が足を踏み入れないような場所、例えば少し前に訪れたシベル島のような場所を積極的に訪れていこう。それが面白い体験談になるかはわからないが、少なくとも他の人が簡単に真似をできない希少性の高い体験談にはなるはずだ。これが、半年間旅行をして至った旅の方針である。
カリマンタン島はその絶好の目的地となる。訪れる旅行者はほとんどいなく、日本のガイドブックにはごく簡単な説明書きしか載っていない。旅の難易度、秘境度ともにとても高い。
現在いるポンティアナから、西カリマンタンを縦断するように流れるカプアス川をさかのぼり、カリマンタン島の奥地を目指していけば、冒険のような旅ができるのではないか。何があるのかわからないが、逆に何があるかわからないことにワクワクしたりする。
とはいえ、まったく情報がなければ旅ができない。観光案内所がないので州の観光課を訪れてみると、親切にも西カリマンタン情報を教えてくれ、マップをくれた。
職員の話では、この地域ならではのおすすめスポットは原住民が暮らす伝統的住居「ロングハウス」とのことで、古いものは木造で建てられていて、芸術的に感じるほど美しいそうだ。それがどこにあり、どうやって行けばいいのかを教えてもらった。
カリマンタン島は未開のジャングルが多い。普通のジャングルでの生活はどういったものだろう。シベル島での経験は貴重ではあったが、半裸での生活は少し極端すぎた。一般的なジャングルの文化や生活に触れてみたいと思っていたので、このロングハウスを巡る旅はまさにうってつけ、ちょうどいい目的地ができた。
ということで、ロングハウスを見学しながらカプアス川上流にある町、プッツシバウまで遡っていくことにした。かなり難易度の高い旅になりそうだが、これまで重ねてきた旅がバックボーンになり、「私ならやれる」といった自信になっていた。
今回の私の旅行記のタイトルは「道標ない旅」と付けていた。永井龍雲さんの歌から拝借したもので、歌詞の「青春を旅する若者よ 君が歩けばそこに必ず道ができる」というフレーズが出国前の心境にピッタリ合い、勇気づけられたからだ。
今こそ、その心境にふさわしい場面はない。私が道なき道を歩けば、きっとその後を続いて歩く若者が現れるだろう。カリマンタン島の旅は私が切り開いていこうではないか。
*国土地理院地図を書き込んで使用
ジャングル探検隊という心持ちでポンティアナからサンガウ、シンタンとカプアス川を遡るようにして旅を進めていった。
シンタンは中流域にある町で、ここでは大きな支流が交わる交通の要所である。中流域まで行けばそれなりに秘境っぽさを感じるだろう。そう思いながらやって来たのだが、想像していたよりも町は開けており、電気や水道は普通に使える。そこにあったのは、のんびりとしたジャングルに囲まれた町といった風情だった。
ただ、西カリマンタンで一番おすすめのロングハウスと教えられたエンサイド・パンジャン(Rumah Betang Ensaid Panjang)は町中にはなく、周囲に何もない交通の不便な場所にあった。ここを訪れ、初めて秘境や冒険的な要素を感じることになった。
ここカリマンタン島に昔から暮らしているのは、「ダヤック(ダヤク)人」。昔ながらの生活スタイルを好む人は今でも「ロングハウス」で暮らしていて、ロングハウス自体は希少なものではなく、あちこちにある。
エンサイド・パンジャンが素晴らしいのは、昔ながらの純木造、椰子葉葺で建てられていて、全長が118メートル、高さは12メートルもあることだ。とても美しく、迫力のある建物は見る人を魅了する。
ロングハウスは、日本で言うなら長屋とか細長いアパートになり、建物内は個別に部屋が分かれていて、1棟に数十世帯が暮らしている。
日本の長屋やアパートとの大きな違いは、まず一つに高床式である点。高温多湿、多雨という土地柄ゆえ、床を高くして湿気や熱気、雨水を逃がしている。害虫が侵入しにくいというメリットもある。
そしてもう一つは、共用部分が広いこと。簡単に言うなら共用の廊下部分が異常に広く、そこで作業したり、おしゃべりをしたり、食事をしたりできる。日差しが強く、雨が多い土地なので、屋内で作業が出来たり、大勢でくつろげるのが大きなメリットだ。過酷な自然を生き抜く生活の知恵の結晶と言えるだろう。
実際に宿泊させてもらって気が付いたのが、部屋の外に出たら人がいるので、同じ建物に暮らしている人が全員家族のよう・・・というのは大袈裟だが、共同体としての一体感を強く感じられた。そう考えると、「シェアハウスの巨大版」という表現の方が適切なのかもしれない。
エンサイド・パンジャンを訪れるのには苦労し、途中で親切にも工事関係のトラックに乗せてもらい訪れることができた。その縁で、ロングハウスで暮らす人や工事関係者と仲良くなれたのだが、シンタンに戻ってもなかなか一人にさせてもらえなかった。
これまで一人で半年間旅をしてきたし、一人でカリマンタン島を旅するほどなので、一人でいることには慣れっこなのだが、「一人だと寂しいからうちに泊まっていけ」と、シンタンに滞在中、毎晩誰かしらに誘われた。
彼らの口ぶりからすると、「一人で部屋に泊まっていたら、孤独にさいなまれ、気がおかしくなる」と思ってしまうようだ。
日本の、しかも東京で暮らしている身としては、こういう密な人間関係を鬱陶しく感じたりもするが、新旧多くのロングハウスがある土地柄、人の思いやりとか、優しさを今まで旅してきた土地の中でも強く感じることになった。
シンタンでは心温まるような経験ばかりとはいかなかった。辛い経験もした。私が日本人だとわかると、いきなり胸ぐらをつかまれたのだ。
それまでは「インドネシアはなんて親日的な国なんだろう。いい国だ」と思いながら旅をしていたので、突然の出来事に驚いた。その人は、戦争で日本兵に殺された人の遺族だった。親から話を聞かされ、日本人にいい感情を持っていなかったのだろう。
また、町を散策していると、中学生ぐらいの少年に「うちのおじいちゃんは日本人なんだよ」と言われ、その家に招かれてみると、そのおじいちゃんは旧日本兵の孤児(または残留孤児)のようで、大切にしまっていた子供の頃の古い写真を見せてくれた。
どういった経緯で孤児になったのか、詳しく聞けなかったが、5歳で孤児になってインドネシアの家庭で育てられたとの話だった。
彼は歓迎してはくれたが、彼の目に私がどう映ったのだろうか。その表情からはうかがい知ることはできなかった。私はどう対応していいのかわからず、とても気まずい時間を過ごすことになった。
これまで、1945年に終戦した太平洋戦争(第二次世界大戦)は、祖父母の時代のことで、自分には関係ない事だと思っていた。この旅をしている時点で55年の月日が流れているので、アジア各地にある旧日本軍関連の遺構やモニュメントなどを見ても、日本人として少しは気にはなるものの、やはり自分と無関係のことだと感じていた。
しかし、決してそうではなかったのだ。そのことを初めて認識させられたのがここシンタンで、戦争や平和について色々と考えさせられた土地にもなった。
29、ダヤック人とロングハウス
カプアス川最上流部の町がプッツシバウ。ここから先には集落しかないので、小さな町ながら農産物などの集積地として、また物品が集まる市場には活気がある。砂漠の中にあるオアシスのような雰囲気を感じる町で、とても過ごしやすかった。
このプッツシバウから先は川を移動したほうが早いというぐらい、交通が不便で未開な土地になる。それと同時にロングハウスの宝庫である。半世紀以上の月日を重ねたロングハウスも幾つかあり、それらを訪ねていった。
日帰りで訪れることが多かったのだが、中には泊まっていけと勧めてくれる人もいて、泊めてもらうこともあった。本当に気さくな人が多く、凄く心が洗われる。
カリマンタン島の先住民であるダヤック人は、昔の情報が少なく、配慮のない時代は、首狩り族として恐れられていた。
インターネットのある今の時代だといろいろと調べることができるので、「昔、部族間の抗争があって、そういった事件があったからそう呼ばれていたんだね」となるだろう。
しかし、インターネットが普及していなかった当時は、割と真面目に信じられていた。宿泊していた安宿には他地域からやって来ている行商人が何人か泊まっていて、そういった人たちと話すと「町に近いところにいる連中は大丈夫だが、森の中にいるダヤック人には気を付けろ。首を狩られるぞ」と忠告されたものだ。
日本人からすると、インドネシアに暮らす人は全部同じインドネシア人に見えるが、インドネシアでは島ごとに人種が違うと考えていて、こういった悪評は他の島に暮らす人に強調されやすい。
かくいう日本人も腹切り族などと言われることもあり、実際私も言われた。言っている本人には悪気はなくても、こういうことは他の国の人に言われると、結構腹が立つものである・・・。
とはいえ、この当時は、こういった噂も冒険気分を盛り上げるためのいいスパイスだったのも確かだ。しかし、実際に訪れてみると「結局、みんな優しいじゃん。百聞は一見に如かずってやつではないか」といったべたな結末に落ち着くのだが、これはこれで旅のドラマ性とか娯楽性を高めていた。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
プッツシバウに滞在中、行けそうなロングハウスは訪れたし、そろそろ都市部へ戻ろう・・・と思っていたところで、私の部屋を旅行者が訪ねてきた。
その旅行者はハンガリー人の男性で、歳は30半ばくらいだろうか。ダヤック人やインドネシアの民俗に興味があり、長くインドネシアを旅しているとのことだった。
彼は「ここから北にあまり人に知られていない大きなロングハウスがあるという情報を仕入れた。興味があるなら一緒に行かないか」と誘ってきた。
小さな町なので、日本人がこの界隈のロングハウスを訪れて回っているという噂が広まっていたのだろう。日本の感覚だとこういった図々しい誘いは怪しく感じるが、インドネシアでは日常的なこと。宿の部屋にいてもしょっちゅう来客がある。
それはさておき、その情報はポンティアナの観光課で教わったものにはなかった。これは面白そうだ。なにやら冒険の予感がする。宿の行商人連中には「そんな奥地には行くな!首を狩られてもしらないぞ!」「あのハンガリー人も怪しい」と止められたが、一緒に同行することにした。
ハンガリー人とともにバスに乗り、そのロングハウスを訪れた。このハンガリー人は自称民俗学者というだけあり、インドネシア語をかなり上手にしゃべることができた。おかげで辺境の地に向かうのも問題なく、私はただついていくだけだった。
バスを降りて少し歩くと、目的地であるウル・パリン(Rumah Betang Sungai Uluk Palin)のロングハウスに到着した。ウル川沿いに佇む建物は、長さが200mを超え、部屋数も50以上あるという巨大なものだ。
大きさもさることながら、高床の足組が見事で、地上からの高さは7~8メートルに及ぶ。すらっとしてとても美しい建物だった。どうやら西カリマンタンで最も高く、最も長い木造のロングハウスになるようだ。
こういったロングハウスにはゲストが泊まる部屋が用意されている事が多い。最近では日本のタワーマンションなどにゲストルームが用意されているが、それと同じようなものになる。
そこに泊めてもらうことにして、ゲスト帳に記帳すると、やっぱりというか、日本人の名前はない。聞いても、日本人は来たことがないという。外国人すら今まで数回しか来たことがないそうだ。
世界中に日本人が溢れ、どんな辺境を訪れても日本人がいる世の中。なかなか日本人第一号という称号を手に入れるのは困難だ。でも、これで胸を張って「カリマンタン島で一番大きなロングハウスを訪れた日本人第一号は私だ」と言える。
好奇心旺盛な旅人にとっては、何よりの称号となる。なにせ訪問国数とか、訪れた世界遺産の数、珍しい場所などでしか評価されない存在なのだから。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
「頑張ってきたかいがあった。半年旅をしてきた成果だ」と、感無量に浸っていたのだが、外国人がやって来たとロングハウスに広まり、人がぞろぞろと集まってきた。
その中の老人が、ハンガリー人の通訳を介して、「本当に日本人なのか?」と私に聞いてきた。「そうだ。日本人だ」と答えると、「私の知っている日本人はこんなに大きくない。中国人ではないのか」と言ってきた。
私の身長は170センチ弱。標準よりもほんの少し低い。いまいち意図が分からない。ポカンとしていると、「私の知っている日本兵はみんな背が低かった。あんたのように大きい人はいなかった」と、老人は旧日本兵を頭に描き、私と比べていた。50年前の日本兵と比べられても、こちらとしては困ってしまう・・・。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
「最近の日本人はこの大きさが標準なんだ」と日本国パスポートを見せると、老人も納得してくれたが、タイムスリップをしたかのような何とも変な体験をしてしまった。
もしかして戦時中に日本兵はここに来たのだろうか。建物の入り口の一つには、日本陸軍の銘が入った大砲の砲身が守護神のような感じで置かれていた。
もしそうなら日本人第一号ではなくなるな・・・。そのへんの事情が気になるのだが、シンタンの時のように胸ぐらをつかまれても嫌なので、切り出せなかった。まあ控えめに日本人観光客第一号としておこう・・・。
30、差し歯が取れる
ウル・パリンのロングハウスに泊めてもらっていたときの事。夕食をごちそうになっていると、前歯がふにゃっと変な感じがした。「ん~!?なんか今変な感触がしたような・・・」そう思いつつ食事を続けていると、前歯の差し歯の片方がポロッと取れてしまった。
「うっ、げっ、差し歯が取れてしまった・・・・。おいおい、まじかよ・・・!!!」
とうとう一番危惧していた事態が起こってしまった。今までの楽しい食事から一転し、顔が青ざめていった。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
食後に歯を磨き、とりあえず自分ではめてみるものの、土台に対して緩く、うまく引っ付いてくれない。そりゃ歯医者であんなに念入りに付けてもらった差し歯だもんな。歯医者に行き、接着剤みたいなものを入れて付けてもらうしかないよな・・・。
っていうか、堅いものを噛んだわけでもないのに、こんなに簡単に取れていいものか?差し歯って・・・。ふつふつと頭に疑念が持ち上がってくる。
「先生、神経が炎症し、また外す可能性があるからと、実は仮止めのままだったんじゃないの・・・」と。
(*イラスト:kuripicoさん 【イラストAC】)
このまま旅を続けられるのだろうか・・・。帰国しなければならないとか・・・。自然と深刻な事態が頭をよぎる。ただ、触っても歯磨きをしても痛みは感じない。差し迫って明日、明後日にどうこうしなければという状態ではなさそうだ。
とはいえ、このままの状態で長く放置するのも危険だ。今後の予定を変更し、早急にジャングルの奥地から抜け出し、差し歯をつけられる歯医者がある町へ向かうべきだろう。
今できることといえば、今まで以上にちゃんと歯を磨く事。差し歯を付ける前に土台部分が虫歯になっては、シャレにならない。そして、差し歯を厳重に保管しておく事。なんせ2本で17万もする高価なものだ。素人なりに考えるなら、この抜けた歯を再利用するのが手間もお金もかからない。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
問題はどこの歯医者に行くべきかだ。今一番頼れるのは、インドネシアを熟知しているハンガリー人。「どこの歯医者に行けばちゃんと治療してもらえる?」と切実な思いで聞くものの、「歯医者のことなんか知らない。ジャカルタに行けばいいんじゃない」と、そっけない返事。
そりゃまあ、普通の旅行者に「いい宿を知らない?」みたいな感じで、歯医者を聞いてもまともな返事は返ってこないだろう。でも、もっと親身になって考えてくれてもいいのではないか。一緒に辺境の地にあるロングハウスを訪れた仲だ。
そう思いたいが、彼にしてみれば一人で来るのが心細いからわざわざ私を誘ったに過ぎず、ロングハウスに到着し、住民たちと馴染んでしまえば私はもう用済みみたいなもの。
当然、そこまで親身になってくれるわけではなく、「お前の前歯の行く末よりも、俺はダヤック人との民俗学の話で忙しいんだ」と言わんばかりの態度となる。自我の強い旅人同士の関係性というのは、往々にしてこういうものだったりする。
住民に聞いてみるものの、「プッツシバウに歯医者があるらしいぞ」「あれはヤブだ。この前歯を抜かれて散々だった」「シンタンにもあるらしいぞ」などと、心もとない返答しか返ってこない。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
これはカリマンタン島での治療は期待できそうにないな。ジャカルタに行くしかないか。カメラも少し挙動がおかしいので、その修理もしたい。ジャカルタならまとめて解決するだろう。
しかし、ジャカルタは治安が最高に悪い町として有名だ。「君子危うきに近づかず」ってな感じで、私の計画では近づかない事にしていた。旅を長く続けるには、強盗などが多発する危険地域に足を踏み入れないことが、何より大事になる。
とはいえ、今回は事態が事態だけに、そうも言っていられない。ジャカルタへ行こう。細心の注意をし、宿は少し高めで安心できるものを選び、移動はタクシーを使うなどすれば、何とかなるはず。
何はともあれポンティアナに戻ろう。ジャカルタに行くにしてもそれからだ。ジャングルの奥地からカプアス川を下っていくようにポンティアナへ戻っていくことにした。
翌朝、ロングハウスの住民とハンガリー人に別れを告げて、中流域の町シンタンに向けて出発した。ここでは夜行バスといった概念はないので、今日シンタン、明日ポンティアナといった感じで移動しようと思っていた。
しかし、この移動がうまくいかなかった。昨晩、スコールが降り、舗装されていない道がぬかるんでいて、何度もバスがスタックし、立ち往生してしまった。まるでラリーをやっているかのよう。バスもバンパーを付けていたら、邪魔だということで、バンパーを外して走っている。カンボジアの道も悪かったが、ここはその比ではない。
結局、ランジャックという町までしか行くことができず、ここで宿泊。差し歯が取れるならこんな奥地まで来るんじゃなかった・・・結果論だが、そう思わずにはいられない。
さらに翌日、ランジャックから船で湖を渡り、対岸からシンタン行きのバスに乗った。ここからは道が舗装されているので安心。と思いきや、パンクに見舞われ、またもや立ち往生。夕方遅く何とかシンタンに到着した。
シンタンには顔なじみが多くできたので、プッツシバウから戻ってきたら連絡してくれと言われていた。英語が通じるし、親身になってくれるので、夕食を食べながら歯について相談をしようと思っていたのだが、暗くなってしまったので連絡するのも憚れる。
本当に、なんでこう連日厄災が降りかかってくるのだ・・・。これも「カリマンタン島の旅は私が切り開いていこう」などと調子に乗っていた私への試練なのだろうか。
差し歯が抜けて2日経ったのだが、今のところ差し歯が抜けた事によって歯が痛む事はなく、むき出しとなった歯は熱いもの、冷たいものに気を付けているので、全く気にならない。
差し歯が取れると見た目が悪くなる。日本にいるときは仕事相手に会う時などは、口を大きく開けないように神経を尖らせていた。しかし、ここではそういった気遣いをする相手はいない。それに歯が抜けている人も少なからずいるし、ダヤック人は身体に入れ墨をしているので、前歯の一本なくてもまったく気にならなかった。
差し歯のない状態にも慣れてきたのもあり、少し心にも余裕ができてきた。ポンティアナに戻る前、どうしても寄っておきたい場所があったので、少し寄り道をして、そこへ向かうことにした。
寄りたかった場所はポンティアナの少し北、マンドールにあるマンドールの戦没者墓地(Makam Juang Mandor)と言われる場所。
ここは日本軍の残虐行為によって命を落とした西カリマンタンの人々21,037人が、10個の墓に分けられて埋葬されている。自分がなぜ殴られそうになったのか。やっぱり見ておく必要があるかなと感じたからだ。
訪れてみると、残虐な顔をした日本兵が人々を虐殺している大きなレリーフが掲げられていた。日本でも戦争関係の資料館などを訪れると、B29に乗ったアメリカ兵が残虐な顔で描かれているのをよく見るが、それと一緒で、ここでは日本兵が悪人顔で描かれている。もちろん、これはここマンドールやインドネシアに限った話ではなく、ベトナム、タイなどアジア全体でよく見ることだ。
私は戦後のベビーブームの親を持つ、第二次ベビーブーム世代。親の世代がもし戦争に負けなかったらみたいな教育を受けてきているので、小学校の先生なども日本は正しいことをした、世界が悪いみたいによく言っていた。
しかしどうだろう。アジア各地のこういった場所、あるいは歴史資料館を訪れる限り、そういった片鱗も見ない。日本人が勝手にそう思っているだけなのではないか。何より私自身が殴られる思いをしている。
日々の生活でも殴られるような思いをしてから気が付くことは多い。本当に自分が悪かったんだと。殴りかかられたときには、とんだとばっちりを受けたと思ったものだが、私の目を覚まさせてくれたことを含め、感謝すべきことだったのかもしれない。
マンドールで戦没者墓地を見学した後、ジャカルタに向かうつもりでポンティアナに戻った。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
しかしここまでの道中、「ポンティアナに戻ったらジャカルタに行くつもりだ」と泊まっている宿のオーナーや知り合ったインドネシア人に話すと、決まって「ジャカルタは危ないから、絶対に行くな!」と、助言してきた。ここまで強く否定されると考えてしまう。よほど危ないのだろう。それとも私が頼りなく見えるのだろうか・・・。
その真相はわからないが、ここまで否定されるとやはり回避しておくに越したことはない。これ以上のトラブルに巻き込まれてはたまらないし、トラブルが重なると気持ち的にも弱気になってしまうものだ。
ではどうしたものか。思い切ってタイのバンコクまで戻るか。バンコクならすべてが確実に解決できる。トラブルをきれいさっぱり解決し、西へ向かうユーラシア大陸横断旅を再開するのもありだな。
インドネシア脱出計画も考えたが、今インドネシアを抜け出したら、もう二度と来る機会はないだろう。せっかく言葉を覚えたし、インドネシアが好きになったので、もう少しインドネシアを旅行していたい。その気持ちが今の私の中では強い。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
次に頭に浮かんだのが、バリ島のデンパサール。バリ島といえば世界的に有名なリゾート地。インドネシアの中では物価水準も高いし、治安も比較的いい事で知られている。
ここならいい歯医者があるかもしれない。いや、きっとあるはずだ。領事館を置いている国もあるし、裕福な外国人旅行者も多いから、外国人を相手にしている歯医者がいてもおかしくないし、もしかしたら移住してきた腕のいい外国人の先生がいるかもしれない。
よしっ、バリ島に行こう。そう決定するものの、ここからバリ島までかなり距離がある。船に乗って、バスに乗って、また船に乗ってと、かなりの距離を移動しなければならない。おそらく丸々2日はかかるだろう。でも、17万もする差し歯の為だ。頑張るしかない・・・。
第3章 ユーラシア大陸横断
#3-12 カリマンタン島で差し歯が取れる #3-13 バリ島の歯医者 につづく