第3章 ユーラシア大陸横断
#3-11 半年経過とリアルタイム旅行記
2000年6月~7月
インドネシアの旅にハマってしまい、半年経った現在地はインドネシア。その心境と、もう一つの挑戦だったリアルタイム旅行記についてつづっています。(*第3章は現在制作中)
26、半年経った現在地
(*イラスト:UMIさん 【イラストAC】)
7月も後半となった。日本では学校の夏休みが始まり、子供たちがラジオ体操をしたり、プールに行ったり、盆踊りや花火大会に参加したり、大量の宿題に頭を抱えたりしている頃だろう。
「一年中暑い赤道直下の国でも夏休みはあるの?」そんなさりげない疑問が湧いてきたりするが、この時期に日本のような長い夏休みがある国は少ないようだ。
以前ホームステイをしていたベトナムでは、雨季に当たる6月が休みになると言っていた。「次に来ることがあれば、子供たちが休みの6月に来い」と提案されたが、雨が多い時期の旅はテンションが下がってしまう。というか、せっかくの休みが雨がちでは、ベトナムの子供たちが気の毒だ。
タイでは、クメール正月(タイやカンボジアの正月)のある4月前後に長い休みがある。赤道が近い場所では日本の春分や秋分頃に一番暑くなるので、これは理にかなっている。
ここインドネシアでは7月から新学期が始まるので、6月に少し長めの休みがあるそうだ。所変われば品変わるというもので、日本の夏休みを頭に思い浮かべながら会話をすると、話がずれてしまったりする。そんな文化の違いも面白かったりする。
(*イラスト:ジュンズ10さん 【イラストAC】)
夏休みの話題はさておき、1月20日に日本を出国したので、私の旅もかれこれ半年が経過したことになる。
「精神的に1年間も耐えられるだろうか」「トラブルに遭って帰国するような事態にならないだろうか」などと、様々な不安を抱えながら日本を出国したものだが、半年経った現在、特に大きなトラブルに遭うこともなく、楽しく旅を続けられている。この状態が続くなら、1年の節目も問題なく迎えられそうだ。
(*イラスト:SHOUSEIさん 【イラストAC】)
出発前に懸念していた歯に関しても、差し歯や神経に問題は起きていないし、旅行中でありながら熱心に歯を磨いているので、虫歯にもなっていない。
おかげで出発前に先生からもらった大量の鎮痛剤は、手付かずのまま鞄の中で眠っている。このままだと未使用のまま日本へ持ち帰ることになりそうだ。それはそれで期待外れという気もするが・・・、やっぱり使うことがないに越したことはない。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
ただ、一つだけ小さな問題が起きていた。白米に入っていた石を噛んでしまい、奥歯のちょっと手前の歯が少し欠けてしまったのだ。
インドネシアでは白米がとても安く、しかもおいしい。日本人としてはとても幸せな環境なのだが、昔の日本と同じで、稀にご飯に石などが混じっていたりする。いつも通り何も考えずにガツガツと口に入れていたら、運悪く石のあるご飯に当たってしまったというわけだ。
虫歯になりたくないと、あれだけ熱心に歯を磨いていたというのに、ご飯に交じっていた石で完ぺきだった口の中の環境が崩れるとは思ってもみなかった。本当に予定外の伏兵にやられてしまったといった感じだ。
現時点では痛みなどはないが、このまま放置していると欠けた箇所が広がったり、虫歯になったりする恐れがあるので、機会があれば処置をしてもらった方が安心だ。このことが唯一の気がかりになっている。
(*イラスト:ナロンエースさん 【イラストAC】)
旅自体、そして自身の健康面では順調と言えるのだが、旅の中身のほうは少々問題があると言うべきなのか、最初の計画とは違ったものになっていた。
シベル島でジャングルツアーに参加した後は、スマトラ島、ジャワ島と旅をしていった。日本人の場合、インドネシア入国にビザは必要ないが、滞在できるのは60日までになっている(*2000年当時、現在はビザが必要です)。
このままインドネシアの旅を続けたいが、間もなくその期限が切れようとしている。それを回避するには、一度インドネシアを出国し、入り直さなければならない。
この当時、バリ島で長期滞在している日本人は多かった。彼らがよく使っていた手段は、飛行機でバンコクに飛び、数日で戻ってくるというものだった。
飛行機代は安く、ビザ延長料だと納得できる程度。しかもバンコクでは日本食が食べられたり、必要なものを買い足すことができたりするなどメリットも多く、メジャーな方法になっていた。
だが、私の場合はユーラシア大陸横断を行っている最中。やむを得ない場合を除き、飛行機でワープするなんていうのはもってのほか。当然、この方法は却下した。
かといって、わざわざマレー半島まで戻るのは大変な移動になるし、それならそのままバンコクに戻り、ユーラシア大陸横断を再開したほうがいい、ということになってしまう。
(*イラスト:ナロンエースさん 【イラストAC】)
残るのは、ジャワ島の北にあるカリマンタン島からマレーシアに入る方法。カリマンタン島の北側3分の1程度は、マレーシアとブルネイの国土となっていて、あちら側ではボルネオ島と呼ばれている(同じ島だが呼び名が異なる)。
カリマンタン島での国境の越え方はあまり情報がなく、「ちゃんと国境を越えられるだろうか・・・」と、ビクビクしながら向かったのだが、あっさりと越えることができ安堵した。世界最強といわれる日本国パスポート様様である。
ボルネオ島の東側、マレーシア領サバ州に入国すると、西へ向かってブルネイ、再びマレーシア領サラワク州と旅していった。
ボルネオ島側のマレーシアは未開の地が多く、とても自然が豊かだった。特徴的な国立公園がいくつもあり、山、島、洞窟、川、ジャングルと、アドベンチャー的な旅を楽しんだ。
(*イラスト:watageさん 【イラストAC】)
そしてサラワク州から再びインドネシアに入国。カリマンタン島西部の州都ポンティアナに到着したのが、7月27日。日本を出国してから、半年が経ったことになる。
「1年かけてユーラシア大陸を横断するぞ!」と日本を出発し、西に向かって旅をしていたはずが、半年経ってもまだ東南アジアのインドネシアにいる。しかもインドネシアで島旅にハマってしまい、現在地はあまり世間に知られていないカリマンタン島。ユーラシア大陸横断を行っているとは思えない場所にいたりする。
もし最初に立てた計画通りに旅をしていたなら、今頃はインドあたりを旅しているだろう。これもあてのない旅の面白さのうちの一つ。その時々の状況に応じ、臨機応変に最善を考えながら行動した結果、目的地やルートが変わってしまうのは仕方がない。
とはいえ、世間一般的には、最初に決めた筋書き通りに旅を進めていく旅人の方が「凄い」とか、「才能がある」と評価され、私のように右往左往している旅人は、計画性がないとか、芯がないといったように見られてしまうだろう。
(*イラスト:bonbonさん 【イラストAC】)
しかし、ここまで旅をしてきて思うのだが、むしろそれは逆ではないか。期間や金銭面などで厳しい制約があり、「2か月でここまで行かないといけない」「いつまでにこれをしなければならない」といった、短期間の計画性が重視される旅やプロジェクトなら、その評価にも納得できる。
一方、2か月を超えるような長期の旅をする場合には、旅をしながらルートや目的を修正したり、状況に合わせて最適化を行ったりできる時間的な余裕がある。それにもかかわらず、ただ忠実に計画を実行している人を見ると、旅を楽しんでいるようでいて、どこか淡々とタスクを進めているような印象を受けてしまう。
もちろん、それは周囲に流されない強い意志を持っていることであり、そのすべてを否定するわけではない。ただ、行動の根幹が「最初に立てた計画」のままで固定されていると、旅自体に深みが感じられず、まるで用意された台本を演じている芝居のように見えてしまうのだ。
(*イラスト:bonbonさん 【イラストAC】)
旅と人生はよく重ね合わせられるが、人生でも同じことが言えると思う。親が決めたから、あるいは周りがそうだからといった理由だけで進路を決めている人の生き方は、個性やこだわりが薄く感じられてしまう。
やはり、自分でどうしたいのかを真剣に考え、もがいたり、失敗をしながら進路を決めるのが自分らしさであり、人としての魅力になるのではないだろうか。
だから、真剣にもがいた結果、建築家を目指していた人がプログラマーになってもいい。野球選手を目指していた人が税理士になってもいい。もがいた結果として、やっぱり親が決めた進路を選択するなら、それもまた立派な決断だ。周りの人に何と言われようとも気にする必要はない。
旅でも、ユーラシア大陸の横断を目指した結果、自分の適性が島巡りだと感じたなら、そっちに切り替えるのもいい。旅よりも現地での生活に興味を持ったなら、どこかの国で語学留学をしてみるのもいい。旅も人生も、その瞬間瞬間に真剣に向き合うことこそが何よりも大事なのだ。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
そう考えると私の旅も、傍から見たら意味不明な軌跡を描いているように見えるかもしれないが、私らしい個性溢れる旅ということになる。もちろん、結果としてユーラシア大陸を横断できなかったとしても、後悔はしないつもりだ。
このように、旅をしている本人は「さも自分の旅は凄いぞ!他の人とはこだわりや覚悟が違うんだ」と胸を張るのだが、旅を見守る側の人間が必ずしも同じ意見になるとは限らない。
私の旅の状況を知る親や友人からしてみれば、「あいつはいつまで東南アジアをウロウロしているんだ」「ユーラシア大陸横断はどうなったんだよ」「トラブルにでも遭っているのか・・・」などと、不満や心配を募らせていたりする。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
こういうのを温度差とか、見解の相違というのだろう。普通の状況なら話し合えば分かり合えるのだろうが、これだけ距離が離れていて、連絡が取りにくい状態では、意思疎通を図るのすら大変だ。
それに、堅実に日常生活を送っている人と、社会的責任を一時的に捨てて冒険している人間とでは、立場や考え方が違いすぎて、その溝を埋めるのは簡単ではない。
長い旅をすると社会性がなくなったり、存在を忘れられたりして、人間関係が崩れるとよく言われるが、こういった些細なズレからでもそれを実感する。
それを防ぐには、テンポよく旅を進めていき、さっさとやるべきことを成し遂げて日本に帰国するのが一番いい選択になる。いつ旅から戻ってくるか分からない人間の事を考えているほど、みんな暇ではないし、寛容でもない。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
もう一つの方法として、「自分の旅はこうなんだ」とひたすら自分らしさを貫き通し、相手の理解を待つというのもある。この時の私はまさにこの状態で、自分の旅を貫いていた。
ただ、これは信頼関係がないと難しい。なにせ旅をしている様子は自分にしかわからない。いくら崇高な旅をしていても、日本にいる人にはどんな旅も同じに見えるし、なかなか進まない旅はダラダラしているとしか感じられないものだ。
こういった誤解を防ぐのに、いい手段がある。それはインターネットで旅の様子を公開することだ。そうすれば日本で見守っている側も、なぜこういった状況になっているかを少しは理解できる。そして、旅をしている自分も忘れられにくい。このことについては次の章で少し掘り下げよう。
27、リアルタイム旅行記への挑戦
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
一世一代の大冒険だ。ユーラシア大陸横断をするにあたり、何か記録として残したいと思った。それもただありきたりに旅行記として残しても面白くはない。インターネットを使ってリアルタイムに近い形でやれば面白いのではないか。
そう考え、Webに「リアルタイム旅行記」として公開しながら旅をすることにした。その準備段階で、練習にちょうどいいと、治療が進んでいく歯の治療の様子をリアルタイム的に綴っていたのが、実はこの歯医者日記だった。
旅のリアルタイム旅行記、あるいは配信と聞いても、高校生ですらスマホを持っているのが当たり前の現在では、「そういう人いるよね・・・」「旅の資金作りのためかな」などと、ありきたりなことにしか感じられないだろう。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
しかし、スマホもなく、電話回線での接続が主流だった2000年の世の中では、とんでもないことだった。実際、この当時、日本でこういった試みをする人は指で数えるほどしかいなかったし、世界でもほんの一握りだけだった。
なにせデジカメも一般的ではなかったし、よくある画像を載せられる無料のブログサイトもまだなく、無料の掲示板(BBS)がようやく普及し始めていた頃になる。何かしら情報発信をしたければ、プログラムやWebの仕組みをある程度学ぶ必要があり、かなりハードルが高かった。
個人でホームページ(Webサイト)を持っていること自体が珍しく、それだけで「凄い」「時代の先端を行っているね」と感嘆され、ホームページを持っているだけで就職が決まる人もいたほどだ。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
そういったインターネット黎明期に制作するリアルタイム旅行記は、苦労の連続で、本当に大変な挑戦だった。
「大袈裟に苦労した、大変と言っているけど、本当なの?」「どうやって制作していたの?」と、疑問や興味を感じた人もいるだろう。少し書いておこう。
まず第一に、この時代のノートパソコンは巨大で重く、衝撃には弱く、おまけに高価だった。バックパックを背負い、安宿を渡り歩くバックパッカーが手軽に旅のお供にできる代物ではなかった。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
私の場合、リアルタイム旅行記を作る明確な目的があったので、何とか携えられないだろうか・・・と熟考したものの、あれば確かに便利だが、あったらあったで邪魔になり、場合によっては旅の足かせにもなりかねない。それでは本末転倒になってしまう。
物理的なことだけではなく、盗難にも気を使わなければならず、手間や気苦労が増えたり、宿のランクを上げれば、金銭的な部分でもマイナスになる。
そもそも私はあまりコンピューターに詳しくないので、パソコンを携えて旅行したとしても、現地でネットにつなぐ方法が分からない。旅行記を書くだけに使うなら、無駄に高価で、重く、場所をとるメモ帳にしかならない。宝の持ち腐れもいいところなので、諦めることにした。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
「パソコンを持たないで、海外で制作や更新なんてできたの?」となるのだが、当然、それは不可能だ。しかし、幸いなことに私はウルトラCを使うことができた。
それは日本で協力してくれる友人という存在。その友人に、現地のインターネットカフェなどからメールでデータを送り、それを友人がページにしてくれた。
「なんだ。だったら簡単じゃん。もっとすごいことをやっているのかと思った・・・」と、期待外れに感じたかもしれないが、インターネットが社会に浸透している国が少なく、この単純なことですら苦労したのだ。
旅行者がインターネットを使いたければ、現地でインターネットカフェを探して訪れるしかない。大きな町や外国人旅行者が多い町なら需要があるので、ある程度インターネット環境が整備されているのだが、そうでない町ではインターネットカフェを見つけるのが大変。なんとかあったとしても、日本語の表示はできても日本語でタイプ(日本語入力)することが難しかった。
(*イラスト:ポムグラさん 【イラストAC】)
リアルタイム旅行記に載せていたのは、旅のあらすじや出金簿などといった旅情報と、旅日記、そして旅始めの中国で思い付いた各国の床屋体験記。とてもシンプルな構成だった。
旅のあらすじとして渡航履歴をメイン画面の一番の目立つ場所に表示させていたのだが、これはローマ字で「6/6 pagandaran, 6/9 dhienkougen, 6/11 borobudho-ru」などとタイプし、それをメールで受け取った友人が日本語に直し、更新をしてくれていた。地名のローマ字書きは混乱をきたすことが多く、後で自分で確認すると、違う地名になっていることも多かった。
「そんなの、日本語をダウンロードしてインストールすれば済むんじゃない?」そう思った人は正しい知識を持っている。だが、電話回線を使ったインタネットカフェの通信速度や処理速度の遅さまではわからないだろう。場合によっては、時間のかかる作業を店員に説明する語学力も必要になる。私も最初は試みたが、あまりの大変さに次からは素直に諦めることにした。
(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】)
文字数の多い日記や床屋体験記に関しては、インターネットカフェで日本語で打つことができればタイプしたが、そうでない場合は国際郵便で送った。
この部分が一番苦労した。想定していたよりも日本語で文字を入力できない場所が多く、また使えても使用料金が高かったりしたため、手紙で送る頻度が増えてしまった。その結果、友人に大きな負担をかけることになり、更新のタイムラグも広がってしまった。
特に旅初めの深圳(シンセン)で思いついた、各国の床屋での体験をつづる「床屋体験記」は、旅行に出てから私が勝手に増やしてしまったので、友人には悪いことをしてしまった。
ただ、これは意外と好評で、興味を持ってくれる人が多かった。無名の私が何をしたということよりも、こういった文化体験とか、文化比較に興味がある人が多いというのは、至極当然のことかもしれない。
総じて、これってリアルタイム?というぐらいタイムラグができることも多々あったが、現在のように瞬時にSNSで情報が広まる世の中ではなかったので、許容範囲内といった感じだった。
(*イラスト:うさぎやさん 【イラストAC】)
リアルタイム旅行記を公開しているサイトへは、友人や親族、検索などでたまたま入ってきた人達が、「どこまで旅が進んだのだろう・・・」と時々気になって見にきてくれていた。
ほとんど前例がないような試みではあったが、前例がないだけに訪れる人もあまりいなかった・・・というか、単純に世間に知られていなかったので、人知れずひっそりといった感じで公開していた。負け惜しみかもしれないが、これはこれで変に注目を浴びずに気楽に制作できたので、良かったように思う。
日本を出国してから半年。リアルタイム旅行記も公開し始めてから半年経った。ここまで公開していて感じたことだが、やっぱりというか、西へ向かうはずの旅がなかなか進んで行かなければ、「話が違うぞ」となり、見てくれている人の不満がたまるというもの。
(*イラスト:管理栄養士べじみさん 【イラストAC】)
実際、最初のほうはベトナムでのホームステイを除けば、サクサクと旅が進んでいたし、旅初めという物珍しさもあり、「カンボジアを抜けてタイに到着したんだ。カンボジアはどうだった?」などと、旅の様子を見てメールを送ってくれる人も多かった。
しかし、インドネシアにハマってしまってからは、そういったメールはどんどん減少し、今ではほとんど届かなくなっていた。半年も経てば旅をしている状態が当たり前になってしまい、飽きられてしまったのもあるだろう。
所詮は他人の旅。他人の旅に興味を示す人はほとんどいない。内容が凄かったり、テンポよく進んで行けば、好奇心を刺激されてなんとなく気になるものだが、テンポが悪ければ一気に興味が失せてしまうものだ。
少し前に猿岩石のユーラシア大陸横断がブームになったが、あれぐらいのテンポのよさがあったり、分かりやすい映像とか、解説のナレーションがないと、旅で他人の興味を引くのは難しいんだろうな・・・と、実感していたりする。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
最後に、ユーラシア大陸横断自体がインパクトのある挑戦なので、その陰に隠れてしまいがちだが、この友人と二人三脚で制作したリアルタイム旅行記は、前例のない大きな挑戦だった。ユーラシア大陸横断を試みたことよりも、こっちの方が評価されるべきかもしれない。
今でも、インターネット黎明期にリアルタイム旅行記を作りながら旅をしたことを誇りに思っているし、手伝ってくれた友人には心から感謝している。
第3章 ユーラシア大陸横断
#3-11 半年経過とリアルタイム旅行記 #3-12 カリマンタン島で差し歯が取れる につづく