第3章 ユーラシア大陸横断
#3-9 マレー半島縦断の失敗
2000年4月~5月
シンガポールで友人に会った後、今度は自転車でマレー半島を縦断していき、バンコクを目指すことにしました。(*第3章は現在制作中)
20、自転車でのマレー半島縦断計画
バンコクからマレー半島を南下していき、4月30日、6か国目のシンガポールに入国した。
シンガポールに到着すると、友人が滞在しているホテルを訪れ、無事にレトルトなどの日本食、かゆみ止めなどの医薬品、ガイドブックなどを受け取った。
これでしばらくは快適に旅をすることができる。ほんといい時にシンガポールへ旅に出て来てくれたものだ。友人には感謝してもしきれない。日本に帰ったら改めてお礼をさせてもらおう。
シンガポールはマレー半島の先端に浮かぶ島国。本島の大きさは東西約55キロメートル、南北約28キロメートル。これといった産業はないが、金融や貿易、イノベーションなどで大きな富を得ている。
今時の人はシンガポールという国からなにを思い浮かべるだろうか。マーライオンが鉄板で、屋上プールで有名なマリーナベイ・サンズビルなどの近未来的な高層ビルとか、セレブなイメージを思い浮かべる人が多いだろうか。
私が子供だった昭和時代はというと、ゴミのない町。ゴミを捨てると罰金を科せられる国といった印象が強かった。今では日本の自治体でも行っているが、こういったことの先駆けはシンガポールになり、社会や地理の授業、テレビの海外紹介番組などでそのことが頻繁に登場していた。
なので、シンガポールに着くなり、ゴミが路上に落ちていないかをチェックしたりしていた。で、まあ普通にゴミが落ちていて、あっ、やっぱりとか、ガッカリしたりしていた。
(*イラスト:morimori_さん 【イラストAC】)
これは現在の日本にも同じようなことが言えるようだ。サッカースタジアムなどで日本人がゴミ拾いをしているニュースは他の国でも流れている。さぞ日本は清潔な国なんだろう。秩序のある国なんだろう。そんな期待を胸に秘めて訪れる外国人もいる。
で、実際に町を歩いてみると、ゴミが落ちているし、人が多くて煩雑だったり、人も思っていたほど親切ではない。と、過大な評価から一転、幻滅に変わってしまったりする。
ちなみに言うと、インターネットが普及していなかった2000年以前では、アニメやドラマの影響で日本では忍者や侍の姿をしている人が今でも多く暮らしているとか、もっと近未来的な町の景観をしているのかと思っていたといった感想も少なからずあり、人の思い込みって面白いなと思ったものだ。
ガッカリといえば、シンガポールのマーライオンは世界三大ガッカリの一つと旅人の間では有名になっている。思ったよりも小さいとか、存在感がないことから、期待して訪れたのにガッカリしたというもの(*移転前)。
私の場合は、出会った旅人からガッカリすると何度も聞いていたのと、どれだけがっかりするのだろう・・・と、期待が膨らんだせいで、ちっともガッカリすることはなかった。とはいえ、感動するほどでもなかった。
(*イラスト:おきあみさん 【イラストAC】)
逆にシンガポールで感動したものといえば、吉野家の牛丼。シンガポールには吉野家があり、牛丼を食べることができるのだ。
この時代、東南アジアではシンガポールにだけ店舗があったので、わざわざ牛丼を食べにというのは大袈裟だが、吉野家がシンガポールを訪れる主要な目的になっているバックパッカーはそれなりにいた。
シンガポールは物価が高いし、見所も多くない。そこまで魅力ではないが、入国すると訪問国数が増える。訪問国数は分かりやすい旅人の実績の一つ。できるだけ増やしたい。ということで、マーライオンを見て、吉野家の牛丼を食べて、日帰りか、一泊して出国する人が大半だった。
私の場合は友人と会うために少し長居をしていた。泊まっている安宿は軽く千円を超え、物価高を身にしみて感じる。などと書くと、今の感覚だと、えっ?となるが、この時代のシンガポールの物価は日本の半分~7割程度で、安宿も多くあった。でも、アジアの安い物価に染まっていたので、かなりきつく感じる。
(*イラスト:watageさん 【イラストAC】)
この物価高を乗り切るために自転車を購入しよう。自転車で移動すれば移動費がかからない。そしてそのままマレー半島を自転車で縦断してしまおう。と、思い付いた。
というのは半分冗談になり、本心は人とは違った旅がしたい。何か挑戦するようなことがしたい。単に観光地ばかりを周る旅なら歳を取ってもできるし、今しか出来ない事を全力でやるのが今できる最善の旅ではないか。と、考えたからだ。
本当は趣味のバイク(オートバイ)で旅をしたいところだけど、国境などの手続きが大変だし、金額も高いし、面倒も多い。自転車ならそういったわずらわしいことはないはず。
ただ、問題はバンコクまで約2000キロ。今まで一日だけ自転車を借りて走ったことはあっても、何日もかけて、しかも荷物を積んで走ったことはない。全くの素人がこんな大それた旅をすることができるだろうか。あまり自信がない。
でもまあ、時間をかければなんとかなるだろう。もし途中でダメだったら断念するなり、ルートやゴールを変えるなりすればいい。何はともあれ挑戦することが大事だ。
まずは手ごろな自転車を手に入れよう。話はそれからだ。宿から少し歩くと商店街があり、ここに自転車屋があった。付近には中国寺院やら中国語の看板が多いから、ここは中華街という事になるのかな・・・。
中国語の看板が出ている自転車屋に入ってみると、品揃えが豊富で、ちゃんと値札が付いて買いやすい。自転車を物色してみると、見た目はしっかりとしているのに値段が思いの他安い。さすがは買い物天国シンガポール・・・になるのか。
見た目は良くても中身がいい加減な中国製って事もありえる。と思うのだが、自転車に関しては全くの素人なので、ぱっと見ただけでは分からない。
旅の途中で出会った自転車で旅していた人は、見た目がどうのこうのではなく、ペダルの付け根についているベアリングが一番大事だとか言っていった。自転車で一番力の負荷がかかる部分だけに、いい加減な部品なものだとすぐに壊れてしまい、走れなくなってしまうとか。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
これはお買い得なのか。地雷なのか。う~んと考えていると、店の人が声をかけてきた。当然というか、中国語で・・・。まあ普通に考えて商店街の自転車屋には地元の人しか来ない。顔立ちも似ているし。地元の中国人と間違えるのも無理ないか。
でも、私が外国人だと分かると、とたんに流ちょうな英語に切り替えて話し掛けてきた。さすがは国際都市シンガポール。なんて思ってしまった。
自転車でマレー半島を縦断してバンコクにまで行きたいんだと言うと、店主はどれもいい自転車だ。問題ない。と連発してくる。特に私が熱心に見ていた自転車を勧めてきた。更には君の挑戦を応援させてくれ。少し安くしたい。とも言ってきた。なかなかの商売上手だ。
そんなに高いものではないので、壊れたり、盗まれてしまったとしてもそんなに痛い金額ではない。そんなにスピードとかも出さないし、バンコクまでもてばいいのだから、これでいいか。と、ここで自転車を購入した。
自転車は手に入った。途中で壊れないだろうかと心配する前に、人間の方が心配だ。まずは足を鍛えよう。自転車でシンガポール市内や少し郊外まで観光を兼ねてサイクリングを行った。
シンガポールは日本と同じ左側通行だし、あまりアップダウンがないので、走りやすい。交通マナーも比較的よく、車などは親切に道を譲ってくれる。ただ、私の走り方が悪かったからかもしれないが、路線バスは邪魔とばかりに幅寄せしてくることが何度かあった。
3日も走れば体が慣れてきた。自転車での移動はなかなかいい。好きな場所に好きな時に行けるし、何よりバスなどでは「あっ、素敵な風景」と思っても、車窓に流れていってしまうだけ。自転車なら立ち止まることができる。こういった自由さが魅力だ。
21、自転車での国境越え
(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】)
新たな挑戦として、自転車でマレー半島縦断を行うことにした。一体どのような旅になるのだろうか。今まで自転車の長旅をした事がないので、私にとって未知の挑戦になる。
快適に走れるように、荷物を低い位置のタイヤの横付近に取り付けられるパニアバッグが欲しかったのだが、結構な値段がするので、とりあえずはバックバックを荷台に積んで走ることにした。必要ならマレーシアの首都クアラルンプールで手に入れればいい。
ということで、バックパックを荷台に括り付けるところから旅が始まるのだが、これが思いのほか大変で、バランスよくしっかりと固定するのに苦労した。
そして、走り出すともっと苦労した。後ろの荷台が重く、重心も高いので左右にフラフラして走りにくい。スピードに乗るといいのだが、信号待ちなどでのこぎ出しで、何度も転びそうになった。
この状態で2千キロか・・・。それ以前に国境までたどり着けるだろうか・・・。やっぱり辞めておけばよかった・・・と、泣き言を言いながら30分ほど走ると、少し感覚が慣れ、平坦な道ではまともに走れるようになってきた。道は念のためと途中までは前日に走っているので、迷うことはなかった。これは本当によかった。
(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】)
郊外に出ると道は平坦になり、厄介な信号も少なくなったので、スイスイと進んでいった。時々シンガポールのサイクリストとすれ違うと、よっ、といった感じで手を振ってくれた。私もサイクリストの仲間入りなのかな。ちょっとうれしい。でも、荷台にバックパックを括りつけて走っているのは、あまり格好のいいものではない。
道が平坦だったこともあって、順調に進んでいき、昼前になんとか国境に到着した。ここで困惑。自転車はどこへ行けばいいのだ。自動車レーン。歩行者用の建物。自転車で建物の中に入るのは気が引ける。車用かなと車と同じ方へ行こうとするのだが、こっちは車専用で、ダメだとか。
しょうがないので、建物に自転車を押して入り、エレベーターに乗って出国審査のゲートへ。普通の審査ゲートでは自転車は通れないので、別室で審査を受けた。
するとぞろぞろと審査官が集まってきた。怪しかったとか・・・。みんなまじまじと自転車を見ているし・・・。少し緊張が走るのだが、日本人が自転車で旅しているぞ!ってことで、人が集まってきただけだった。そう、この当時はシンガポールのイミグレーションはあまり混んでいなく、のどかだったのだ。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
で、大勢の審査官に「頑張れよ」と見送られてシンガポールを出国した。シンガポールはいい国だったな。終わり良ければ総て良しって感じで、とても素晴らしい思い出となった。そして、自分が特別なことをしている感が強くなり、よし頑張るぞ!と、一段と気合が入った。
シンガポールとマレーシアの間はジョホール水道で隔てられていて、その間にはコーズウェイと呼ばれる一本の長い道が設置されている(*現在はもう一本できている)。
その真っすぐな道を走った。自転車で国境を越えるのは初めてになる。こういう旅をする人も少ないから、みんなに自慢できる。記念に、いや証拠として写真を撮っておこう。明確な線が引かれていなかったので、真ん中付近で写真を撮って満足した。
マレーシア側で入国審査を受け、国境の町ジョホールバルに入った。荷台にくくりつけた荷物のバランスの悪さには手こずったけど、ここまでは順調と言ってもいい。意外にやればできるものだ。といっても、まだ距離にしてまだ2000キロ中の40~50キロぐらい。まだ先が長い。
時刻は昼過ぎ。ジョホールバルに何があるわけでもないけど、今後のことを考え、今日はここに泊まるか。初日から無理して、明日体が痛くて動けないというのもよくない。とりあえず今日は国境を越えるといった大きなイベントをこなしたわけだし。
ガイドブックに載っている安宿にチェックイン。部屋に落ち着くと眠くなってきた。頑張ったし、昼寝をするか。と、寝たのがよくなかった。気持ちよく寝ていると、キュイーン、バリバリと外の方で工事をするような音が聞こえてきて目が覚めた。
ん、工事しているのか・・・。まあ気にすることでもないか・・・。いや、なんか違うぞ。胸騒ぎがしてきた。もしかして・・・・。第六感が働き、慌てて自転車のところへ行ってみると、自転車はなく、無残に切られたチェーンロックが落ちているだけだった。おいおい・・・・・(呆然)。って、こんな昼間にやるか、普通。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
自転車は昼間だし、一眠りしたらまた自転車を使う予定だったので、宿の外のガードレールにチェーンロックでくくりつけていた。ここではそんなものお構いなし。なんて国だ。マレーシアは。
しかし・・・、どうしよう。いやいや落ち着くんだ。まずやるべき事をやろう。勝手の分からない土地で自力で捜すのは無理。とりあえず警察に行こう。自転車は見つからなくても、盗難届けを書いてもらえば保険で自転車代は戻ってくるかもしれない。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
頭の中で怒りと悲しさが渦巻く状態で警察署に向かった。全く人のものを盗むなんて・・・。盗まれる方の気持も考えてほしい。壮大な挑戦を試みている初日だというのに・・・。
頭に思い浮かんでくるのは、自転車旅を頑張ってねと言ってくれた友人や、朝、見送ってくれた宿のおじさん。そして、大勢で見送ってくれたシンガポールのイミグレーションの人たち。期待を込められた思いは、深く記憶に刻まれていて、こういった場面で噴出してくる。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
警察署に到着すると、英語を話せる人を呼んでもらい、マレー半島を自転車で旅していて、宿で昼寝している最中に、宿の前に置いていた自転車を盗まれてしまった旨を伝えた。
宿はどこか。自転車はどういったものか。施錠していたのか。あれこれと聞かれたが、最後に係の人は「言いにくいんだけど・・・、アドバイスをさせてもらうと、もし自転車の旅を続けたいのなら、新しいのを買い直したほうがいいよ。あと、安い宿には泊まらない方がいいし、自転車は外ではなく、室内に入れて保管したほうがいい。」と、申し訳なさそうに言ってきた。
彼らからしたら私の行為は盗まれて当然といったように感じるのだろう。こればかりはちょっと認識が甘かった。盗まれて気が付くことも多い。
「色々とありがとう」といい、盗難届を受け取って警察署を後にした。そして軽く食事をして、すぐに宿に戻った。
宿の人も怪しく感じるので、この宿に泊まりたくはないけど、宿を替わるのも面倒だ。とりあえず部屋に篭城していればこれ以上のトラブルは起こるまい。
それに・・・、正直一度マレーシア人に不信感を持ってしまうと、どこの宿に行っても同じような気分になるに違いない。人間不信とは恐ろしいもので、旅をしていてこれほど悲しいことはない。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
今後のことを考えなければ・・・。さてどうしたものか。どう考えても明日の朝までに自転車が見つかるはずはない。となると、自転車旅を諦めるか、新たに自転車を買い直すの二択になる。
海外保険の規約を読む限りでは、自転車の購入費用は保険で戻りそうだ。購入した際の領収書があるし、盗難証明書もあるし、国境で自慢げに撮った証拠写真もある。って、楽しい気分で撮った写真をこういう用途で使うと思うと、とても虚しく感じる・・・。が、しょうがない。
それはさておき、自転車をまた購入しても損失はないに等しい。問題となるのは気持の方。壊れたのならまだしも、盗まれるとやる気が一気に消失する。一度ケチが付いてしまったし、諦めるか。と、自転車でのマレー半島縦断旅は終了することにした。
で、今はマレーシアを積極的に旅する気分でもないし、インドネシアに行きたい気持もあったので、このままインドネシアに向かうことにした。
ということで、次の目的地はインドネシアへの船の便が出ているマラッカ海峡にあるマラッカ。ここには日本人宿があるらしいので、そこでまた情報収集して次の予定を考えよう。
22、マラッカの夕日
(*イラスト:きのこさん 【イラストAC】)
翌朝、「これが君の自転車だろ。捜査して見つけてきたよ!」と、笑顔の警察官が私の自転車を携えて宿にやって来るような素晴らしい事が起こるはずもなく、早朝、逃げるように宿をチェックアウトし、バックパックを背負ってとぼとぼとバスターミナルに向かって歩いた。
バスターミナルに到着すると、マラッカ行きのバスに乗り込んだ。結局こうなるんだな・・・。今までと同じようにバスの座席に揺られていると、こういう定めだったのかもしれない・・・などと妙に納得している自分がいた。
マラッカはマラッカ海峡の名称になっている町。海峡に面した立地から交通の要所として発展し、植民地時代の建物やコロニアル調の町並みが特徴になる。訪れたときはそうでもなかったが、今では世界遺産にもなっている。
ここには日本人の人が経営している安宿がある。マレーシア人不振に陥っている私は、マラッカに到着すると、真っすぐその宿を訪れた。そしてオーナーの人に自転車を盗まれた話をすると、ここでは自転車の窃盗は多いのよ。と当たり前のように言われてしまった。
ここでの暮らしが長くなると、あなたの行動にも問題があったのよ。となるようで、同情する優しい言葉の節々にそういったニュアンスを感じたりする。警察での会話と一緒だ。日本人といえども、この環境で暮らしていれば、自然とそういった思考に変わっていくのだろう。
中国で留学している友人宅に滞在しているときにも少し感じたが、海外で暮らすと行動や考え方が日本と違ってシビアになる。でも、逆に時間感覚など適当になる部分も多い。郷に入れば郷に従えといった感じで、日本のままの考え方で暮らすというわけにはいかないようだ。
(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
日本人宿らしく、宿には多くの日本人旅行者が宿泊していた。彼らと話していると気が晴れる。壮大な旅になるはずだった自転車旅が一日で終わってしまった話をすると、なかなか受けがいい。ほんといい笑い話である。
このように他の人に話していると、モヤモヤした気持ちが薄らいでいき、気が晴れていった。そして中途半端に旅が進んで断念するよりも、修正や気持ちの整理がしやすい最初でよかったのかも・・・。さっさと忘れて、これからの旅に目を向けよう。と、すっきりした気分になっていった。
ここマラッカは、マラッカ海峡に沈む夕日が美しいことで知られている。そのきっかけを作ったのは、バックパッカーの間で伝説の人となっている沢木耕太郎さん。バックパッカーが一般的ではなかった頃に執筆した深夜特急は多くの旅人のバイブルとなっていて、その著書の中でマラッカの夕日が印象的だったと紹介されている。
宿の人が言うには、夕日を見るためだけにマラッカを訪れる日本人バックパッカーは少なくないとか。だったら私も見に行ってみるかと、宿から近い海岸を訪れてみた。
夕日自体はどこでも一緒なのだが、目の前のマラッカ海峡が旅心を刺激するのだろうか、とても雄大に感じてしまう。
海岸で夕日を眺めていると、自転車が盗まれたことなどちっぽけなことに感じてしまう・・・ような寛大な心は持ち合わせていないが、奇しくも夕日が沈んでいく先にあるのはこれから向かうインドネシア。夕日を見ながらこれから始まる旅に心ときめかすのだった。
第3章 ユーラシア大陸横断
#3-9 マレー半島縦断の失敗 #3-10以降、制作中