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せたがや百景 No.96

等々力の満願寺

せたがや地域風景資産 No.1-18

等々力駅近くの寺社かいわい

吉良氏によって創建された寺で、等々力不動はこの寺の別院である。境内の建物は新しいが、整った荘厳さを持っており、身がひきしまる。柳沢吉保に仕えた学者細井広沢の墓があり、国の史跡に指定されている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 等々力3-15-1
・地域風景資産の関連団体 : 不明
・備考 : 細井廣澤の墓は国史跡

*** 満願寺の写真 ***

満願寺の写真
山門と松

植木がきれいに整えられています。

満願寺の写真
山門の額字

細井広沢の筆です。

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本堂

山本五十八設計の名建築です。

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正月の境内

青空に旗がたなびく様子が美しかったです。

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大塔

平成2年に落成したもの。

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枝垂れ桜

もう少し時が経てば存在感が増すことでしょう。

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弘法大師の碑

桜の木の下にあります。

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一言地蔵尊

日本三体地蔵の一つ

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曼荼羅の図

 

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細井広沢の墓

国史跡に指定されています。

* 満願寺の周辺 *

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満願時前の通りのしだれ桜
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満願寺の脇にあるイチョウの木
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満願寺横にある庚申塔

きちんと祀られています。

* 等々力の満願寺について *

玉川神社と道を隔てて満願寺があります。正式名称は新義真言宗智山派致航山満願寺。文明二年(1470年)に吉良氏によって開基され、開山は定栄和尚との事です。現在の地に移動してきたのはおよそ450年前。それ以前は深沢の深沢神社付近にありましたが、火事で焼けてしまいこの地に移動してきたそうです。

玉川神社は明治時代の合祀令まで熊野神社と名乗っていましたが、神仏分離令まではこの寺の別当だったので満願寺の僧侶が神事を執り行なっていました。また国分寺崖線上に位置し、等々力渓谷に隣接していることから名が知られている等々力不動はこの寺の別院になります。移ってきてからずっと等々力地域の中心的な存在であり、江戸時代には御朱印寺領十三石を与えられていたほどの古刹というか、この地域では権力のあった寺ということができます。

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現在の満願寺はというと、古刹といった古めかしい雰囲気はなく、とても近代的かつ、整然としたお寺になっています。山門は近代的な低い門で、門前に植えられている松とあわせると、なんか箱庭っぽく感じてしまいます。門に掲げられている額の文字だけは古風で、ちょっと違和感を感じたのですが、後で知るところによると、これは後述しますが細井広沢によるものだそうです。そして本堂の額の文字は広沢の子である九皐の筆です。

門をくぐって境内に入ると、整然とした空間があり、正面に本堂があります。昭和43年に落成したコンクリート造りで、屋根は銅板。近代的な建物に左右対称の均整が取れた境内。境内に入った瞬間は古刹に来たという実感はまるで感じないと思います。

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ただこの建物を設計したのは知る人ぞ知る文化勲章を受章した吉田五十八氏だったりします。寺院では成田山新勝寺も彼の設計です。改めて考えてみると新勝寺に雰囲気が似ている感じもします。他に区内では上野毛の五島美術館や成城の猪股邸を手がけています。

本堂の斜め後ろには大塔が見えます。平成2年に完成した檜皮葺の屋根を持つ優美な姿の塔なのですが、普段は近くで見学できるかは不明。春秋のお彼岸の中日、7月7日にご開帳が行われているようです。ちなみに改築以前の山門だけは現存していて、別院の等々力不動の山門として現在も使われています。

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本尊は大日如来木像です。像の特徴から江戸時代以前のものではないかと言われています。それよりも有名なのが、本堂の左脇の講堂にある一言地蔵です。日本三体地蔵の一つで、一言祈願すると願いが叶うのでこのような名前が付いているそうです。百遍お願いしに来て願いが叶うならともかく、一言で願いが叶うとは何とも庶民に優しいお地蔵様です。

でも実際はどうなのでしょう・・・。その辺の事情は分かりませんが、日本でこれだけ金ピカなお地蔵様も珍しいのではないでしょうか。服は汚かったけど、体はかなり光っていました。笑。ちなみに日本三体地蔵とのことなので、残り二体もあります。元々は三体一緒に置いてあったそうですが、どういう経緯か知りませんが現在では残りの二つは千葉県布川の万徳寺と港区芝の真福寺にあるようです。三つ回れば一生のお願いが三度できるかも・・・ってな都合のいいことはないでしょうが、それぞれ訪問してみるのも楽しそうですね。

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本道の裏手には広大な墓地が広がっています。檀家の多さも寺の規模を物語っている感じです。その中に国史跡に指定されている細井広沢(廣澤)の墓があります。広沢は書家として有名だったようですが、兵学、剣術、槍術、弓術、騎術、柔術、天文学、儒学、和歌などにも広く才を知られていたようです。文武に渡った才能を買われて元禄六年(1693年)34歳のときに、柳沢吉保に200石で召抱えられ、後に水戸徳川家や幕府にも登用されました。

後日談として興味深いのは、広沢は忠臣蔵の大石内蔵助と親交篤かったようで、吉良邸討ち入りを告げられ、討ち入りの時に用いる「君仇不倶戴天」の言葉を助言したとか。また堀部安兵衛とは剣の同門で、討ち入り前夜に詩を贈って激励したとか。忠臣蔵にも深く関わっていたようです。

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またこの満願寺と隣にある玉川神社がある界隈は「等々力駅近くの寺社かいわい」としてせたがや地域風景資産に選定されています。ただ、選定されてはいるものの、公式なガイドブックに場所しか載っていないので、具体的にどの部分を強調しているのかといった具体的なことは分かりません。

寺院があることで春には枝垂桜がきれいだったり、秋にはイチョウの木が紅葉する様子が見られたり、その他木が多い環境だったりしますが、とりわけ特徴的な風景があるかというとそうでもないような気もするので、参考までに記しておきます。

<せたがや百景 No.96 等々力の満願寺 2008年7月初稿 - 2015年10月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.1-18 等々力駅近くの寺社かいわい )