世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
  • 世田谷の盆踊り
  • 秋祭りのポスター

    世田谷の秋祭り File.47

    野毛六所神社例大祭

    町域は坂が多く、狭い上に団地や社宅が多いといった悪条件の中、氏子の努力で祭りが維持され、神輿渡御が行われる祭り。

    鎮座地 : 野毛2-14-2  氏子地域 : 野毛1~3丁目
    御祭神 :伊弉諾尊、伊弉冉尊、他5神  社格 : 旧下野毛村村社
    例祭日 : 9月第四日曜と前日
    神輿渡御 : 宮神輿(中)、子供神輿、太鼓車
    祭りの規模 : 小規模  露店数 : 5~10店程度
    その他 : 奉納演芸、抽選会、ビンゴ大会が行われます。

    *** 旧下野毛村と野毛六所神社 ***

    野毛六所神社の写真
    神社の入り口

    石垣があり、城跡のようです。

    野毛六所神社の写真
    境内

    木々に囲まれた神社です。

    野毛六所神社の写真
    社殿

    昭和44年に造営されたものです。

    野毛六所神社の写真
    桜の時期の境内

    鳥居から崖下への眺めはいいです。

    野毛六所神社の写真
    水神様

    舟などの置物が奉納されています。

    野毛六所神社の写真
    水神様の祠

    水神祭の日には色々と奉納されます。

    野毛六所神社の正月の写真
    正月の境内

    篝火がたかれ、役員の人が出迎えてくれます。

    野毛六所神社の正月の写真
    参拝者の列

    普段からは想像できない人出です。

    野毛六所神社の盆踊り大会の写真
    盆踊り大会

    一年で一番賑わうイベントです。

    野毛六所神社の盆踊り大会の写真
    出店

    盆踊りの時は出店も多く出て賑わいます。

    * 旧下野毛村と野毛六所神社について *

    多摩川の二子玉川より下流に野毛町があります。ちょうど第三京浜の玉川インターがあるところです。ノゲとは崖を意味する言葉で、その言葉通り国分寺崖線上に町域が広がっているのですが、世田谷の中でも特にこの辺りは崖の傾斜のきつくなっていて、野毛の名の通りといった土地柄に感じます。

    とはいっても野毛は小さな町域なので、あまり野毛のイメージが湧いてこないという人が多いかと思います。例えば等々力渓谷は矢沢川が国分寺崖線を削って出来た地形で、この矢沢川は昔から野毛と等々力の境界となっています。等々力渓谷と名がついていますが、等々力渓谷の西側半分は実は野毛ということになります。まあ散策している人にはどうでもいいことでしょうが・・・。

    また野毛町公園に東京都指定史跡になっている野毛大塚古墳があります。時代背景を顕著に表しているのこ古墳は歴史学者の間では有名な古墳となっているのですが、こちらも興味ない人にはどうでもいいことかもしれません。

    line

    野毛は都の史跡にもなっている野毛大塚古墳があることから分かるように古くから開けていた土地です。野毛大塚古墳は5世紀初め、古墳時代中期に造られたものとされています。この古墳が注目されているのは全国でも最大級の帆立貝式前方後円墳であり、また多くの鉄製の副葬品や武具が埋葬されていた事です。そのことからかなりの権力者(恐らく南武蔵地域の大首長)が埋葬されていたと推測されています。しかしながら野毛の繁栄は一時的で、この後すぐに喜多見や狛江の方に繁栄の地が移動していきます。

    line

    次ぎに野毛が繁栄を迎えるのはかなり時が経ってからで、明治40年に玉電が二子玉川まで開通してからです。その頃は多摩川もきれいで、鮎漁が盛んでした。屋形船も多く出て、現金収入も多かったそうです。更には関東大震災後は建築ラッシュで砂利の需要が高まり、多摩川の砂利採堀も盛んに行われるようになりました。野毛でも一時は農業をしのぐほど盛んに行われ、東北の方から出稼ぎに来る人も多かったそうです。

    戦前には砂利採取も規模が縮小し、砂利のバブルは終わります。そして戦後になると宅地化が進み、また多摩川の汚染が進んだことから漁業での生業とする人もいなくなり、ありふれた多摩川沿いの町となっていきました。

    line

    野毛はかつて上野毛を含めた大きな村だったと考えられていて、江戸時代ころに上野毛と現在の野毛部分の下野毛に分かれました。下野毛というと川向こうの川崎にその名を見つけることができます。これは川の流路変更で川向こうに取り残されたと考えられていて、かつては世田谷側の町域でしたが、明治45年の境界変更で神奈川県川崎市に編入されました。

    昭和7年には世田谷区が誕生します。その際に町名が下野毛から玉川野毛町となり、後の町域変更の際に野毛と変更されています。

    line

    野毛の村社は野毛六所神社になり、善養寺の裏手に鎮座しています。由緒は伝説じみていますが、この付近の住民は大雨が降る度に暴れ川と異名を持つ多摩川の氾濫に苦しめられてきました。そんなある時、やはり多摩川が大洪水となり、えらいこっちゃ、これ以上被害が広がらないでくれと村人達が祈りながら川を見守っていると、お宮が浮き沈みしながら流れてきたそうです。

    これは大変だ。引き上げなければと村人が協力して宮を引き上げ、そして高台に安置すると洪水がたちまち収まってしまいました。これは洪水を収めてくれる神様に違いねぇと村人は考え、上、下の野毛村の境にお宮を安置することにしました。

    お宮の方は調べてみると府中六所神社のお宮だったことから六所明神とし、両村の鎮守として祀ったというのが、この六所神社の言い伝えになるそうです。府中六所神社というのは現在の大國魂神社のことで、実際に本当に流れ着いたのか、大國魂神社から勧請してきたものかは定かではないようです。

    line

    明治31年には上野毛のとの境界付近から現在の場所に移ってきました。どういった経緯で移ってきたのかはっきりとしてしていませんが、その時に村内にあった天祖神社、山際神社、日枝神社、八幡神社、北野神社を一緒に祀り、六所明神から六所神社と名称も改め、下野毛村総鎮守となりました。一説によると村社の社格を得るためには敷地がある程度大きくないといけなく、そのために広い現在の場所に移ったとも言われていますが、どうなのでしょう。

    六所明神があった場所は今では住宅地となっていますが、上野毛と野毛の境の坂が明神坂で、その坂を下って丸子川に架かる橋が明神橋といった地名に名残が見られます。また玉堤通りに明神池前というバス停がありますが、これはかつて明神坂を下った辺りに多摩川の流路変更により取り残された明神池があった名残りです。

    今では宅地化により埋め立てられてしまい、住宅地の中に龍神様という小さな祠が残っているだけとなってしまいました。きっとこの辺りにお宮が流れ着いて、洪水が収まった時に流路が変わって明神池となったのでしょう。これによって流路が真っ直ぐになったと想像できるので、この後に伝承通りに洪水が起きにくくなったとも考えられます。とまあ、色々と過大解釈を含めて考えていくと、あながち伝承も間違っていないのかなと思えたりもしました。

    line

    現在の六所神社ですが、城の城壁のような階段を登ると鳥居があり、広々とした境内となっています。境内は大きな広場といった感じで、その周りに木々が生えているのでうっそうとした感じはしません。それにしても六所神社の境内はいつ訪れても静かで人がいません。場所的にも分かり難いせいもあるかもしれませんが、実際にお祭りの時ですら静かでビックリしてしまったほどです。

    社殿は見た目に赤が美しいきれいな建物です。これは明治31年にこの地に引っ越してきた時のものではなく、昭和44年の秋に氏子崇敬者有志の方々の努力によって新しく造られたものです。その際には境内にある神楽殿、社務所、手水舎、神輿庫といったものも新しくしたそうです。とりわけ南向きに建てられている社殿は立派で、神社自体が多摩川に向けて開けているので、拝殿の前に立ったときの眺めの良さは世田谷一かもしれません。

    line

    境内は広々としていて特に何もないといった感じですが、境内の隅には水神様が祀られています。水神様の祠の前には水龍や船といった川や水に関する置物が多く置いてあり、水の神様だなといった雰囲気満点です。水神様は川の恵みに感謝しつつ、水害を防ぐため、また川の安全と豊漁を願っての信仰によるものです。

    この水神様には一つエピソードがあって、水神様の石碑が多摩川沿いに祀られていたのですが、明治43年の大洪水で流出してしまったそうです。その後大正時代になってから多摩川では建築用の砂利採掘が盛んになりました。そして砂利の採掘中にその水神様の石碑が発見され、この六所神社の境内に安置されたという話です。かつては水神様を祝う水神祭が盛大に行われていましたが、現在では規模を縮小して行われています。

    line

    水神祭について書くと、せたがや百景の文章に「夏の大祭に、みこしを多摩川の中にかつぎ入れ、水神祭りを繰りひろげる。」とあるように、多摩川にお神輿を繰り出して盛大に行われていました。古い記述を読むと、大正時代や昭和の初め頃までは神輿が3基もでて、多摩川で豪快に水中渡御を行い、区長、宮司、総代の乗った屋形船なども出て、かなり迫力ある神輿振りを見せる大きな行事だったようです。

    その当時は多摩川の水もきれいで水量も豊かだったので、川遊びがレジャーとして大人気でした。そういった事情を考えれば、多くの人が川遊びも兼ねて訪れていた様子も想像できます。しかしながら戦後になると色々な事情で行われなくなります。

    line

    その後、昔のような清流を取り戻したいと昭和57年から復活します。そして秋祭りよりも盛り上がり、野毛の祭りの象徴ともなりましたが、バブル期を境に行われなくなりました。今では水神祭に使われた神輿は神輿倉の隅っこで埃を被っている状態です。

    行われなくなった理由は元締めが居なくなってしまったからだとか。昔は野毛には土建屋が何軒もあって、祭りを取り仕切り、バブル期頃までは気前よくお金を出してくれていたそうです。そういった人達がいなくなると、お金を出してくれる人がいなくなり、神輿を出せなくなってしまったとか。やっぱり神輿を出すとなるとそれなりにお金がかかってしまうようです。現在は野毛町会の人々によって海の日に水神祭の式典のみが行われています。

    line

    夏には水神祭とは別に盆踊りが毎年行われています。この盆踊りは結構賑わいます。社殿前にちょうど広い空間があるので盆踊りを行うには最適な境内、いや盆踊りをするための境内といった感じで、境内には露店も並び、子供多く訪れ、普段静かな境内が信じられないぐらいです。

    大晦日の夜にもそこそこ人が集まりますが、それ以外はやはり静かな境内です。そもそも野毛の町域が狭い上に、野毛にはドカッと公務員住宅や都営住宅、野毛町公園に等々力渓谷、第三京浜といった建物などがあり、実際に土地に根付いて住んでいる人は少なく、なかなか地域のイベントに人が集まりにくいようです。

    *** 野毛六所神社の秋祭りの様子 ***

    野毛六所神社の秋祭りの写真
    秋祭りのときの入り口

    少し華やかな感じがしますが、暗いです。

    野毛六所神社の秋祭りの写真
    境内

    一応出店が並びますが、人はまばらです。

    野毛六所神社の秋祭りの写真
    お囃子

    野毛囃子保存会によるものです。

    野毛六所神社の秋祭りの写真
    ビンゴ大会

    この時だけは多くの人がいました。

    * 野毛六所神社の秋祭りについて *

    かつての野毛六所神社の例大祭(秋祭り)は9月25日が宵宮、26日が大祭でした。大正とか、昭和初期といった古い時代は神社の運営も収穫した米や麦を集めて奉納する制度だったので、不作の時は祭りが行われない年もあったようです。

    現在では祭礼は週末に移され、9月の第四日曜日とその前日に行われています。ここ数年、いやもうちょっと前から祭りのスケジュールが毎年のようにコロコロと変っていて、昨年はこうだったからと訪れてみると、あれっ?となってしまうこともありました。どうやら関係者の方、特に青年会などが色々と祭りのあり方を模索していたようで、2013年に訪れたら今後はこれでやるつもりだというようなことを言っていました。

    line

    野毛の祭りというと、境内に人が少なく、神輿渡御も人が少なくて、何とか運行している状態。でもほのぼのとした祭り。というのが最初訪れたときの感想でした。そして二回目訪れたときもそんな印象でした。しかしそういった雰囲気は最近のもののようです。

    関係者の方にお話を聞くと、以前の野毛の祭りは暴力団が絡んでいたため必ずもめ事が起き、一般の人があまり近づきたくないような祭りだったそうです。警護に当たる警官にしても所轄では手に負えないということで本庁の方から大勢の応援がやってきていたとか。

    line

    夏の水神祭は特に顕著で、野毛にあった4軒の土建屋が元締めとして仕切り、盛大に行われる反面、一般の担ぎ手はおっかなくて近づけなかったそうです。それもバブルを境に土建屋が他へ移ったり、元締めを降りたりし、徐々に祭礼の規模が縮小していき、水神祭は式典のみの祭礼となってしまいました。

    秋祭りの方も担ぎ手が集まらない状態となり、夕方前に宮出しを行い、少し巡行し、夕方に宮入するといった年もありました。今では少し持ち直して普通の祭礼となっている状態です。要は昔のイメージを払拭し、楽し祭りにしたいと色々と悩んでいたようですが、なかなか人が集まらなく、苦労していたようです。

    line

    今後はこれでやるという事なので2013年の日程を書くと、宵宮の日に御霊入れが行われ、子供神輿や太鼓車が運行されます。本祭の日は午前中に例大祭が行われます。参列者は紋付き袴を着用するので、本格的というか、ちょっと変った光景です。

    午後からは大人神輿の巡幸が行われ、夕方に宮入。その後ビンゴ大会や奉納演芸、投げ餅が行われます。かつての奉納演芸は演歌歌手だったり、お笑い芸人が来たりとそれなりにお金をかけていましたが、境内の人の少なさを考えるとちょっと割に合っていない感じでした。

    今では手軽に人が集まるビンゴ大会にしたようです。さすがに境内に人が増えました。ようやく氏子意識の薄い住民を集めるコツみたいなものが分かってきたといった感じでしょうか。夏の盆踊りの時にはそこそこ活気があるので、人が集まらないわけがないのです。楽しかったり、メリットがあれば人は集まるのです。といった感じで、秋祭りで閑散としていた状況から少し脱却し始めているようです。

    line

    神輿の宮出し、宮入の時や例大祭の前などに神楽殿でお囃子が演奏されます。野毛には古くから伝統芸能のお囃子があり、等々力から師匠を招いて熱心に稽古を行い、伝統を絶やさないようにしてきたそうですが、今ではお囃子自体は存続しているものの、太鼓を叩くのが精一杯だとか。今でも昔使用したお面が10個ばかり残っているそうです。

    *** 野毛六所神社の神輿渡御 ***

    *** 宮神輿渡御 ***

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    運行前の挨拶

    関係者など多くの人が集まっていました。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    出発式

    手締めの後に出発します。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    まずは神楽殿へ

    お囃子に挨拶します。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    宮出し

    階段の幅が広いので余裕でしょうか。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    子供神輿

    楽しそうに担いでいました。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    太鼓挽きの行列

    坂が多いので大変です。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    野毛の太鼓車

    野毛の秘密兵器!ってな感じです。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    住宅街を進む神輿

    小さなアップダウンは当り前です。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    休憩所に到着

     

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    善養寺を出発

    巨像がお神輿を見守ります。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    いかだ道の渡御

    薄暗くなると担ぎ手の数も増加していきます。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    宮入

    どっどと境内になだれ込むといった感じです。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    神輿が宮入りしてきた境内

    社殿前から眺めるといい感じです。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    社殿に向かう神輿

    境内を三周して一度収めた後に向かいます。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    社殿前で揉む神輿

    クライマックスです。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    境内で担がれる大神輿

    かなり大きいです。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    社殿前で揉む大神輿

    かなり熱が入っていました。

    野毛六所神社の神輿渡御の写真
    最後の収め

    まだまだ担ぎ足りないといった感じでした。

    野毛六所神社では神社所有の宮神輿が運行されます。本殿の横に神輿が収められている倉庫があるのですが、そこには大神輿、中神輿、小神輿に水神祭用の大神輿と小神輿と多くの神輿が置かれています。この中で毎年の神輿渡御で使用されるのは中神輿です。

    大神輿はとても重く、担ぎ手の数が足りないという理由が一番ですが、台座にもひびが入っているので渡御に使用されることはないそうです。特別な年なのか、担ぎ手が多く集まったときなのか、気まぐれで決めているのか分かりませんが、中神輿が宮入した後に境内で担がれる事があります。

    line

    担ぐ様子を見ると、さすがに1トン近くあると言うだけあって重そうでした。でもたまにしか担げないという希少性からか、担いでいる人はとてもうれしそうでした。もちろん平らな境内で少し担ぐ程度だからいいのですが、これが坂が多い野毛を担いで回るとなるとさすがにしんどそうです。昔のように血の気の多い男集が多く集まるなら問題ないのでしょうが、それはそれで色々と問題も起きそうです。とまあ大神輿が町内を巡幸する事は厳しいそうです。

    line

    中神輿の渡御は12時半に宮出しが行われ、19時前に宮入が行われます。宮出しは役員の挨拶や責任者からの注意等があって、乾杯をした後に担がれます。まずは境内を神楽殿、手水舎、本殿前と三周し、鳥居から宮出しが行われます。ここの鳥居は比較的大きく高さがあるので鳥居くぐりは楽です。その後に階段が待ち受けていますが、階段も横幅があるので大勢で担げるので担ぎ慣れしている担ぎ手にとっては余裕といった感じでしょうか。

    神社を出ると、まずは1丁目を回り、その次ぎに2丁目、そして3丁目を回り、最後に2丁目の残り部分を回って神社に戻ります。緩い坂を選んでいるとはいえ、2回坂を登らなければならないので大変です。特に宮入前は坂の下から一気に神社まで登ってくるので、担ぎ手の息がかなり上がっていました。

    宮入は宮出しと同じように階段を登り、境内を三周します。違うのは最後で、一旦収めた後、宮出しの時より一段上の場所に上がり、社殿前で最後揉みを行います。宮入の時は拝殿前の階段に役員の人が提灯を掲げながら並び、宮入の様子を眺めているのも独特の雰囲気があっていいです。全体的に境内が広々しているので、雰囲気のいい宮入となっています。

    line

    以前は担ぎ手が少なく、夕方前に宮出しが行われ、1丁目と2丁目を少し回って19時前に宮入が行われていたりしましたが、今後は担ぎ手の確保が出来たのか、1~3丁目をちゃんと回るそうです。その分というか、子供神輿と太鼓車は日曜日の昼間に行われていたのが、土曜日の宵宮に巡幸が行われるようになりました。

    子供神輿や太鼓車といってもやはり坂が多い土地柄なので大変です。そういった土地柄を表してか、ここの太鼓車は凄いです。運転台の付いたゴムタイヤ付きの車で、まさに太鼓車といったものなのです。ハンドルやブレーキ付きなのは当り前。巻き込み防止のためにタイヤのところにガードの柵まで取り付けられていたりと職人技に感心してしまいます。そのうち電動アシストとかも付いてしまうのではないでしょうか。これぞ野毛の秘密兵器といった感じでした。

    * 感想など *

    野毛は世田谷区内でも多摩川に縁の深い土地です。漁業で生業を立てていた人、砂利の採集で生業を立てていた人、筏道で筏師の相手をして生業を立てていた人、渡し舟で生業を立てていた人など多くの人が多摩川で生計を立てていました。また多摩川の洪水にも苦しめられた土地でもあり、生活が多摩川に密着していた土地です。

    六所神社の由緒も多摩川に絡んだものだし、境内には水神様が祀られていたり、多摩川の流路変更で取り残された明神池があったりと多摩川あっての野毛といった土地柄です。祭礼でも、昔の野毛には神輿がなく樽神輿を担いでいたのですが、初めて買った神輿を担いだときは大雨で神輿も担ぎ手も泥だらけになってしまったとか。神輿を洗うついでに多摩川に入って行ったのは野毛では自然な成り行きだったのでしょう。これが習わしとなって昔は秋祭りでも多摩川に神輿が入り、清めを行っていたそうです。

    line

    現在の野毛では漁業を行っている人もいなければ、砂利の採取や渡し船も廃止となってありません。多摩川沿いにある普通の住宅街となっています。一応有名な野毛大塚古墳がある事が町の特徴となるようで、古墳祭りというイベントが秋に行われていますが、一般にはあまり知られていないのが現実です。

    町域も狭く、とても地味な土地柄です。そういった野毛で昔から行われているのが六所神社の祭りです。かつて大いに賑わった祭りも今では細々といった表現がピッタリくるような状態です。普段から人があまりいない境内ですが、秋祭りにも人がいなくてビックリしたぐらいです。

    でも継続は何とやら。近年では参拝者や担ぎ手が増え、だいぶん祭りが賑やかになってきました。氏子ではない住民が来やすい環境を作ること。また訪れたい雰囲気を作ること。そういった努力が実ってきたんだと思います。それには祭礼やその他の行事などで温かく見守る町会関係者や年配の役員の方々の尽力があってこそなんだろうなと、祭礼の様子を見ていて思いました。

    <世田谷の秋祭り File.47 野毛六所神社例大祭 2013年9月初稿 - 2015年10月更新>