世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.25

粕谷八幡神社例大祭

徳冨蘆花縁の神社で行われる秋祭りでは中学生による神輿渡御が行われます。祭り全体の雰囲気も素朴で、ほのぼのとした縁日といった感じです。

鎮座地 : 粕谷1-23-18  氏子地域 : 粕谷1~4丁目と周辺の一部
御祭神 : 誉田別命(応神天皇)  社格 : 旧粕谷村村社
例祭日 : 10月第二月曜(体育の日)頃
神輿渡御 : 宮神輿、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 5店程度
その他 : お楽しみ抽選会が行われます。

*** 旧粕谷村と粕谷八幡神社 ***

粕谷八幡神社の写真
神社の入り口

意外と木々が多いので、紅葉もきれいです。

粕谷八幡神社の写真
蘆花縁の別れの杉

初代は切り株になってしまいました。

粕谷八幡神社の写真
狛犬と社殿

昭和34年に建てられたものです。

粕谷八幡神社の写真
紅葉と社殿

補修が行われた後なのできれいです。

粕谷八幡神社の写真
境内社の五所神社

五神が祀られているにしてはちょっと小さいかも

* 旧粕谷村と粕谷八幡神社について *

環八通りの北の方、東に八幡山を挟んだ西側に粕谷が広がっています。ちょうど芦花公園やガスタンクがある辺りです。粕谷は1~4丁目で構成され、東は環八、南は滝坂道の118号線が境界となっているので、方形に近い町域を持っていますが、これは町域変更で整えられた形です。昔の粕谷の町域はジグソーパズルのピース顔負けの複雑な境界線を持っていました。

粕谷の地名については詳しく分かっていませんが、鎌倉時代に豪族粕谷三郎兼時が住んでいた事に関係があるとかないとか言われています。この粕谷氏は後に吉良氏の配下となり、現在の中町付近を治めていたとかで、中町付近の古くからの大きな家の表札は粕谷姓が多いです。特に中町天祖神社の祭礼を訪れると神輿の休憩所が粕谷家ばかりだったり、奉納者掲示板に粕谷姓が多かったりします。

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粕谷は江戸時代には天領となり、ちゃんとした村が形成されたのは1648年頃と推測されています。天領のため開墾が積極的に進むことなく、明治を迎え、明治40年には文筆家の徳冨蘆花が青山から引っ越してきます。

当時の様子を「みみずのたはこと」に書いていますが、人家はまばらで、四方が寂しく、色々な物音が響くと表現しています。大正九年の国勢調査でも33世帯、235人となっているので納得です。この「みみずのたはこと」は大正時代の粕谷の貴重な記録となっています。そして蘆花が暮らした家は蘆花の死後に遺族が東京都に寄付し、現在の蘆花恒春園として公開されています。

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昭和に入り、小田急線、京王線が開通した後も粕谷は駅から離れていたせいもあり、昭和30年頃まであまり人口が増え、町が発展することはなかったようです。昭和46年には環八通りが粕谷付近まで開通し、それを契機にどんどんと開けていくこととなります。

世田谷でも土地の開発が遅かった地域であり、昭和59年に選定された「せたがや百景」にも粕谷に多く残る竹林が懐かしい風景として選ばれている程です。

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芦花公園の脇にあるのが粕谷村の村社だった粕谷八幡神社です。詳しい由緒は分かりませんが、豪族粕谷兼時の館がこの近くにあり、八幡様を勧請、或いは守護神にしたといった事が伝わっているので、鎌倉時代には存在していた古社と推測されています。

明治6年に粕谷村の村社となり、明治14年社殿を改築、大正14年にも改築が行われ、すぐ裏に住む徳冨蘆花も氏子の一人として450円を奉納していて、その記録が残っています。昭和2年にその改築が終わり、改築奉祝祭が盛大に執り行われています。

昭和34年には放火によって全焼。その年の12月には氏子の努力により鉄筋コンクリート製の現在の社殿を完成させ、奉祝正遷座祭を執り行っています。全焼してしまったのであまり古いものは残っていませんが、天保六年(1835年)建立の石鳥居と文久時代(1861~63年)の手水石が残っています。また本殿の脇には境内社として五所神社がひっそりとあります。祭神は厳島姫命、宇迦御魂命、日本武命、淤母陀琉命、疽神の五神です。

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徳冨蘆花の家のすぐ近くともあって、小説にも何度も登場しています。特に有名なのが神社の鳥居前にあった別れの杉です。蘆花が訪ねてきた人をここでよく見送った事からそう名付けられました。残念ながら今では当時の木は枯れてしまい根本部分しか残っていません。

その代わりというか、若い杉が植えられていました。案内板によると由緒ある杉なのでみんなで話し合って新しく植えたそうです。その他境内には蘆花村入り百年記念の碑もあります。蘆花が地元の人に愛されているが故の記念碑や二代目の杉なのでしょう。

*** 粕谷八幡神社の秋祭りの様子 ***

粕谷八幡神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの入り口

やはり屋台があると賑やかな感じがします。

粕谷八幡神社の秋祭りの写真
出店が並ぶ様子

夕方は少し賑わいます。

粕谷八幡神社の秋祭りの写真
抽選会

多くの人で賑わいます。

* 粕谷八幡神社の秋祭りについて *

粕谷八幡神社の例大祭は、蘆花が暮らしていた大正の頃には10月3日が祭礼日で、3~5年に1度田舎歌舞伎が興行され、大変賑わったそうです。蘆花の本にも「普段置いてある唐獅子はどこかに取り除かれ、そこになかなか馬鹿にできぬ舞台が設置されている。境内には一面ムシロが敷き詰められ、村はもとより他村の老若男女450人がどよめいている」などと書いています。

その後祭礼日は変更され、体育の日が10月10日だった頃には、10日が宵宮で御神輿が巡行し、11日が本祭で午前中に式典を行うといった日程でした。体育の日が変更となってからはカレンダーの体育の日に合わせて行っていましたが、最近では体育の日のみになっていました。ここ数年色々と変わっているので確認した方がいいかと思います。

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祭礼は11時から式典、御霊移しが行われ、13時から神輿と太鼓車の巡行。16時半頃に御神輿などが帰ってきて、17時から抽選会が行われます。境内に露店は5店ほどですが、地域の団体のお店なので、焼きそばが200円とかとてもお財布に優しいです。

小さな神社なので、そこまで活気があるわけではありませんが、神輿が帰ってきた後に行われる抽選会の時は境内が混雑します。自転車などが景品なので子どもたちも結構真剣です。でもせっかく舞台を設置するなら昼間は何か奉納演芸でも行えばいいのにと思ってしまうのですが、やっぱり参加団体がいないのでしょうか。そもそも演技しても見てくれる人があまりいなさそうな感じですね・・・。

*** 粕谷八幡神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

粕谷八幡神社の神輿渡御の写真
太鼓車の宮出し

昭和34年製造の太鼓です。

粕谷八幡神社の神輿渡御の写真
中学生による神輿の宮出し

担ぎ始めなのでとってもぎこちないです。

粕谷八幡神社の神輿渡御の写真
環八横断

大人だとなかなか進まないものですが、スムーズです。

粕谷八幡神社の神輿渡御の写真
渡御の様子

野球ユニフォームも加わって面白い絵です。

粕谷八幡神社の神輿渡御の写真
太鼓引きの行列

結構長い列ができます。

粕谷八幡神社の神輿渡御の写真
宮入してきた神輿

最後までぎこちない感じでした。

粕谷八幡神社の神輿渡御の写真
子供神輿

以前はこちらがメインで担がれていました。

粕谷八幡神社の神輿渡御は13時頃に出発して16時半頃に戻ってきます。以前は担ぐ人が集まらなく、小さな子供神輿で行っていましたが、2010年から芦花中学の生徒が担いでくれることとなり、小さいながらもちゃんとした神輿が担がれ、町内を巡行できるようになりました。

神輿渡御は太鼓車が先導します。こちらは普段芦花公園で遊んでいる子どもたちが集まってくるのか、そこそこ長い列になります。神輿の方も中学生が大勢集まって見た目は活気があるものの、やっぱり素人の子どもたちが中心になって担いでいるので、普段見慣れている神輿本来の動きからすると不自然です。なんて言うか、あまり揺れないのです。担ぐ姿も体操服だったり、部活の帰りで野球のユニホームだったりと様々です。

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神輿渡御という事では他の神社と比べてしまうと迫力不足で、宮出し宮入を含めてこれといった見所があるわけではありません。でも、ここでは神輿が運行される事が重要で、2010年に神輿がようやく運行されるようになった時の役員さんのうれしそうな顔が忘れられません。やっぱり祭りの華は神輿であり、神輿がある以上どんな形であれ運行されたいのが関係者の願いなんだなと感じました。

* 感想など *

粕谷八幡神社は小さな神社です。秋祭りというものがあまりよく分からなかった頃、せたがや百景のページを作っていてせっかくなら粕谷八幡神社の秋祭りを見てみよう。とまあ秋祭りの時期に神社を訪れるとポスターが張り出されていて、そのポスターの写真を見て感動しました。なんて威勢のいい神輿渡御だろう。

ということでワクワクしながら秋祭りの日に訪れてみると、人がいないので小さな子供神輿しか運行できないし、大きな神輿もないと聞いてガッカリした想い出があります。感動したポスターの写真はなんてことはなく京都の八坂神社の六角神輿のものでした。そりゃ感動するぐらいいい渡御風景なはずです。

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翌年からは私みたいなのが迷い込んでこないためにか、写真のないシンプルなポスターになってしまいました。恐らく関係者のあこがれがポスターに象徴されていたのでは。うちの神社でも威勢よく町内を神輿渡御したいと。

その翌年から中学生の協力で神輿渡御が行われるようになりました。素人が担ぐのでちょっと神輿渡御としては味気ない部分もありますが、これでとりあえずは神輿が町内を回ることができるようになりました。出発前の挨拶の時、念願が叶ったといった感じで役員の人が本当にうれしそうな顔をされていました。

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粕谷は隣の八幡山と同様に人口が少ない寒村でした。それでも蘆花の時代に芝居を呼ぶような祭りを行ったり、神社を改築したりと頑張っています。氏子というより村全体が団結していたからできたのでしょう。しかしながら時代が進むと、どんどん宅地化が進み、今まで住んでいた人よりも新しい移住者の方が多くなってしまいました。

地域には住んでいる人は多いのだけど、地域の行事とか、秋祭りの盛り上がりの方は・・・というのが現状のようです。きっと「俺たちの時代の方が盛り上がっていたな・・・」などと神社の裏手にある墓から蘆花が眺めているのではないでしょうか。

<世田谷の秋祭り File.25 粕谷八幡神社例大祭 2013年8月初稿 - 2015年10月更新>