世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.14

宇山稲荷神社例大祭

ふせぎを思い浮かべるような神輿渡御や、農村歌舞伎を思い浮かべるような舞台と演目が行われるなど、かつて世田谷が農村地帯だったころを彷彿させるような秋祭りが行われます。

鎮座地 : 桜丘4-14-1  氏子地域 : 桜丘4丁目
御祭神 : 倉稲魂神  社格 : 無格社(摂社)
例祭日 : 10月第一週末の日曜日、前日は宵宮
神輿渡御 :小神輿、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 数店
その他 : 奉納演芸やプロの余興が行われます。

*** 宇山地区と宇山稲荷神社 ***

宇山稲荷神社の写真
神社の入り口

この一画は森のようになっています。

宇山稲荷神社の写真
鳥居と参道

小さいながらも雰囲気のいい神社です。

宇山稲荷神社の写真
社殿

小さな社殿です。

宇山稲荷神社の写真
境内社

社殿の横に三つ並んでいます。

宇山稲荷神社の盆踊り大会の写真
夏の盆踊り大会

賑やかな感じで行われます。

宇山稲荷神社の盆踊り大会の写真
盆踊りの様子

立派な櫓が建てられます。

* 宇山地区と宇山稲荷神社について *

宇山稲荷神社が鎮座するのは桜丘です。桜丘にはもう一つ稲荷森稲荷神社があり、大まかに桜丘4丁目が宇山稲荷神社、それ以外が稲荷森稲荷神社と氏子地域を分けています。桜丘については稲荷森稲荷神社の方で詳しく書きましたが、旧世田谷5丁目にあたり、世田谷村の一部だった地域です。桜丘という名も昭和41年に世田谷から分離した際につけられたもので、それ以前は世田谷村の横根地域(東横根、中横根など)と宇山といった具合に氏子地域と同じように別れていました。

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宇山地域というのは多摩川沿いにある宇奈根地域の人々が幕府の新田開発政策や洪水などを機に移り住んで開墾した土地と言われ、最初は宇奈根山谷と名付けられていましたが、後に短縮して宇山となったそうです。そういった経緯が大事にされているのか、宇山の読み方は「うやま」ではなく「うざん」になります。

宇山稲荷神社前にある久成院の初代住職の墓に元和6年(1615年)とあり、当時は一村、一社、一寺が推奨されていたので、その少し前に移住が行われたと推測でき、恐らく天文19年(1550年)、或いは天正18年(1590年)の大洪水で移り住んだのではないでしょうか。こういった歴史的な背景があるので、同じ町域に二つの神社を中心に二つの村があり、お互い棲み分けが行われてきました。

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宇山地域は世田谷通りと環八が交わる三本杉交差点の北東に広がる地域で、なだらかな丘になっています。水の便はあまりよくなく、雑木林に覆われていた土地を開墾し、畑と雑木林が広がる純農村地域でした。近年まで畑の多い地域で、その農村風景が「心なごむ桜丘の原風景」としてせたがや地域風景資産にも選定されてるなど魅力的な風景が残っていましたが、今では急激に宅地化が進み、かつての面影が少なくなってきました。その純農村地帯の宇山にひっそりとあるのが宇山稲荷神社で、宇山の人々の守り神であり、心のより所となっていました。

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宇山稲荷神社の由緒は不明ですが、江戸幕府は宇奈根山谷のように新しくできた村には菩提寺と鎮守社を建立することを推奨していたので、久成院を建立されたであろう江戸の初めころに宇山稲荷神社もこの地の守り神として建立されたのかもしれません。

多摩川沿いの宇奈根は氷川神社の文化圏ということを考えると、なぜ氷川神社じゃなかったのかといった疑問はありますが、氷川神社自体マイナーな種類の神社ですし、この地域の稲荷文化に合わせたのかもしれません。社殿は初め南向きに建てられていたそうですが、1800年ころに悪い病気が村に流行し、氏子たちは祈祷師か何かに相談したのか、独自に行ったのか分かりませんが、社を西向きにしてみたところ病気も治まっていったそうです。以来「西向稲荷」とも呼ばれ、防ぎ神の神事なども行われてきました。

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明治になると政府による一村一社の合祀令が出され、この地は世田谷村の一部であるので、郷社宇佐神社、現在の世田谷八幡宮に合祀されることとなりました。これは形式的なものだったようで、神社は残り、戦後の昭和29年に改めて神社本庁所属の宗教法人稲荷神社として登記されました。ちなみに稲荷森稲荷神社の方は合祀に断固として反対し、独立を維持したため現在でも単立神社で神社本庁所属ではありません。

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現在の神社は木々がうっそうとした感じの境内で、敷地はそこそこ広いのですが、社殿は小さく、神楽殿などといったものもなく、今も昔も変わらずといった簡素で素朴な感じのする境内です。社殿、社務所、鳥居などは平成4年に大改修が行われたので、比較的新しさが残り、境内も手入れが行き届いているので寂れた感じはありません。その他、社殿の横には第六天、天神様、御嶽・榛名神社の境内社が3つ並んでいます。

*** 宇山稲荷神社の秋祭りの様子 ***

宇山稲荷神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの境内

露店も少なく、昼間はとても静かです。

宇山稲荷神社の秋祭りの写真
特設舞台

様々な団体による奉納演芸が行われます。

宇山稲荷神社の秋祭りの写真
ステージの演舞

農大の民舞だったかのサークル

宇山稲荷神社の秋祭りの写真
プロによる演芸

手品を行っていました。

宇山稲荷神社の秋祭りの写真
地元の有志による演目

ローカルネタが多いけどなかなか楽しいものでした。

宇山稲荷神社の秋祭りの写真
演目の終了の挨拶

出演者が勢揃いし、ジュースの配布が行われました。

* 宇山稲荷神社の秋祭りについて *

昔の祭礼日は10月1日とか、10日といった記述がありよく分かりませんが、今では週末に移され、10月第一土曜日に宵宮、日曜日に本祭が行われています。神社の都合などによっては第二週末に行われる同じ桜丘の稲荷森稲荷神社と祭礼日が重なる事もあり、その年は同じ日に同じ町域で二つの祭礼が行われるという事になります。傍から見たらいかにも分裂しているような印象を受けてしまいますが、特にそういった事はないようです。そういう年は訪れる方としては一度に二度祭りが楽しめていいかもしれませんが、住んでいる人には一度に二つの祭りが済んでしまい残念な年となるのではないでしょうか。

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祭礼といっても露店は数店しか出なく、境内に人があふれるということもなく、ひっそりとした感じで行われる秋祭りです。駅前にある稲荷森稲荷神社の賑やかさと比べると寂しい感じがしますが、こちらは地域を限定したお祭りなのでしょうがありません。むしろ地域限定の祭りとしては頑張っている方です。

特に祭礼日近くなると境内に設置される大きな舞台はここの特徴と言っても過言ではありません。夏の盆踊りの櫓も立派なものですが、こういった地域の祭りになると村人が総出で・・・、というのは大袈裟かもしれませんが、協力して舞台などの設置を行う様子は村の結束の高さを示しているように感じます。

ちなみに夏に行われる盆踊り大会では境内に人があふれかえり、露店も秋祭りよりは多く出ます。数時間と時間が限定される盆踊りだから一度に人が集まり賑やかになるのでしょうが、秋祭りも頑張ればそれぐらい賑やかになる可能性もありそうです。

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祭礼では両日ともご自慢の舞台で奉納演芸が行われます。宵宮は素人奉納演芸となり、婦人会の方々だったり、農大のサークルだったり、またこの近所には老人ホームといったものも多いので、そういった施設から団体で参加する方々などがいて、演目もバラバラでいかにも地元っぽい感じの奉納演芸です。

その奉納演芸の最後を締めくくるのが地元の有志による出し物です。これがかつて農村地域で盛んに行われていた農村歌舞伎(素人歌舞伎)を思い浮かべるような出し物だったりします。最初は何でこんなに舞台の袖が長いのかと疑問だったのですが、これを見て納得です。農村歌舞伎とは簡単に書くなら素人による歌舞伎なので、歌舞伎を真似た演劇みたいなものです。

本格的になると村で座をつくって定期的に練習し、公演を行い、演目も舞台用の道具も本格的だったりします。神奈川などでは今でも幾つかそういった村単位の座が残っているようですが、東京ではあきる野の秋川歌舞伎ぐらいでしょうか。さすがにそういった本格的な農村歌舞伎と比べてしまうと歌舞伎と呼ぶ事に少々抵抗がありますが、地元の人が多く登場し、地元ネタが満載で、見ている地元の人の笑顔が多いというのは共通です。ここ宇山で農村歌舞伎が盛んに行われていたという記録はないので、恐らく真似事みたいな感じで行っているのがずっと継続されているのかと思います。

日曜日になるとプロによるステージ舞台になります。漫才だったり、手品だったりと芸人によるショーが行われます。

*** 宇山稲荷神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
出発前の神輿と太鼓車

担ぎ棒が丸棒というのは珍しいです。

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
出発式

ちょっと寂しいです・・・

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
太鼓車の出発

こちらは結構賑やかです。

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
氏子の家の前での神輿振り

氏子の家々を回って神輿を振っていきます。

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
路地に入っての神輿振り

あちこちで神輿を振ります。

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
福祉施設での神輿振り

福祉施設にも入っていきます。

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
太鼓車の巡行

のんびりとしていて楽しげでした

宇山稲荷神社の神輿渡御の写真
環八を進む太鼓車

太鼓は大きく立派なものです。

宇山稲荷神社では日曜日に宮神輿と太鼓車が運行されます。年によって違いかと思いますが、宮出しが11時とか12時で、15時とか16時頃に戻ってくるはずです。祭礼中は社殿横に御輿舎がつくられ、丁寧に飾られます。神輿は社殿同様に小さく、並んだ様子はコンパクトにまとまっているといった感じでしょうか。神輿に比べると太鼓の方はなかなか立派で、毎年区民祭の連合渡御にも太鼓車のみ参加しています。昔の記述を読むと、上馬にある駒留八幡神社と縁が深いようで、駒留八幡神社の大神輿が担がれるときには宇山の若衆が手伝いに出かけたり、逆に上馬から宇山へ神輿を担ぎに来ることもあったそうです。

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神輿渡御は太鼓車、神輿と続きます。太鼓車の方は引っ張る子どもの数が多く、結構賑やかな感じとなりますが、神輿の方はちょっと寂しい状態です。宮出しからして10人もいなく、道中でもそこまで増えることはありませんでした。神輿自体が子供神輿の大き目といったサイズなので、担ぎ手はそんなにいらないとはいえ、もう少し賑わいが欲しいかなといったところでしょうか。

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ここの神輿は少々変わっていて、氏子の家を順番に回っていき、その家の前で神輿を振って家内安全などを願います。その様子は農村などで行われている「ふせぎ」によく似ています。「ふせぎ」はいわゆる「防ぐ」で、各家を回って災い除けの札を配ったり、村の入り口に藁でつくった蛇などを設置して村に災いが入らないようにする行事です。

宇山では昔疫病が流行って神社の向きを変えたり、ふせぎ神の神事も行われてきたという歴史があるので、そういった名残りが神輿渡御に表れているのかなと感じたのですが、どうなのでしょう。

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地域の家々を回っていくといったとても地味な神輿渡御なので、やはり他の地域からの応援というのは期待できなく、少人数での渡御になってしまうのはしょうがないことかもしれません。それでも一軒一軒元気に回っていく様子は好感が持てるものでした。

そして極めつけは老人ホームに入っていったことでした。一緒に入ると、ロビーには神輿の到着を待つお年寄りがずらりと並んでいました。そこでも神輿を振るのですが、お年寄りの笑顔が印象的でした。そして帰りがけに神輿責任者の「また来年来るからね。それまで元気にしてね。」という言葉がとても心に響きました。ふせぎ神輿と言うよりは元気宅配神輿というのが言いえているかもしれません。

* 感想など *

宇山稲荷神社は社殿が小さく、神輿も小さく、氏子地域も狭く、祭礼中でも人が少ないと秋祭りとしては印象の薄い部類になるでしょうか。しかしながら氏子の人々が協力して作り上げる舞台、そして奉納される演目などは地域の絆の深さを感じさせてくれます。普通に考えても夏の盆踊り、秋の例大祭と一年に二度大きな舞台を設置し、それを毎年繰り返すというのは大変なことです。

それをずっと続けているのは地域の事や地域に暮らす人々の笑顔を大切にしている氏子の人々がいるからです。神輿渡御にしても、大きな神輿による迫力ある神輿渡御や大勢の担ぎ手によって活気ある神輿渡御も素晴らしいけど、小さな神輿で真心込めて町を回るのもいいものだと感じさせてくれます。

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お祭りとは文化です。神社や神輿の大きさで文化を計るのは無駄なことです。改めてそう感じさせてくれるのがここの祭礼で、人の温もりを強く感じるのもここの祭礼です。とまあ私にとっては色々と思うところがあってお気に入りの秋祭りの一つですが、普通の人から見たらやっぱりただの地味な秋祭りでしかないかもしれません。

<世田谷の秋祭り File.14 宇山稲荷神社例大祭 2013年1月初稿 - 2015年10月更新>