世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.3

太子堂八幡神社例大祭

せたがや地域風景資産 No.2-6

太子堂八幡神社と森

太子堂八幡神社には歴史ある境内と、武蔵野の面影を残す鎮守の森があり、地域の人々の心の拠り所となっています。お祭りも盛んで、地域の人が一堂に会する境内は、たくさんの御神輿や屋台で賑わいます。(風景資産紹介文の引用)

鎮座地 : 太子堂5-23-4   氏子地域 : 太子堂1~5丁目
御祭神 : 応神天皇(誉田別命)  社格 : 旧太子堂村村社
例祭日 : 10月第2日曜日、前日は宵宮
神輿渡御 :町会神輿4基、子供神輿、太鼓車など
祭りの規模 : 大規模  露店数 : 多数
その他 : 奉納神楽、奉納演芸が行われます。
風景資産の登録団体 : 太子堂5丁目町会

*** 太子堂八幡神社の写真 ***

太子堂八幡神社の写真
神社の入り口

狭い路地に神社の入り口があります。

太子堂八幡神社の写真
社殿

質素な感じの社殿です。

太子堂八幡神社の写真
弁天社

鳥居前にあります。

太子堂八幡神社の写真
敷地の外から

通り沿いは太子堂八幡広場になるようです。

太子堂八幡神社の写真
御輿舎

広場の奥にあります。

太子堂八幡神社の写真
遊具と鎮守の森

木々の中で遊べるのはいいですね。

* 旧太子堂村と太子堂八幡神社について *

世田谷で一番の繁華街といえば、世田谷で二番目に高いビル、キャロットタワーがそびえる三軒茶屋駅周辺地域になるはずです。三軒茶屋といっても古くから地名としてその名前があったわけではなく、かつては現在の世田谷通り(旧大山道)の北側が太子堂村、南側が馬引沢村といった感じで分かれていました。

住所としての三軒茶屋が使われるようになったのは昭和7年(1932年)の世田谷区成立時です。上馬村などから分裂させてできた町域に三軒茶屋と名づけられました。

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ただ、三軒茶屋という呼び方は江戸時代からありました。大山道の本道(現世田谷通り)に新たに二子道(現玉川通り)が整備され、その交差点付近、昔で言うなら追分に信楽、角屋、田中屋の三軒の茶屋が並んでいたことから次第に三軒茶屋という呼称が呼ばれるようになり、文化文政(1804~30年)の頃にはその名が一般的になっていったそうです。この地域はちょうど大山道を挟んで太子堂村と馬引沢村があったので、この三軒茶屋という方が呼びやすかったのかもしれません。

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太子堂村はだいたい現在の太子堂町に一致していますが、国道246号よりも南側にある太子堂一丁目の大部分は後年の町域変更によって太子堂に加わったので、昔はほぼ国道246号と世田谷通りの北側の地域が太子堂村でした。名前の由来は村の北東にある真言宗豊山派円泉寺境内にある聖徳太子像を安置した太子堂に因んでいます。

この円泉寺は南北朝時代(1332~92)の後期に開創されたようで、大和国久米寺の賢惠大和尚が聖徳太子像と十一面観音を背負って関東に下り、文禄四年にこの地に滞在した時に聖徳太子が夢に出てきて、「この地に霊地あり円泉ヶ丘という。つねに霊泉湧き出づ、永くここに安住せん。汝も共に止まるべし。」と告げたとか、なんとか。そして翌文禄五年に本堂、太子堂などが完成したそうです。

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江戸時代になると太子堂村は江戸市中への青物の菜の供給地として栄え、付近の経済は安定し、それに伴って寺の寺容も整えられていきました。それと同時に大山詣が盛んに行われるようになり、大山詣でに向かう人が行き帰りに太子堂へ参拝するのが定番コースのようになり、門前町としても活気があったようです。しかしながら村自体は天領、大名領、旗本領に細分化されていて、村社である八幡様の祭礼を以って心を一つにしたと言われています。

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その村社、太子堂八幡神社は村の北西に鎮座し、八幡神社と言うことで誉田別命が祭神として祀られています。別当である円泉寺の縁起によれば、文禄年間(1592~1596)に創祀されたと記録されています。ただもっと古い言い伝えも残っていて、平安時代後期に源義家、頼義親子が朝廷の命を受け陸奥の安倍氏征討に向う途中、この地で八幡神社に武運を祈ったと伝承されています。

この伝承では義家は太子堂村を通る鎌倉道のそばで進軍を止めて同勢を憩わし酒宴を行ったとされ、その場所が本村(5丁目)にある土器塚で、酒宴後の土器などこの地に埋めたのでそう呼ばれるようになったとか。その塚に続く塚を同勢山と呼ぶのは、同勢を憩わした名残とも言われています。これが真実なら平安時代には既にこの地に村人が信仰する八幡神社、或いは太子堂八幡神社の前身となる祠などがあったのかもしれませんが、あくまでも東日本各地によくある源氏伝説です。

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太子堂八幡神社はかつて社地が1150坪もあり、古木が深く幽すいの地だったと記録されていますが、現在では住宅街の中に埋まってしまっているといった感じで、敷地もそこまで広くありません。都会では神社自体が最低限の土地だけ残され住宅に埋まってしまうのはよくあることです。ここの神社の事情はわかりませんが、老朽化した社殿等の改修費用とか、維持費の捻出のために土地を売らなければならなかったりと、それぞれの地域で様々な事情をかかえています。

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そこまで広くない境内ですが今でも緑が多く残っていて、それは不自然に木が植えられているというより、もともとの森がそのまま残されている感じです。それ故にせたがや地域風景資産に「太子堂八幡神社と森」といったタイトルで登録されていたりします。すぐ近くの烏山川緑道からみると少し高台に位置するので、ここの森は遠くからでもこんもりとしているのがよく分かります。

ただ、実際は鳥居のすぐ横にある広場は太子堂八幡広場といって区の公園になり、参道とその先の紋がある敷地内が太子堂八幡の境内となるはずです。社殿はどっしりとした建物ながらデザイン的にはシンプルなもので、 拝殿だけがあって本殿はありません。御神体は古くから古代神導の形をしている紙の幣束が祀られているそうです。

*** 太子堂八幡神社の秋祭りの様子 ***

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
秋祭りのときの鳥居前

多くの人が訪れとても賑わいます。

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
夕暮れ時の境内

提灯が灯されてとても幻想的です。

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
参拝者の列

夕刻になると長い列ができます。

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
神楽殿

提灯が並び賑やかな感じの神楽殿です。

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
西山囃子

人気があるようで見学人も多かったです。

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
神楽

相模流萩原社中による舞です。

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
えびす太鼓

神輿の宮入する頃に演奏していました。

太子堂八幡神社の秋祭りの様子
路上に並ぶ露店

ずらっと茶沢通りまで並びます。

* 太子堂八幡神社の秋祭りについて *

昔の太子堂八幡神社の例大祭は毎年10月2日に宵宮、3日に本祭が行われていましたが、今では氏子などの都合により週末に祭礼日が移動し、10月の第二日曜日に本祭、前日に宵宮が行われています。

ここの秋祭りの特徴はなんと言っても屋台の多さです。三軒茶屋のメインストリートである茶沢通りの太子堂3丁目交差点から神社まで続く通り沿い、そして神社の周りや太子堂八幡広場、参道やら境内に多くの屋台が並び、世田谷でも一番多くの屋台が出る秋祭りとなっています。

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また毎週日曜日の午後は茶沢通りが歩行者天国となるのですが、その歩行者天国をお神輿が練り歩き、町全体がとても賑やかになります。神輿渡御の賑やかさはすぐ北に位置する下北沢の北沢八幡神社に譲るとしても祭り全体としての賑やかさは世田谷で一番です。

これは今に始まったことではなく、昔からここのお祭りは賑やかだったようで、かつては鳥居の先にある烏山川沿いには大きな空き地があり、お化け屋敷や見せ物小屋が建ったり、時にはサーカス小屋が建てられた事もあったそうです。

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祭礼は宵宮の16時半から宵宮祭、本宮の10時半から本祭が行われます。両日とも昼間は相模流の萩原社中によって里神楽が随時神楽殿にて奉納されます。宵宮の夕方から深沢高校の和太鼓、太子堂囃子、その後奉納演芸が神楽殿で行われます。太子堂囃子は区の郷土芸能大会に出ていないのであまりよく知りませんでしたが、平成24年には明治神宮で奉納を行ったりするなど実力派です。詳しく分かりませんが、西山町会の西山囃子が中心となっているようで、保存会を結成し、かつて太子堂に存在した祭囃子である「西山囃子」を復活させ、地域の住民や子ども達に継承しているそうです。

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本宮の昼間には各町会の神輿がやってきて境内がはち切れんばかりに賑わう時間帯もあります。ちょうどその時間帯はえびす太鼓による太鼓の演奏が行われ、宮入に華を添えています。

19時からは宵宮と同じく奉納演芸が行われますが、さすがに大きな神社だけあって素人によるカラオケなどではなく、両日ともプロによる歌謡やマジックなどの演芸になります。ただ、翌週には三軒茶屋の町全体で大きな大道芸大会が行われたる、そもそも大きなイベントが多い地域なので、こぢんまりとした境内での見せ物はイベント慣れした三茶っ子にはちょっと微妙かもしれません。

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両日とも奉納演芸は21時までで、本宮の最後には福餅まきが行われます。全体的には境内に人が多く、特に夕方からは混雑が激しくなり、お参りする人の行列ができます。もちろん屋台が並ぶ通りはお神輿が通るのもありますが、夕方前から混雑して歩きにくい状態になります。

*** 太子堂八幡神社の神輿渡御 ***

*** 町会神輿 ***

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
神輿の宮入

鳥居と狭い参道を通って宮入します。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
宮入してきた神輿で賑わう境内

複数の神輿が入ってくる場合は大混雑します。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
社殿前での収め

社殿の前で収めて宮入が完了します。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
神職によるお祓い

神輿を降ろすと神職からお祓いを受けます。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
太子堂三軒茶屋町会の神輿

水色の飾り紐がよく目立ちます。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
露店の並ぶ通りを進む神輿

宮入の時に通ります。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
茶沢通りを進む大塚共栄会の神輿

ここも大所帯です。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
大塚共栄会の宮入

 

大塚共栄会のお囃子の写真
大塚共栄会のお囃子

ひょっとこなども練り歩きます。

西山町会の囃子の写真
西山町会の囃子

トラック山車が出ます。

西山町会の御酒所の写真
西山町会の御酒所

キャロットタワーの真下に設置されます。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
御酒所を出発する西山町会の神輿

大勢の担ぎ手が集まっていました。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
茶沢通りを進む下の谷町会の神輿

下町っぽさを感じる町会です。

太子堂八幡神社の神輿渡御の写真
下の谷町会の宮入

とても威勢がよかったです。

下の谷町会の御酒所の写真
下の谷町会の御酒所

狭い路地に御酒所が設置されます。

下の谷町会の太鼓車の写真
下の谷町会の太鼓車

子供神輿と共に町内を巡行します。

宮元(太子堂5丁目町会)の神輿の写真
宮元(太子堂5丁目町会)の神輿

夕刻からの渡御でした。

本町会の神輿の写真
本町会の神輿

ここも夕刻からの渡御でした。

太子堂八幡神社の祭礼では神社所有の宮神輿ではなく、各町会による町会神輿が運行されます。現在の太子堂の町域は5丁目までですが、太子堂地域には7つの町会が存在しています。

唯一国道246号の南側に位置する太子堂1丁目はそのまま範囲で太子堂一丁目町会。ここは三宿や下馬から三軒茶屋から編入された土地と大塚の一部が町域となっていて、町域には昭和女子大や三宿中学、公務員住宅や都営住宅にJR社宅など大きな建物が多くあります。

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太子堂2丁目の右下の大部分を占めるのが大塚町会(大塚共栄会)で、2丁目の残りの上側の細長い部分は下の谷町会です。かつて太子堂村では大塚が一番面積が大きかったのですが、一丁目町会や三軒茶屋町会ができたので大きく削られてしまいました。

下の谷は下の谷商店会を中心とした地域で関東大震災後下町から引っ越してきた人たちが造った商店会でかつては活気がありましたが、今では店が激減して活気がなくなってしまいました。ただ祭りに関しては今でも下町の血が騒ぐようで、地元の人たちを中心に担がれる御神輿はとても威勢がいいものです。

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太子堂の真ん中を背骨のように通っている茶沢通りの左右を町会域に持つのが太子堂三軒茶屋町会です。ちょうど三軒茶屋銀座商店街と重なっていて、かつての大塚、下の谷、西山、前田の賑やかな部分で構成され、色んな意味で一番華やかな神輿渡御が行われます。

太子堂4丁目のキャロットタワーや教学院がある地域が西山です。下町っぽさが残る地域で、お神輿も賑やかに担がれ、西山町会に古くから伝わる西山囃子も人気です。

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神社のお膝元にあたる太子堂5丁目はかつての上本村と前田を合せた町域とだいたい重なり、ここは太子堂5丁目町会で、睦会でいうなら宮元となります。

太子堂の名ともなった円泉寺のある地域はかつての下本村で、現在の太子堂三丁目とだいたい重なります。この地域は太子堂本町会となります。

神社に付随するようにある太子堂八幡広場に神輿舎があり、各町会の神輿がしまわれています。シャッターに各町会の名前が入っているのですが、太子堂一丁目町会の名はありません。他の村から編入された土地であり、都営住宅や社宅ばかりという土地柄から神輿は運行されていなく、残りの6町会によって神輿渡御が行われています。

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神輿渡御はそれぞれの町会のスケジュールによって違いますが、年によっても違うようです。平成24年には世田谷区制80周年記念して36年ぶりに6つの町会の神輿が連合で茶沢通りから渡御し、宮入を行いました。全ての神輿が境内に揃った様子はとても華やかだったそうです。これは特別な場合ですが、普段でも幾つの町会が一緒に宮入を行ったり、個別に宮入を行ったりと年によって違うようです。

もちろん予め渡御予定は決めているので当日の思いつきで一緒に宮入しましょうってことはないはずです。祭礼の準備段階で町会の責任者同士が今年は一緒に宮入しましょうかなどと思いつきで取り決めているのでしょうか。それとも年ごとに決まり事があるのでしょうか。その辺の事情はよく分かりません。詳しく知りたい場合はそれぞれの町会の御酒所に運行スケジュールが貼ってあるので確認するのがいいでしょう。

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例年の傾向では土曜日に子供神輿や太鼓山車が運行され、日曜日は13時からの茶沢通りの歩行者天国に合わせて大人神輿が担がれるといった感じです。時間帯によっては茶沢通りに神輿が幾つも並び、とても賑やかです。ただ本町会、宮元の神輿は担ぎ手が少ないのか、子供神輿が戻った後の夕方から担がれていました。

そして個別、或いは複数の町会が決められた時間に宮入を行い、17時の歩行者天国終了と共に各町会に戻り、18時頃に御酒所に戻って担ぎ終えるといった感じです。全体的には下北沢のような激しさはなく、大勢で楽しく担いでいるといった感じです。町域が商業地区であり、商店街が中心となっているのでマナー良くといったことを常に念頭に置いているようで、祭礼自体は厳粛に、神輿渡御はイベント的にといった印象を受けました。

* 感想など *

太子堂八幡神社の秋祭りは三軒茶屋といった世田谷を代表するような繁華街で行われる秋祭りです。参拝客は後を絶たず、神社周辺には多くの屋台が並び、更には日曜日になると毎週行われるメイン通りの歩行者天国を御神輿が進み、町全体が秋祭り一色といった雰囲気になります。かつて所領が分れ、ばらばらだった村を太子堂八幡神社の祭礼で心を一つにしたとありますが、現在でもそういった事情は同じかもしれません。

町の発展と共に栄えていく町域、ちょっと不景気な町域、住宅街が中心となってしまった町域等々それぞれの町域で様々な事情が生まれてきます。祭礼を行うのにも色々と手間がかかり、何よりお金がかかります。少々の不満でも毎年の積み重ねで大きくなることもあり、町会同士で仲が悪くなることもあります。大きな町ほどそういった傾向が強いものですが、ここではあまりそういった雰囲気は感じませんでした。なんていうか、ギスギスしていない雰囲気というか、楽しい雰囲気が一杯です。

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太子堂八幡神社の祭礼は、表面的に見ると屋台がずらっと並んでいたり、歩行者天国を神輿が楽しそうに進んだりとイベント的な賑やかな祭りといった印象を受けるかもしれませんが、地元の囃子があり、神楽が奉納され、各町会の神輿が運行され、例大祭の式典が厳粛に行われていたりと真の部分がしっかりした地域に根付いたお祭りです。いわゆる繁華街ならではの人ばかり集まるイベント的なお祭りではなく、氏子に守られたお祭りの延長で町全体として盛り上がっているのが太子堂八幡神社の祭礼です。

そして賑やかで楽しい雰囲気を円滑に作り上げているのは、普段から歩行者天国を行っている地域全体の努力やサンバやら大道芸やら数々のイベントを行っている三軒茶屋の商店街の人たちの手腕に拠るところも大きいはずです。それに町会でも防犯、防災などの取り組みを普段から町会間で活発に行っていたりと、町会やら商店街の結束の高さや努力が祭礼を円滑に行う基盤となっていて、楽しい雰囲気の秋祭りを当り前のように作り上げているように感じます。

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すぐ北側には三軒茶屋と並ぶ商業地であり、若者の街といわれる下北沢があります。下北沢の祭りは山の手随一と言われるだけあって神輿渡御はとても華やかです。華やかの中にも担ぎ手一人一人にドラマ性を感じるような人間臭さもあり、世田谷で一番の神輿渡御が行われる祭りとなっています。

三軒茶屋(太子堂)の祭りにはそういった華やかな印象は薄いのですが、祭り全体で見るならとても統制が取れていて、町を挙げてといった表現がピッタリくる祭りとなっています。近年では秋祭りの意義が薄れ、その規模が縮小している神社がほとんどです。これだけ大きな商業地域でありながら町が一体となって成功している例はあまりないかと思います。

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祭りがうまくいっている理由に歩行者天国があることが一番大きいと思いますが、神輿の渡御時間が短いのもその理由の一つかもしれません。おそらく睦会や担ぎ手としてはもっと長く担ぎたいのでしょうが、周辺地域への配慮からだと思われます。みんなが楽しく、我慢するところは我慢して、そういった様々な部分で地域の信頼関係がうまくいっていて、紛れもなく世田谷を代表する祭りの一つであり、多くの人に親しまれている素晴らしい祭りといえます。

<世田谷の秋祭り File.3 太子堂八幡神社例大祭 2012年10月初稿 - 2015年10月更新>
( せたがや地域風景資産 No.2-6 太子堂八幡神社と森 )