世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.1

池尻稲荷神社例大祭

激しい時代の移り変わりにさらされた池尻の地を守ってきた氏子の誇りと気品の高さが感じられる祭り。隔年で運行される宮神輿の装飾や台座に施された彫刻の素晴らしさは東京でも有名。

鎮座地 : 池尻2-34-15  氏子地域 : 池尻1~4丁目
御祭神 : 倉稲魂神  社格 : 旧池尻村村社
例祭日 : 9月第三日曜と前日
神輿渡御 : 隔年で宮神輿(西暦の奇数年)、町会神輿5基
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 10店程度
その他 : 奉納神楽、奉納演芸が行われます。

*** 池尻稲荷神社の写真 ***

池尻稲荷神社の写真
旧道側の入り口

旧大山道側の入り口には碑や像が置いてあります。

池尻稲荷神社の写真
246側の入り口

夜になると提灯が灯ります。

池尻稲荷神社の写真
境内

ビルの谷間にあるといった都会的なたたずまいです。

池尻稲荷神社の写真
社殿

社殿は古めの建物です。

池尻稲荷神社の写真
清姫稲荷神社

境内社の一つです。

池尻稲荷神社の写真
手水舎

涸れずの井戸(薬水の井戸)の名残です。

* 旧池尻村と池尻稲荷神社について *

世田谷を横切る大動脈である国道246号(玉川通り)はかつて雨乞いの聖地である大山へ続いている事から大山道と呼ばれていました。現在ではほとんどがバイパス化されてしまいましたが、所々旧道が残り、道ばたにある庚申塔などでその名残を見ることができます。

その大山道の世田谷東端に位置するのが池尻です。池尻は田園都市線で渋谷から一つ目の駅といった立地条件なので、大通りを中心に賑やかな商業地となり、また地価の高い住宅地は密集しています。しかしながら江戸時代には農家が数十軒あるほどの農村地域で、目黒川の北部には幕府の狩猟地や薬園地などもあり、今では想像もできないような寂れた場所だったようです。

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この地を劇的に換えたのは明治24年に騎兵第一大隊の兵舎が現在の池尻4丁目に造られてからです。明治30年には現在の池尻1丁目と2丁目の一部に駒沢練兵場が造られ、何もない農村だった地域が急に軍事地域となってしまいました。それと共に地域が活性化していき商店や旅館が街道沿いに増え、人口も増大していきました。

大正時代になると鉄道の開通と共に世田谷自体の人口が増えていき、関東大震災後は爆発的に人口が流入していきます。昭和になり、太平洋戦争が勃発すると、軍事基地だらけの池尻とその周辺が空襲の標的にならないはずはなく、多くの家々が戦火で焼けてしまいます。

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戦後になると練兵場などは世田谷公園や小中学校、都営住宅へと変わっていき、池尻の地は都心から近い地の利もあって多くの家やアパートが復興の名のもとどんどんと建てられていき、賑やかな町へと変わっていきました。

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現在の池尻町は、かつての旧池尻村、旧池沢村で構成されています。その旧池尻村、旧池沢村の鎮守でだったのが池尻稲荷神社です。創建は由緒書きによると明暦年間(1655~57)で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祀っています。江戸時代は「火伏せの稲荷、子育て稲荷」として地域の村民の信仰を集めていたようです。

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池尻稲荷神社は古くから大山街道沿いに鎮座していて、世田谷区の一番東側にある大山道関連の名残りとなります。とりわけ有名だったのは境内にある「涸れずの井戸」といわれる井戸です。街道を行き来していた多くの旅人がこの神社で喉を潤したそうです。今でもその水は涸れることはなく、手水舎に引かれています。

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境内は鎮守様らしくうっそうとして・・・、というのは過去の話で、現在は社務所はビルの一階部。周囲もビルやマンションが建ち並び、背後には首都高が見えるような超都会的な境内となっています。昭和39年の国道246号を拡張の際に敷地が削られた事によって敷地が狭くなり、また都心に近いし、大通り沿いの一等地という立地を考えると仕方のないことでしょう。でも横にビルが建てられる前の写真を見ると、うっそうとした感じで木が茂り、首都高なども木々が隠していてそれなりの雰囲気が感じられたようです。

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池尻稲荷神社は昭和20年の空襲で近隣が焼けたときでも境内にある二本の大ケヤキによって風向きが変えられ神社の消失が免れたという逸話も残っています。その時にご神木であった松は枯れてしまい、松陰神社から分けてもらった楠の木の苗木が現在立派に成長して神木となっています。

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その他には本殿に向かって左側にある小さなお社は清姫稲荷神社です。御神体が白蛇ではないかと伝えられているそうです。清姫様が叶わぬ恋のために池に身を投げて白蛇の化身になったのでしょうか。特に由緒が書かれていませんでしたので勝手な推測で書いたのですが、きっと当たらずとも遠からずといった感じではないでしょうか。

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また、手水舎の前にあるお社は水神社です。こちらもまた「水の神様=ヘビ」として祀られています。そう考えると、境内にはお稲荷様の狐だけではなく、実は蛇も沢山祀られている神社だったりします。ちなみに「ヘビ」は智恵の象徴なので、「学業成就の神」ということになります。

*** 池尻稲荷神社の秋祭りの様子 ***

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
秋祭りのときの鳥居前

やはり屋台があると賑やかな感じがします。

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
神輿舎

運行されない年はここで宮神輿が飾られます。

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
宵宮祭

社殿でひっそりと行われます。

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
煎茶会

宵宮の昼間に行われます。

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
神楽

岡田民五郎社中による巫女舞です。

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
奉納演芸

宵宮の夜に行われます。

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
境内の様子

閑散とした時間帯が多いです。

池尻稲荷神社の秋祭りの様子
ちょっと賑わった境内

奉納演芸が始まると少し人が増えました。

* 池尻稲荷神社の秋祭りについて *

池尻稲荷神社の秋祭り(例大祭)が行われるのは9月の第三日曜日とその前日です。かつては9月20、21日の固定日に行われていましたが、平日だと人が集まらないという事情もあり、週末に変更されました。近年ではシルバーウィークなどという大型連休と重なったりすると、氏子の都合で連休を外して行われることもあります。

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お祭りに関して面白い逸話が残っていて、かつては例祭日には必ず雨が降ったそうです。それは境内の大ケヤキに主として住み着いていた白蛇をある祭りの時に蛇屋が持って行ってしまったとか。それ以降は祭りの日になると白蛇の祟りで雨が・・・といった感じのようです。ちょうどこの時期は周辺の地域でも秋祭りが行われるのですが、祭礼日の近い神社でも同じように毎年雨に祟られたといった記録が残っていることから、本当に雨が多かったようです。

野沢稲荷などは雨が多いので8月に祭礼を変えているほどです。そう考えるとすさまじい蛇の怨念となり、他の地域にとっては傍迷惑な話かもしれません。でもまあこの時期は雨が多い時期でもあるので、池尻のせいにするのも酷な話しですね。そういった経緯を踏まえても祭日が変更になったのは良かったのかもしれません。

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ここのお祭りは一年ごとに違った形態で行われていて、隔年で宮神輿が運行されます。もちろん華やかな宮神輿が運行される年の方が多く人が集まり賑やかになります。その理由の一つとして、ここの宮神輿の台座などに施された彫刻の美しさは東京でも有名だからです。

何でも新聞に載ったほどだとか。そういったわけで神輿好きな担ぎ手や見学者が多く訪れます。とはいえ、それは盛り上がる宮出と宮入の時だけ。それ以外は宮神輿が運行されない場合と同じで、祭りの最中でも境内は静かな賑わいといったように感じました。

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露店は境内のみで、だいたい10店弱ほどでした。露店の少なさからも祭り全体の華やかさはあまり感じません。訪れる人も時間帯にもよるのでしょうが、まばらといった感じです。神楽殿では宵宮の日の昼間に煎茶会が行われ、夜には奉納芸能が行われます。

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茶会は池尻稲荷神社の社務所のビル内にある茶室で活動する静中庵流煎茶道によるもので、この時は神楽殿が茶室に変ります。舞台の上で茶会というのも風流というか、なんかいいかもしれません。おまけにフルートの演奏も目の前で行ってくれ、一席500円というのはお安いのではないでしょうか。ちなみに七夕などにも七夕茶会チャリティーコンサート等を行っています。

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奉納演芸はそれぞれの町会の婦人会が演奏等の演目を行うといったものです。たまたま見た演目がそうだったのか分かりませんが、これがまた結構凝っていて、さすが都心に近いだけあって文化的というか、ハイソなご婦人方が多く暮らす地域なのかも・・・なんて勝手に納得してしまいました。

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本祭の昼間から夜にかけて断続的に岡田民五郎社中による神楽が奉納されます。2011年は式典終了後巫女舞、14時から墨吉三神、16時から天孫降臨、19時から稲荷山で、2013年の場合は14時から巫女舞、16時から墨吉三神、18時から稲荷山、19時40分から稲荷山申し付でした。天気が悪かったのもあるのですが、見学者がほとんどいなく、ちょっと寂しい感じの舞となっていました。

*** 池尻稲荷神社の神輿渡御 ***

*** 町会神輿 ***

池尻稲荷神社の町会神輿の写真
御魂入れの儀式

各町会の神輿と関係者が境内にそろいます。

池尻稲荷神社の町会神輿の写真
御魂入れの様子

あいにくの小雨模様でした。

池尻稲荷神社の町会神輿の写真
小雨の中御輿の手入れをする氏子

雨の日は色々と大変です。

池尻稲荷神社の町会神輿の写真
旧道を渡御する町会御輿

ほのぼのとした感じの渡御

池尻神社の町会みこしは5基あります。これは池沢村が合併して池尻村になった時の小字が「北町」「東町」「西町」「中町」「南町」の五つで、これが現在の町会神輿の原型となっているようです。一番北の旧池沢村だった4丁目の池尻四丁目会、3丁目の東側部分の池尻北自治会、同じく3丁目の西側部分の池尻西町会、2丁目の神社より東と南側の池尻東親会、同じく2丁目の神社を含めた西側と1丁目の池尻南睦会が現在の町会名です。ちなみに夏の盆踊り大会の時も「池尻五町会連合納涼盆踊り大会」として神社の境内で行われています。

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町会神輿がそろうのは御霊入れのときで、全ての町会神輿が境内に揃い、神職に御霊を移してもらいます。ただこのときは単純に運んできて、また運んで帰るといった感じです。詳しい運行形態を知りませんが、昔訪れたときは夕方に2つのお神輿がちょうど宮入りしていました。特に全てのお神輿が一緒に宮入りするといったことはなさそうです。

また町会神輿というと威勢がよかったり、ワイワイと賑やかなイメージがありますが、ここでは担ぎ手が多くないのもあって、のんびりと楽しく、マイペースといった感じでした。また、本来なら旧道を進む神輿は絵になるものですが、ここではちょっと周りの風景が近代的過ぎて、特別な情緒といった部分は感じられませんでした。でも見物人を含めた渡御の様子はとても雰囲気のいいものでした。

*** 宮神輿渡御 ***

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
式典前

まもなく神事や式典の開始です。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
池尻自慢の宮神輿

台座の彫刻が美しい事で知られています。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
運行前の神事

多くの人が見守っていました。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
担ぎ始め

境内で揉んでから外に向かいます。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
鳥居くぐり

神輿が大きいので神社への出入りは少々大変です。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
旧道を進む宮御輿

町会御輿とすれ違うところです。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
神輿渡御の様子

町域ごとに渡御の様子が若干違っていました。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
246の手前で休憩

背景がビルとか高速道路とか池尻らしいです。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
国道246を進む神職たち

246をお祓いしながら歩く神職は様になっていません・・・

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
国道246を進む御輿

担ぎ手は人目が多いので張り切っていました。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
宮入りしてきた神輿

担ぎ手の表情が誇らしげです。

池尻稲荷神社の宮神輿渡御の写真
最後のもみ

余韻を楽しむように境内を何周もしていました。

池尻稲荷神社の例大祭では隔年で宮神輿が運行されます。西暦で言うなら奇数年が運行年になります。きっと毎年出せればいいのでしょうが、担ぎ手を集めたり、巡幸させるための資金とか色々と事情があるようです。でもこれはこれで、宮神輿の運行が貴重というか、有り難味があり、祭りにも本祭年、陰祭年といったメリハリができていいように感じます。

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池尻の宮神輿は延軒屋根、勾欄造りで、大きさは台座が3尺3寸で、製作者は浅草の難波になります。建造は昭和4年で、町の人々の寄付によって造られたそうです。特徴はなんといっても台座や屋根などに施された打ち出し模様の美しさです。その美しさやすらっとした細身の姿から別名貴婦人とも呼ばれています。

私は神輿については詳しくは知りませんが、なんでもその美しさ、或いは調和の取れた形は東京でも有名だとか聞きました。地元の人の話では新聞にも載った事もあるとか。そういったわけで宮神輿が運行される年には神輿好きな担ぎ手や見学者が多く訪れます。

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宮神輿は日曜日に運行されます。かつては池尻の各地域で決まった職人や鳶の人しか担ぐことができなかったそうです。現在ではそういった事はなくなり、一般人、もちろん女性でも担げるようになりました。スケジュールは年によって若干違いますが、10時か10時半に大祭式。12時半に神幸祭。12時50分に宮出。そして町域を巡って17時半から18時ぐらいの間に宮入します。

神輿は国道246号の南北にある池尻2丁目、3丁目を神社を中心に行ったり来たりしながら渡御していき、途中の休憩は9回ほどで、あまり広いエリアではないので、少し動いて休憩といった感じの渡御となります。神輿が渡御するコースや休憩所は毎年一緒ですが、年によって回る順番は違うようです。

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神輿の渡御については、見所となる宮出と宮入はそれなりに人が集まってきて、境内で揉むときは熱気にあふれます。境内からの出し入れは旧道側の鳥居をくぐるのですが、神輿が大きいので大変です。かなり低い位置まで神輿を下げるので担ぎ手にとってはかなりきつい作業になります。

渡御中は神職が先頭でお祓いをして道を清めながら進んでいきます。旧道などの細い道だといいのですが、大通りの国道246号などではちょっと様になっていませんでした。担ぎ手は人通りが多いと自然と張り切ってしまうものですが、神職にとっては大通りである国道246号はあまり通りたくない部分かもしれません。

* 感想など *

例祭の流れは宮神輿が運行される年とそうでない年とで違いますが、全体的には池尻稲荷神社の祭りはこじんまりとしています。神社にきちんと社務所があり、神主さんも常駐しているし、神輿も立派だし、町会神輿もあるしと考えると、もっと規模が大きな祭りとなってもいいような気もしますが、世田谷でも中ぐらいの規模で、人の集まりからみると中の下といった印象です。地元民の人口が少ない商業地域にあるからともいえますが、三軒茶屋の盛り上がりはかなりのものだと考えると、独特な歴史を持つ地域性によるものなのかなと感じました。

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世田谷の祭りを見て回るとどの祭りでも農村独特の村祭りといったほのぼのとした雰囲気をどことなく感じるものです。しかしながらここ池尻の祭りは少し他とは違う印象を受けました。池尻の歴史を紐解いていくと、この地域はかつて兵隊村と呼ばれ、大きな駒沢駐屯地がありました。その名残は現在の自衛隊三宿駐屯地やその隣の世田谷公園だったりします。古くから街道沿いにあったとはいえ江戸時代の池尻の町は幕府の狩猟地や薬園地が多く、農家が少しあるだけの寂れた場所でした。

その池尻が活性化していったのは明治24年に騎兵第一大隊の兵舎が建てられてからです。それ以降次々と軍の施設が建てられていき、それとともに人や建物が増えていきました。なので古くから農業を生業にしている人が少ない土地なのです。それに戦時中には駐屯地があることから空襲で町が焼け、戦後の復興では都心に近いこともあって次々と近代化、宅地化が進んでいきました。伝統的風習が世田谷で真っ先に消えていった地域でもあります。

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そういった歴史から考えると、兵隊村として兵隊相手に商売をしていた気質に、急激に押し寄せた近代化から古い風習を守ってきた誇りととが混じり、凛とした印象というか、ちょっと角があるような印象というか、式典や統制のとれた神輿渡御などを見ていると他の祭りとはちょっと雰囲気が違うなと感じました。もちろん池尻稲荷神社の境内がビルや首都高に囲まれて都会的になっている事から受ける印象もあるかもしれません。

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池尻に古くから住む人にとっての町自慢は池尻稲荷の井戸水とこの宮神輿となるようで、宮神輿の運行を見学していても地域の人にこの御神輿は新聞に載ったのよとか、立派な御神輿でしょと話しかけられることがありました。季節ごとに行われる小さな伝統行事や文化といったものは世田谷でいち早く失われてしまった地域ではありますが、現在も賑やかに行われている秋祭りだけは唯一池尻の伝統と誇りが息づいている場かもしれません。

<世田谷の秋祭り File.1 池尻稲荷神社例大祭 2012年8月初稿 - 2015年10月更新>